59話 怪しげな謎の小悪党
クリタは後退り、姿の変わったセイジを前に身構える。いや、セイジではないのだろう、お人好しのあの男とは違って危険な空気を纏っている。
「お、お前、誰だ? どうしてそこにいる? せ、セイジはどこだ?」
声を荒げながらも答えはわかっていた。わかりきっていた。
「警告は届いたはずだ。止めておけと言われなかったか、クリタ?」
底しれぬ恐ろしさを秘めたような、声だけで身体が竦む声で、まるでカフェテラスにでも座っているかのように、優雅に男は脚を組む。
「セイジの命を狙い、桃源郷の代理人となるには、そもそも貴様では鼎が足りんよ」
日常から、上から命令することに慣れた態度で男は言う。
そう、わかっていた。ここにセイジがいないということは、クリタの策謀が読まれていたということだ。
ハァハァと息が粗くなり、冷や汗がクリタの額から流れ始める。腹が痛くなり、気持ち悪さでクラクラする。しかしぶるぶると身体が震える理由は、策謀がバレていたことではない。
クリタはこの策謀がバレたことに残念には思うが、それでも相手がセイジならばスラム街といった場所であり、どうとでもできると思っていた。
だが、それ以上の予想を超えた事が眼前にあった。
相手の男は暗いコートと、精霊鎧の種類でも、装甲のないスーツタイプ『精霊服』を着込んでいる。漆黒の精霊服は一見すると、戦闘服に見えるが、それよりもピッタリと肌に合っており、防御力はなさそうだが、服の表面の魔法回路が芸術的な幾何学模様として備えられており、魔力が回路を流れて、その光は美しい。
高級な精霊服だということはわかる。わかるが問題はその精霊服が見たことも聞いたこともない物であるところだ。
これでもクリタは精霊鎧も扱う商人だ。どの企業が作った精霊服か判断はできる。だが、見る限り、どの企業の製品かわからないし━━━。
相手の顔がわからない。ヘルメットを被っているわけでもないし、自分はたしかに顔を見ながら話しているのに、記憶に残らない。声すらも本当に男なのか疑いがある。密かにスプリガンのカメラを使用するが、ぼやけており声音もノイズだらけで判断がつかない。
魔法を使っているのだろうとは思うが、どのような魔法かさっぱりわからない。『変装』スキルならば、少なくとも相手の顔はわかる。認識できないなどということはないはずなのだ。
「俺が代理人となると策謀してたってのか?」
『鑑定』
惚けなからも、密かに『鑑定』を使う。なぜ認識できないのか、そもそもその精霊服がどこの物かを調べようとした。
が、結果を見て、顔を歪めてよろけるように後退る。
『鑑定不能』
誤魔化せないはずの『鑑定』スキルが働いていなかった。絶対のはずの解析が信じられない結果を表示していた。
それは一つの可能性を指し示していた。
「あぁ、鑑定を使ったのか? 無駄だ、鑑定如きで私の装備を見ることはできない」
クリタの態度から察したのか、男は薄く笑う。笑ったことはわかるのに、やはり顔はわからないし、声も頭に残らないことに戦慄が奔る。
答えは一つだった。地下街区の人間だ。
この世界には『スラム街』『地上街区』『農村地区』そして、『地下街区』がある。どの土地でもその構成は変わらない。そして、地下街区は恐るべき魔導科学を持っており、遭うことのできるのは、地上街区の選ばれた数人のみ。後は謎のヴェールに包まれているという噂だ。
恐るべき魔導科学を持つ地下街区。そこに住む人間には選ばしものしか会えない。しかし、都市伝説のように、もう一つ噂話があった。
「━━━なぜだ!? 俺はセイジの奴を殺そうとしただけだ。あんたらの邪魔をするつもりはなかった! ランピーチには手を出していない!」
地下街区の人間が時折行う実験に手を出せば、地下街区の人間が現れて、邪魔をする人間を圧倒的力で皆殺しにするという、容赦のない苛烈なる対応をするとの噂だった━━━。
「なにを言ってるんだ? もちろん邪魔をしている。わからなかったのか? この流れを邪魔されるのは困るのだ」
地下街区と繋がっているランピーチに手を出さなければ大丈夫。そう思っていたクリタは、男の高慢なる物言いに、自分が失敗したことを悟り、足元が崩れていく音がしたのだった。
◇
青褪めて、体調が悪くなったかのようによろけるクリタを見て、変装しているランピーチは嘆息していた。
少しだけ、これで逃げてくれないかなと思っていた。そうすれば殺さずにすむのになぁと。
「仕方ないっ! こっちも殺されるわけにはいかねぇ。ここで貴様を殺すっ!」
『スプリガンモード』
青褪めながらもクリタは吠えるように言うとスキルを発動させる。赤いオーラが靄のように身体を包み込み、ゴキリゴキリと身体が変貌していく。肌は赤銅色となり、まるで空気でも注入したかのように筋肉が膨れ上がると、その身体は3メートルを超える巨人となる。手足が伸びて、丸太のような太さとなり、ギラギラと趣味の悪い黄金と宝石できた精霊鎧が巨大化したクリタに合わせて、大きくなりサイズを合わせていった。
