5話 喧嘩する小悪党
ホールは今や興奮で最高潮となっていた。人々の熱気に包まれて、冬の寒さは追いやられ、汗をかくくらいだ。
ランピーチの心境は絶不調となっていた。ランピーチの不愉快な顔で空気が悪くなり、冷や汗をかくほどだ。
ツヨシの方はもう既に勝った気でいるようで、取り巻きたちに余裕の笑みを見せて、群衆たちへと力を誇示するために力こぶをアピールして歩き回っている。
『小悪党』のレベルをマックスにまで上げたせいだろうか。円を作り包囲するように囲んでいる群衆はランピーチを口汚く罵って来ていた。
「おらあっ、ランピーチ、ここでてめぇはおしまいだ」
「やっちまえ、ツヨシ!」
「やけに雑魚になったじゃねぇか、このゴミ野郎」
既にランピーチが負けたかのようである。好感度は初見でマイナスになるが、良いことでもしていれば自然と上がっていくので、ランピーチは酷いボスだったのだろう。
(まぁ、小悪党だもんな。善人のわけないか)
皆の罵りを受けながら、ディストピア映画みたいだなぁと、ランピーチは斜め上に思って、その場にいられることにワクワクとしながらも、人に嫌われるのは嫌だなと肩を落としていた。
「……ねぇ、ラン。なんでそんなに余裕なのか理由を聞いても良いですか?」
チヒロはランピーチと短い間であるが一緒にいた。なので、少しの違和感も見逃さなかった。
だからこそ、ランピーチが怯えてはいるが、負けるとは欠片も考えていない余裕も見せていると勘付いていた。
よくわかったなと、ランピーチは感心しながら、恋人にするように笑顔で顔を近づけると、ボソリと耳元で告げる。
「チヒロはなかなか人を見る目があるな。だが黙ってろ。少しだけ口を塞いでおけ」
「は、はい、わかりました」
凄むランピーチに、身体を震わせるとコクリと頷き黙り込む。
その様子を見て、鼻で笑うとランピーチはツヨシの方へと向かう。
(悪いな、チヒロ。ここで負けそうだからと、銃とかを持ち出されると困るんでね)
美少女を脅かすのは性に合わないが計画通りにするには必要なことだったのだと自己弁護しつつ、ツヨシと対峙する。
ツヨシは余裕でランピーチを見下ろして、威圧感を出すために指を鳴らしていた。その姿だけを見ると、力自慢のやられ役。主人公に負ける敵役に思えたが、それ以上に今のランピーチは雑魚のチンピラにしか見えないと、苦笑いを浮かべてしまう。
だが、その苦笑いは余裕の表れだと考えたのだろう。ツヨシが顔を近づけると野良犬のように歯を剥き出し唸るように言ってくる。
「ランピーチ。やけに余裕じゃねーか。これから公開処刑が始まるのによ」
「公開処刑の日にちを伸ばしてやっても良いんだぜ?」
内心で、迫力あるなと怖いなこいつと思いながら、以前のランピーチはよくこいつを部下にできたもんだと不思議に思ってしまう。
どう考えてもランピーチのステータスでこいつには勝てそうにない。なにかイカサマをしていたんだろう。小悪党スキルのレベルが4だったからなぁと思っていたら、レフリー役が間に立つと手を交差させる。
「えー、ボスの座をかけて、死にかけのクズピーチとツヨシの決闘を開始します。勝敗はクズピーチが死ぬか、土下座するまで。始めっ!」
公正なレフリーらしい言葉を吐いて、レフリー役が後ろに下がると、アウトボクサーのようにステップを踏みながら、ツヨシは拳を構える。
嫌々ながらもランピーチも拳を構えて、摺り足で対抗する。どちらかといえば、ランピーチがアウトボクサーの方が良いような感じがするが、二人は気にせずに殴り合いを始めるのだった。
◇
この喧嘩は虐めに似ているとランピーチは思う。
「おらっ、おらおらっ、どうした、おらっ!」
「ぐ、あてっ、くっ、この野郎!」
ツヨシが下手くそなステップでジャブを繰り出してきて、殴り合い自体が怖いランピーチは殴られるままだった。時折返す力のないパンチはあっさりとガードされて、まったく効果はない。
