10.三話 魔法の鏡④
とっさにアリシアは取り繕った。
「あの、ご迷惑をおかけしてしまったので、お詫びしたいのです」
「わかった。サロンで待機しているから呼んでこよう。私は公務があるからそろそろ失礼する」
ジョシュアが一瞬眉根を寄せたが、すぐに無表情に戻る。
マリアベルとジョシュアが退出した後、すぐにフランがやってきた。
「アリシア様、ごめんなさい。私が変なことに誘ったりしたから」
「あれは……二人で時計塔に行ったのは、夢ではなかったのですね?」
アリシアがフランに確認する。
「アリシア様には、どんな恐ろしい将来が見えたの」
「いいえ、悪夢です」
アリシアはかぶりを振った。
「では、こういうのはどう? お互いに教えあうの。私のは教えたから、次はあなた」
アリシアは事がことだけに躊躇した。
それに秘密を共有したとはいえ、フランは王妃のスパイだ。話すわけにはいかない。
「私の見たものは、三年くらい先の悪い夢」
「アリシア様。私は卒業後、すぐの出来事をみたの。あなたには昨晩、詳しく話したと思う。それで答え合わせをするのはどう?」
「答え合わせですか?」
「未来は変えられるかもしれない。あなたは数年先だから、なおさらよ」
慰めるように、フランがアリシアの冷たく汗ばんだ手を握る。
アリシアは何も答えられなかった。
悪夢だと考えるのが普通だ。だが、夢というにはリアル過ぎた。
まるで実際に体験して、戻って来たような気がしてならない。
(この首に感じる冷たい衝撃と熱く激しい痛みはなんなのだろう)
「そうだわ。アリシア、私はもうすぐ卒業するから、あなたにこれを渡しておくわ」
フランはアリシアの手に銀色の鍵を握らせた。
「フラン様、これは……」
「寮の裏口の鍵。私が作ったスペアキーなの。餞別よ」
アリシアは呆然として鍵を見た。
「じゃあ、あなたの幸運を祈るわ」
そういってフランはアリシアの部屋から出て行った。
アリシアはその後、王宮から来た医師に診察され、一週間の安静を命じられた。
それ以降、誰もアリシアの部屋を訪れる者はなかった。
寮に戻る日、アリシアはぽつりと呟いた。
「殿下は、花の一つも贈ってくださらないのね……」
(やはり鏡に映っていた未来は、本物なのかしら)
アリシアはぶるりと震えて自身の体を抱きしめた。
夏季休暇も近くなった頃、王宮からの使いが寮へ手紙を届けに来た。
婚約者として公務に参加しなければならない。内容は孤児院の慰問である。
公務のため、ドレスを着なくてはならないので、アリシアはやむなく実家に戻った。
久しぶりに会う家族の対応はとげとげしいもので、ドレスは一年前に作ったものをそのまま着た。
なんでもマリアベルの参加も打診したが、王家に断られたらしい。そのせいで屋敷全体の空気がピリピリしている。
だが、その話を聞いても、魔法の鏡をのぞいてしまったアリシアの心が、落ち着くことはなかった。
ジョシュアに手を取られ、王宮から迎えに来た馬車に乗り込む。
つい最近までこんな些細なことでも天にも昇るように嬉しかったのに、今はそんな気持ちも不安と疑心暗鬼に変わってしまった。
夢だと信じたいのに……将来断罪されるかと思うと、ジョシュアが怖くてたまらないのだ。
(こんな非現実的なことを信じるなんてどうかしている)
彼の心がアリシアにないことは、あの鏡をのぞくまでもなく、わかり切っていた。
だから、あのような未来の夢を見てしまったのだろう。
アリシアはそっと車窓を覗き、物思いに沈んだ。
(そうよ。きっと夢だわ)
アリシアの心は夢と現実のはざまで揺れ動く。
どこかでジョシュアをマリアベルに譲らなければ、アリシアは将来無実の罪で処刑されるのだろうか。
(でも、どうすればいいの?)
アリシアには相談できる親も友人もいない。
「アリシア嬢」
突然話しかけられてアリシアはびっくりした。ジョシュアから声をかけてくるなど久しくないことだ。
「はい、なんでしょうか?」
「実は君については、だいぶ前から健康不安がある」
「え?」
「何か持病を隠しているのではないかと王宮で噂されている。そのため、先日君が倒れた折に王宮の医師が診断した」
無表情で淡々と語る。
「結果、君は健康に問題ないことが分かった」
それならば、ジョシュアが直接聞いてくれればいいのに。
そんな信頼関係も築けていなかったことにアリシアは愕然とする。