94話 噂と小悪党
地上街区は世界の中心だ。崩壊した世界、海に向かうと砂漠になり、氷原に入ると溶岩地帯へと変わる。たしかに方角はあっているはずなのに、距離も計算しているはずであるのに、いつの間にか、元の場所へと戻る不可思議な空間が支配するこの地球。
中継テレポートポータルがなければ、他のエリアに向かうのも命懸けのこの世界では、一つのエリアの地上街区は独立性が極めて高く、住人のほとんどにとっては、世界そのものである。
そのような世界で、『エルダージュ15』と呼ばれるエリアの地上街区を支配するのが、武装家門である。小野寺、槍田、鶴木、楯野、鎧塚だ。
彼らは各ブロックを強力な武力と豊富な財力で支配し、誰もが認める支配者たちである。
支配者たちは忙しく、トップが二人揃うだけでも珍しいことだが、ある一室にトップ全員が集まっていた。
彼らの地位に相応しく、部屋の内装も上品であり高価なものだ。床に敷いてある絨毯はエリア外に棲む魔物の珍しい毛皮を使われているし、壺一つ、絵画一枚、調度品は一般人なら贅沢をしなければ一生暮らせるだけの値段がする。
警備も防諜は物理的にも魔法的にも完璧で、部屋内にも外にも腕のたつ護衛が揃っており、敵対者への備えは万全であった。
純白のテーブルクロスの上に並ぶのは、全て天然素材の料理だ。しかも超一流と呼ばれるコックが腕をふるった美味なる物で、一口分だけでも札束がいくつも必要となるだろう。
そして、テーブル席に座る武装家門の者たち。
即ち、小野寺バッカス、槍田将門、鶴木村正、楯野和人、鎧塚アイギスの5人の当主だ。
「まさか鶴木家の方が参加なされるとは思いも寄りませんでした。一体どのような風が吹いたのでしょう?」
優雅に皿に乗るステーキを切り、楚々とした所作で食べるのは鎧塚アイギスだ。30代の美女で切れ長の目に薄く口紅が塗られた唇、整った顔立ちは妖艶で、食べる姿だけで蠱惑的である。
アイギスの言葉に、他の当主の目が村正に注がれる。先代とその娘はまったく権力に興味を持たなかったため、不動産資産のほとんどは売り払い、財力はあれど力はなかったのが鶴木家だ。
そのままフェードアウトしていくと思われたのだが、先日突如として売り払った資産を買い戻したのである。まだまだ鶴木家に忠誠を誓っている分家も多かったので、簡単に嘗ての不動産資産のほとんどを取り戻した。併せて勢力も以前よりは衰えてはいるが、武装家門と呼ばれるだけのものをあっさりと手に入れたのである。
だが、あっさりと買い戻せたのは、それ以外にも裏があることを当主たちは知っていた。
「そうですね、最近少し思うところがありまして。このまま鶴木家が資産を食いつぶし、没落していくのを見るのは、入り婿として申し訳なく思い、力を注ぐことに決めたのですよ」
さり気なさを見せながら料理を口にする村正に、その抽象的な言い回しに鼻白む当主たち。中でもバッカスは気に食わないようで、大ジョッキに並々と注がれた生ビールを豪快に飲み干すと、荒々しくテーブルに叩きつけるようにジョッキを置く。
「それはそれは面倒くさいことが大嫌いな爺に、堅物の善人ぶる娘と、二人共に政治というものを気にしないために、日々力を失っていく鶴木家を心配していたのだが、大丈夫そうで安心したぞ。ガハハハ」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、これからは鶴木家の名が再び聞こえてくるように頑張りますので、ご指導ご鞭撻をお願いいたします。」
小野寺バッカスは、セリフと裏腹にまったく笑っていない目で村正を睨む。村正は殺意すら籠もっていそうな威圧的な視線をどこ吹く風と受け流し、平然と料理を食べ続け、ご指導ご鞭撻と言いながら、バッカスを敬う素振りはまったくない。
チッと舌打ちをして、バッカスは髭についた泡を袖で適当に拭う。豪快なる小野寺家はドワーフと呼ばれる古代に人体を改造した人種だ。ファンタジーのドワーフそのまままに髭を生やしビール樽のような体格、背丈は小さいが鍛えられた筋肉と細かい作業を得意とする矛盾した能力を持ち、優れた武器や精霊鎧、魔道具などを製造することに長けている。
「バッカス殿は鶴木家の土地を買い取ろうと懸命にロビー活動をしてましたからな。それは残念で仕方ないのだろう?」
槍田家の当主である将門が皮肉げに言う。老齢で、髪は真っ白であるが、皺には今までの経験が刻まれており、一言発するだけでも、周りの人間が注目するだけの力を持っていた。
バッカスとしては痛いところを突かれたと渋面に表情を変える。小野寺家は謀略よりも、持っている財力と武力、そして、製造技術にて力押しできる物事を得意としていた。
最近では鶴木家の持つホテルを買い取り、ウルトラスイートルームと呼ばれる地下を手に入れようと水面下で活動をしていたのは、他の当主たちに知られていることだ。
「『精霊粉』による汚染が少ない所は鍛冶にピッタリだからな。普通の鍛冶場では、いつ魔物が生まれるかわかったものではない。だから欲しかったのだ」
