20話 ポーション売りの小悪党
地上街区はスラム街とはっきりと区別はされていない。壁もなく、ここから地上街区と書かれた看板もない。それは住人が増え続けていき、地上街区が常に広がり続けているからだ。スラム街区が地上街区に変わっていくからである。
地上街区にスラム街区が編入される方法は簡単で、その土地で治安を良くして金を稼げる者たちが住人となり、建物を綺麗に整備する。すると役人が訪れて、住人たちの所得状況を確認し戸籍に登録してくれて、晴れて地上街区となるわけである。
土地に値段が付き、戸籍を持った者たちがしっかりとした建物に住まい、警備員を雇い、犯罪を許さない地域となる。その日を求めて、スラム街の人間はチームを作るか、大きなチームの庇護下に入る。いつか地上街区に入ることを夢見て。
なので境界線はないが、建物が曲がりなりにも綺麗になり、警備員がそこかしこに歩哨となっていて、治安が守られている場所からが地上街区となる。
チヒロとドライはポーションを買いに地上街区へと向かうことにしたが、チヒロは複雑な表情で、どこか及び腰の足取りだった。
「チヒロ、様子が変。どうかした?」
さすがにあまり他人への興味がないドライでも、その様子を見かねて心配の声をかけてしまう。
「いえ、その……。地上街区って、なんとなく怖くないですか?」
「スラム街より安全。ここでは強盗もスリも少ない。大通りを歩けば、襲われることないよ?」
チヒロの顔はビクついており、多少震えてもいる。どうやら本当にそう考えているらしいと悟るがドライは訳がわからなかった。
ドライはスラム街の過酷な環境を生き抜いてきた。そのドライの感覚から思うのは地上街区は安全だということだ。なにせ、突然襲われることがない。裏路地を歩いていても、スリも強盗も出てこない。地上街区となった外縁の住人は、地上街区の中心寄りの街区よりも、治安に対する意識が強いのだから。
だがチヒロにとっては違うらしい。それがドライには理解できない。
奇しくもランピーチと同じく地上街区を怖いところと考えるチヒロ。だが、その理由は違う。
「ここの住人は綺麗な服の方たちが多いです。スリだと思われたら射殺されるかもしれないですし、強盗だと勘違いされたら射殺されるかもしれないし、当たり屋だと思われたら射殺されるかもしれないんです」
チヒロにとってはそれは真実であり、恐るべき法の力だ。いつもと違い本気の表情で力説するチヒロにマイペースな少女であるドライすらも、意外に怖がりやなチヒロに返す言葉を迷ってしまう。
「あ、あぁ〜……うん、たしかに。でも、そう簡単に射殺されない。わざと射殺すると土地が荒れる」
射殺などすると、引き金の軽い警備員がいると噂されるかもしれない。その結果、この地区の住人が危険なところだと考えて去って行くかもしれない。なので陥れようと冤罪をかけようとする場合はだいたい上手くいかない。それだけ安全な場所なのだ。
「頭ではわかっているのですが、それでも引け目を感じるんです」
悲しげにポツリとチヒロは呟く。被害妄想の気があるかもしれないとチヒロ自身もわかってはいる。
……だが、周りの歩行者を見ると探索者とひと目でわかる者たち以外は綺麗な服装だ。ほつれもないし、継ぎもない。
対して自身の服装はほつれもあり、冬であるのに春用でペラペラで汚れも目立ち、スラム街の住人だと一目でわかる。そのことがとても悲しいし、自分を価値のない人間だと感じさせる。誰も見てこないのに、ジロジロと見られている気がするのだ。
だからこそ挙動不審となるし、その態度がせっかくの美貌を台無しにしていたがチヒロは俯いて歩くので気づかない。
「なので、あまり流行っていなさそうな魔法薬屋を探しませんか? 魔法薬屋はスラム街の住人は立ち入れませんから」
「むぅ……たしかにチヒロの言うとおり。私たちの服装では門前払い」
