37.カフェテリア
「マリアベル嬢。婚約者のいるご令嬢にはたとえお土産であっても装飾品は贈らないよ。それから、俺の名前はサミュエルだよ」
しれっと口を挟むサミュエルを凝視してしまいそうになったが、アリシアはその気持ちを抑え、微笑んだ。
(嘘もつかずに軽く躱したわ! 社交性のある人って、すごい……)
「では、アリシア嬢。明日、必ずカフェテリアで食事をしよう」
ジョシュアの一言で、彼らはまとめて去っていった。もちろんサミュエルも。
アリシアは彼らの後姿を見ながら、独り言ちた。
「マリアベルのお土産は屑石ですらないトンボ玉のブレスレット。いいえ、この魔石はサミュエル様からの預かりものだから、勘違いしてはいけないわ」
そうは思ってもアリシアの心は揺れた。
サミュエルはミランダにも礼だと言って、気前よく魔石を一つ贈っている。トンボ玉の何倍も価値のあるものだ。
マリアベルがこの魔石の価値を知らなくてよかったと胸をなでおろす。
ジョシュアも全く興味がなさそうで、気づいていなかったようだった。
(ジョシュア殿下はそれほど魔法の知識がないのかしら?それとも魔力が弱いとか……)
でもそれの思いはどうでもよくなり、アリシアは魔石を胸に抱くと、いそいそと実習室に向かう。
いまから、作業を始めるのが楽しみでたまらないのだ。
◇
翌日の昼にアリシアは重い足取りで、カフェテリアに入る。
(本当に嫌だわ。腹痛までしてきた)
久しぶりに入るカフェテリアは煌びやかで、アリシアは場違いな気がした。
ジョシュアたちはカフェテリアの中央に陣取っている。
「お義姉様! こっちよ」
よく響くマリアベルの声が聞こえてきた。カフェテリアの注目が一斉にマリアベルとアリシアに集まる。
仕方なく、アリシアは微笑みで武装した。
(前の私の方が心が強かったのかしら? こんなカフェテリアでよく毎日食事ができたものね)
早くも気分が沈み込んできた。
話題の中心は相変わらずマリアベルで、アリシアはただ微笑んで聞いていた。
そして今日はサミュエルの姿はなかった。気にはなったが、聞くのも変な気がして黙っていた。
「時にアリシア、君はいつまで魔法科にいるつもりだ」
だしぬけにジョシュアに問われて、アリシアはびっくりした。
「卒業するまでいるつもりです」
意外にきっぱり答えていた。
「王妃になるには普通科の方が適切であると思うが?」
一瞬我を忘れて怒鳴りそうになる。
(今更なに? 卒業までは私の時間だわ)
「そうでしょうか? 考えもしませんでしたわ」
アリシアは、にこやかに答え首を傾げる。
「君は社交が苦手だから、魔法科に逃げたのかと思っていたが、サミュエルの報告によると魔法科ではうまくやっているそうじゃないか?」
(魔法科に逃げただなんて、どれだけ転科試験が難しいかわかっているの? はあ、サミュエル様を信用するのはまだ早いかしら?)
「そうでしょうか? どの科にいても、私は社交に自信がありません。私の実母が魔法科の卒業生だと聞いて興味が湧いたのです。母の足跡を追う感じです」
アリシアがそういうと、マリアベルが悲しそうに顔を覆った。
「お義姉様、それではお母様がかわいそうですわ」
「え?」
「だって、そうでしょう? 子供の頃から懐かないお義姉様に、お母さまは一生懸命、心をくだいているのに」
アリシアはこの時ばかりは驚きに目を見開いた。
(マリアベルったら、子供の頃から目の前で私が両親に殴られているのを何度も見ているはずなのに……)
アリシアはとっさに頭を働かせる。
大丈夫、頭は自分のほうがいいはずだと信じて、アリシアは口を開く。
「ごめんなさい、マリアベル。だから私は社交が苦手なのね」
「え?」
アリシアがそう答えると、今度はマリアベルがぎょっとしたような顔をする。
(そうか、私は今まで彼女の予想通りの反応を示していたのね。マリアベルの手のひらで転がされていたってこと)
「ど、どうしちゃったの、お義姉様? いつもは開き直って怒り出すのに?」
マリアベルが嘘に嘘を塗り固めていく。
アリシアは食事もすんだことだし、潮時だと感じた。
「皆さま、申し訳ありません。せっかく楽しい雰囲気だったのに、私のせいで暗くしてしまって。やはり私には煌びやかな場所は向かないようです。せっかくお誘いいただいたのに、本当に空気を悪くしてしまって……。それでは殿下、皆様失礼いたします」
つつましく頭を下げてアリシアはその場を去ろうとした。
するとマリアベルが、ガタリと席を立つ。
「ひどいわ。お義姉様、まるで私がいじめたみたいじゃない。私は、そんなつもりではないのに……」
声音はひどく悲しそうだが、カフェテリアに響き渡るほど大きな声を出している。
(……随分と計算高いのね)
「マリアベル、やめないか。淑女が大声を出すものではない」
「でも、ジョシュア様!」
静かに去るアリシアよりも、声を上げるマリアベルとそれを諭すジョシュアに注目が集まる。
その隙にアリシアは文字通り逃げ出した。
カフェテラスを出るとほっとする。
「もうやだ。絶対にカフェテリアに行きたくないのだけれど」
アリシアはしばらく学園の庭を散歩して、気分を切り替えた。