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31話 スラム街の小悪党

 ランピーチマンション。それはスラム街の小悪党が拠点とする廃墟ビルだ。スラム街は広大だ。地上街区と呼ばれる巨大な都市のさらに外環に存在する廃墟を住居にして、困窮する多くの人々が住んでいる、


 その中でも、一際大きなマンションがランピーチマンションである。


 元はショッピングモールが一階と2階にあり、縦に建物を伸ばす高層ビルではなく、横に建物を広げる贅沢な土地利用をされており、住人は外出しなくても、マンション内で生活できるようにとのスタンスを売りにして建設された。


 その廃墟ビルをランピーチ・コーザという小悪党が占拠して、拠点とするとボスとして君臨する。


 住人がいなくなり、廃墟となっても拠点として構えるには、他と比べても一つ抜きん出ている建物だ。


 本来は、探索者の夢破れて、スラム街に落ちた才能も腕も装備も金も度胸もない上に、小悪党のランピーチ・コーザがボスになることができるレベルではない。


 本来は少なくとも中程度のチームが拠点に構える建物であるが、ランピーチ・コーザは少しだけ頭の回転が早く、持ち前の大柄で他者を威圧することのできる体躯を利用し、ペラペラと二枚舌で立ち回った。

 

 荒くれ者たちの中でも、年が若く落伍者として戦う力もろくにない奴らを集めまわったのだ。ろくに武装がなくても、襲撃して拠点を奪おうにも、損害が大きいと周りが躊躇するほどに数を揃えると、ランピーチはボスの座におさまった。


 そうして、元から隠れるように住んでいた者たちから家賃と守代として金を集めて暮らしていた。とはいっても雀の涙ほどの少額だ。


 なぜならば、住人たちもハリボテの拠点だとはわかっているので、少しでも目端の利く者や、多少なりとも戦える者たちは、ここに住んでも良いことはないだろうと去っている。


 それが薄々わかっていながらも、引っ越すこともできないスラム街でもさらに底辺の貧しい住人たちだけが残ったからだ。弱者たちの拠点として存在することとなったのであった。


 なので、スラム街でもランピーチマンションは弱者たちの最後の住処として、スラム街の連中からも嘲笑される拠点であり、ランピーチ・コーザは雑魚として、名前すら噂話にものぼらなかった。


 ━━━ツヨシによる襲撃事件があるまでは。


          ◇


 『ツヨシの変』と呼ばれる襲撃事件から一週間が経過していた。小悪党同士の争いに大袈裟な名前をつけるのは、スラム街にとっては小競り合いの内容が問題だったからである。


 時折降る雪により、段々と寒さが増して、陽射しにより積雪が溶ける前に、新たな雪により積雪の厚さが増え始めた頃。


 ランピーチマンションの住人は困惑していた。


「あの……ここに住んでも本当によろしいのでしょうか? や、家賃とか、その、は、払えませんが」


 住人の一人、妻と子供二人を抱えて貧困の中でもなんとか生きている日雇いの男は先程まで自分たちが住んでいた部屋を見て、恐る恐る目の前に立つ少女へと問いかけていた。


 男は作業服を着ており、寒さ対策などはできていない。妻や子供たちも同様で、常に薄布を何枚も重ねて体に包み寒さを耐えている。


「はい、もちろんです。将来的にはわかりませんが、今のところは全く問題はありませんよ。家賃は取りません……といってもいつも通りに余裕がある時はある程度はお支払い頂くとは思いますが」


 そんな親子へとニコリと微笑みながら、答える少女はピンクブロンドの髪を伸ばして、整った顔立ちのスラム街の中にあっても見惚れてしまう美しさと可愛らしさを併せ持っている。


 ランピーチの恋人として、常にそばにいる少女チヒロだ。スラム街の住人へ相対するにはやけに丁寧な物腰で、頭を下げて柔和な雰囲気で告げてくる様は、警戒心の高い男でも気を許してしまう。なんとなれば、男はいつも日雇い先でも蔑まれており、親方はピンハネを当たり前にするし、言葉による暴力どころか、殴られて失敗を押し付けられることもあったからだ。

