54.予言①
その晩、アリシアはベッドに入ってからも眠れなかった。
(誰も訪ねてこないじゃない)
現在彼女は二階にある二人部屋で過ごしている。
いつもは一夜の宿を求め来る女性がいるのだが、今日は誰もいなくてアリシアは一人でベッドをつかっていた。
(もう、真夜中だわ。私ったら、あんな占いを信じて怖がってどきどきして、バカみたい。アミュレットも盗まれちゃったし。せっかくサミュエルからもらった魔石で作ったのに……)
ため息をつくと、アリシアは眠ることをあきらめてベッドから出た。
ここで生活し始めてから、アリシアは寝巻を着なくなった。
正確には持っていないのだが、ここに定住はできないのがわかっているので、いつでも出て行けるように身軽でいたいと思ったのだ。
もう、服を着たまま眠るのにも慣れた。
窓からは煌煌と月明かりが差し込んでいる。今夜は満月でアリシアの魔力はみなぎっていた。
ふと窓辺から外を覗くと、下に一人の男が立っていた。
(えっと……強盗かなにか? 修道院に? まさか)
すると視線を感じたのか男がフードを脱ぎ、顔を上げた。
金髪に端整な面立ち、青灰色の瞳。アリシアは目を見張った。
「え? サミュエル?」
途端にアリシアの鼓動が早鐘を打つ。
さっと窓をあけ放つと、彼がひらひらと手を振ってくる。アリシアは部屋に来るよう。手招きをした。
サミュエルはわずかに逡巡したあと、ひらりと二階の窓から入って来た。
アリシアはその身軽さにぎょっとする。
「それって身体強化の魔法か何か?」
「おいおい、開口一番それかよ。ほかに挨拶はないのかい?」
彼の声が不思議と懐かしくて、アリシアは知らず涙ぐんだ。
「お久しぶりです」
「まったく、君って人は……。それで突然寮を追い出されたんだって? ブライアンが心配していたぞ。あいつに一言あってもよかったんじゃないのか?」
その時、アリシアはサミュエルが一瞬顔を歪ませるのを見た。
暗くてよくわからなかったが、彼は口の端を切っているようだ。
アリシアは思わず触れる。
「いてっ」
あわててサミュエルが身を引いた。
「どうしたの? 殴られたの?」
アリシアも顔を殴られた経験があるからわかる。途端に不安が襲ってきた。
「ああ、ちょっと父上にね」
「ねえ、サミュエル、何かあったの?」
「あのね。アリシア、ここに訪ねてきたのは俺なんだけど? それに何かあったのは君の方だろう?」
「私は実家の嫌がらせで、寮を追い出されただけ。そのついでに家出したのよ。皆に話さなかったのは、事情を知ってしまったことで迷惑をかけたくなかったから」
「うん、筋は通っているね」
「でも、一人で逃げ出したことは確かね。……皆に迷惑かけて、心配かけてごめんなさい。それであなたはどうしたの? 何かあったの?」
先ほどから、アリシアの胸騒ぎは止まらない。
「悪いけど、時間がないんだ。俺、明日の朝早く出頭しないと」
「出頭って、どういうこと?」
「ちょっといろいろあってね。君は俺のことを心配している場合じゃないだろ? こんなところにいたら、危ない。どこか避難できる場所はないのか?」
「ないから、ここにいるの」
サミュエルは困ったような顔をする。
「参ったな。では明日また来るよ」
「それはだめ! あなたはきっと来ない」
アリシアはサミュエルと会話を進めていく中で、だんだんと恐怖を覚えていった。
サミュエルは帰りたがっている。
すべてが老婆の予言通りになっていく。
「どうして、そう言える?」
アリシアはあの老婆のことを話すかどうか迷った。
しかし、今のサミュエルが信じてくれるだろうか。
逡巡し、結局ほかの疑問を口にした。
「ねえ、サミュエル、あなたはここにどうやってたどり着いたの? ルミエールさんに聞いたの?」
「やっぱり、あの爺さんの紹介か。粘ったんだが、君の居場所を教えてくれなくてね」
「じゃあ、どうやって知ったの」
「君の特徴を言って探したんだ。若草色の瞳を持つ美人だといったら、すぐに見つかった。君、救護院の天使ってよばれているらしいよ」
「やだ。何それ」
アリシアは真っ赤になった。
「君は少し変わっているから、ここの居心地がいいのかもしれないけれど、まずは殿下に相談してみたらどうだ? それができないなら、ヴァルト伯爵がいいかもしれない。君を必死に探しているらしい」
「私の実家はどうなっているの?」
「そこまでは情報を掴めなかったな」
情報通のサミュエルらしくない。先ほどの話しと総合すると……。
「あなた、もしかして今拘束されているの?」
サミュエルの顔がかすかにこわばる。
「まあ、実家に軟禁みたいな状態?」
「抜け出して私を探していたの?」
「アリシアを見つけると、ブライアンと約束したからね。ブライアンは自分の実家に来れば匿ってやると言っていたよ」
「サミュエル、お願いがあるの」
「はあ、すごく嫌な予感するんだけど。まさか君を死んだことにしろとか無茶なこといわないよね」
「それもありかなと思って逃げ出したんだけれど、きっと見つかるのも時間の問題だわ。だから、サミュエル、私を連れて逃げて! お願い、助けてください」
月明かりがさす暗い部屋で、アリシアが深々と頭を下げると、しばし沈黙が落ちた。
『思い入れがないのなら、一人で逃げるがいい』と言った老婆の言葉がアリシアの頭にこだまする。