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86.産声

「ヴァレノ。予定ではやつらが乗ってる箱だけをこちらに呼ぶ予定だったが……やはり上手くいかなかったな?」


 ヤコウと名乗った男は微笑を浮かべながら下がらせたヴァレノに声を向ける。


「申し訳ありません。私が提案したにも関わらず失敗しました」


 それを叱咤と受け取ったのか、ヴァレノは膝をつく。

 首を差し出すように垂れた頭はヤコウからの断罪を待っているようだった。


「よいよい。そなたを馬で戻らせるなど面倒じゃからな。正直失敗すればいいと思っておったわ」

「ありがとうございます……それと、名前を名乗ってもよろしかったので?」

「む?」


 ヴァレノが何を言っているのかわからないと言いたげにヤコウは振り向く。

 首を傾げる姿はその中世的な顔もあって女性的だ。


「はて、儂は今まで何と名乗っておったか?」

「その、今までマキビやダブラマの前ではコノエと名乗っていらしたので……」

「ああ、そうじゃそうじゃ。そうじゃったな……まあ、よいじゃろう。もうこの名前を隠す必要もあるまいて。お前もとりあえずヤコウと呼んでおくといい」

「そのように――」


 顔を上げたヴァレノが捉えた視界。

 それは自身の首領であるヤコウの頭目掛けて蹴りを繰り出そうとするルクスの姿だった。

 その体は今魔法によって強化されている。

 ルクスが得意とする強化の魔法『雷鳴一夜(らいめいいちや)』。

 雷で強化された体と雷撃を持って人間の頭を蹴ればどうなるかは本人がよくわかっている。

 それでも、こうすべきだという直感がルクスを動かした。


「そう急くな」


 ルクスが顔を蹴る直前、ヤコウはわかっていたかのように振り向く。

 そしてその蹴りを平然と両手で受け止める。


「何!?」


 足が触れた瞬間、ヤコウの手から伝わる魔法の気配。

 そう、ヤコウはすでに強化を終えている。


「強化も使わず来るわけなかろう?」

「確かにね!」


 掴んだままなら好都合とルクスは次の一手を放つ。

 『雷鳴一夜(らいめいいちや)』の力はその身に纏う魔力にある。

 相手に送り込めばそれだけで攻撃となる雷属性。

 使い手の拳や蹴り防いでもそれは完全な防御にはならない。


「っと、中々に強力……そしてこれは……」


 ルクスから送り込まれた魔力を嫌ったのか、それとも別の理由だったにか。

 ヤコウはルクスの足を離す。

 ばちばちとヤコウの体を魔力が電撃のように走るが、本人の表情は変わらない。


「驚いた。常世ノ国(とこよ)の魔法を使っておるな……ヴァレノ、こちらでは常世ノ国(とこよ)の魔法は広まっていないはずではなかったか?」

「はい、間違いありません。ですが、あれはこのマナリルの名門貴族オルリック家の長男。どこからか他国の魔法の知識を仕入れているのやもしれません」

「ほう……そのおるりっく家とやらは知らぬが、我が国の魔法に目をつけたのは中々見る目があるの」


 ヤコウは言いながら手をゆらりと胸の辺りまで上げる。

 この場において不自然な行動。この男は降参の意志など見せまい。

 会話に気を取られた一瞬の意識の隙にヤコウはその所作を終えていた。


「『黒沼(レイト)』」


 ルクス、そして後ろのエルミラにヤコウは同時に魔法をかける。 

 突如重りをつけられたような感覚が二人を襲う。


「呪詛か――!」

「っ……!」

「……下品な魔法じゃな」


 と思えば、すぐに手を降ろしてヤコウは魔法を解除する。

 重りをつけられたかと思えば、その倦怠感はすぐに消えさった。

 ヤコウの表情は不快さが前面に出ており、腐臭を嗅いだように顔をしかめていた。


「解いた……?」

「何こいつ……!」


 何故解いた?

