21話 拉致をする小悪党
錠剤タイプのポーションを背負っていた泥で汚れきったリュックサックにチヒロは大切にしまう。盗まれないように、ボロ布を入れており、その奥に隠すように仕舞い、たとえ見られてもゴミしか入っていないように見せかけるためだ。
クリタ商店をでて、すぅ、はぁと深呼吸をするとチヒロは眼力を込めてドライに頷く。ドライも力を込めて頷き返す。
「よし。行きましょう、ドライ」
「ん。ここからが本番」
二人ともに地上街区からの帰り道が一番危ないと知っているからである。わざわざ地上街区に行って戻ってくるスラム街の住人は、金目の物を持っているのだろうと、スラム街の住人ならすぐに見当がつくし、弱そうな少女二人なら襲うことに躊躇いもないのが、当たり前なのである。
それはランピーチを襲ったドライ、そして本当はドライを襲うはずだったランピーチ。スラム街の人間は命の軽重も、犯罪への意識も軽かった。
なので、自分たちが狼の巣穴に入り込むうさぎだと自覚しており、警戒をしながら二人は足早に歩き出す。昼のさなか、陽射しにより積雪がシャーベット状となっている地面をシャクシャクと音を立てて踏みながら、寒風に晒されて、頬を赤くしながら進む。
本来ならば冬の季節。誰も彼もが建物の奥、比較的暖かい場所を探して、外には出てこないのだが、如何せん二人の少女の歩く姿は悪目立ちしていた。金目の物を探して奪い取ることに躊躇いもない者たちには特に。
地上街区からスラム街に入った途端に、それはわかった。
「おま、ガエッ」
「そのリュックサックだわぁぁ」
「おじちゃんにそのぉぉぉ」
まるで餌を見つけた野良犬のように次々とチンピラが現れて、そして凍った地面に悲鳴をあげて、転倒し立ち上がれることなく悔しそうに手足をツルツルと滑らせる。
彼等の足もとの凍る地面は積雪が凍った自然のものではない。ドライが作り出した一般人では立ち上がることもできないほどに滑る魔法で作られた氷の地面だ。
「ドライはすごいですね。私だけならとっくにリュックサックを奪われていました」
お世辞ではなく、本心でチヒロはドライを褒め称える。そして冬場のスラム街で金目の物を持つことがここまで危険なことに認識が甘かったと深く後悔していた。
「ん。雑魚相手ならこの程度で簡単にいなせる」
「殺しはしないんですね。慈悲というやつですか?」
四肢を踏ん張って立ち上がろうとしても、滑ってしまい倒れてしまう襲撃者たちは滑稽でもあるが、後のことを考えると殺した方が良いのではないか? ドライはその点は甘いのだろうかとその性格を読みとろうとする。
「ううん。殺すには魔力が必要。もったいない。前は殺してたけど、ピーチお兄ちゃんのやり方を見習った」
今までは危険とあれば、必ず攻撃魔法で敵は殺してきたのがドライだ。しかし、その戦闘手段は大量の魔力を必要としていた。
最強の『氷雪槍』なら、十人程度を殺せば魔力は尽きてしまう。そして魔力の尽きた隙を狙われてしまうことも多々あった。
だが、ランピーチの戦闘手段は違った。地味で使い道がないと思っていた魔法。敵の行動を阻む魔法ばかりを使うようにドライに指示を出したのだ。
その結果は攻撃魔法を使うよりも遥かに効果があった。百匹の大ネズミの動きを止めて、二十を超える鼠男をもまともに動けないようにした。それでもまだまだ魔力は残っており余裕だったのだ。
魔力がすぐに尽きてしまい、精霊区でもすぐにモンスターから逃げていたドライにとって、それは目から鱗がとれるかのような画期的な戦法だった。
ドライが脳筋過ぎたとも言う。そして、ランピーチは安全マージンを取り過ぎであるが、ドライにとっては衝撃だった。ランピーチが聞いたら、普通だろとドン引きするが、ドライにとっては今までの常識を崩すレベルのものだった。
ドライはランピーチの戦法を学び、さらに自身に取り込み、どうやって敵を倒すのか、殺さなくても無力化すれば自身の魔力に余裕ができるのではと考えて、その戦闘センスを少しだけ開花した。
その結果が、スケートリンクで立ち上がれないような情けない姿となっている襲撃者たちだ。
ポチフェルと精霊融合をせずともタメが短く効果範囲も広く魔力消費を抑えることのできる『氷場』を駆使して敵を近づけなかった。