ムスッとした顔で腕組みをして余計なことを口にする将門を睨むが、バッカスはすぐに良いことを思いついたとニヤニヤと嗤う。
「将門老も孫たちが継承権争いをして大変であろう? 孫たちそれぞれが勢力を持ってしまい、分裂寸前だとか。足元を掬われかねませんぞ。あぁ、次期当主は孫娘で決まりですかね? 自室にて発生した魔物に襲われた孫娘のために、夢の島精霊区に屋敷を建てようとするくらいですからな!」
「継承権争いと孫娘を可愛がることは別じゃ。優秀な者が次期当主になるだろうし、内部争いで分裂するほどに儂の家門は脆弱ではない。一線を越えることはしないためにな」
「どうですかな? 自身が負けると考えたものが暴走してもおかしくありませんぞ。古来より王の継承権争いは骨肉の争いになると言わないか?」
二人の視線がぶつかり合い、火花を散らし一触即発の雰囲気となる。だが他の当主たちは仲介に入ることなく、涼しい顔だ。
(やれやれ、どの家門も仲良くするという言葉を忘れているのか、そもそも覚える気はないのか。………魔法の叡智を諦めた私にとって、頭の体操となり、良い退屈凌ぎとなるかもしれませんね)
どこまでも仲の悪い当主たちに苦笑をしつつ、この料理はさすがに美味いと舌鼓を打つ村正だが、二人の争いを横目にアイギスは話を振る。
「聞くところによると、村正さんは不動産を買い戻す際にお金だけではなく、ある珍しい物を代価にしたとか。なにせ、その不動産の半分近くは、楯野家の物でしたでしょう?」
頬に手を当てて、珍しい物って何かしらと妖艶に微笑むが、もちろん知っている。これは当主たちの間の確認のためのものだ。アイギスの言葉に、バッカスも将門も睨むのを止めて村正を見る。こういうときだけは息の合う者たちである。
そうなのだ。鶴木家の不動産の中心部分は武装家門の中でも比較的性格がマシな楯野家に譲り渡していた。それだけは先代の当主に感謝をしなければならないだろうと、村正は思いながらアイギスへと笑いかける。
「そうです。珍しい精霊石を手に入れたものでして。これまで預かって頂いた感謝の気持ちも込めて、その精霊石をお礼に渡したのです」
そう、村正は精霊晶石を代価とした。持っていても盗まれることに注意しなければならないだけで使い道はないし、それならば不動産を取り戻すために使おうと極めて合理的に考えたのである。
「はは、そのとおりです。そこまでの物を頂いて申し訳ない限りです」
気弱な表情で楯野家当主和人がごまかすように笑う。だが、その気弱な演技は他の者達には通じても、当主たちには通じない。ニコニコと笑顔でアイギスは更に追求をする。誤魔化されるには、今回の物事は看過できないほどに重要だ。
「珍しいではなく、見たことがない、と言い直した方がよろしくてはなくて? 私が聞いた噂では既存の精霊石など比べ物にならない程にエネルギーを内包したものだとか。それこそ、古代兵器を再稼働できるほどに」
「おぉ、それは凄いな! 和人殿、それ程に重要な物であれば、武装家門全体で管理をした方が良いのではないか? この地上街区はいつ強力な魔物に襲われてもおかしくない」
ポンと手をうち、バッカスが笑顔というには凶悪な笑みを浮かべて、良いことを考えついたと提案を口にする。
「そうじゃのう。昨今は魔物の発生率、ダンジョンの出現率も高くなっとる。いざというときに備えて、管理しておくのは良いことではないかのう?」
顎をさすりながら、将門老も顰めっ面で申し訳無さそうな表情で頷く。
もちろん、街の防衛のためだとは二人とも考えてはいない。誰も彼も楯野家にそれほど強力なアイテムを所持させておくのを許容するつもりはない。足を引っ張ることだけを考えていた。
だが和人もこのような流れになることは予想していた。大きすぎる力を前にした時は必ず手を組み、出る杭は打とうするのが武装家門のやり口だ。
「申し訳ありませんが、ここは楯野家で使わせてもらいます。前回の『夢の島精霊区』の時に私が折れたことはお忘れになっていないでしょう?」
鋭い目つきで睨むように当主たちへと返すと、当主たちは今度は演技ではなく痛い表情となる。
先日、楯野家の所有する『精霊粉』に汚染されていない『夢の島精霊区』を分割統治することにゴリ押ししたのは記憶に新しい。莫大な価値を持つ土地を分割させた貸しを言われるとさすがに無理強いはできなかった。
「ですが、楯野家では持て余すのではなくて? なにかに使う予定なのでしょうか?」
アイギスの問いに得たりと和人はニコリと微笑む。楯野家でずっと持っていたあるものを稼働させる時が来たのだ。
「古代の植物園を稼働させたいと思います」
「古代の植物園? なにか珍しい植物でも採れるのかね?」
「今、娘とともに研究をしていますが、どうやら『精霊粉』の影響を受けても問題ない植物を育てることができるようです。うまくいったら、小麦や米などを自由に育生できるでしょう」
合成食料ではなく、天然物を育生できる。それは莫大な利益を楯野家に齎すだろう。植物園の技術を手に入れれば、世界は一変するかもしれない。
輝かしい未来を夢見て和人は微笑み、他の当主たちはどうやって話に食い込もうかと企み始めるのであった。