55.予言②
サミュエルに思い入れがあるのかどうかはわからないし、説得がうまくいくともおもえない。
現に彼は自分の身に何がおこったのかをアリシアに話してくれないのだから、説得に失敗したのだろう。
しかし、サミュエルとは短い付き合いだったが、不思議と楽しい思い出だけが残っている。
王宮舞踏会でのダンスに誘われて踊ったことから始まり、ルミエールの店についてきてくれたこと、命がけで討伐した魔物の魔石を惜しげもなくアリシアにくれたこと、時おり魔法舎の食堂に来ては明るく笑い楽しい話をしてくれたこと。
散々だったけれど……時計塔での冒険。
(今ここで別れたくない。サミュエルが死ぬなんていや。この人が無残な死を迎えるなんて間違っている)
「わかった。一緒に逃げよう」
アリシアは驚いて顔を上げる。
「ただし俺はお尋ね者だけど、それでも構わない?」
「はい?」
アリシアは一瞬キョトンとしたが、すぐに気持ちを切り替え、フード付きでくるぶしまで長さのある外套を羽織り、カバンにまとめてあった荷物をもった。
「ひとまず、どうでもいいから逃げましょう! あなたの気が変わらないうちに」
「うそだろ? 君って最高」
そう言ってサミュエルは笑った。
もっともすぐに顔の傷に表情を歪めたが……。
逃げると決めたサミュエルの行動は早かった。
「アリシア、カバンを胸の前に抱くように持ってくれる?」
意味が分からなかったが時間が惜しいので、アリシアは言われたとおりにカバンを胸に抱いた。
ふわりと体が浮いて、サミュエルに横抱きにされたとわかった。
「ちょ、ちょっとサミュエル?」
「俺の首にしっかりつかまって。今からこの窓から下に飛び降りるけど、絶対に悲鳴をあげないでね?」
「わ、わかった。でもなんでドアから出ないの?」
アリシアは恥じらいもなく、サミュエルにしがみついた。
制服を着ていると細身に見えるのに、彼の体は鍛えられ、予想以上にがっしりしていたので驚いた。
「当たり前でしょ? 俺は不法侵入者だよ? 二時間くらい前にアリシアに会いたいとここの修道女に頼んだら男子禁制だって断わられた」
「あ、ありがとう……」
彼はアリシアと会える機会を待って、二時間もあの場に立っていてくれたことになる。
嬉しくてそれ以外の言葉が出なかった。
「じゃあ、行くよ」
サミュエルに声をかけられて、アリシアは目を閉じる。
彼が窓枠に足をかけるのがわかった。
ふわりと浮遊感があったのち、落下した。
彼が魔法を使ったのか、着地の衝撃はなかった。
「アリシア、ちょっと腕を緩めてくれる。俺、苦しいんだけど」
落下の恐怖から覚めた。
「ごめんなさい」
そう言ってサミュエルの腕から降りようとしたが、彼のがっしりとした腕はアリシアを抱いたままはなさない。
「君、どう考えても足遅いよね? このまま街を走り抜けよう」
サミュエルはアリシアを抱いたまま走り出した。
驚くほど彼の足は速かった。
「ねえ、サミュエルのこれってやっぱり身体強化の魔法よね? なぜか魔力の気配がしないのだけれど?」
「ああ、これ? 俺の母方の家系に伝わる特殊能力、普通の人間よりちょっとばかり身体能力が高くて死ににくい」
話している間もサミュエルは全力疾走している。
もうすぐ下町から抜けそうだ。川にかかる橋の先に黒々とした森が月明かりに照らされて見えてきた。
ふと見上げると、サミュエルの瞳が金色に輝いていた。
「サ、サミュエル、あなた瞳の色が……」
「ああ、ちょっと怖いかな? 力を使うとこうなる。後で元の色に戻すから」
「別に怖くないから、そのままで大丈夫。少し驚いただけ」
「ふふふ、やっぱりアリシアは変わっている」
こんな状況にも関わらず、いつもと変わらないサミュエルにほっとしつつも、抱きかかえられていることにどきどきする。
サミュエルはそのまま森に走り込んだ。
やがて夜が明けるころ、彼はやっと足を止めて、アリシアをゆっくりと降ろした。
かなり森の奥深くまできていた。
「さてと、問題は食料だな。川も近いし魚でもとってくるか」
サミュエルはとても元気だが、アリシアは緊張感がほどけてきて眠くなってきた。
「アリシア、寝ていても大丈夫だよ。君は結界を張れるだろう?」
「私だけ楽できないわ」
「俺とは体力が違うんだから、休んで疲れをとってくれ、一晩中寝ていないじゃないか」
確かにサミュエルの言う通りだ。
サミュエルに聞きたいことがいっぱいあったはずなのに、妙な安心感から油断をすると眠りに落ちそうだ。
信じられないことに、今のアリシアは安心感に満たされていた。
(私はサミュエルのことを、こんなに信頼していただなんて……知らなかった)
そのことをアリシアは意外に思った。