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65.アリシアの帰還

 空は青く澄み渡り、カモメが飛んでいる。

 

 目の前には堂々たる古城、後ろには色とりどりの屋根を持つ城下町が広がり、その先には真っ青な海がある。

 ――ヴァルト伯爵領。



 祖父母に先ぶれは出していたが、アリシアは緊張していた。


「お祖父様も、お祖母様も私のこと嫌がらないかしら?」

 アリシアが声に不安をにじませる。


「大丈夫だよ。アリシア」

「そうだよ。そのために僕たちがいる」

 アリシアの右にはサミュエルが、左にはブライアンがたっていた。


「うわあ、ヴァルト伯爵かあ。緊張しちゃう」

 後ろを歩いていたミランダが、アリシアの左肩からひょっこり顔を出す。


「あ、あの三人ともありがとう。でも皆、私の面倒見ている場合ではないんじゃない?」

「ああ、俺はもうお尋ね者じゃないみたいだから、立ち寄るぐらいは問題ないだろう?」

 サミュエルは最近までとんでもない状況に追い込まれていて、まだ困難が待っているというのに、驚くほどあっけらかんとしている。


「私は、ヴァルト伯爵の協力を仰ぎたいから……。でもすっごいお城ね。心細いよお。今更だけどアリシア援護して」

 少し弱気になった様子で、ミランダが言う。


「もちろんよ、ミランダ。でも本当にいいの? 私に協力なんかして、今からでも――」

「やめてよ。アリシア、私はしがらみを断ち切るためにここにいるの。権力に利用されるなんて嫌」

 ミランダがアリシアの言葉を遮る。


「大丈夫だよ、アリシア。万が一ミランダに何かあったら俺の国に来ることになっているから。それと、サミュエル。アリシアのことは僕らに任せてお前はさっさと実家に行ってけりつけてこいよ」

「何を言う、ブライアン。ひと月以上に渡って、アリシアを連れて旅をしていたのは俺だぞ。けじめをつけるためにもヴァルト伯爵に一発殴られてくる」


「え、正面からぶつかる気? なんかうまい言いようがあるだろう? サミュエル、やっぱり馬鹿なの?」

 サミュエルとブライアンがアリシアとミランダを挟んで言い合いをしているうちに城門がゆっくりと開いていく。

 するとミランダがぴたりとアリシアの背中に張り付いた。


 城門の向こう側にはバーバラとエドワードが立っていた。バーバラは泣きながらアリシアのもとへかけてきて、アリシアを抱きしめる。

「よかった……。孫まで失わずに済んで」

「アリシア、すまんな。以前お前がきたときにもっと甘やかしてやれば、わしらを頼っただろうにおかしな意地をはってしまった。本当はあの舞踏会の夜わしらを頼ってくれて嬉しかった。いや、あいつに家督が移った時にお前を連れてくればよかったのだ」

