ノルの神様

作者: きむらきむこ

 ただ生きていた。


後になって、自分を振り返ったときに、思うのはソレだった。



 ノルは、行商の馬車を動かしながら考えた。18才になって独り立ちし、ポツポツと点在する村に日用品やちょっとした贅沢品を、命綱になる薬を売りに行くのがノルの仕事だ。


 こうして村から村へ馬車を走らせていると、なんとはナシに自分の子どものころを思い出すのだった。


 どうしてそうだったのかは分からない。後付けで思うことはあるけれど、その時は自分が悪いんだろうと思っていた。


 陽も差さない地下室で、足に鎖を繋がれて1日に二度の食事を待つ。物心ついた時からの、それがノルの生活だった。


 それが変わったのは、エリーが来てからだった。


 気がつくと体がさっぱりして、毛布にくるまれていた。


「目が覚めた?ご飯食べる?」と、その人は言った。何を言われたのかあまり良く分からなかったが、その人はノルを抱きかかえて水をくれた。そして柔らかいご飯をくれてこう言った「私はエリー、今日からあなたのお世話をするからね」


 エリーは、ノルに名前をくれ食事を与えてくれた。


 ノルは、エリーが温かい布で体を拭いてくれるのが好きだった。抱っこしてくれるエリーの体温がノルに伝わって、とても気持ちよかった。


 それまでは大きな体の怖い人がご飯をくれたが、時々忘れられたので、ノルは食べるのが辛くても必死で食べた。エリーが来てからは、今までみたいな硬いパンではなくて、柔らかくスープに浸したパンを何度も食べさせてくれた。



 その時はスプーンの使い方も知らなかったので、エリーが教えてくれた。だいたいノルの知ってる事はエリーが教えてくれた事だった。



 あの場所を逃げ出した後で、教会の手習い場で文字を習って、エリーに教えることができた時は嬉しかった。それからもエリーに教えてあげられるように、教会では一生懸命勉強した。



 あの場所を逃げられたのは、ノルが魔法を使ったのがキッカケだった。

もっとノルが小さかった時、寒くて寒くて小さい体をもっと小さくして丸くなっていたら、身体の後ろが温かくなった。振り向くと小さい火が灯っていた。


 いつもご飯を持ってくる男が「なんでこんな所に火が」と、叫んでご飯を投げ出して足で火を踏んでいた。(あれは火を消していたんだと、今なら分かる)


 火がついていたことで、いつもの男だけではなくもっと大きな見たこともない人がやってきて、ノルになぜ火がついていたのか?と何度も聞かれたけど、ノルにも分からなかったので返事は出来なかった。何度も聞かれて叩かれたけど、やっぱりノルにはその時は分からなかった。


 分かったのは、火がついていると殴られる、ということだった。


 あの後も寒い時は、火がついたけど、殴られると痛いのでできるだけ見つからないようにした。そうしてノルは、自分が火が欲しいと思う時に火がつけられるようになった。


 怖くてエリーにも内緒にしていたが、エリーが「竈が、火があれば」と呟くのを聞いて、秘密を打ち明けた。エリーは殴らなかった。


 エリーが出した小さい鍋の下にノルが火を出した。ずっと出してると頭が痛くなったが、エリーが喜ぶ顔を見たくて頑張った。


 エリーが顔色が悪くなってきたからもうやめて、と何度も言うので火を消した。 出来上がったおコメは、何度も噛むと口の中で甘くなって美味しかった。


「エリー、美味しいね」と言ったら、エリーもちょっと涙ぐんでた。


 それからはエリーがどこからか持ってきたおコメを、ノルの魔法を使って食べられるようになり、時々タライで行水することが出来た。エリーと一緒にタライに浸かるのは気持ちよかった。



 そしてエリーが魔法を教えてほしい、と言った。エリーに教えてあげられるものがある事が嬉しかった。

 ノルが会ったことがあるのは、いつもご飯を持ってきた男の人と、それよりもっと大きい殴る人とエリーだけだったが、エリーには身体の中に明るい何かがあった。「エリーは多分使えると思う」「他の人はエリーみたいな色じゃない」


 エリーなら使えるかもと、なんとか伝えようとしていた時に、「目を閉じて、じっとしててね」と言われた。


 エリーがノルのまぶたの上から手を当てて小さい声で何か言ってたと思ったら、「目を開けて」と言われた。


 エリーは息を呑んだみたいに、驚いていたが、そのまま「来い」と普段とは違うキツイ声で言った。大きい服と小さい服、破れているところなんか無い、きれいな服が出てきたので、びっくりした。 


 そしてエリーはノルの足の鎖を外したのだった。

 

 今までノルが着ていた貫頭衣とかじゃなくて、キチンとしたズボンと上着に着方も分からなかったので、狼狽えていたらエリーが着替えさせてくれた。


 



 その後はもう訳が分からないでいるうちに、キレイな明るい家にエリーと住んでいた。エリーは「これからはおばあちゃんと呼んで」と言ってそれまでの茶色と灰色の混ざった髪の毛を真っ白にした。


「これからはあなたはノルという名前で呼ぶから」と言われ、多分ノルの髪の毛も色が変わった。


それまでは、あの怖い人が時々ノルの髪の毛をザクッとまとめて切っていたので、男が手にする残バラな髪の束の濃い色が何色なのかもノルは知らなかった。


その時は鏡が家になかったので、ノルが自分の顔を知ったのはずいぶん後になってからだった。そして、自分の顔を初めて見た時に、あの地下室にいた理由を知ったのだった。


 教会で習った国の建国記。

 王様を助け国を豊かにした黒目黒髪の魔法使いは、後に王様を裏切り、国に仇なす存在となりました。それから黒髪黒目の魔法使いは、厄災の使者と呼ばれていますという話を、エリーはどんな気持ちで聞いてたんだろう。ノルはその話を勉強した時は、自分が黒髪で黒い目をしていることを知らなかった。


 エリーの魔法で金髪で茶色の目にしてもらってからの顔に慣れているので、元に戻してもそれが自分の顔のような気がしない。


 エリー、と言うかおばあちゃんが言うには、ノルの顔立ちはおばあちゃんの子どもの顔に似せているのだそう。時々おばあちゃんがノルの顔を見て、泣きそうになるのは、子どものことを思い出してるからかな。


 ノルはおばあちゃんに似ているのが嬉しいし、他の人たちから似てると言われるのも嬉しいから、この顔に満足している。多分、元の顔に戻すことは死ぬまで、いや死んでも無いだろうと思っている。



 ノルの暮らしは、エリーが、おばあちゃんが現れてから、すっかり変わった。

教会では神様に感謝を捧げる祈りを教えてもらったが、ノルが祈るのは昔も今もエリーにだ。ノワールというエリーがくれた名前は、エリーと二人だけの秘密だ。


 村が見えてきた。子どもたちが行商の馬車を見て走り回って喜んでいる。エリーが焼いて持たしてくれた堅焼きのお菓子も、きっと子どもたちを幸せにするだろう。


 

 ノルは村の広場で、そんな事を考えながら馬車を停めた。