66話 正常なる夢の島
緑の絨毯がどこまでも続き、なだらかな丘や森林には鹿や猪が青々と繁茂する草を食べており、透き通るような透明の小川には耳心地の良いせせらぎの音と、魚が泳ぐ姿が見える草原。中心地にはまるで天をつくかのような大木が一本聳え立っており、肌を撫でる風は爽やかで心地良い。
自然の溢れる草原。人が草原と聞くと想像する理想の光景がそこには存在していた。
そして、その草原には自然の光景を壊す存在もあった。戦場に赴くつもりなのか、戦車や装甲車が軒を並べ駐車しており、天幕がバザーでも開くかのようにずらりと設置されている。銃や剣、杖を持って完全装備の軍人たちが大勢展開している。
そして、巨木の麓には白衣を着た科学者たちが集まっていた。
「ふむ……本当に名前のとおりに夢の島となったか。これは初めて見る現象だな」
初老の男性がごま塩髭を擦りながら、機器を手にして難しい顔をして、表示される結果を眺めている。
「そうですね、立花博士。僕の出した結果も同じです。信じられないことに、この草原は普通すぎる草原だ」
隣で同じ様に機器を操作していた年若い少女が計測結果を眺めながら面白そうな顔になる。髪をポニーテールに纏めた利発そうだが、少し世界を斜に見ていそうな表情を浮かべる少女だ。
「うむ……この一ヶ月調査をしてきたが、間違いないな。認めるしかあるまい、錆びた鉄とおぞましい金属生命体が跋扈していた『夢の島精霊区』が草原に変わったとな」
「ただの草原に変わったとは驚きだよね。『ただの草原』だ。この世界に存在しないはずの『ただの草原』だ」
『ただの草原』と強調して、白衣を着た少女は機器のモニターを軽く叩く。そのわざとらしい言動に苦笑を浮かべながら、立花博士と呼ばれた初老の男は、少女の頭を軽く叩く。
「上司を少しは敬い給え。これでも君の上司なのだよ、楯野君。最年少で博士号を取得しても、その地位はまだペーペーなのだから」
「もちろん相手を選んで話してますよ。立花博士なら許してくれると思って、砕けた言葉を使ってるんです。ほら、師匠は情報のやり取りをするためなら、多少の無礼は赦してくれるでしょう?」
ペロッと舌を出して答える少女に、これ以上言っても仕方ないと初老の男は諦めたように嘆息するが、微かに口元を笑みに変える。
「武装財閥の一つ、楯野家の本家の娘だから、敬語を使うことはこれからもなさそうだ。なにしろ楯野だからな。いやはやかっこいい名前だ、楯野真奈君」
「うぅ〜、いじわるですね、師匠は。僕が武装財閥と呼ばれるのを嫌なのを知っているくせに」
「ふん、贅沢な悩みだな。武装財閥の家門に入れるとなれば、野良犬でさえ尻尾を振るというのに」
「いや、なんというか厨二病みたいじゃないですか。僕は先祖を恨みますね、なんでもう少し普通の苗字を名乗ることにしなかったかと。田中とか高橋で良かったのに」
「当時の奴らはかっこいいと思っていたのだろうよ。手を取り合って、武装財閥などと名付けるくらいなのだから」
クククと笑う博士に、少女は赤面になり唇を不満げにするが、いつものやり取りなので、周りの科学者たちはクスクスと笑うのであった。
初老の男の名前は立花善人。
「魔導総合科学の第一人者である立花博士だからこそ、武装家門の苗字について、新たなる見解をすることができたのでしょうね」
「誰もが気づかないふりをしていたのを、魔導総合科学の力にして貶めるのでない」
部下の一人が笑いながら言ってくるので、苦笑いで手を振る立花博士。彼は魔導総合科学という昨今脚光を浴び始めた学問の第一人者だ。今までは一つ一つ専門的に研究していたものを、万遍なく全てを研究することにより新たなる視点での発見をして、革新的な発明をすることを目的としている。
他の博士たちには、浅く薄い研究をして、金稼ぎに邁進する世俗的な学問だと陰口を叩かれて嫌われているが、最近では立花博士の発表した研究結果や発明が注目されて、人気を博している学問である。
人気があるのが、陰口を叩かれる理由、金を稼げるという点が目下の悩みだが、研究には金はいくらあっても困らないので、立花博士は仕方のないことだとも割り切っていた。
「だけど、魔導総合科学だからこそ研究できる内容があるというものだよね。今回の一件を他の科学者に任せてみなよ、今もきっと会議室でどうやって調査を始めるか話し合っているよ。なんだっけ、大昔の諺であったよね、小田原評定だっけ?」
「楯野さんの言う通りだろうなぁ。今日も植物学、精霊学、ロボット工学に考古学の名だたる博士たちが集まって、主導権をとろうと喧々囂々と会議室で話し合っていたよ」
「そうそう。うちみたいにさっさと現場に来ればよいのにねぇ。まぁ、そこは武装財閥の御息女のお力添えもあったと思うけど」
「研究に際しては、非合法でなければ何でもするというのが僕のポリシーだよ。そうしないと今回の件は一番乗りできなかっただろうしね」
「違いない。こんな土地を調査することができるとは思っても見なかったよ」