 アリシアは思わぬ歓迎に驚いた。


 それに、なぜ彼らがアリシアを連れていけなかったのかは知っている。王太子の婚約者であるアリシアは、王宮に近いウェルストン家で暮らすことを求められたからだ。


 その後、サミュエルやブライアン、ミランダも交えて、荷解きをしてゆっくりとお茶を飲み、晩餐をとった。


 サミュエルは包み隠さず、アリシアを連れて一か月以上逃亡した話をする。

 エドワードもバーバラも怒ることはなかった。

「あなたも大変な身の上でアリシアを守ってくれてありがとう」

 祖父母はサミュエルの事情も知ったうえで、深く礼を述べた。


 サミュエル、ブライアン、ミランダは三晩泊まってエドワードやバーバラも含めて今後のアリシアについて皆で相談を重ねた。


 その後、ミランダはエドワードから手紙を預かり、一足早く王都の魔法学園に帰った。


 翌日の四日目の朝には、いよいよサミュエルが、ブライアンと共に王都に戻ることになった。


 アリシアはロスナー家に帰るというサミュエルが心配でついて行きたかったが、彼がそれを許さない。


 だから、ありったけのアミュレットを渡した。


 サミュエルは帰りの馬車に乗り込む前に困ったように笑う。

「ねえ、こんなにたくさんのアミュレット、どうするの? 俺は一つでいいよ。もったいないから売ったら?」


「売らない! あなたのために作ったのよ。全身に巻き付けて。ああ、それとピアスもあるの」

「え、まだあるの?」

「おい! サミュエル、アミュレットを作るのは大変な作業なんだぞ? 魔力だって多量消費する。全部しっかり体中に装着しとけよ。お前の家には毒蛇が住んでいるんだからな!」

 ブライアンに言われて、サミュエルはアミュレットをしっかりとカバンにしまった。


「アリシア、ありがとう。またな!」

 サミュエルが笑いながら、アリシアの頭を撫でる。


 その大きな手に縋りたいと思った。

 でもアリシアは踏みとどまって、馬車が見なくなるまで手を振った。



 彼らが去った後、寂しさに肩を落としてサロンへ行くと、祖父母が待っていた。

「アリシアよ。話しがあるのだろう?」

「アリシア、どうか私たちを頼ってちょうだい。あなたはロスナー家のご子息が好きなのね」

 アリシアは赤くなったものの祖母の言葉に素直に頷いた。


 テーブルに目を落とすと美味しそうなタルトにクッキー、サンドイッチが並んでいる。

 そして湯気を立てるティーカップの横にバーバラが長方形の金属の箱を置いた。


 一目で魔法道具だとわかった。


「これはジェシカの形見なの。あなたが生まれた時、ジェシカから預かったのよ。アリシアが成人したら、その箱を渡して欲しいと頼まれた。あなたは今十七で、成人は来年だけれど、良かったら今箱を開けて欲しいの」

「お祖母様は箱の中身をご存じなのですか?」


「いいえ、この箱はあなたでなければあけられないわ。ジェシカは魔法道具作りがうまかったのよ。アリシアの魔力の波動に反応して開くはず」

 アリシアには母の記憶はほとんどない。

 ジェシカはすでに病に臥せっていてアリシアは彼女から遠ざけられていたからだ。


 アリシアがそっと箱の表面を撫でると、かちゃりと鍵が開く音がした。


(もしかして、お母様から何かお手紙が入っているのかしら)


 淡い期待を抱き、どきどきしながら蓋を開ける。


 中には書類が入っていて、契約書のようだった。


 アリシアは失望したものの、書類を取り出して目を通す。

 書面の内容に驚き、思わず口に手を当てた。

「これって……どういうこと?」

 アリシアの全身に震えが走る。


「どうしたのだ? アリシア」

「アリシア、どうかしたの?」

 祖父母が心配そうにのぞき込む。アリシアは彼らに震える手で書類を差し出した。


 しばらくするとバーバラは呆然とした後、泣き始めた。となりでエドワードも震えている。

「ああ、ジェシカ……。あの子ったら……」

「なぜだ。ジェシカ……わかっていたのに、どうしてあいつを選んだんだ」


 それはアリシアが生まれる前にジェシカとトマスの間で交わされた契約書だった。


 最後にこんな一文が添えられていた。

 ――これから生まれるあなたが健やかに育つことを祈っています。



 この時、初めてアリシアは戦うための武器を手に入れた。

 それはジェシカとトマスが結婚する直前に交わした魔法による契約書。


 奪われることに慣れて文句も言えず、とられたものを奪い返すことすら苦手としてきた。

 それがアリシア・ウェルストンという少女だ。


 長年虐げられてきた彼女は、すぐに怒鳴り暴力をふるうトマスもデボラも怖い。マリアベルも苦手だ。


(でも、私は生きたい。生きるために戦う。ミランダと約束したのだから。逃げるのは、もう終わり)


 たとえ、その先にどんな未来が待っているのかわからなくても。

 

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