その心は、チヒロにもなんとなく伝わり、慈悲ではなく、効率のために殺さないのねと、チヒロは納得した。そしてドライの強さにも尊敬しつつ頼りになるとは思いつつも、なんとなくモヤモヤする心に強引に蓋をすると笑顔を向ける。
「それじゃ、こいつらが立ち上がる前に逃げましょうか」
「できるだけ急ぐ」
茶目っ気のある笑顔を見せてチヒロがウィンクすると、親指をグッと立ててドライもむふんと笑みを浮かべるのであった。
そうして現れる襲撃者たちをいなしながら、ドライたちは積雪で白く染まる廃墟を進み、人が二人横並びに歩けばいっぱいいっぱいの裏路地に入った時であった。
スラム街にしては珍しく壊れることもなく外見上は建物として健在であるビルとビルの間の裏路地にて、多少余裕が出てきて二人でお喋りをする程度には気を緩めていたところで、先頭を歩いていたドライの足が止まり、険しい顔になる。その様子を見てチヒロも足を止めて、警戒心する。
「どうしたのドライ?」
さっきまでは警戒はしていても、険しい顔になることはなく、どこか余裕を感じられたドライの様子がおかしいと、それだけまずい状況なのかとチヒロは不安を押し隠して尋ねる。
「前に大勢いる、待ち伏せ」
「待ち伏せ? え、でも、大勢?」
少女二人。襲うとしてもあまり旨味はないため、さっきから襲撃してくる者たちは二人か、多くて三人程度。だからこそ、余裕もあったのにと困惑するチヒロが前を見ると、裏路地の出口に男がニヤニヤと笑いながら出てくる。
その男を見て、チヒロも顔を険しくさせて、声を固くして尋ねる。
「ツヨシ。狼に怯えるうさぎのように逃げていった人がなんのよう?」
「いよう、チヒロ元気だったか? 久しぶり……てーほどでもないよな」
熊と見間違える程に大柄な男は、先日ランピーチを倒してボスの座につこうとして失敗したツヨシだった。
「ランに負けて怖くなって、次の日には逃げた男が何かしら? お金も荷物も持ち逃げしたんだから、春まで隠れていれば良かったのに。そうすればランが貴方を殴りに行くわ」
強気な態度を崩さずにチヒロが怒っているとの空気をまとわせて、ツヨシを強く睨む。そこにはツヨシが裏切らなければ、チームの他の面々も逃げ出さなかったのにと思いもある。大勢で地下に向かえば、ランは大怪我を負うこともなかったのだとの煮えたぎるような怒りもあり、強い気迫がツヨシへと向く。
殺すではなく、殴りに行くと言っている時点で少し可愛らしいが、それでもその気迫は本物だ。
実際に戦えば、チヒロに負けることなどなく、ツヨシが勝つ。力の差は歴然であるのに、それでもチヒロの気迫に負けてツヨシは後退った。
それがツヨシの限界であり、見かけだけで小心者だと行動で現してしまった。
「あぁ、もしかして復讐に来たのかしら? 私を人質にでもとりにきたの? それならランの性格はよくわかってるでしょ? 簡単に私なんか見捨てるわ」
ランピーチの性格は知っている。なによりも保身を考えて、たとえお気に入りの女でも簡単に見棄てる。……孤児のために、チヒロのためにと、食料を持ってきたり、水がないと皆が困るからと、たった二人で危険な地下に向かうほどに、今のどこか甘いランピーチはわからないが。だが、その内心は押し隠して表情はツヨシを見下す強者の笑みだ。
鼻で笑い、そのことを告げると、ツヨシは苦々しい顔になるが、それでも強気な態度で手に持つ拳銃を見せつけてきた。人の命をいともたやすく奪う拳銃を見れば、どんな人間でも恐怖する。顔を恐怖で蒼白にし身体を震わせて、ツヨシの要望を聞くだろう。そう思っていた。
そして、強さを補強させるように片手をあげると、合図と見て他の連中もぞろぞろとツヨシの後ろに現れる。うへへと嗤い、下衆な顔で手に持つ拳銃を見せびらかしてきていた。その人数は十人近い。
全員、ランピーチの下から去った人間だ。チヒロは内心で怯むが、怖がると相手がつけあがることを知っているので、表情には全く出さすに強気の態度を崩さない。
「もしかして、それって拳銃のつもり? 木の銃じゃない。どれだけ弱いかわかってるの? モンスターの一匹も倒せはしない武器よ?」