その姿は苛めっ子が、抵抗できないとわかっている苛められっ子を昨日ボクシングを見たからと、自分も同じようにやってみたいからと、殴っているのと同じだった。
たしかにツヨシのジャブは下手くそだ。だが、その熊のような体格から繰り出す拳はかなり痛い。反対にステータスを初期化して、自慢であった筋肉がなくなったランピーチの拳は恐怖で怯んでおり、たんに腕を振り回しているだけで無様なものだった。
ジャブ、ジャブ、ジャブと、ツヨシは繰り返す。
(そろそろやめてくれねーかな。勝てねーから、甚振らないでくれ。早くとどめを刺せよ)
頬が腫れ上がり鼻血も出て、胴体も痛いし、足もフラフラでグロッキーだ。うんざりとして、冷ややかにツヨシを見ていると、遂にツヨシは右拳を固めて大きなモーションをとる。
ストレートが来ると、わかりやすいテレフォンパンチに呆れるが、その心は恐怖で塗られて身体は強張ってランピーチは動かない。
「トドメだ、おらあっ!」
「グヘェッ」
そうして見事にツヨシの全力ストレートはランピーチの頬に突き刺さり、その威力で血反吐を吐いてコンクリート床に転がるのであった。その姿はたしかに小悪党にしてチンピラ役を見事達成した男の姿であった。
俺の勝ちだとか、これからのボスは俺だとか調子に乗って叫ぶツヨシの声を痛みで呻きながらも、ランピーチはどうでも良いと思っていた。
負けたことが必要なのだ。勝利できれば一番良かったが、喧嘩もしたことのない男が勝てるとは微塵にも思っていなかった。
(頼む、頼むぜ。こんな痛い思いをしたんだ。頼むぜ、神様、仏様、ライブラ様)
ズキズキと痛む身体で、ランピーチは祈りを捧げ━━━。
『チュートリアル:初めての戦闘をクリアしました。経験値5000取得』
願いは届き、眼の前に待ち望んだ表記が現れた。
予想通りの展開にニヤリと狡猾なる笑みを浮かべる。チュートリアルの『初めての戦闘』は経験値を勝敗関係なくくれるボーナスクエストだ。本来は千だが、裏技で五千。
「充分だ」
経験値をレベルに変換すべく、己の力にするべく、素早くスキルを獲得していく。
『超能力、気配察知、集中、体術レベル1を取得』
『取得しました。超能力、体術の特技を取得してください』
『テレキネシス、パリィだ』
『取得しました』
『また、超能力、気配察知、集中、体術を取得したため複合特技『刹那』を覚えました』
『パウダーオブエレメント』は各スキル毎に様々な特技を選んで覚えられる。そして、ランピーチは慣れており、迷うことはない。
スキルを取得した途端にランピーチの身体が熱くなる。細胞が入れ替わったかのように感じ、今まであった喧嘩に対する忌避感と恐怖感に薄皮一枚のフィルターがかかったように感じる。
『集中』を取得したことにより精神が強くなったのだ。だが、その感覚は酷く気持ち悪く、嫌な感じだった。己の惰弱な心が書き換えられたような気分。
体をどう動かせば良いか自然にわかる。何年も修行していたかのように、拳の握り方、殴り方、足の動かし方、体の捌き方。一人前の格闘家へと脳が、身体が入れ替わったように、別人のように変わる。
だが、夢なのだからと心を押し隠し、ランピーチは立ち上がる。もうツヨシを怖いとは、自分よりも強いとは欠片も思えなかった。そして、変わってしまったことになぜか悲しみを覚えていたが、戦闘を前にして忘れてしまう。
ツヨシが動揺して、なにかをギャンギャン喚いている。だが、身体が回復したわけでもないので、ぼんやりとしたまま適当に答える。
「経験値」
ただ経験値が必要だったのだ。ツヨシはそのための生贄だったのだ。本気で戦闘をしなければ、このチュートリアルは発動しなかったのだ。
銃撃戦や魔法戦の場合、命に関わる。それがこの最強ビルドの弱点だった。初戦で殺されてしまう可能性が極めて高かったのだ。だからこそ命を落とすことのない殴り合いが良かった。
