48.もう、無理
ブライアンと話した日から、アリシアはゆったりと時間を過ごすことにした。
ちょっとした自分探しだ。
ゆっくりしようと実習室にも図書館にもよらずに寮へ戻る日がここ数日続いている。
アリシアがいつものように寮のエントランスに入るとすぐに、目を吊り上げた中年女性の寮監エイダ・クラインに呼び止められた。
アリシアの入寮以来、学園の休みの日は自宅に戻っていると虚偽の報告をしている寮監だ。
エイダの険しい表情を見て、アリシアは嫌な予感がした。
「あなたは寮費の滞納により、本日付で退寮してもらいます」
「え、寮費の滞納? どういうことですか?」
寮監に言われて、アリシアは一瞬頭が真っ白になった。
「そのままの意味です。規則に基づき、今すぐ寮から出て行ってください」
リリーたちのクスクス笑いがサロンの入り口から聞こえてきた。
ほかの女生徒たちはこのやり取りを楽しんでいるようだ。
そこでやっとすとんと腹に落ちた。
義母デボラの嫌がらせだろうか。それにしてもひどすぎる。
しかし、今は嘆き悲しんでいる場合ではない。
「今日、急に言われましても。せめて一週間、いえ、三日でもいいのでお時間をください」
アリシアは丁重に頼んだが、寮監は頑なだった。
「家にお帰りいただくしかありませんね。今すぐ荷物をまとめてください」
「そんな……」
ここにいても恥ずかしくて、いたたまれない気持ちがあるが、それより家に帰る方がずっと苦痛だった。
これは明らかに実家の嫌がらせだ。それにしてもやり方がひどすぎる。
(体面はないの? それとも私は殿下の婚約者からはずされたのかしら。それより学費の方はちゃんとおさめられているの? 退学にでもなっていたらどうしよう……)
急に足場が崩れた気がした。
自分はとても不安定な場所に立っていたのだと改めて思い知らされる。
家に帰らせられて、学園をやめさせられて、お妃教育だけの日々が続いて、これから先会えるのがジョシュアだけだとしたら。
家族にないがしろにされ、ジョシュアとマリアベルの仲睦まじい仲を見せ続けられたら。
(魔法の鏡に映った私になってしまうかもしれない……)
一気に悪い想像ばかりが膨らんでいく。
将来への不安と恐怖を募らせながら、アリシアは部屋に戻り、ため息をつくと、荷物の整理をし始めた。
途方に暮れかけた時、アリシアはアミュレットを売ったお金があることを思い出した。
「馬車を雇ってお祖父様のもとへ行くか……」
夕刻も迫ったこの時刻に馬車を雇って遠出するのは、若い女性には危険な選択だった。
結局実家に帰るのが一番安全だということになる。
欝々としながら少ない荷物を持って、女子生徒たちのひそひそ話とせせら笑いの中、寮を出て行った。
その時アリシアはふと思い立つ。
(……チャンスなのかもしれない。このことがきっかけとなり、私が行方不明になれば処刑を回避できるのではないかしら。私が消えたら、父はきっと私が勝手に寮を出て行ったことにするだろう。でも……)
寮費滞納のため寮監から追い出されるアリシアの姿をたくさんの女子生徒たちが見ている。
ウェルストン家は、アリシアのために迎えの馬車をだすことはない。
この状況をうまく利用できれば、あるいは違う未来が開けるのかもしれないとアリシアは考えた。
ほんのささいな思いつきだったのに、アリシアの行動は早かった。
アリシアはまず魔法科の学舎にある実習室へ向う。
数人の生徒は残っているが、ブライアンもミランダもいない。
この状況はアリシアにとって好都合だった。
彼らを悩ませたり、巻き込んだりしなくて済む。ただ不義理な真似をすることになるので、ずきりと胸は痛んだ。
アリシアは実習室に残っている生徒たちに、寮費の滞納が原因で今突然退寮させられたことを告げて回った。
皆一様に驚いていたが、手を差し伸べてくれるほどの仲ではないし、彼らはアリシアが侯爵家の令嬢であることを知っていたので深くは事情を聞いてこない。
「貴族もたいへんだね」
「気を落とさないで、アリシア」
「学業を続けていけるといいわね」
彼らは口々にアリシアにそんな言葉をかけた。
実際この学園では突然学費の支払いができなくなり、辞めていく生徒もいるので、特別珍しいことではない。
大きな商家も貴族もある日突然没落することはあるのだ。
魔法科はとかく噂が広がりにくいが、もしアリシアが姿を消したなら話は別だろう。
「ええ、迎えの馬車が来ていないから、今から馬車を借りて実家に帰るところ」
そう伝えて回った。
それが終わると今度は学園の図書館に向かう。
そこの司書たちにも寮費の滞納で今突然退寮させられたことを告げ、これから馬車を雇って実家に帰るという話をした。
「寮費の滞納で、今突然寮を追い出されてしまいました。だから、しばらく学園には来られなくなるかもしれません。今までお世話になりました」
そう言って頭を下げ、荷物になるからと、いくつか本を図書館に寄贈してアリシアは学園から出て行った。
彼らは一様に気の毒そうな顔でアリシアを見送った。思えば、ここが学園での唯一の憩いの場だったのかもしれない。
(大丈夫。ちゃんと印象付けられたと思う)
アリシアは町に出るとすぐに、学園の生徒がよくいく古本屋へ行き本を売った。
そこでも寮費滞納で退寮になって、これから実家に帰る話しをする。
店主が同情したのか高値を付けてくれたので、アリシアは断ったが店主も引かなかった。ありがたくお金をいただくことにする。
あと残る問題は今着ている学園の制服だ。この姿で遅くまで街をうろつくことも出来ないし、人目にもつく。
アリシアは暗くなる前に下町の東地区へと移動して、安物のフード付きのマントを買い、全身が隠れるようにすっぽりとかぶる。長さはくるぶしまでありちょうどよかった。
次に逃走資金調達のため、ルミエールの店に向かった。
(もう、無理。家になんて戻れない。私はとうの昔に家族に捨てられているのだから)
アリシアは、逃げ出すことにした。
しかし、自分の身勝手な行動に心はさいなまれる。
(ごめんなさい、ブライアン、ミランダ、サミュエル。……どうか皆の未来も私が消えたことで変わりますように)