16.五話 アリシアの計画③
アリシアは王家の馬車でウェルストン家まで送ってもらうことになった。
馬車が走り出すと、ほどなくしてジョシュアが口を開く。
「以前、休暇は寮で過ごすといっていたろ?」
「はい」
「寮監に確認をとった。君は家に帰っていると言っていたぞ」
アリシアはぞくりと寒気がした。
ひっつめ髪でいつも厳しい表情をしている年配女性の寮監エイダ・クラインの顔が浮かぶ。
ジョシュアが嘘をついているのか、それともトマスが寮監に嘘をつかせているのか。
どのみち、アリシアの破滅を誰かが望んでいる。
ジョシュアはアリシアの言葉を信じない。
けれど、子供の頃のようにやってもいないことで泣いて謝るのは嫌だ。
「私は家に帰っていません。あそこに私の居場所はありませんから」
「マリアベルは、いつも君が心配だと話している。君は気鬱で不安定なのだそうだな。私から見てもそうみえる。いつも憂鬱そうな表情を浮かべている。なぜだ?」
この人には、何を言っても無駄だと思った。
「なぜ、殿下は私に問うのですか?」
「え?」
「私が何を言ったところで、信じないではないですか」
アリシアはまっすぐに顔を上げ、初めて彼の顔を堂々と見た。美しいと思った。
そして怒りに歪んでいると……。
「それはお前が子供の頃から嘘をつくからだ」
「私が嘘を?」
「先ぶれを出して尋ねていけば、いつも留守だとか、具合が悪いと言って出て来ない。すべて私のせいなのか」
淡々とした声に怒りが滲む。
「私のせいでもありません」
アリシアは静かだが、きっぱりと答えた。
「ならば説明しろ」
「信じる気のない方に、これ以上何を説明すればいいのですか? 私は王妃陛下に不適格とのお言葉をいただきました」
「それは母の本意ではない。お前を叱咤するための言葉だ」
ジョシュアが不機嫌そうに柳眉を寄せる。
「殿下、私は王妃陛下を非難しているわけではありません。おっしゃる通りだと思っております。それに殿下がおっしゃるように、私たちの間には未だ信頼関係も築けていません。私はほかの貴族にも軽んじられ、今日はデビュタントのご令嬢に突き飛ばされました。危うく転ぶところでしたが、ロスナー様に助けられました」
そこでまで、アリシアが一気話すと、車内に沈黙が落ちた。
ウェルストン家の馬車に置いて行かれたアリシアを見て、彼は何も察するところがないのだろうか。
ほどなくしてウェルストン家に着く。
門番は王家の馬車を見て驚いたような顔をすると慌てて主人を呼びに走った。
すぐにウィルストン家の面々がエントランスに現れた。
「まあ、お義姉様心配したのよ」
「そうよ。殿下とお帰りになるのなら、一言知らせてくれればいいのに」
デボラがネコナデ声を出す。
「殿下、ありがとうございます。お茶でもいかがですか?」
トマスがすかさずジョシュアを愛想よく誘う。
「いや、結構。今日は遅いので帰ります」
王宮の馬車が門から出て言った途端、デボラから殴られた。
「このあばずれ!」
そう言ってさらに蹴りつけられる。あまりにも激しくて、アリシアはその場で意識を失った。
翌朝アリシアは目を覚ました。彼女はその途端、屋敷の裏口から逃げ出した。
もう二度とこの家の門はくぐりたくない。
◇
翌日アリシアは顔が腫れ、腕と腰に青あざがあった。体は痛んだが、構わず図書館に向かう。
魔法科への転科試験を受けるためだ。
図書館の司書はぎょっとしたような顔をしたけれど、何か事情があると察したのか、何も聞いては来なかった。
アリシアは一心不乱に勉強した。
三日が過ぎた頃、アリシアの隣にわざわざ座る男子生徒がいて、集中を乱された。図書館は広々として席はいくらでも空いている。
ちょっぴり不機嫌な顔で見上げるとジョシュアだった。だが、彼はびっくりしたような顔をしている。
「アリシア嬢、その顔はどうしたのだ?」
何と答えればいいか悩むところだ。
