67話 これからの夢の島
「地下街区か……。予想はしていましたが、間違いはないのだな?」
「これほどのことをしでかす地上街区の者はおらんと断言しよう。なにが起こったのかを正確に説明したほうが良いかね?」
「聞かせてもらおう。私も正確に何が起こったのか理解したいものでね」
「それならば、少し休憩といこう。お前達、休憩に入るぞ!」
楯野当主が頷くのを見て、立花博士は調査の手を止めて、天幕へと案内する。立花博士の部下たちも休憩をとり、3人は他の者が聞こえないように人払いをした天幕で話を再開することとした。
組み立て式のテーブルを囲んで座ると、立花博士はコップに合成コーヒーを淹れながら、試すように二人を見渡す。
「これがどれだけの偉業かわかるね、楯野当主?」
「『夢の島精霊区』の『精霊粉』汚染がなくなったということだな?」
受け取ったコーヒーをすすりながら楯野当主が答えるが、その態度はそこまでのことだとは思っていないようであり、立花博士は嘆息する。科学者ではないのだから、わからないのは当たり前だが、もう少し驚いても良いのではなかろうか。
「父さん、汚染がなくなった事が大問題なのさ、わかるかい? この精霊区全体の汚染を除去されているのが信じられないことなのさ。これは地上街区でも実験を続けていたけど、成功したことはないんだよね」
「その残念口調を変えるつもりがないことはわかったよ、真奈。だが、成功したことがないというのは言いすぎだろう? 研究所では成功事例もたくさんあるではないか」
『精霊粉』の除去は人類の悲願である。『精霊粉』の汚染により、土地は狂いし精霊や人工精霊を作り出す。即ち、魔物が生まれるのだから、これが解決されれば、かつての人類の繁栄を取り戻せるのだから。
「私たちの資源では一部屋程度の除去しかできないが、地下街区ならば大規模な『精霊粉』の除去もできると思うのだが」
楯野当主の意識としては、『精霊粉』の除去は多くの資源と時間があればできるという考えだった。実際に研究所では成功しているのだ。人類が心を一つにして、『精霊粉』の除去に努めれば、必ずや元の世界に戻せる、だが、心を一つになど子供でもできないと一笑に付すことは間違いない。
その勘違いに立花博士も真奈も苦笑を禁じ得ない。大体の人間が同じ考えだということもわかっている。
「研究所では、無菌室にしてから『精霊粉』を入れておる。空気中の『精霊粉』を除去しているだけだ。だが、本来の『精霊粉』は空気中に存在するだけではない」
生徒へと教える講義のように立花博士は説明を始めて、カップを傾けてコーヒーを地面に零す。コーヒーが地面に染み込むのを見ながら、カップを置く。
「楯野さん、このコーヒーは合成コーヒー粉と水からできている。そして、合成コーヒー粉を『精霊粉』に例えるとわかりやすいだろう。空気だけではない、地面に染み込んだ合成コーヒー粉を除去できると思うかね?」
「むぅ……。それは難しいと言わざるを得ないな。土ごと変えるしかない?」
「農地の土壌改良などで良く使われる方法だな。だが、問題はコーヒーは零れ続ける。新しい土にしてもすぐに汚染されてしまうのだ」
「………それは無理ではないか? 一旦その空間を遮断……なるほど」
立花博士の言わんとすることに気づき、眉をしかめると楯野当主は周りを見渡す。『夢の島精霊区』の外、境界線は深い霧に覆われて、一寸先も見えない。まるで白い壁のようだ。
「『精霊粉』は今もこの区に流入している。そして、土ごと入れ替えるわけにもいかないか」
「その通りさ、だから小さい空間でも『精霊粉』を外の世界で除去することは不可能。なにせ、『精霊粉』は全ての物質を汚染しているし、常に汚染され続けているからね」
スプーンをくるくると回しながら真奈がニヒルに笑う。だからこそ、『精霊粉』の除去は大規模な土地では不可能と言われていたのだ。
「だが、この『夢の島精霊区』は完璧に除去されている。魔法を使い空間を乱してもすぐに元に戻るし、外から『精霊粉』が流入しても、通常の精霊力に変わってしまうのだ。どういう仕組みなのかさっぱりわからぬ。どのような技術を使っているのか想像もできないし、解析をしようにもどこから手を付けてよいか、取っ掛かりすら分からない状況だ」
「自然にこんなことが起こるなんて有り得ないんだ。さすがは地下街区の技術、想像を絶するよ。僕も地下街区に行って、その技術を学びたいものさ」
真奈の本心だ。地上街区などとは比べ物にならない技術を学びたい。だが、徹底的な秘密主義の地下街区は教えてはくれないことも理解していた。
立花博士と娘の真奈の説明にようやく大変なことが行われたのだと、楯野当主は実感し、だからこそ戸惑いの表情となる。そのことに立花博士たちも気づき、訝しげに楯野当主を見る。
「なにかあったのか?」
「あぁ、この一件、聞けば聞くほどとんでもない内容だ。莫大な資源を使っていることも想像できる。だが、地下街区にこの件を問い合わせたところ━━━」
「どのような返答があったんだい、父さん?」
「うむ……好きにすればよいとの答えだった。どうやら、実験の結果だけが分かれば良く、その結果の副産物である正常な土地を所有するつもりはなさそうなのだ」