「な、舐めてんのか、こらぁっ!」
不器用な構えで、ツヨシがジャブを放ってくる。だがその動きは『体術スキル』を取得して曲がりなりにも格闘家としての力を手に入れたランピーチにとっては、わかりやすいほどにわかりやすかった。
『パリィ』
敵の攻撃を受け流す『体術スキル』の『パリィ』を発動させる。発動させなくても躱せたが特技の効果を知りたかったのだ。
迫る拳に身体が動き、敵の攻撃を受け流すべく、手のひらが蝶が羽ばたくようにひらりと動く。まるで吸い込まれるようにツヨシのジャブが入り込み、その衝撃をハエでも叩くかのように、僅かにスナップを効かせてはたく。
パンと乾いた音がして、ツヨシの拳が明後日の方向に受け流されて、それでもめげずにツヨシはジャブを繰り返す。
『パリィ』
また一つ受け流す。
『パリィ』
さらに受け流す。
『パリィ』
もはや力のないジャブを受け流す。
ふ、と笑みが浮かんでしまう。圧倒的な力に酔いしれてしまいそうだと苦笑してしまう。もう理解した。前のランピーチはトロイ動きのツヨシをあしらうことができたのだ。だから負けることはなかった。
笑いながら、呆れた風に適当に答えると、ツヨシの顔に恐怖が宿り引き攣っていく。
これぞ夢の醍醐味だと少し楽しく思い、ストレス解消になるなと思いながら、そろそろ最後にするかと、相手に見せるように拳を握りしめる。
さっきまで散々殴ってくれたんだ。これくらいはよいだろうと仕返しをすることに決め、ニヤリと悪そうな笑みを向けて、次の特技を発動させた。
『刹那』
その瞬間、世界が停止した。観衆の声もツヨシの叫びも、なにもかも停止して、ランピーチだけの世界となる。
(ツヨシの顔面)
『ツヨシの顔面:命中率100%』
ランピーチも身体を動かせない。だが思考はできており、ゲームのように考えるとツヨシの身体が強調表示される。さらに顔面を狙うと命中率まで表示された。
(発動)
『刹那』を発動させた瞬間、時が切り取られたかのように、過程を無視して、結果だけが残る。繰り出した覚えもないのに、ランピーチの全力のストレートがツヨシの顔面にめり込んでいた。
ステータスが低くなっても、全力の一撃だ。しかも相手が無防備なところに喰らわせて、さすがの熊男も、のけぞり倒れるのであった。
そうしてランピーチを化け物でも見るかのような目で見てきて、身体をガタガタと震わせて気絶したふりをした。よっぽど今の攻撃は恐ろしかったらしい。
(無理もない。『刹那』はチートスキルだからな)
内心で、チートな攻撃をしてすまんと謝りつつもニヤけてしまう。これこれ、こーゆー無双が夢では一番嬉しいのだ。
『刹那:時を止めて、敵に攻撃する。攻撃回数はレベルによる。戦闘中一回だけ使用可能』
複数の決まったスキルを取得しないと手に入れることのできないチートスキルなのであった。このスキルを取得するためにも最初から厳密なスキル構成が必要であったのだ。
「さすがはランですね! 少しハラハラしましたけど、信じてました! ですが手加減するにも程があると思いますよ? 心配させないでください!」
「そりゃどうも」
ランピーチが勝利して観衆が黙りこくる中で、ただ一人チヒロだけが満面の笑顔で抱きしめてくるので、苦笑しつつ頭を撫でてやる。なんかボクシング映画のエンディングみたいだとランピーチは苦笑してしまう。最後が時を止めるとかブーイングがきそうだけど。
それと、少女の体は温かく柔らかくって少し照れてしまう。痛い思いをしたが、この温かさで報われた感じもする。たぶん現実では寝ていて、布団を抱きしめているのだろうけど。
「この夢はいつ覚めるわけ? もう飽きてきたんだけどなぁ」
もう体の節々も痛くてたまらない。ここはゆっくりと寝ることにしよう。
そして、次に起きたときは土曜日だ。
もう一回顔を洗わなきゃなと、ランピーチは肩をすくめるのであった。