ゴブリンの持つドングリ弾を使う木の銃を全員持っていた。下手をすれば雑誌すらも貫けない玩具のような銃だ。木製なので頼りなく、スラム街を練り歩けば一丁や二丁はすぐに見つかるゴミのような銃だ。馬鹿にされるために持つ者は少ないが、チヒロの蔑みの笑みに、ツヨシは強気の笑みで返す。
「相変わらず口だけは減らねぇな、チヒロ。だが、口が回りすぎだ。怖いんだろ? この人数だ、木の銃とはいえ簡単にお前を殺せるからな。しかもこの木の銃は改造品。普通の銃となんら威力は変わらない」
クリタ商店で千エレで買い込んだツヨシたち。どこらへんが改造されたかは不明だが、値札に書いてあったので、威力が上がっているとツヨシたちは固く信じていた。
まさかランピーチが売れないなら捨てていくわとゴミとして処分するはずだった物を、ワックスを塗っただけで改造品としてクリタが売ろうとしたとは露とも思っていない。クリタとしてはワックスを塗ったので、滑り止めとなり命中率がアップしたはずと聞かれたら答えるつもりだった。
「聞いたぜ、チヒロ。お前ら新しい発電機と飲料水製造機を手に入れたらしいじゃねぇか。俺たちが代わりに使ってやろうと思ってよ。この人数には太刀打ち出来ねぇだろ。しかもランピーチは大怪我を負ったらしいじゃねぇか」
「…………」
「くくっ、本当らしいな。なら、楽勝だ」
黙り込むチヒロに、ますます調子に乗るツヨシ。チヒロはそこで黙り込むのではなく、強気の姿勢を崩すべきではなかったのだが、馬脚を露わしてしまった。
「よし。それじゃテメーは人質だ。なに、ランピーチを殺したら報酬をくれてやっても」
ツヨシの言葉は最後まで口にできなかった。今まで話に加わらずに後ろにいて怯えていると思っていたドライが間に入ると手をかざす。
「預金通帳、ここで終わり!」
『氷雪槍』
最後通牒を言い間違えてドライは魔法を発動させた。冷気を伴う氷の槍が生み出されて、ツヨシたちへと放たれる。風の壁を貫いて、吹雪を纏わせて、矢のような速さで飛んでくる氷の槍。
「な、魔法使いだったのかよ、このガキ!」
「な、ひぃ!」
ツヨシは横っ飛びに避けて、槍は後ろにいた仲間を貫くと、爆発する。冷気の煙が吹き出して、辺りを氷の世界へと変えてしまう。氷像へと一瞬のうちに変わった何人かの仲間が砕けて、地面に転がっていく。
あっさりと警告なく死んでいった仲間を見て、ツヨシは憤怒と恐怖をないまぜにしてドライを指差す。
「このガキ! てめえら殺れ! そのガキは殺しとけ! チヒロも生きてりゃ良い。気にせずに攻撃しろ!」
自身も冷気に晒されて、皮一枚凍った顔で怒鳴りつける。
「おぅ、このガキ!」
「落とし前つけろや!」
「よくもやりやがったな!」
ツヨシの仲間たちが怒声をあげて引き金を引く。対して、ドライはチヒロの頭を押さえつけて身を屈めると、さらに魔法を使用する。
『粉雪』
粉雪が吹雪となって、周りの仲間たちを襲う。数秒とはいえ、猛吹雪と変わらない量の風圧の粉雪に、思わず目を瞑り視界が奪われた男たち。その横をドライはチヒロの手をつなぎ、すり抜けようと走る。
「あうっ!?」
だが、ツヨシたちの間をすり抜ける寸前にドライは脇腹に強い衝撃を受けて吹き飛ばされる。すぐに立ち上がり、痛む脇腹を無視してドライが顔を向けると、鎧を着た男が立っていた。
「なんですか、ツヨシ。魔法使いがいるとは聞いていないんですがね? 報酬割り増しで良いでしょうか?」
甲高い声で言う男の横には逃げ遅れたチヒロが首根っこを掴まれていた。強く掴まれているようで、チヒロの顔は苦痛で歪んでいる。
「逃げて、ドライ! ランにポーションを届けてあげて! こいつ見たことがないわ、きっと用心棒キャッ」
最後まで言うことができずに、チヒロは強く殴られる。その様子をドライは見て目を険しくさせて━━━。
「ん、わかった。ピーチお兄ちゃんにはチヒロは勇敢に戦ったと告げておく」
身を翻すと、あっさりとチヒロを見捨てて逃走するのだった。
「……な、なんというかドライな関係なのですね、貴女たち」
遠ざかるドライを見て皆は唖然とし、まさか躊躇いもなく逃げ出すと思わなかった男が気まずげに頬を掻く。
「あの人はドライですからね……。あのそんな哀れで可哀想な私を殺したりしませんよね?」
「考えておきましょう……」
死ぬのは嫌なチヒロだった。