高級なポーションを扱う魔法薬屋は、稼いでいる探索者か、裕福な者に限る。その点は自身も汚れたパーカー姿なのでドライも同意する。
道で立ち止まるチヒロとドライを見て、貧乏くさい奴らだと優越感を丸出しに鼻で笑い通り過ぎる人や、追い出そうかと段々近づいてくる警備員。
その様子は二人の存在を肩身の狭いものとして圧を感じさせて、無頓着なドライですら居心地悪そうにするくらいなので、チヒロに至っては耐えきれなくなり、ドライの手を掴むと足早に歩き出す。
「立ち止まらないで行きましょう」
「ん、ピーチお兄ちゃんが待っている」
そうして、周りを見ながら多少妥協して、一軒の店に入るのであった。
看板の名前は『クリタ雑貨店』。貧乏人に優しいお店である。
◇
雑貨を扱う『クリタ雑貨店』はポーションもある。劣化し始めて効き目が薄いか、見習い錬金術士が作成した性能の悪い物か。どちらにしても性能の悪さは折り紙付きだが、価格の安さが文句をつけさせない。
店主であるクリタにしても、罪悪感の欠片もなく、それどころか、これだけの数の性能の悪いポーションを集めるのも、また店主の腕の見せどころだと豪語して開き直っている。
見習い探索者にとっては助かる優しい店。クリタは自身の店の評判はそうだと本気で思っていた。他者の評判がどうあれ。
そんなクリタは機嫌良く鼻歌を歌いながらハサミで髭を整えながら、ポータブルテレビを見ていた。
「あのチンピラの持ってきた『氷の飴玉』は美味かったな。まさか十万で売れるとは思わなかったぜ。あ〜、そういや、この間チンピラが置いていった木の銃も全部売れたな。最近の儂は運が向いているのかもしれねぇ。これも日頃の行いの良さってやつかね」
駄目元で空いていた棚に、木の銃を並べておいたのだが、さっきぞろぞろと大勢の男たちが来て買っていったのだ。一丁千エレでまさかゴミが売れるとは思わなかった。金庫は暖かくなり、冬でもクリタは暖房いらずであった。
「だが……あいつがどこから盗んできたか聞いておくべきだったかもしれん。いや、いい加減な情報を掴まされて、情報料が無駄になるだけだろ」
自分の店で売るよりも、まともな魔法薬屋の方が高値で売れるだろうと、懇意にしている取引先の薬屋へと卸した。その際に品質と性能に薬屋もひどく驚いて、しつこく入手先を聞かれたのだ。
まさか盗品を流したとも言えずに、自分の取引先は金の成る木なので答えられないともったいぶって、誤魔化した。いくら金を積まれても答えることがないクリタに不自然さを覚えて、薬屋はろくな入手先ではなかったのだなと、クリタの評判から推測して口を噤んだものだ。
腕の良い錬金術士がどこかにいるのは確かなのだが、隠れ住んでいるのはありえない。地下街に住んでいる錬金術士が、好奇心で地上へと外出してきた。危機意識が低いために、持ってきたカバンをチンピラに持ち逃げされた。
恐らくはそんな感じだろう。あのチンピラに聞いても、錬金術士の住処などわかるわけがない。クリタはそこまで推測して嘆息して諦める。
まさか、ランピーチ自身が作ったとは思いもしないクリタは間違った推測から、誤った結論を出して、これ以上はもうあの飴玉を手に入れることはできないだろうと考えた。
新たなる金儲けの話はないもんかねと、クリタはあくびをして、もっと面白そうな番組に変えるかと、テレビに手を伸ばそうとした時に、入店を告げるドアベルが鳴る。
「いらっしゃい」
愛想よく声をかけて入ってきた客を見て、クリタはすぐに興味を無くした。
入店してきたのは、チヒロとドライだ。二人ともスラム街の人間だと、はっきりわかる薄汚れてほつれも目立つ冬なのに薄い布の安物の服装。地上街区の住人は見掛けで人を判断するため、相手にしない客層である。
