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80.幕引き

「あら、殿下をお慰めしていたんじゃないの? 先ほどと言っていることが違うわね」


「違うわ。そうじゃない。私の言いたいことはそうじゃないの」

 マリアベルはいやいやをする幼子のようにかぶりを振る。

 その様子は庇護欲をそそり愛らしくもあった。


「私は、あなたにあまり時間を割きたくないので教えてあげます。王妃陛下が好んで茶会に庭園を使っていたのは、魔法道具が仕掛けられていない場所が多いからよ。ところがサロンは違う。人の声を、時には姿を拾う魔法道具が仕掛けられているの。王宮の地下牢ならばすべての言動は記録される」


 マリアベルの顔から、愛らしい表情が抜け落ちた。これが彼女の素なのだろう。


 ガラス玉のように光を失った瞳はせわしなく、小狡い様子で左右に動く。


「ジョシュアが、私を騙したの?」

 マリアベルが驚くほど乾いた声で、アリシアに問う。

 アリシアは首を傾げた。


「さあ、どうかしら? 実は、先日王宮へ行ったおり、デズモンド殿下のお誘いを受けてお茶をご一緒したの」

「え……? どうして?」

「ジョシュア殿下への面会を頼まれたわ」


 あっさりと答えるアリシアに、マリアベルが目を見開いた。


「嘘よ! ジョシュアがお義姉様に会いたがるわけがない!」


 アリシアが世間を知らないように、マリアベルは王侯貴族の結びつきや恐ろしさを知らない。


 高位貴族ともなれば、たとえ遠縁でも王族と血のつながりがあるものだ。


 必要があれば好悪関係なく手を組むし、裏切りもする。そのための複雑なしがらみ。


 魔法の鏡に映った未来のように彼女がアリシアを貶め処刑し地位を得たとしても、異物はやがて弾かれる。時間の問題だ。


「ジョシュア殿下はたまたまあなたの自白が聞けたからと、私にそれを託されたの。あなたはデボラとの出会いもぺらぺらと話していたわね。これからデボラとともに詐欺罪かそれ以上の罪に問われるわ。トマスも賄賂の件で役人が聞きたいことがあるそうよ」


「マリアベル! どういうこと? お前、私の何を話したの?」

 憤怒の形相でデボラがマリアベルに迫る。


「違う、ジョシュアに騙されたのよ! 酷いわ、こんないやがらせ。お願い! お義姉様助けて」

 

 再び目に涙をためて、哀れな様子でアリシアに訴えるマリアベルのしたたかさ……。


 アリシアは呆れたように一つ嘆息して、肩をすくめた。

 

「だから、私はあなたの義姉ではないし、私に対してそのような口を聞ける身分でもない。あなたが平民だからというわけではなく、身分を詐称しこの家の財産を勝手に使った罪人だからよ。私は詐欺の被害者。それから、ジョシュア殿下は私のことも好きではないけれど、あなたのことは憎くてたまらないのですって。だからこの家からあなた方を速やかに追い出すために、協力してくださったの。元婚約者のよしみだそうよ」


 そう言ってうっすらと微笑むアリシアを見て、マリアベルは金切り声を上げる。


「アリシア! 畜生! 上品ぶりやがって、よくもあたしを嵌めたな!」

「だから、なに?」


 怒声にひるむことなく涼しい顔でこたえるアリシアに、怒りに髪を振り乱し、本性をまるだしにしたマリアベルが向かってくる。


 だが、マリアベルは途中でデボラに強く打ち据えられて床に無様に転がされた。


「この恩知らずが! せっかく引き取って、いい生活をさせてやったのに」


 デボラがマリアベルを打擲しマリアベルがデボラの髪を引っ張り、蹴りを入れる。

 

 これ以上は見ていられなかった。アリシアは身を翻し、エントランスへと向かう。


 するとそれまで呆然としていたトマスが、デボラとマリアベルに向かって吠えた。


「お前たちはいったいなに者なのだ! ふざけるな!」


 トマスに叫びに答えたのは、扉の前で振り返ったアリシアだった。


「デボラは子供が産めません。デボラもマリアベルも赤の他人です。トマス、仲睦まじい親子ごっこは楽しかったですか? 私はあなたたちを絶対に許さない。でも、ここから先は自由に生きたいので忘れることにします。では永遠にさようなら」


 すると突然トマスがアリシアを目がけて走って来た。

 従者が慌てて止める。


 アリシアがエントランスで扉をあけ放つと、すぐ外で待機していた役人と兵が共に入ってきて、トマス、デボラ、マリアベルを取り押さえた。


「すまない。アリシア、許してくれ。私はこいつらに騙されていたんだ。つまり私も被害者なのだ。今、目が覚めたよ。どうか、お前の本当の父である私を助けてくれないか?」

 トマスがアリシアに涙ながらに必死に訴える。


「それは無理。この国の法があなたを許さない。トマス、あなたが慈悲を乞う相手は私ではないのです」


 アリシアはそう言い残して、二度と振り返ることなく、扉の向こう側に足を踏み出した。


 後にはトマス、デボラ、マリアベルの悲鳴と怒号が響く。


「しばらくここには住みたくないわね……」


 ポーチを降りて庭を抜け、ウェルストン家の門から出たアリシアは独り言ちた。


(愛は人の理性を奪い、狂わせる。騙し合いのすえ、勝者は誰一人としていない) 


 アリシアは母ジェシカ、ジョシュア、トマス、フラン、そして魔法の鏡に映ったもう一人のアリシアに思いを馳せ、寒い戸外に一人立ち尽くす。


(私は、誰かに恋なんてしたくない……)


 冷たく澄んだ冬の風を胸いっぱいに吸い込んだ。


 まるで彼女の虚しさと孤独を埋めるように。


「アリシア」

 落ち着いた穏やかさを含む声に顔を上げる。


「サミュエル……」

「あー、すごく落ち込んでいるね。一緒に美味しいものでも食いに行かないか?」

 気遣うと言うより、軽い調子で誘われた。


「ありがとう、サミュエル。でも……食欲がわかないの。気持ちだけ受け取っておく」


「そうだなあ。とりあえず、うちにおいでよ? 一人でホテルにとまるよりましだろ?」

 サミュエルがアリシアの顎に手を当て、彼女の瞳をじっとのぞき込む。


 普段ならばドキリするような彼の仕草にも、荒涼としたアリシアの心は揺れることはなかった。


「どうしてわかったの?」


「アリシアはしばらくこの屋敷に入りたくないのかと思って。それに役人たちが屋敷を歩き回って書類をひっくり返している姿を見るのも気が滅入るだろ? 経験者のいうことは聞いておけよ」


 ロスナー家もついこの間、まさに血で血を洗う激しいお家騒動があったばかりだ。


「うん、わかった。連れて行って」


 サミュエルは笑顔で頷いた。




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