 

 丁寧なチヒロの態度は新鮮であり、この優しさに男も嬉しくなり、頭をペコペコと下げる。


「ありがとうございます。まさかこんなにきれいに補修した部屋に住めるなんて思いも寄りませんでした」


「本当にそのとおりです。これからは寒い時期が続きますし、助かります。ランピーチさんにもどうぞよろしくお願いいたします」


 妻も同じく頭を下げて、なけなしのお金をチヒロに渡そうとする。その金額はといえば、くしゃくしゃに丸まって汚れた一万エレ札だ。それでも、夫婦にとっては大金で、いざという時に使えればと用意していたものだった。


 だが、その価値はあるのだ。なぜならば、ランピーチの用意したハタラカンチュアが一通り電線や水道管を修復し終えて、住人たちの部屋を次に修復しにきたからである。


 最初はパニックに陥った。巨大な蜘蛛型人工精霊が入ってきて、部屋を修復し始めたのだから。部屋から追い出されるのではないか、この冬のさなかに外に放り出されるのではと、戦々恐々して涙ながらに冬の間だけでも、この部屋に住まわせてくださいとお願いしようとしていた。


 パニックに陥る住人たちを宥めに来たのはチヒロである。護衛に魔法使いの青髪の少女を連れて、追い出さないので安心してくださいと伝えてくれたのだ。


 されど、安堵はしたが安心はできない。


「ウワァ、お部屋がピカピカだよ。お母さん。ほら、壊れていた壁とか割れていたガラス窓も元通りになってる!」


 部屋に入って無邪気にはしゃぐ子供の声、そしてその声のとおり、昔の様相を取り戻した綺麗に修復された部屋。裕福な上流階級を相手に建てられた広々とした3LDKの部屋は、スラム街の住人が住むには似合わない。


 春になったら追い出されるのではとの恐れる気持ちから、なんとかならないかとなけなしのお金を渡すのだった。


「ありがとうございます。それではゆっくりお休みください。水道も使えますし、電気も使えますのでお風呂もトイレも使用可能です」


 その気持ちはチヒロにもよく分かる。なので、断ることなくお金を受け取りポケットに仕舞う。ここで断れば、やはり追い出すつもりなのだろうと邪推されるだろうし、ボランティアでこの拠点を維持しているわけではないのだ。


「ありがとうございます、ありがとうございます。水や電気も使えるなんて……。ランピーチさんにもお礼をお伝え下さい」


「はい。もちろんです。では、私は行きますので、火事だけは気をつけてくださいね」


 隙間風が入らない部屋がどれだけ助かるかわかっているので夫婦は感謝しきりで頭を下げて来るのを、穏やかに笑みで返すと、チヒロは去っていった。


「お掃除しなくちゃね。部屋はきれいになったけど、埃や小さな瓦礫とかはあるもの」


「うん、お母さん、私お手伝いするよ」


「よし、久しぶりに掃除をしてみるかぁ」


「お風呂掃除してくるね!」


 チヒロが部屋から出ると、家族の楽しそうな幸せそうな話し声が耳に入る。笑い声も交じるその話し声にチヒロも嬉しくなるのだった。


 同じような話し声は、他の部屋からも聞こえてくる。このランピーチマンションは意外にも家族持ちが多いのだ。家族で住むにはある程度の部屋の広さが必要だからだろう。これまでは壊れたドアや、屋内でもゴミを放置して、汚れた服装や、ボロ切れを布団代わりにして、着の身着のままの者たちが多かった。

  

 今年も冬を終える前に、何人かの凍死者や餓死者が出るだろうと予想していたが、もしかしたら野ざらしの死体は見ることはないかもしれない。なんとか生きていけるかもと、チヒロは思う。