『スプリガンモード』は人工精霊スプリガンの持つ固有スキルだ。ヒットポイント、体力、筋力、素早さを一定時間2倍にするスキルである。同様の魔法で『倍化』という魔法があるが、その魔法は素早さを半減させるので、『スプリガンモード』がどれだけ優秀かわかるというものだ。その由来は宝箱を守る精霊スプリガンが、盗賊を撃退するときは、子供の姿から凶悪なる巨人へと変化することが起源だ。
「こぉろぉしてやるぞぉ〜! 俺はここで死ぬような男ではないんだァァ」
顔を真っ赤にしてまるで鬼のように顔をしかめて、怒鳴るクリタに、哀れみを交えた諦めた目を向けて手をひらひらと振る。
『やっぱりこうなかったか。ゲームどおりだな』
ランピーチはこうなることを知っていたのだ。なぜならばゲームであったクエストだから。
主人公が拠点経営ルートに入ると必ず起こるクエスト。最初はセイジが経営チュートリアルバフとして拠点に手伝いに来る。その効果は生産力が倍になるという効果で、ザクザクお金が手に入る、ところがそんな美味しいバフにやったぁと喜んで情報集めをしないと、ある日拠点からセイジがいなくなり、チュートリアルバフは終了となる。
まぁ、チュートリアルのサービスタイムだったのだろうと、プレイヤーが残念ながらも諦めていると、クリタが現れるのだ。曰く、セイジは盗賊に襲われて死んだ。しかし、偶然居合わせた親友へと最後の言葉として、拠点の支援をしてくれとの内容であったので、これからはクリタが手伝うこととなる。
セイジと同じようなバフがあるのかなぁと期待するプレイヤーだが、期待は悪い方として発生する。即ち、生産力が半分となるのだ。
しかしプレイヤー目線では大喜びである。ゲームにおいて、金とかアイテムを失うイベントはクリアすれば、失った物よりも遥かに良い物が手に入る。そのため、情報集めをすると、やはり真っ黒で証拠固めをすると、セイジを襲ったのは拠点の金に目が眩んだクリタだったというオチ。その後はクリタを倒して、そこそこのアイテムとお金を手に入れてクエストクリアとなる。
まぁ、よくあるイベントである。
━━だが、攻略チームはさらなるクエストを発見した。セイジがまだいきている頃に拠点にクリタが彷徨いていることを発見し、怪しげなおっさんだと情報を集めると、セイジ襲撃事件を知ることができる。いかにもな小悪党はその風貌だけで怪しまれて警戒されるということだ。きっとランピーチも教会とか銀行にいたら、同じように怪しまれるだろう。これをランピーチ小悪党理論という。
そして、セイジの代わりに装甲バスを運転していると、襲撃事件が発生。クリタ率いる盗賊5名との戦闘に入るのだった。
その盗賊のボスがランピーチであることは言うまでもないことだろう。撃破するとセイジは生き残り、チュートリアルバフは永遠に続き、生産力は倍になったままとなる、やられ役のランピーチ以外は嬉しい素晴らしいイベントだ。
今回はランピーチがセイジを守る側となっており、敵の数が4倍となっていることから、ランピーチ難易度が発生しており、クリアさせる気はないだろう運命だということもわかります。
長々と記憶を思い出し、無駄な時間を費やしたランピーチを放置して、クリタの身体は膨れ上がり、オーガのような凶悪な様相となった。頭が屋根に引っ掛かり、ボコンと屋根に穴が開く。だが、穴を開けても気にせずに、クリタは鬼のような形相で身を乗り出すようにランピーチへと向かってくる。
「俺はここで終わるわけにはいかないのだァァ! その余裕の笑みを打ち消してやるわ!」
丸太のような腕を振り上げて、クリタは襲いかかる。その咆哮はどこか投げ槍で諦めた感情が乗っているようにも感じられるが、威力は巨人に見合うものだった。
振り上げた腕は装甲の貼られた屋根にぶつかるが、そこにはまるでなにもないかのように動きを止めず、金属が歪み崩壊する音を立てながら振り下ろされてくる。
だが迫る拳を前にしても、ランピーチは恐れることもなく、平静なる心でいた。水面に波紋が浮かぶように、小さな心のゆらぎもなく、実験をする科学者のように、籠に入った動物を観察するかのように、落ち着いており、その瞳には好奇心だけが浮かぶ。
『空気投げ』
『敵のサイズが中型を超えるため、空気投げは不可能となります』
選択したカウンタースキルは発動しなかった。
『なるほど、やっぱり空気投げは使い所に困るな』
だが予想通りであったために、動揺を見せることもなく、手を振り上げると迫る腕へと手をつける。鉤爪のように指を曲げて、体をひねり、力をいれる。
「豪空投げ」
ポソリとつぶやくランピーチ。そして、クリタは体勢を大きく崩し、岩玉のようにランピーチの横を通り過ぎ、装甲バスの後部座席を砕き、バスのシャーシすらもぶち破り、金属の破片を巻き込み、外へと転がっていった。
「さて、これは新たなる試金石となるだろう。手動での技はどのような効果となるか」
壊れたバスから踏み出てきて、ランピーチは冷たく告げる。
「そして、運命の支配するクエストを変えられるか。実に興味深い」
漆黒の服を身に纏い、ランピーチはその瞳にマッドサイエンティストのような被害を考えない興味の光を瞳に宿すのだった。