19話 眠りの小悪党
地下フロアにいくつもの光線が走っていた。その動きはフラフラと定まっておらず、光線の発生源、即ち懐中電灯を照らしている持ち主の不安を反映しているかのようだった。
「こ、こんなに大ネズミがいたんですか? それも『鼠男』もたくさん?」
「ん。そのとおり。全部倒したけど苦戦した」
「そうですよね……疑うわけではないですけど、やっぱり自分で見ておくのと、聞くのとは大違いですから」
懐中電灯の持ち主たちはチヒロたちだ。ランピーチが大怪我をして帰って来たので、慌ててなにが起きたのか聞いたところ、口下手なドライの話をなんとか理解して、地下フロアにモンスターが繁殖していたことを聞き、恐ろしくはあるが、チームの皆で地下フロアに向かったのである。
足取りは頼りなく、その顔は不安でいっぱいだ。ランピーチが持ってきた蜘蛛型人工精霊たちが大挙して地下フロアに向かったので、これ幸いと後ろについていき、いざという時は蜘蛛型人工精霊が守ってくれるだろうとの打算もあった。
今の蜘蛛型人工精霊はその身体を拡張しており、横幅5メートルくらいの巨体だ。頼りになりこそあれ、まさか工兵のために戦闘はできないなどとは思わなかった。
「本当です……こんなに大ネズミが……放置していれば大変なことになっていましたね。大ネズミが廃ビルを占拠して住人が皆食べられたなんて話はよく聞きますし」
「骸骨だらけの拠点ある。もっとひどいとスケルトンが歩き回ってる」
「ここも同じような拠点になるところだったんですね。ランには深く御礼をしないといけません。ドライも助けていただきありがとうございました」
懐中電灯で照らす範囲内だけでも多くの大ネズミの死骸が転がっている。血溜まりがいくつもあり、ピクリとも動かずに横たわる大ネズミの姿は恐怖を煽ってきて、身体が石のように強張りながらも頭を下げてドライに感謝の言葉を口にする。
なんとかチヒロはなけなしの勇気を振り絞って、先頭に立って様子を確認していた。ここで怖がって、チームの部下に任せたりしたら舐められることは間違いないからだ。
舐められたら最後、チームの底辺に生きることになる可能性は高い。それでなくても、ランピーチにモーションをかける女性もチヒロを怖がることはなく、遠慮もしないだろう。
持ち前の美貌には自信はあるが、だからといって安泰であるとは言えない状況なので、内心では泣きたいが、平然とした顔で周りを確かめていた。
「チヒロさん、あの……蜘蛛型人工精霊もこえーよ。お、襲われないよな? 大丈夫だよな、な?」
「えぇ、貴方はあの様子が見えないの? 絶対に襲われないわ」
ランピーチに加入を許された少年が震え声で蜘蛛型人工精霊を震える指差す。たしかユウマという名前だったと思い出しながら、冷たい声音で威圧感を見せながら告げる。
内心では心臓がバクバクと鳴っている。なぜならば、たくさんの大ネズミの死骸を蜘蛛型人工精霊は持ち上げると、脚から放つ細いビームを当てて、赤く照らしては灰にしていくからだ。身体から炎が吹き出すこともなく、ただ内部から赤い光が漏れると分解するように灰と変えて、小さな牙だけを残して、その牙を口内に入れてしまう。
その様子は見てて酷く不安を煽り、いつ自分たちに襲いかかってくるかと思わせるが、モンスターと違い人工精霊は機械と同じだ。命令以外のことはしないはずだし、チヒロはここで取り乱すことはできない。
「だよな、大丈夫だよな。あっ、こら、蜘蛛に乗ったら駄目だって!」
「ブッブー、この蜘蛛しゃんはあたちのになったの」
「駄目だよ、食べられるかもしれないぞ、ほら降りるんだ!」
いつの間にか幼女が蜘蛛の頭に乗っかり、小さな足をぷらぷらと振り、楽しそうにキャッキャッとはしゃいでいるので、ユウマは無理矢理下ろしていた。
その他愛無いやり取りに毒気を抜かれて、チヒロも皆も恐怖心が薄れて、強張っていた身体が解けて、小さく笑ってしまう。
「で、この下には鼠男の群れですか……。あのモンスターは知らないうちに襲いかかってくるから危なかったわ。本当ですね……こんなにたくさん……」
恐怖心が薄れて、足取りが軽くなりチヒロたちはスタッフオンリーの通路を降りると、さらなる驚きが待っていた。
拠点内で知らないうちに頭を齧ってくる恐るべきモンスター『鼠男』。魔法で姿を隠し襲いかかってくるために、注意しても襲われる可能性の高いモンスターの群れをランピーチが倒したとは信じられないが、眼前に広がる光景はその言葉通りだった。
倒れ伏す鼠男たちの群れ。
━━━だが、それ以上に驚くことがあった。
「え? これが飲料水製造機と発電機? 新品……ですよね?」
「んんっ、えっと、ドライが掃除した。とても頑張ったの」
チヒロが驚くのも無理がない。巨大モールに電気と水を供給する大型の機械は高価だ。しかも汚れてもおらずピカピカでモニターも正常に動いて、故障の恐れなく稼働している。少なく見てもスラム街に放棄されるレベルの機器ではない。
「雑巾が何個も必要だった」
ドライは機器を拭くように手を動かして、小柄な身体を踊るようにしながら言い訳を口にする。その姿はとても可愛らしいが、誤魔化すには無理がある。
「ランを連れて戦いが終わったら、すぐに戻ってきたのでは?」
「て、手早く掃除するバイトしたことある」
「は、はぁ……」
ジト目となり、明らかに納得していないチヒロだが、頭の悪いドライでも秘密にしておいたほうが良いと考えていた。