「んん、皆幸せそう。ピーチお兄ちゃんのおかげ」


「そうね。私もそうだと思うわ。ランがやったことは凄いことよね。他のチームではこんなことはしないわ。………でも」


 護衛役のドライが隣を歩き、誇らしそうな顔になる。その感想は素直で、裏はなさそうだ。


 ドライはランピーチの善行に単純に喜んでいる。スラム街は悪意の塊だ。紙でも捨てられるように命は失われるし、弱い人間はすぐに他者の食い物とされて、道端に屍を晒す。


 だからこそ、この拠点では、安全が確保されて、しかもろくにお金もない人たちを助けるランピーチが誇らしかった。その喜びは足取りに表れて、足元をうろちょろと歩くポチフェルと共に軽かった。


 チヒロも同じく笑みを浮かべるが、その笑みには陰がある。


「どうしたのチヒロ? そのお金をなんとかポケットに入れようとしてる?」


「そんなことじゃないわ。たしかに予想外に集まりはしたけど、全部ランに渡すつもりよ」


 チヒロのポケットには20万エレ程が入っている。先程の家族と同じく、心付けとして渡されたものだ。意外にも貯めていたらしく、簡単に集まった。


 千エレ札や一万エレ札の集まったくしゃくしゃのお札の束を見て、チヒロは眉を寄せる。


「ねぇ………この大金をランは受け取ると思う?」


「ん? 当然受け取ると思う。この拠点はピーチお兄ちゃんのものだし。水道や電気は貴重なのに、タダで使わせてるし」


 この冬場で水を手に入れることは難しい。電気は言わずもがなだ。だからこそ、そんな当然のことをなんで聞いてくるのかと、ドライにとっては、そちらのほうが不思議なくらいだ。


 だがチヒロには懸念がある。そうねと答えることができなかった。


「以前のランなら喜んで貰っていたと思うし、それどころか貯め込んでたのかと、住人からさらにお金を絞り取ろうとしていたわ。でも、今のランは受け取らないと思うの」


 修復されたエレベーターに乗り、八階へと到着する。チンと音が鳴りドアが開くのを横目にチヒロは困った顔となる。


「ランは全然私たちに稼いでこいとか言ってこないのよ。これって拠点を維持するのに興味がないからじゃないかしら? そう思わない?」


 子供たちだからと、まったく働かせようとしないランピーチに胸騒ぎを覚えるのだ。維持しようとしないのは、いつでも捨てるつもりなのかもしれないからではないかと。


「ん〜………ピーチお兄ちゃんが捨てるつもりということ? 可能性はある。探索者として大成したら、きっともっと裕福な地区に引っ越すかも」

 

 チヒロの懸念がようやくドライにも理解できた。そして、大金を稼ぐようになったスラム街上がりの探索者が、恋人や仲間をあっさりと捨てる様子も見てきたし、聞いてきた。


 なので違うと断言するほどの自信はないし、そちらの方が可能性は高いとも思う。


「でも大丈夫。私は探索者。ピーチお兄ちゃんと成り上がっていく」


 その場合、ドライはランピーチについていくので問題ないなと、あっさりと結論づける。常に隣にいれるように努力していくつもりなのだ。


「貴女はそれで良いでしょうけど、私は普通の人間だから困るんです! ドライなんだから!」


「ドライだから」


「そうでした!」


 薄情なんだからと嘆息するチヒロだが、やはりドライもその結論に辿り着いたかと、心に不安が伸し掛かる。体は重くなり解決方法を考えようとする。ここはやはり深い仲になるしかない。


 となると、問題は寝るときだ。最近はコウメがランピーチと一緒に寝るとせがんでくるので、迫ることができない。


「どうすれば……ん?」


 深刻な顔で考え込むチヒロだが……辿り着いたランピーチの部屋から話し声が聞こえてくることに気づく。


「誰かの話し声?」


「む! この声は………」


 ドアの前で二人でドアにピッタリと耳をつけて、盗み聞きをしようとし━━。


「あの方━━━」


「今度の実験は━━━」


「頑張るように━━━」


 途切れ途切れの声に、息を潜めて、二人で顔を見合わせる。やはり、ランピーチは誰かの配下になったのだ。そう確信する話し声であった。

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