46.ジョシュアの孤独
サミュエルが魔法騎士に将来の進路を変えたことで、実践で忙しくなり、王宮にあるジョシュアの執務室には彼の八歳上の兄アダムが手伝いに来るようになった。
「本当に残念だよ、お前の弟は。私の側近になるとばかり思っていたのに裏切られた気分だ」
「はい、申し訳ございません」
執務机に座り書類から目も上げずに不機嫌に言うジョシュアに、アダムが折り目正しく頭を下げる。
「なまじけた外れの討伐数を稼いだせいで、サムは調子に乗ってしまったようだな」
ジョシュアの口から恨み言が漏れる。
「ええ、愚弟は昔から調子に乗りやすいのです。次男のせいか責任感がなくて、いい加減で困っております」
アダムが渋い顔をする。
「責任感か……確かにそうだな。あいつは羨ましいほど自由だ。だが、お前がサムを愚弟と呼ぶのは少し違うのではないか? 成績もお前よりずっといいのだろう?」
ふとアダムが口元を歪めた。
彼が優秀な弟にコンプレックスを抱き、王宮で陰口をたたいているのは有名な話だ。
しかし、いくらサミュエルが優秀だとしても、ロスナー家は過去の御家騒動から必ず長男が家を継ぐことに決まっている。
だからサミュエルが努力をしたとしてもジョシュアの側近どまり、兄は凡庸でも父親の後を継いで宰相になり、家督を継げるのだ。
それを残念がっている者も多く、そのことでアダムは余計に頑なになり、ロスナー公爵家が所有する伯爵領も男爵領もサミュエルにも他の弟たちにも譲らないと言ってきかないらしい。
そのこともまた器が小さいと噂され、アダムは自身の首を絞める結果となっていた。
腹違いの兄弟、母親が違うとこうも差がでるのかと思う。
美しく優秀なサミュエルと、陰気で凡庸な能力しか持たないアダム。対照的な兄弟だ。
ジョシュアの脳裏にマリアベルとアリシアの姿が浮かぶ。
アリシアと子をなせば、きっと優秀な子供ができるだろう。
だが、マリアベルは……。
王妃はアリシアを嫌っているにもかかわらず、王家にマリアベルの血を入れたがらない。
ジョシュアが思索に沈んでいると、アダムの耳障りな声に目覚めさせられた。
「愚弟は要領がいいのです。昔から人に媚びるのもうまいので、感心しています。しかし、今回の勝手な進路変更で父の怒りをかい、あいつは下級の魔法騎士から始めます。学園を卒業して魔法騎士団に上手く入団できたとしても、ひと月もしないうちに殿下に泣きついてくることでしょう。どうぞ突き放してやってください」
アダムを陰険な男だと思った。
隙あらばこうして弟を貶める。
そのうえ、書類仕事も遅くミスも多い。サミュエルと比べてしまうと凡庸以前に使えない人間にみえてしまう。
プライドばかり高いのでやりにくい。官吏の方がましだと思うと、つい当たりたくなる。
(なぜロスナー卿はこいつをよこしたんだ? 官吏で十分なのに。こちらが気疲れする)
その点サミュエルは明るくてよかった。親しい口を利くわりに自分の立場を常にわきまえているのも好もしい。
(なぜサムは、私のそばから去っていってしまったのだろう……)
『裏切られた気分だ』というのはジョシュアの本音だった。
子供の頃に顔合わせした時に、サミュエルが気に入って、側近にしてほしいと父に願ったのはジョシュア自身だ。
それなのにサミュエルは『かっこいいから魔法騎士になるよ』とあっけらかんと言ってジョシュアのもとを去っていった。未だにそのことには憤りを感じるが、サミュエルに縋りつくことなどジョシュアにはできない。
アリシアにしても、ほんの少し前まで彼女に慕われている自覚があった。それなのに今のアリシアは何を考えているのかわからないし、ジョシュアではなく、別のものに夢中になっている。
周りは変わっていき、自分一人が取り残されている。
そんな孤独をジョシュアは感じていた。
だから、アダム相手に余計な口を利く。
「しかし、不思議だな。サミュエルとは何度も手合わせをしたことがあるが、あいつがそれほど強かったとは思わなかった。初の討伐実践で魔物の巣に落ちた仲間を救いにいって、五十体ほど討伐するとは驚きだ。ふふふ、相手が私だからサムは実力を隠していたのかな?」
「いいえ、決してそのようなことはないでしょう。サミュエルは質の良いアミュレットのお陰だと言っておりましたが……。そんな偶然があるとは思えません」
「どういうことだ?」
ジョシュアの疑問の言葉に、アダムがほの暗い笑みを浮かべる。
「魔物の巣に落ちたのは、騎士家の三男だったか、四男だったか……、いずれ家督も継げず平民落ちするのが決定している者です。そんな者がサミュエルに逆らえると思いますか?」
「まさか、サミュエルがその生徒を魔物の巣に落としたとでもいうのか? サミュエルはどちらかという気楽で能天気な奴だ。そういう真似をするとは思えない」
ジョシュアは一笑に伏した。
「殿下が知っているのは愚弟の一面だけです。家でのアイツをご存じないでしょう?」
「サミュエルは寮暮らしで、休日はほぼ王宮にいて私の仕事を手伝っているが、家に帰ることもあるのか? それに、五十体討伐したと言う話は本当のことなのだろ?」
アダムは唇を震わせる。
「私は、愚弟の魔物討伐の一件は裏があると睨んでいます」
「裏があったら、ロスナー家はたいへんではないか?」
ジョシュアは思わず失笑した。
アダムを少しからかうつもりだったが、またサミュエルの悪口が始まってしまい、いささかうんざりしてきた。
「勘当すればすむことですから」
「へえ、お前はもう家督を継いだような口を聞くのだね。まあ、サムがロスナー家を勘当になったら、私が拾ってそばに置くよ。あいつには帰ってきて欲しいからね。魔法騎士団なんて、一時の気の迷いだと思いたい」
アダムの顔から表情が削げ落ちた。
(不気味な奴だな。やはりロスナー卿に言って、執務の手伝いは遠慮願おう)