ドライもスラム街でチームに所属することなく一人で生き抜いてきた経験がある。戦闘センスは高い。
そして、飲料水製造機と発電機が時が巻き戻るように新品へと変わったこと、戦闘において攻撃をしたわけでもないのに、既に攻撃を受けた状態になったことから推測すると導き出された結果があった。
(ピーチお兄ちゃんは時間の精霊を持っている。他にも蜘蛛とか作っているし、なにか他にも力を持っているんだろうけど、時間を操れる可能性が高い)
時間を操れるなどと、そんな精霊は聞いたことなどない。数秒しか止められなさそうだし、巻き戻すのも自身の怪我を治さないところから、制限はありそうだ。だが、それでも途方も無い力だとわかるので、口にするわけにはいけないと誤魔化すことにしたのだった。
誤魔化しが成功しているようには思えないが。
チヒロにもその考えはだいたい伝わった。ランピーチにとって知られたくない能力なのだろうと。なにせ、頭の悪そうなドライが誤魔化そうとしているのだ。
余程の秘密であり、自身が知る時はランピーチから信頼されて直接話を聞いた時しかないだろうと、詰問することは止めるのだった。
「あ、でも精霊石無くなりそう」
「え!? あ、拠点が修復されて供給量が増えてるからですね。それは困りました……」
モニターの表示は残りエネルギーが少ないことを指し示していた。あと一週間もすれば空になるだろう。
「なぜか急に問題が多発しています。なんでこんなことになっているのかしら。良いことがあると悪いことも同様に増えるというのは本当のことでしたか。塞翁が馬とは言いますが、私は馬は一頭で良かったです」
困り顔で本当に困ったチヒロはため息を吐く。だが、ため息を吐くだけでは事態は良くならない。
「ランの怪我も心配です。この大怪我だとポーションが必要だと思いますし」
「ん、ポーションを買うべき。お金ある?」
「お金はランが持っているか聞いてみましょう。なければ渡されたエレを使うしかありませんね」
二人とチームのメンバーはランピーチの所に今後のことを話すために、ランピーチの怪我の様子を見るために戻る。
誰もおらず、ハタラカンチュアだけが黙々と鼠を片付けるだけとなる。
━━━見張りの一人もつけないために、騒動を聞いて、好奇心を持って、金になる話があるかとこっそりと地下に入り込み、様子を見にくる者がいたが、ハタラカンチュアは無頓着であり、そのことを知る者はいなかった。
その者が新品の機器を見て驚き、慌ててビルから出ていくことも気づかなかった。
◇
汚らしいベッドに包帯で肩を絞めてランピーチが寝ているのをチヒロは覗き込むと微妙な顔になる。
「こうやって見ると、いつもと同じ顔色ですし怪我なんかしていないように見えるんですよね。大怪我なのに熱もないですし、見た目と違って軽傷なのかしら?」
ランの額に手を当てても高熱でもないし、苦しそうにも見えないので、それがチヒロは不思議だった。
「それはない。鼠男の牙は骨まで届く。かなりの大怪我……?」
そこでドライは不自然なことを思いだして口籠り小首を傾げる。たしかに大穴が肩に開いていた。人間の肩に開いていてはいけない大きさだったのだ。骨まで見えたし肉はめちゃくちゃで見た目だけでも痛々しかった。
「なんでそこで口籠るんですか? なにか気になるじゃないですか。ランはそれほどの大怪我だったんですよね?」
包帯を巻いた時にチヒロも見たが、あまりの怪我の様子に蒼白となり、怪我の程度を直視しなかったので、よく見ていないのだ。
「血がすぐに止まった。んん……良いことだと思うので、気にするの止める」
だが、大穴が肩に開いていたのに、すぐに出血は止まった。そこに不可解な点はあるが魔法に関係するのだろうと、ドライは口にするの止める。
二人とも、まさかランピーチが『超越者』であり、怪我は自動治癒で少しずつ治っているなどとは予想もできなかった。
「は、はぁ……」
どことなく釈然としないが、たしかに今は気にするところではないと気を取り直して、チヒロは顎に手を添えると今後のことを考える。
「ランにはすぐに治って貰わないといけません。ランが倒れたことを知れば、この拠点を奪おうとする人間はいくらでもいます。やはりポーションが必要です……けど、最低でも十万エレはするんですよね」
深くため息をつき、チヒロはそんな金は用意できないと落ち込む。スラム街の人間にとって十万は大金であり、滅多に見たことがない。
人の体を癒やすポーションはとにかく高い。スラム街の人間は最低ランクのポーションだって買えないのだ。
「ランは持っているか調べる」
自分でランの身体を探ると怒られるかもと恐れるチヒロと違い、ドライには躊躇がない。ランピーチのポケットを探っていき、お札を抜き取り見せてくる。
「あった。十万エレはあるよ」
バサリと束を見せてくる得意顔のドライ。パンと両手を合わせると、チヒロも笑顔となる。
が、内心は穏やかではない。ランピーチのためにもポーションを買わなくてはならないのに、ランピーチが持っているか確認しなくてはいけないのに、行動に移せない自分と躊躇いなく行動できるドライ。モヤモヤしながらも次の行動を取るべくドライに言う。
「良かった! それならランには悪いですが、このお金で買いに行きましょう。ドライは護衛についてきてくれる?」
「今はポチフェルがいないけど大丈夫。そこらへんのチンピラには負けない」
「では、ポーションを買いに行きましょう!」
二人の意見は同じであり、顔を見合わせて頷くと、地上街区へと向かうことにしたのであった。