18.転科試験
アリシアは寮で祖父母から手紙を受け取っていた。
夏季休暇に行くところがなければ、うちに来ればいいというお誘いの手紙だった。
そして、魔法の勉強もできるように本も揃っているという。
アリシアはその言葉に甘えることにした。
少ない荷物をまとめて、アリシアは一人寮を出る。
両親はアリシアに無関心だし、寮監は王太子に嘘の報告をすることが分かった。
だから、アリシアは誰にも何も告げなかった。
どのみちアリシアが寮にいたとしても、実家に帰っていることになっているのだから、知ったことではない。
王都から馬車で半日もかからずにヴォルト伯爵領にいついた。海辺の領地で風光明媚な場所だ。
これならば、トマスが欲しがっているのもうなずける。
だが、エドワードはトマスには絶対に譲らないと言っていた。
海から続くなだらかな丘の上に真っ白に輝く城がある。
門番に名を告げエドワードからの手紙を見せると、すぐに城に通された。
アリシアが行くと、バーバラはたいそう歓迎してくれた。
お茶を飲んでいると、ほどなくしてエドワードがやって来た。彼はあいさつもそこそこに、アリシアを書庫に案内した。
「どうだ。アリシア、すごいものだろう。うちの家系は代々魔法科を卒業している。ジェシカも将来を期待されていた……」
ふとエドワードの瞳が陰る。
アリシアにはかける言葉もなかった。彼は最愛の娘を失ったのだ。もしも母ジェシカが生きていたら、今頃アリシアは何をしていたのだろう。
アリシアには母の記憶というものが、ほとんどない。
なぜならジェシカは病にふせり、部屋にこもっていたからだ。
(私にはお母様との思い出がないわ……)
アリシアは城の三階にある一室をあてがわれた。
目の前には街が広がり、その先にきらきらと輝く海がある。それだけ気持ちが浮き立つ。
実家の重くしくぎすぎすした雰囲気とは大違いで、ここは開放的だ。
荷解きをすまして一服してから、祖父母と共に晩餐を過ごした。
穏やかな空気のもとで誰かと食事するのが、これほど心地よいものだと思わなかった。
食後のお茶の時間にバーバラがアリシアに耳打ちする。
「エドワードったらね。アリシアが来るのを楽しみにしていたのよ。あなたジェシカに生き写しだもの」
母似ときいて、アリシアはなぜか背筋が寒くなる。
(嫌だ。私は愛に殉じたりはしない。お母様は最初からお父様に騙され裏切られていた)
そのことが悔しく、もどかしい。
そしてこの二人は、アリシアとマリアベルが同じ年で、マリアベルがデボラの連れ子ではなくトマスの実子ということを知らないのだろう。
翌日の午前のお茶時間はバーバラと過ごした。
早速勉強を始めたいと言うと、バーバラがびっくりしていた。
「ついたばかりだし、少しは休んだら?」
「ありがとうございます。幸い荷解きは終わりましたし、あとは勉強を始めるだけです。本当に感謝しております。私は錬金術師として身を立てたいと思っているんです」
「そう……」
バーバラの瞳の中に憐みの色をみた。
しばらくバーバラとあたりさわりのない話をした後、アリシアは与えられた自室に引き上げた。
部屋は素晴らしく、日の当たらない実家の狭い部屋とは大違いだ。それにここのメイドは親切でとても居心地が良い。
「よかった。ここへ来て」
アリシアは書庫にこもり、早速勉強を始めた。
エドワードの手紙にあった通り魔法科の試験を受けるには十分な本がずらりと並んでいるのを見て嬉しくなる。
彼女は勉強が好きだ。今までは勉強が逃避の手段だったが、今は違う。自身の将来のために勉強している。
この時アリシアは婚約が解消されることを疑っていなかった。
アリシアは学園が始まる三週間前に行われる魔法科の転科試験を受けるため、何食わぬ顔で寮に帰って来た。
予想通り何の騒ぎも起きていない。
ひと月ふた月アリシアがいなくなったところで気づく者などいないのだ。
寂しく感じる一方で妙にさっぱりしていた。
その後、アリシアは試験に臨んだ。ほかの学校の生徒や留学生などもいたが、普通科から受ける者はアリシアしかいなかった。
そのこともアリシアの気持ちを楽にさせた。噂が広がらなくて済む。
アリシアが魔法科に転科したとしても、きっとジョシュアは気付かないだろう。
だが王妃の耳には早い段階で入るかもしれない。それが少し憂鬱だった。
アリシアは早く自由になりたかった。
試験の結果は一週間後に知らされることになっている。
その間、やることもないので、アリシアは図書館で勉強したり、読書をしたりして過ごすしていた。
いよいよ発表の日がきた。
合格発表は寮に届くことになっている。
アリシアは寮のエントランスで、うろうろしながら落ち着かない気分で待った。
自信はあったが通知が届いたときは手が震えた。これでアリシアの運命が決まるのだ。
『合格』の文字を見た時、喜びと安堵の涙が零れた。