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14.五話 アリシアの計画①

 サムはサミュエルの愛称だろう。彼を親しげに呼んだのはマリアベルだ。


「マリアベル嬢、その呼び方はやめてくれないか?」

 サミュエルがマリベルに向き直って、穏やかな口調で言う。


「ええ、でもお友達じゃないですか? 舞踏会だからと言ってかしこまることはないと思います」

「そういう意味ではないよ」

 彼らのやり取りに一瞬気を取られたが、アリシアは今日ここへ来た大切な目的を思い出す。


 サミュエルが後ろを向いている隙に、静かに彼らのもとから立ち去った。


 ちょっと前ならば、挨拶の一つもなしにダンスを踊った相手と別れては失礼かと待つところだったが、王妃に「不適格」と言われたアリシアにそこまでする義理はない。


 そして将来サミュエルはジョシュアと共にアリシアの敵になる。


(誰が私に罪を着せたかしら?)


 このような状況下にあって、自分だけ礼儀正しくあらねばならないなんておかしいと思う。ほんの少し腹だたしさを感じていた。


 アリシアは人目につかないようにさっと、人混みに紛れる。


 ライトブラウンの髪はありふれていて、隠れるのは簡単だ。


 今まで、ジョシュアに呼ばれたときのためにと、壁の前で待機していたり、ジョシュアの後をついて回っていたりしていた彼女は、悪目立ちしていたのだろう。


 それにマリアベルはアリシアよりずっといいドレスを着て、高い宝石を付けている。そのことに気づかない貴族はいないはず。


 今夜を境にアリシアはすべての貴族に軽んじられることになる。

 王太子からドレスも贈られない婚約者。


 王宮の恒例の舞踏会で、型遅れの去年と同じドレスを着るウェルストン家の長女。

 だが、もう関係ないことだ。


 そんな事より、祖父母を探さねばならない。今まで舞踏会や夜会で顔を合わせることはなかったが、彼らがこの会場に来ている確率は高い。


 王宮で開催される一番大きな舞踏会で、この日ばかりは国中から貴族が集まるからだ。


 アリシアが人混みを縫って舞踏会場から出ようとした時、突然後ろから声をかけられた。


「ご令嬢、よかったら一曲踊っていただけませんか?」

 振り返ると褐色の髪色をした感じの良い青年がはにかんだような笑みを浮かべて立っていた。

 しかし、初めて見る顔で名前がわからない。

 彼はこの国では珍しいはちみつ色の瞳をしていて、さらにアリシアのことも知らないようなので、外国人かもしれないと思った。


「その、申し訳ございませんが、急いでいるもので失礼いたします」


 アリシアは祖父母に会いたくて焦っていた。 

 青年の前で礼をとると会場から足早に廊下に出る。


 本来ならば、もう少し丁寧な対応するのだが、今は気が急いて仕方がない。


 アリシアは廊下で給仕を捕まえてチップを握らせると、祖父母の居場所を聞き出した。


 今までのアリシアならばこんなことは思いつかなかっただろう。


 だが、背に腹は代えられない。

 性格は変えられなくとも生き方は変えられるはず。


 自分にはまだ選択肢があると信じて、アリシアは今日この場にのぞんでいるのだ。

 アリシアは大階段を上って二階に向かう。



 気品のある祖父母の肖像画は、今では閉ざされた屋根裏部屋で埃をかぶっている。

 だが、アリシアの記憶の中に彼らの姿はかすかに残っていた。


 常にトマスと口論をしていた祖父エドワードと悲しげなバーバラの姿が……。


 広い廊下を歩き、三つめ目のバルコニーを覗いた時、彼らを見つけた。すぐに祖父母だとわかる。


 彼らの容姿はそれほどかわりなく、若々しい。


「お久しぶりです。アリシア・ウェルストンでございます」


 緊張しながら、祖父母に頭を下げた。


 ウェルストン家は彼らに絶縁されている。

 アリシアは拒絶されても食い下がる覚悟だった。


 アリシアの姿に祖父エドワードはそっぽを向き、祖母バーバラはびっくりしたような顔を向ける。


「今日は折り入ってお話があります」

「どうせ、実家で邪魔者にされ、泣きついてくる気だろう。その型遅れのドレスと安い宝石を見ればわかる。お前はあの家で冷遇されている」


 エドワードの反応は冷たいものだった。


 束の間絶望しかけたが、ここであきらめるわけにはいかない。


「おっしゃる通りです。私は実家で冷遇されていますし、王妃陛下に好かれておりません。先ほど、王妃陛下から王太子の婚約者として不適格とのお言葉を賜りました」


「まあ、アリシア。なんてことでしょう」

 バーバラの紫色の瞳には同情の色が浮かんでいる。


「おそらくこの婚約はそのうち解消になり、マリアベルが新たな婚約者となるのではと思っております」


「そんなバカな! あの女たちの出自は貴族ですらない」

 興奮気味でいうエドワードにアリシアは目を瞬いた。

 

「あの女たちとは、お義母様とマリアベルのことですか? 彼女たちは、貴族ではないのですか?」


「エド、ここではやめましょう。アリシア、そろそろ夏季休暇中でしょう? うちから馬車を出すから、領地に来てはどうかしら?」

 思いもよらない申し出にアリシアは少しばかり混乱する。


「バーバラ、待て、勝手に決めるな。それよりアリシア、お前は私に何か話があるのではないか?」


 目つきは鋭いままだが、先ほどとは打って変わってエドワードは落ち着いた様子で話す。


 アリシアはエドワードの言葉に頷く。ここからが本番だ。彼らが信じるか信じないかは別にしてアリシアはありのままを告げることにした。


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