同僚と軽口を叩いて気軽にお喋りをするのは、楯野真奈。地上街区を支配する『武装財閥』と呼ばれる財閥の一つ楯野家の娘だ。僅か12歳で博士号まで取得した年若き才媛である。現在は16歳で、立花博士の下、地道に功績を重ねているところだ。
『武装財閥』と呼ばれるのは簡単な理由で、小野寺、槍田、鶴木、楯野、鎧塚。鶴木は実質的に力を失い、他にも悠海や朱光がいたが没落しているので、実質4家が地上街区のトップにいるが、苗字が武具からとられているので、『武装家門』と呼ばれている。
真奈はその苗字があまり好きではなかった。一つの家門ならば目立たないが、なんでよりによって、財閥同士で仲良く厨二病の名前をつけたのかと。後々に黒歴史になることは確定していたのに、先祖はよほど調子に乗っていたに違いない。
とはいえ、財力、権力、そして武力において追随を許さない実家の力はおおいに真奈のためとなっていたので、一概に嫌うことができない。まぁ、気に入らない理由は他にもあるのだが━━━。
「そのとおりだよ、研究者諸君。ここに一番乗りできたのも、我が楯野家の力によるものだ。このダンジョンの管理権を持っている楯野家のな」
財閥の名前の由来を苦々しい思いで思い出しつつも測定をしていると、護衛を連れた男がニコニコと笑顔で歩いてきていた。がっしりとした身体つきで、その笑顔も少し怖い厳つい顔をしている。
「あぁ、父さんか。そういう形で話しかけてくると気取り屋に見えるから止めたほうが良いよ。こういう時は時候の挨拶から入るものさ。今日は良い天気ですねとかさ」
近づいてきたのは、楯野家の当主、即ち真奈の父親だ。この地上街区でもっとも力を持つ家門の一つということになる。
皮肉めいた返しをする真奈に、怒ることもなく、楯野当主は気まずそうに笑う。
「知り合いと会った時は、時候の挨拶だと壁を感じさせてしまうさ。それよりも家でお強請りする時だけパパと呼ぶ真奈。我が娘ながら、その僕っ娘と気取り屋な頭の良い子ムーブの話し方はもう止めた方が良いぞ? パパは真奈がいつ厨二病から完治するのか不安だよ」
お父さんは心配だよと、眉を下げて言うと真奈の顔は真っ赤なトマトみたいに変わる。
「ひゃー! そ、そんなことははは、ないはずさ。ね、皆もそう思うだろ? ね、なんで、目を背けるのさ!」
あわわと慌てる真奈に、気まずそうに顔を背ける同僚たち。その態度に厨二病なんか嫌いだと言っていた厨二病博士っ娘は本当なんだと羞恥で蹲る。
「この話し方はかっこいいじゃないか! 年若い才媛にぴったりだと思うのに、差別だ。今更変えられないよ!」
考え抜いて、この口調はかっこいいと考えた真奈である。参考にした資料が悪かった可能性がある。
「まぁ、真奈が良いならパパは受け入れるよ。そういう話し方をする変人は家門に多いからね」
「僕は変人じゃない! うわ~ん」
自覚のない厨二病患者楯野真奈。根治の見込みはなさそうだった。
「心温まる父娘のやり取りは十分だ。胸焼けをするからそろそろ終わりにしろ。それよりも楯野家の管理ダンジョンで良かった。これが他の家門のダンジョンなら、調査に入ることも難しかっただろう」
二人の様子を見ても気にせずに、マイペースな立花博士。だが、楯野当主の様子が少しおかしいことに気づく。
「それが、捨てられてゴミのような『精霊区』であったのに、他の家門が口を出してきました。一つの家門相手なら流せるのですが、このような時だけは手を組んできまして、ここの管理権は4等分とすることになりました。うちが一番大きな土地を取得はできましたがね」
「このようなときだけ手を組むのだな。予想できたことではある」
嘆息混じりに立花博士は頭をかく。楯野当主は厳しい顔へと変わると、ここに来た理由を口にする。
「それで……立花博士、再確認ですが……」
「うむ。『精霊粉』の濃度は、この土地はゼロだ。信じられないことだが、この精霊区全体が同じだな。もうこの土地ではモンスターは湧くことはないだろう」
『精霊粉』は遥かな昔に地球にばら撒かれた災害であり、どのような土地にも空気のように存在する。その力は魔法を使うには必要だが、狂った人工精霊、即ち魔物を作り出すことにもなるのだ。
その粒子がゼロ。これまでの過去にはあり得なかった事象である。
レポートは見ていたが、改めて再確認できたことにより、楯野父は喜びよりも当惑と疲れを顔に浮かべる。
「それは素晴らしい。地上街区は地下街区と同じく安全な土地を手に入れたわけですな。これが自然の驚異ということですか」
「惚けるのはやめるのだな。わかっているだろう? 1000年以上このような事象はなかった。このような土地になることはなかった」
土を掴み取ると、立花博士は見せるようにサラサラと零す。
「━━━では、予想通り?」
「うむ、信じられないが人工的だ。確実に地下街区が動いておる」
立花博士の真剣な顔での言葉に、皆がゴクリと息を呑むのであった。