素直に義母に殴られたと言えば、彼は確認を取りに行くかもしれない。
そうしたら、間違いなく、自分は嘘つき呼ばわりされ、殺されそうな気がする。
「言いたくありません」
「なぜだ? 犯人を捕まえねばならない」
面倒くさい人だと思う。ジョシュアはアリシアの話しを端から信じないうえに、融通が利かない。
「私に落ち度があったのでしょう。殿下、図書館は静かに勉強するところだと思うのですが?」
アリシアは転科の件を彼に知られるは嫌だった。
なんとなく反対しそうな気がした。それに彼から、この話がマリアベルに漏れることもあり得る。
せっかく祖父母と上手くコンタクトが獲れたのに、自分の不手際で転科試験が受けられなかったり、妨害されたりしては困るのだ。
そもそもアリシアが普通科に通うことになったのは王妃への忖度の結果である。
アリシアは開いていた本をさりなく閉じ、表紙を隠して席を立つ。
「待ってくれ、アリシア。先日の舞踏会の後、ウェルストン家の馬車が待っていないのは、おかしいと思った。だから、お互いに歩み寄らないか?」
その言葉を聞いて嬉しいと感じた瞬間、アリシアの中で記憶がフラッシュバックする。
『確かにお前の生い立ちには同情すべき点はあるかもしれない』鏡の向こうにいた未来の彼は、あの時そう言っていた。
つまり、ここでの歩み寄りは無駄になるということだろうか。
アリアシアは落ち着いて考え、冷静な答えをはじき出す。
「殿下とは六歳の頃から婚約者です。もう十年近くたちました。それなのに私たちの間には何の積み重ねもありませんし、私は気弱で侯爵家の娘であるのに友人もなく、馬鹿にされています。建設的な意味で、この婚約を見直してはみてはいかがでしょう」
ジョシュアが深くため息をつく。
「…不思議だな。確かに今までは君を気の弱い娘だと思っていた。だが、今はそう感じない、まるで人が変わったようにずけずけと物をいう。いったい何があって、君は変わったんだ?私はそれが知りたい」
真摯な目をしていた。
一瞬ゆらりと心が揺れたが、これに縋ってしまったら、きっと破滅する未来が待っているのだろう。
(いえ、あれを未来と考えるのは軽率だわ。きっと未来からの警告かなにか……)
そう考えなおしても不可思議な現象であることには変わりはない。
「殿下、私は狭量な人間です。マリアベルと殿下が二人そろって食事をしている姿を見るのはつらいです」
「マリアベルは君の妹だろう? なぜそれほど邪険にするんだ」
マリアベルを邪険にした覚えはないが、彼から見るアリシアはそのように映っているのだろう。
「いっそのことマリアベルと婚約したらいかがでしょう。彼女は聖魔法の使い手です。べつにそれで殿下の評判が下がるとは思えません。社交下手な私と婚約しているより、明るく友人の多い彼女と婚約したほうが、ずっと素晴らしい未来が開けるのではないでしょうか?」
「やきもちを焼いているのか?」
「違います」
即答だった。
(冤罪で死にたくはないの。私を愛してもくれないあなたのために……)
「君は勘違いしている。婚約は神聖な誓いであり、王家とウェルストン家の間での契約だ。だから、君の意見は重要ではないんだ。もちろん私の意見も」
「それならば、私に問うのはおやめください」
彼はそのまま黙り込んでしまったので、アリシアは「失礼します」と頭を下げてその場を後にした。
ジョシュアは無表情で、何を考えているのかさっぱりわからない。
こんな人でもマリアベルといれば笑顔を見せる。ちりっと心は痛むが、感傷に浸ってはいられない。
(どれほど縋りついても、誰にも愛されなくて、最後は処刑される。そんな人生は絶対に嫌。平凡で穏やかな人生を送りたい)
図書館にいる学園の生徒が耳をそばだてて聞いることだろう。
きっと二人の噂が休み明けには学園中に広がる。
アリシアはいささか鬱陶しく思った。