 解放された二人に訪れるは困惑と動揺。

 それも当然。

 この男は今不快感だけで自身の使った魔法を切り捨てたのだ。


「む? ようやく口を利く気になったか女子(おなご)? 儂に恐怖するのは仕方ない事じゃが、こやつ一人に任せるのは感心せぬな?」

「誰が――!」


 エルミラの表情が怒りに変わる。

 だが……ヤコウの言った事は半分図星だった。

 決してルクスに任せたわけではない。

 エルミラは突如現れた魔法使いを見て致命的な事態にならないよう逃亡の選択肢を用意しようと頭を回していただけである。

 しかし、何かが違うと警戒を強めたのは間違いなくヤコウに恐れを抱いたからだ。

 こいつはその致命的な事態をもたらす事が出来る存在だと。


「違ったか? なら――そうなるがよい」


 空気が変わる。

 夕陽が山に落ちようという中、その男の声は一足先に夜の到来を告げる。

 ここからが、彼の魔法の時間。


「『狂水面屍人踊(くるいみなもしびとおどり)』」


 唱えるとともに、二人の足下から無数の腕が這い上がる。

 地面は水面のように透き通り、下には蠢く亡者の姿。

 生者を妬むように、骨と皺んだ皮だけの手を伸ばしていた。

 無論、本当に死者が這い上がっているわけではない。

 これは魔法。

 使い手の精神が作り上げたゆえの現実である。


「きゃあああああああああ!」

「エルミラ!」


 飛び退き、腕をかわすルクスの後ろでエルミラは悲鳴を上げる。

 その腕はまだエルミラの足を掴んでいない。

 エルミラはただその光景に恐怖しただけだった。

 しかし――


「生娘じゃったか……だが、魔法使いなら精神を強く保たねばな?」


 魔法の使い手は下卑た笑いを浮かべる。

 口角は上がり、その悲鳴が心底の喜びであるように。

 ――それこそがこの使い手の魔法属性。

 呪詛魔法の本来在るべき形。

 心中の恐怖を糧に現実への影響力が上がる"鬼胎属性(きたいぞくせい)"。

 マナリルには無い魔法の在り方だった。

 だが、


「舐め……るな!」


 声を上げ、自分の足を殴ってエルミラは無理矢理震えを止める。

 エルミラは誰かを殺したことなどない。理不尽な死に立ち会った事もない。

 それでも、恐怖に呑まれぬようにその体を奮い立てる。

 自身を引きずり込もうと絡みつく腕を蹴りあげ、払いながらその場から離脱した。


「ほう」


 ヤコウはその光景に驚いたように声を上げた。

 あの魔法は這い上がる亡者の存在で死を予感させる。

 慣れていない者には絡みつくような腕よりもその光景そのものが苦痛となる。

 それを振り切ったエルミラの精神力に純粋に驚嘆したのだ。


「『炎竜の息(ドラコブレス)』!」


 周りは木々。

 自身の魔法で火事になるかもしれないが、相手の魔法は身をもって危険だと実感した。

 むしろ火事になるならその混乱に乗じようくらいの気持ちでエルミラは魔法を放つ。

 だが、


「ああ、それは悪手じゃな」


 魔法がヤコウに辿り着いたその瞬間、ルクスとエルミラは驚愕の光景を目にする。

 ヤコウはただ鬱陶しいからとでも言いたげに、エルミラの魔法を片手で払ったのだ。

 魔法が命中した轟音は響くも、その炎は地面へと叩きつけられる。


「は――?」

「そんな馬鹿な……!」

「む? 意外に強力じゃな」


 ヤコウは払った腕を見て意外そうな声を上げる。

 だが、それは腕に少し火傷が出来た程度の傷。

 エルミラが放ったのは炎属性の中位魔法。

 その程度ですむはずのない威力のはずだった。


「やはりヴァレノにやらせなくてよかったの。そなたではあの女子(おなご)でもきつかろうて」

「軟弱な身で申し訳ありません」

「よいよい。そなたにはそれ以外の事を期待しておるからな」


 ヴァレノは戦いに参加しようとしていない。ただ後ろでヤコウの戦いを見ているだけだ。

