30.再び――魔法の鏡②
翌々日の昼休み、アリシアがミランダと共に簡単な昼食をとっていると、幾分顔色の悪いサミュエルがやってきた。
「アリシア嬢、急ぎで話したいことがある」
テーブルにやって来て、挨拶もなしで唐突にアリシアに声をかける。
ただならぬものを感じたミランダが、ちらりとアリシアを見た。
「次の実習には間に合うようにいくから、ミランダは先に行っていて」
「うん、じゃあ、お先に――」
そこまで言いかけたミランダをサミュエルが真剣な表情で見る。
「ええっと、ミランダ嬢。先日は失礼した。改めまして俺は魔法騎士科のサミュエル・ロスナーだ。魔法科の君にもぜひきいてもらいたいことがある」
「はい? 私に……ですか?」
驚いたようにミランダは目をまるくすると、椅子から浮かせかけた腰を再び下ろす。
「アリシア嬢、あの魔法の鏡は本物なのか?」
単刀直入に問われ、アリシアは思わず噴き出した。
「何がおかしい」
「だって、サミュエル様がまさか本当に行くとは思わなくて、ふふふ。それで何が見えたのですか?」
アリシアの言葉に、ミランダが驚いたような顔をして口を開く。
「魔法の鏡って時計塔の四階の?」
「ミランダ嬢は何か知っているのか?」
サミュエルの言葉にミランダは慌ててかぶりを振る。
「い、いえ、魔法科の生徒に未来が見えるという鏡の噂を信じているものはほとんどいません。私も入学したときに見に行ったけれど、ただの鏡でした」
「君は満月の夜中の二時に行ったのか? 行ったのは昼ではなかったか?」
「昼です。私は自宅から通っているので、夜中の二時になんて学園に入れませんから」
「俺も昼に行ったときはなんともなかったんだ。それが昨晩行ったら、昼に行った時とは様変わりしていて……。いったいどうなっている。アリシア嬢、体験者としての君の考えを聞きたい」
サミュエルの言葉を聞いて、ミランダがぎょっとした目でアリシアを見る。
「私は満月と場所と時間に関係があると思います。あの場所に満月の二時に鏡が設置されていることで魔法道具としての作動条件を満たすのではないかと考えています」
アリシアは慎重に答えた。
「で、どうしてサミュエルは時計塔の怪談話に興味があるの?」
突然割って入った声に三人が驚いて顔を上げると、ローストチキンとシチューののったトレーを持ったブライアンがサミュエルの後ろに立っていた。
「しょうがない。サミュエル、僕が君の話を聞いてやろう」
「いつも上からものを言うな。いとこ殿」
アリシアはサミュエルとブライアンの関係を初めて耳にした。
「いとこって?」
「俺の実母の姉が隣国グレイモア王国の公爵家に嫁いだんだ」
アリシアの疑問にサミュエルがこたえる。
舞踏会であったことから、ブライアンが貴族だと知っていたが、気さくなのでそこまで身分が高いと思っていなかった。
(そう言えば、リヒターときちんと名乗っていたわよね。私ったら、隣国の公爵家の名を失念していたわ……)
初めてあった時から、気さくで自然体だったので気づかなかった。
「ああ、アリシア。どうか今まで通りで頼むよ」
「でも、私、舞踏会の時もあなたに失礼な真似を」
「いいって気にしないで!」
「は? 舞踏会で何かあったのか?」
サミュエルが鋭い目でブライアンを見る。
「うるさいな。なんでもないよ。それより時計塔の鏡がいわくつきの魔法道具っていうのなら、僕にも調査させろ」
「馬鹿を言うな。ブライアン、次の満月まであとひと月もある」
「馬鹿は君だろ。幸い魔法科には微細な魔力も検知する水晶がある。それを持って検査に向かえばいい」
したり顔で答えるブライアンに対して、サミュエルは鼻を鳴らす。
「見くびってもらっては困るな。俺は昼も夜も魔力感知の水晶を持参した」
「おい、学園の備品をもちだしたのか! あれは高価な物なのだぞ!」
「私物にきまっているだろう? 父は宰相ではあるが、俺の家はこの国で代々魔法騎士として仕えてきた。それくらい持っている」
ブライアンとサミュエルがバチバチとにらみ合う横で、アリシアとミランダは顔を見合わせた。
アリシアとミランダがペアを組んでいる午後の実習の時間がせまってきているのだ。
「あの申し訳ないのだけれど。私たちはこの辺で失礼します。午後の実習の時間が迫っていので。ブライアン、サミュエル様よろしいでしょうか?」
アリシアが申し出ると、ほんのり眉根を寄せたサミュエルが答える。
「よろしくないけど、いいよ」
「だから、なんでお前はアリシアに上からものを言うんだ」
「だったら、君はなぜ婚約者のいるアリシア嬢を呼び捨てにする」
「それがここの流儀なんだよ」
「アリシア嬢、なら今日から俺もアリシアと呼んでいい?」
「は?」
サミュエルの言葉に、アリシアは自分の眉間にしわが寄るのがわかった。
「俺のこともサミュエルって呼んで」
「サミュエル様は魔法騎士科ですから」
「君って本当につれないね」
アリシアとミランダは同時にため息をついて席を立った。
足早に実習室に向かいながら、ミランダがげっそりしたように言う。
「貴族って結構大変なんだね。つながりがいろいろと……」
「生まれた瞬間から、しがらみだらけではあるかもしれないわね。何もなければ食べるのには困らないけれど、権力争いに失脚、没落。女性は結婚相手をえらべなくて家の道具に使われる。陥れられたら、処刑されることだってあるわ」
アリシアの言葉にミランダがぶるりと震えた。
「こわっ、実はアリシアをみて上品だし綺麗だから貴族に憧れていたけれど、やっぱりいいや」
アリシアは自分に憧れをいだくものに初めて会った。
「私は、ミランダに憧れている」
「ええ、なんで? 転科してすぐに試験で首席をとったアリシアが私に? それにアリシアってすっごい美人じゃない」
アリシアはミランダの言葉に笑う。
「そんなことない。私は勉強が好きなただの変人よ。一生図書館にこもっていたいくらい。それに実習ではあなたの自由な発想に驚かされるし、助けられている」
「あはは、アリシアにそんなに褒められちゃうとなんだか照れちゃうなあ。でも私も実験大好きなただの変人だよ」
二人の少女は笑いあいながら、実習室に入っていた。