整った顔立ちの少女たちだが、金を持っていないことなど一目でわかる。腕に嵌めた『スプリガン』の腕輪をそっと指でなぞり、盗難を防ぐ為『警戒』を発動させておくと、またテレビを見始めるのだった。
ドライは『氷雪の腕輪』を買うために何度かこの店に来たことがある。なので、そこまで緊張はしていないし、平然としているがチヒロは違う。
ドライの裾を掴むと、キョロキョロと店内を見渡して、緊張からゴクリと息を呑む。
チヒロはスラム街では、生まれ育った地であり、慣れしんでいるために、見栄も張れるし演技も得意だ。しかし、ホームタウンを外れて地上街区へと来ると、ただの少女だった。
店内には様々な品物が並んでいる。ありきたりの雑貨品、なぜか置いてあるレトルト食品、そしてポーションや魔道具の数々。主に精霊石を燃料にするスタンダードなタイプだ。
ポーションや魔道具は高価だ。少なく見積もっても、一般人すら躊躇う金額であり、スラム街の人間にとっては宝石のような価値を持つ。
何せ振りかけるだけで、飲むだけでどんな傷も瞬時に治る神秘の薬なのだ。少なくともチヒロはそう信じていたし、ドライも同じような認識だった。
なので価格を見て戸惑ってしまい、コソコソと二人は額を寄せて話す。
「これ、四万エレです。こっちが八万エレ。なんでこんなに金額が違うのかしら? ドライはわかる?」
錠剤タイプのポーションは外側から見ても箱にしまわれているし、さっぱりわからない。
「わからない。たぶん効力が違う。これ以上の品は店主にお言いつけください。どういう意味だろ?」
実際に棚に置かれているポーションは、最低ランクの品質でしかも劣化しているので性能が極めて怪しい。探索者なら見向きもしないだろう。
なので、クリタは探索者用に少しだけ高価なポーションを用意していたが、棚には置かず倉庫にしまっている。その値段を聞いたら目を剥いてチヒロたちは動転するだろう。
そして、ポーションは安い物は効果が薄いと言う認識に変わるかもしれなかった。だが高価なポーションは置いていないし、値段の書かれている札もなかったので知ることはなかった。
無知は罪であり、哀れでもあるが、二人は絶大なる効果があると信じて、熱心に話し込む。
「ランはこのポーションで治るかしら? やっぱり一番高いのが良いわよね?」
「ん。ピーチお兄ちゃんに早く治って欲しい。ドライも賛成」
「ですよね。なら、この、は、八万のポーションにしましょう」
震える手でポーションを手にとって、落とさないようにと胸の前で大事に抱えてチヒロがカウンターにやってくる。
その様子をクリタはしっかりと盗み聞きしており、哀れみを持って嘆息する。
(ランにピーチ。あのランピーチとかいうやつか。なるほどね、泥棒がバレたか、横流しを知られてヤキを入れられたかは知らないが大怪我を負ってガキどもがポーションを買いに来たと)
ますますランピーチの評価を下げるクリタである。
「あの、これをください。ポーションなんですよね?」
おずおずと、だがしっかりとした目で見てくるチヒロに意外に胆力がある少女だなと思いながらも、カウンターに置かれたポーションを見て思う。
(このポーションは最低ランク。薄皮一枚しか治せないが……)
きっとランピーチというチンピラはひどい怪我なのだろうと予測し、このポーションでは治るわけがないとは思い、いじらしい二人の少女へとクリタは顔を向ける。
「もちろんだ。うちは庶民の味方だからな。値段相応だが、しっかりと効力は発揮する。なにせ神秘の魔法薬だからな。ガハハハ」
「そ、それじゃ、これください!」
「おぅ、毎度あり!」
そうして八万の売上をあげて、嘘は言わない優しい店主クリタは二人を見送る。
(少しでも希望を与えるのも店主の役目だからな。効果は金額相応だが、少しは効き目があるだろ)
もうランピーチと会うこともないだろうと確信し、金にならないやつのことはすぐに頭から消すのであった。