 互いに底を見せてはいないとはいえ、二対一でも問題ない余裕さを二人はヤコウから感じ取っていた。


「『鳴神ノ爪(なるかみのつめ)』!」

「『落雷御殿(らくらいごでん)』」


 ヤコウを切り裂かんと向けられる雷獣の爪。

 その爪を前にヤコウは恐れず魔法を唱える。

 使い手を取り囲むように現れる地から現れる魔力の建物。

 ルクスの魔法はその建物に阻まれる。


「あああああ!」


 だが、その建物の現実への影響力をルクスの魔法は上回る。

 防いだと思われた建物はその爪に耐え切れず、壁と屋根を引き裂かれて崩壊する。


「ふむ……ここでは使いにくいの」

「『火蜥蜴の(ラヴァードラ)』!」


 その崩壊の穴にエルミラが即座に魔法を撃ちこむ。

 タイミングは完璧。

 中にいるヤコウ目掛けて一直線に炎の剣が飛んでいく。


「それは無理じゃな」


 ヤコウはエルミラの魔法を今度は避ける。

 初めてヤコウがまともに攻撃をかわした瞬間、


「避けた……!?」


 駄目元で撃ち込んだエルミラの疑問は加速する。

 しかし、これは嬉しい誤算でもある。

 通用するかどうか怪しい自分の魔法をかわしたという事はダメージを与えられるという事だ。


「なら……!」


 そして即座に判断する。

 この男に自分の魔法が効くのならば、こいつ(・・・)を庇う時に何らかのアクションを取らざるを得ないだろうと。


「なっ……?」


 エルミラの狙いはヤコウからヴァレノに変わる。

 ヤコウとその魔法は確かに脅威。

 しかし、それよりも捕虜であるマキビとナナを転移させられるヴァレノを優先して倒すべきだとエルミラは考えていた。

 それはヴァレノを戦線に無理矢理加えさせるという事だが、エルミラの見立てでは間違いなく格下。

 血統魔法を使われなければ、ルクスと二人なら確実に仕留められると踏んでいた。

 転移魔法を無理矢理使わせれば最悪この場に釘付けにできるかもしれないと。


「賢しいな」


 冷たい声。

 それは恐怖に勝ち、現状を打破しようと動くエルミラに対する確かな賞賛でもあった。


「それをやられては、儂も動かざるをえまい」


 エルミラの判断は間違っていなかった。

 マキビとナナをベラルタに連れ帰る、もしくは敵の魔法使いをここに釘付けにできる一手といえる。

 希少な転移魔法の使い手ゆえにこの場でのヴァレノの価値は高い。

 ……だからこそ避けるべきだった。

 とある存在(・・)を出させない為にも。


「【異界伝承】」


 戯れが終わる音。

 ヤコウの声が山に響く。

 鳥が飛び立つ。その翼に感謝しながら。

 魔獣は走る。その足が動かぬまで。

 木々は諦める。自身の在り方だけは損なわないように。

 そして――呪いは産声を上げる。


「【七巻神殺大百足(しちまきかみきりおおむかで)】」


 重なる声は歴史ではなく怨嗟の声。

 ヤコウを中心にとぐろを巻きながらそれは現れる。

 現れたのは七メートル以上ある節足動物。

 夕陽に照らされながらも黒く光る鋼の甲殻。

 命を探す触角と、その命に向けられる牙のような顎肢。

 体を構成するは連結された無数の体節。

 その無数の体節から伸びる赤黒い足。足。足。

 刃より鋭いその足はゆっくりと、そして力強く、大地に穿たれる。

 魔法の正体は百足の怪物。

 元からこの地の王であったかのように、それは現実へと顕現した。


「――」


 もうヴァレノなど目に入らない。

 突如現れた目の前の怪物にエルミラの視線は釘付けとなる。

 エルミラに到来する予感。


 ――詰ん、だ。


 本能が感じ取った恐怖に思考が塗りつぶされる。

 無意識に祈り願う。

 どうか、どうかあれには殺されませんように。

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