88.雷獣の輝き
「やれ!!」
普段とは違う唸り声のような主人の指示。
ルクスの声で巨人はその剛腕を動かした。
手に装備されている雷の剣は空気を裂き、百足の怪物の頭部へと振り下ろされる。
そんな剛腕に瞬時に飛びつく大百足。
しなやかな体が巨人の腕を縛るように纏わりつく。
巨人の振るった雷の剣は山へと叩きつけられ、轟音と粉塵を巻き起こす。
「う……ぐ……!」
「下がりすぎるなよヴァレノ。いざとなれば転移での離脱も視野に入れておけ」
「は!」
びりびりと震える大地に踏ん張るヴァレノ。
そんなヴァレノと離れすぎないようにヤコウも少し下がる。
目の前の怪物同士の争いに介入できるほどの力をヴァレノは持っていない。
ヴァレノが出来るのはただ戦いの折りを見て馬車の中のマキビとナナを転移させることだけ。
しかし、その馬車は巨人の背後にある。
転移魔法には転移魔法のルールがあり、見えているからとその馬車を転移させることはできない。
「儂だけでも釘付けにする気じゃな……?」
ヤコウは雷の巨人を見上げる。
腕に絡みついた大百足は巨人から流れる雷属性の魔力を浴びながらもその動きを止めない。
体節にある一対の足はそのものが刃のように鋭く、内側に閉じるだけで生命を処刑する断頭台となる。
動きながら、無数の足をしがみつくように甲冑の腕に突き刺していく。
その足は甲冑の形をした雷をいとも簡単に貫いていった。
引きはがすように巨人はもう片方の手で大百足を引っ掴む。
それを拒むように大百足は頭部をその掴んだ腕に走らせる。
大百足と雷の巨人。
怪物同士の攻防。
二種の怪物は暴れながら、山肌を削っていく。
動く度に粉塵を巻き起こす二種の怪物。
その粉塵の中――二種の怪物に肉薄する影がヤコウの瞳は捉える。
「あああああっ!」
大百足の頭部に雷の爪を乱舞させる。
甲殻に阻まれてその爪は通らない。
しかし、膂力は充分。
雷の巨人の腕に噛みつこうと動いていた頭部は雷を纏ったルクス本体の介入で弾かれる。
それを受け、自身の頭部よりも小さいルクスに向けて大百足は触角を鞭のようにしならせて振り回す。
その隙に巨人は大百足を引きはがした。
すでに右腕は大百足の足によって半分破壊されているようなものだが、剣にはいまだ傷もない。
大百足は改めて半身を起こして威嚇するように頭部を動かす。
「"鳴神"……その歳で使えるのは大したものじゃが……」
ルクスの体が跳ねる。
主人の動きに合わせるように雷の巨人もその剣を再び振るう。
「いつまでその姿でいられるかのう?」
ルクスとヤコウの視線が合う。
大百足を前にしてなおルクスは完全に意識を裂いていない。
魔法使いの戦いの勝利条件は魔法を制すること、そして使い手を殺すこと。
ルクスの体が大百足にとりつく。
その甲殻は傷つけられそうにない。
だが、大百足にとりついたのは大百足に攻撃を加えようとしたわけではなく、
「があああっ!!」
ただ足場にしただけ。
咆哮とともにルクスは大百足の甲殻を蹴る。
大百足にとりついたのは【
突進は大百足の反応より早い。
雷の輝きは流星のように。
跳んだルクスの後ろで大百足は巨人相手に暴れまわった。
その顎肢が巨人の首に食らいつき、巨人は雷の剣を大百足の体節の一つに突き刺す。
「『
ヤコウが唱えると、ルクスの接近を阻むように地面から人の形が次々と現れる。
ヤコウもまたルクスのスピードに怯むことはない。
その人の形から聞こえる苦悩の声がルクスの耳へと嫌でも届く。
ヤコウの持つ鬼胎属性。その魔法はどんな形であれ人間の精神に干渉する。
「グルらぁ!!」
だが、そんな人の形をルクスは躊躇いなく破壊していく。
爪で、牙で、その体で、次々現れる人間の苦悩の声など届いていないかのように。
「『
地面から現れる人の形の次は亡者。
ルクスの周囲が水面のように透き通り、その地面から皮と骨の腕が無数に伸びる。
「ジャアッ!!」
絡みついてきたその腕を雷は鬱陶しそうに振り払う。
死を予感させる精神攻撃は足止めにもならず、皮と骨だけの腕を爪すら使わずに引きちぎっていく。
「なるほど、魔力消費の多い"鳴神"を使ったのはこういう事か……」
ヤコウの持つ鬼胎属性は人間の精神に干渉し、その恐怖を糧に現実への影響力を上げる魔法の呪詛。
なら、人間の精神から一時的に外れることができれば?