「はっ、地下街区の傲慢さは今に始まったことではないけど、これはさすがに信じられない。安全な土地は地下にあるから、いらないということなんだよね」
「そうなのだろう。まぁ、私たちからしたら助かるがな」
楯野当主は真奈の言葉に同意する。これまでも地上街区では貴重極まりない物や技術でも、地下街区は気にせずに渡してきた。恐らくは渡しても問題はないのだろうが、その態度は地上街区を下に見る傲慢さも透けて見える。哀れなる人間に施しを与えているつもりなのだろうかと、地下街区を嫌っている人間も数多い。
「まぁ、相変わらずの態度だろう? それにこの技術が成功すれば、もっと多くの土地も正常に戻せるだろうからな。地下街区がその技術で人類を救うかはわからないが」
権力を維持する方法の一つが、限りある資源を独占するということだ。地下街区は権力構造が壊れることを考慮して、この夢の技術が成功しても、地球を救うことなどはしないだろうと、政治に詳しくない立花博士でも予想できた。
「だが、年々人口は増えて、食糧の供給は減少しておる。良かったな、これだけの土地を農地とすればだいぶ助かるだろう? 『農村地区』では毎日魔物が生まれて、作物なども収穫が難しいが、ここではそのようなことも……ん、どうしました?」
緩やかに減っている食料。その不足をこの土地は少しでも解消できるだろうと立花博士は考えたが、楯野当主は微妙に気まずそうであることに気づく。
「魔物はどこにでも現れてるし、ダンジョンも時折発生する。まずいことに槍田の当主が可愛がる孫の家に魔物が発生してな……タイミングが悪かった」
「つまりどういうことなんだい、父さん?」
コテリと首を傾げて、ポニーテールを揺らす不思議そうな真奈を見て楯野当主は疲れたため息を吐く。
「この土地はそれぞれの家門の家が建つこととなる。魔物が絶対に発生しない土地で、重要な家門が屋敷を建てる予定だ」
「なっ! そんな馬鹿なことをするのかい!? 愚かにも程があるじゃないか」
ガタンと椅子を蹴倒して、真奈が非難の声をあげて、立花博士はそこまで驚くことはなく、ため息を吐く。
「実験ならば、今後も安全な土地はできるだろう、その土地を農地にすれば良いとの話だ。まぁ、次の土地も農地として使用することは難しいだろうが。彼らは金は唸るほどある。権力も武力も手にしている。だが、安全だけは手に入らないのだ。ある夜に枕元に魔物が発生することを恐れているのだ」
「そんな事例は数十年に一度だろう? あぁ、だからこそタイミングが悪かったのか」
「そうだ。もっと悪いことに、孫娘は大怪我を負い、危うく命を落とすところだった。使用人も数名死んでいる。そのニュースに権力者たちは急に枕元が気になり始めたのだ。これは決定であり、覆ることはない」
「……愚かだね。その一言でしか言い表すことはできないよ」
父親の言葉に、楯野家も同様に屋敷を建てるつもりだと悟り、諦めたように真奈は椅子に座り直す。権力構造は複雑だ。ここで、楯野家だけ屋敷を建てなければ、金に不安がとか、力を失っているのではとの噂話が広がるだろうからだ。なんともはや愚かなことだろう。
「春には屋敷を建て始めるので、調査はそこまでの期間となります。立花博士よろしくお願いします」
「ここで抵抗しても意味がないのだろう? わかった、それまでに急いで調べよう」
「やだやだ、やはり自前の力を持たないと駄目だね。魔物よりも人間の方が怖いじゃないか。政治が魑魅魍魎と例えられるのもわかるよ」
そう話を終えると、3人は立ち上がり、それぞれの行動を開始するのであった。
◇
人間たちが調べている中で、少し離れた森林の中の一本の木の枝に一羽の小鳥がとまっていた。一見するとどこにでもいそうな茶色の羽の雀のような小鳥だ。
だが、その目は血のように真っ赤であり、空を見上げて、なにかを人には見えないものを見ていた。
『エレメントストリームセイジョウチ。ナニモノカノカイニュウアリ』
機械音声が小鳥の口から漏れ出でる。一見するとただの小鳥に見えるので、その様子はひどく不気味なものだ。
『ジンルイノハンコウガサイカイサレタカノウセイアリ。ルナティックライブラリニホウコクヲ』
だが、小鳥はその首を切り落とされる。グラリと小鳥の死骸が傾くと、その体が溶けていき、小さな水晶石に変わっていった。
「ふふ、駄目ですね、今のプレイヤーは」
小鳥の止まっていた細い木の枝の上。人などは上に乗れない細い小枝に黒髪の少女が立っていた。まるで重さがないかのように小枝は軋むことはなく、少女は自然な様子で、落下していく水晶を掴み取る。
「レアアイテムを逃すなんて、プレイヤーとして失格です。サポートがまったく役に立っていない証拠ですね。情報ドローンは倒しておかないといけません。まぁ、契約金の一部は貰っているので私が代わりに動くのですけど」
ピンと水晶を弾くと、クスリと笑みを浮かべる。
「この水晶は手土産に渡すこととしますので、早く正式雇用をしてほしいものです。とりあえず、この水晶は仕舞っておきますけど。もしかしたら、適当にしまうので忘れてしまうかもしれませんけど」
懐に水晶をおさめると、黒髪の少女の姿はかき消える。まるでそこには最初から誰も存在しなかったかのように。
誰もいない森林に、サラサラと葉擦れの音がして、涼やかな風が吹いていくのであった。