獣化魔法は貴族の間で忌避されている魔法である。
四つ足になり、涎を垂らしながら戦う姿はあまりに野性的で不気味という者も少なくない。
何故自身の魔法でそんな状態になるのか。
それは使い手の精神が獣の姿に引っ張られてしまう事にある。
普通の補助魔法より現実への影響力を強めた結果、代償として獣化を纏っている間、本人が獣へと近付いてしまうのだ。
"現実への影響力"とは魔法を強力なものにする重要な要素である。
だが、威力やその効果を底上げするだけの要素では決してない。
その本質は
その結果、獣化魔法はデメリットともいえる現実への影響力を持っている。
今ルクスの使った獣化魔法はルクスの精神を急速に
だが、それこそがルクスの狙い。
自身に沸き上がる不快感。
エルミラの過度に怯えた表情。
数手の魔法でルクスは可能性に辿り着いた。
ヤコウの魔法は相手の動揺や恐怖を煽る事でその力を増幅させているかもしれない。
その自身の推測が正しいと決断し、ルクスは獣化魔法を唱えた。
自身の持つ唯一の、そして最高クラスの獣化魔法。
その身を雷の化身に変え、獣化魔法によって自分の精神が獣に変わる事を見越して――。
「ジャアああ!」
普段のルクスからはあり得ない声。
飢えた獣のようにその口から涎をまき散らし、ヤコウへと突進する。
人間をいとも簡単に引き裂くであろう雷獣の爪と牙がヤコウへと向けられる。
「少し遅かったのう」
しかし、ぞろぞろぞろと回り込んだ大百足の体節がその爪と牙を阻む。
雷の閃光が甲殻を照らす。
閃光とともにその雷は大百足に流れるが、その黒い甲殻はびくともしない。
「ぢいっ!」
ルクスはすぐさま離脱する。
すぐに首がとれるとは思っていない。
離れたのは次の一手があるゆえ。
ヤコウとヴァレノを守る為に離れた大百足に、自由となった巨人が雷の剣を振り下ろす!
「やるのう」
雷の剣は大百足の甲殻を突破することはできない。
だが、その体節から生える剣のような足を一本両断した。
毒々しい体液にも似た魔力がその傷から流れ出る。
「ヤコウ様……!」
「この状態とはいえ
大百足が暴れる。
しなる体は再び巨人にとりつく。
顎肢は巨人の腕に強く食い込み、そのまま
地形を変えながら二種の怪物は再び組み付く。
大百足の動きは先程よりも激しい。
二種の怪物に巻き込まれないよう、ヤコウとルクスは後方へ跳ぶ。
「本当に惜しい」
皮肉などではなく、ヤコウの本心からの無念だった。
「ここでその命を絶たねばならんとはな」
その声はルクスには届いていない。
その横目に見えるのは自身の血統魔法【
「おざエろ!!」
獣に引っ張られ、少しばかり単純になった思考の中、ルクスは巨人へ指示を出す。
思考がしにくい。
戦いというよりはただの襲撃。
だが、その甲斐あってヤコウの魔法がもたらす不快感はほとんど消えている。
苦悩の声も大百足の気持ち悪さも今は無い。
だが、自身の家の血統魔法の力は理解している。
抑えられる。
自分はまだ【
それでも、先祖の重ねた歴史の膂力があの怪物を抑えられると確信している。
"ゴオオオオオオ!!"
主人の期待に応えるように雷の巨人は咆哮する。
雷の剣を捨て、自分に纏わりつく大百足を逃がさないようにその剛腕で抑え込む。
大百足はもがく、雷の巨人は雷を流し続ける。
大百足の頭部が雷の巨人に食らいついてもその腕がここから動くことはない。
雷の巨人は頭を喰われ、魔力の体液を流してもその拘束を緩めない。
主の命令を完遂する為に。
「ガアアアアア!!」
自身の唱えた魔法に浸食される。
思考は狭まり、ただ敵の殲滅に注がれる。
大百足の邪魔は入らない。きっと【
獣に引っ張られたその精神により、ヤコウの魔法が不意に増幅される事もない。
ルクスは力の限り大地を蹴る。
この状態で出せる最高速度の跳躍。
雷を纏った体は閃光となり、闇夜を切り開きながらヤコウへと向かう。
その人間を超えた速度は対応できたとして、唱えられるのは魔法一つくらいだろう。
その魔法によるカウンターごとヤコウの体を引き裂く。
単純な一手だが、ルクスの纏う魔法はそれほど強力なもの。
その爪と牙は生半可な魔法を無にするほどの力を持っている。
「さて……」
ルクスの視界のヤコウは避けようとすらしていない。
魔法を唱える気配もない。
反応できていないのか、それとも大百足に何か指示を出しているのか。
どちらでもいい。
今更大百足が動いた所で間に合わない。
どちらであってもこの爪はヤコウの体を両断する――!
「時間切れじゃ」
その爪がヤコウに届かんという時。
ヤコウの声とともに、ルクスが纏っていた雷が崩壊する。
割れるような音。
突如鮮明になった思考がその事実を受け止める。
「あ……か……!」
崩壊が意味するのは当然魔力切れ。
崩壊の衝撃で獣化による跳躍のスピードのまま、ルクスは地面へと叩きつけられる。
残っているのは【
ルクスが纏っていた獣の形は崩壊し、魔力となって完全に霧散した。
「一分ほどか……持ったほうじゃな」
あまりに短い好機の時間。
動かぬ体でルクスは敗北を悟る。
輝きは消え……他の場所より少し遅れて、この場にも闇夜が訪れた。
今日は夜に更新できないのでこの時間に更新です。
ヤコウ戦が思ったより長くなってしまいましたね……