84.坊ちゃまの到着
翌日。
霊脈のあるミレル湖に行く為に、アルム達は宿を出る。
連日水浴びだけですましていた疲れた体を風呂で癒し、ベッドでしっかり睡眠をとった朝は清々しい。
この町を支える太陽は今日も祝福となって降り注いでいる。
近くの料亭で軽い朝食をとり、町中が賑わいを見せ始めた頃にアルム達は外に出た。
「やあやあ、みんなありがとう!」
しかし、賑わいはアルム達の予想していたものと少し違っていた。
噴水のある広場に向けられる人々の視線と声。
その中心に一人の男がいた。
「何だ?」
「さあ……? 何かの催しでしょうか?」
「広場のほうだねー」
「何か聞き覚えのある声がします」
アルム達も立ち止まる。
その先には一台の馬車があった。
アルム達も見覚えのある馬車だ。
三頭の馬に大きな、しかし過度に飾らない箱形の乗客席。ベラルタの馬車である。
その乗客席の窓から男は平民達に手を振っていた。
「父上は多忙で無理だが、この俺は帰ってきた! 皆の迎えに感謝する!」
「坊ちゃまー! お帰りなさーい!」
「坊ちゃまおかえりー!」
「坊ちゃま偉ぶるなー! 似合ってないぞー!」
フランクな歓迎の言葉に悪口のようなものまで混じるヤジ。
しかし、その声を一身に受ける男は笑顔のまま堂々と馬車から降りた。
降りてきたのはベラルタ魔法学院の制服を着る金髪の男。
同じくベラルタ魔法学院に通うアルム達どころか、シラツユにも見覚えのある生徒だった。
「ははは! そうだ、今はただの坊ちゃまだが、いずれこの地の領主になる男ラーディスだ! 安心しろ、いずれこの振舞いも似合うようになる!」
馬車から降りてきたのは学院でシラツユの
その場にいる平民の全ての声に応えるように声を張り上げながら、ゆっくりと歩く。
ミレルは領主であるトラペル家の住む地。
その領主の息子が堂々と町に姿を現したとあれば平民としては敬意を払い、迎えの言葉を口にするのはおかしな事ではないかもしれない。
だが、領主の息子が帰ってきたからといってこの歓迎の仕方は他の貴族からすれば異質だ。
まるでラーディスの口調や振舞いが平民達のからかう材料にすらなっていて、この地を統べる領主の息子だというのにその姿は貴族の威光を一切感じさせない。
それでいて嘗められているわけではない。
心の底から馬鹿にされているわけでもない。
平民の口から出る軽口は親しみによるもので、ラーディスもそれを受け入れているようだった。
「まだ酒も飲めないだろー!」
「坊ちゃん学院から逃げてきたんじゃないだろうなー」
「祭りって口実のサボりかー?」
「待て待て! もう歓迎の声のほうが少なくなっているじゃないか! 散れ散れ! 仕事をしろ仕事! 祭り中は貴族がほとんど来ないからって浮かれないようにしたまえ!」
ラーディスの一声で、広場に集まった平民達は蜘蛛の子を散らすように笑いながら持ち場に戻ったり、仕事場に向かったりし始める。
「すいませんー!」
「ちゃんと仕事しますんで許してください!」
「うちらもいってきます!」
「坊ちゃん! うちは最初から真面目に営業してます! いらっしゃいませー!」
「あ、てめえ! きたねえぞ!」
抜け駆けする平民をきっかけに平民達がまた別の騒ぎを起こしている。
そこらの見世物よりも愉快な朝の一幕。
今の一連の騒ぎがこの町の特色だと考えるとこれもまた名物と言えるのだろうか。
ラーディスはそんな光景すらも満足そうに見ていた。
「……今日も元気がよくて何よりだ」
「ラーディスさん」
「え?」
そんな光景をラーディス含めずっと見ていたアルム達。
平民達が自分の持ち場に戻り、人の垣根が消えてようやくラーディスはアルム達を視界に入れた。
ミスティの声にラーディスは少し固まった。
「こ、これはミスティ殿! それにシラツユ殿も!
いや、今のは平民に嘗められてたとかではないのです!
これは、そのコミュニケーション! 寛大な領主である事を平民に知らしめる為の活動のようなもので……」
「うわーお、ボク達は眼中に無いみたい」
「視野が狭いんだろう」
「そういうことではないニードロスにそこの平民! 順番というものがある!」
名前を呼ばれなかった事にぶうぶうと不満を持つベネッタと若干ずれた解釈のアルムにラーディスはつっこむ。
少し乱れた上着を整え、ズボンをパンパンとはたき、ラーディスは改めてアルム達と向き合った。
仕切りなおすためか、一つわざとらしい咳払いをする。
「ようこそ、トラペル領へ。このラーディス・トラペルが歓迎致します。ミスティ殿、シラツユ殿。それとベネッタくんに平民アルム」
「うへー……当然のように呼び方で区別してるよー……」
「いっそ清々しくて俺は嫌いじゃない」
「何とでもいうがいい。俺は相手によってしっかり態度を変える男なんだ」
嫌いではないが、態度を変えるとはこういう事なのだろうか、と疑問は持つアルム。
相手によって態度を変えるならミスティとシラツユの前でずっと変え続けなければいけないのではと。
本人がいいならいいのかと結論付けて口にはしないが。
「それにしても、シラツユ殿の目的はここだったのか。それならこのラーディスが案内したというのに」
ミスティはアルムとベネッタに視線を送る。
ガザスとの契約は護衛以外にシラツユの目的を教えない事。
ベネッタは頷き、アルムは何の視線かと首を傾げた。
「いえ、もうシラツユさんの用事は終わりましたの。近くに観光地として有名なミレルがあったものですからせっかくなので観光をという話になりまして、それでご一緒しているんです。
今はシラツユさんはミレル湖を見たいと仰っているのでミレル湖に行く所ですわ」
「おお、そうでしたか。それでしたら私が案内しましょう、丁度自分が乗ってきた馬車があるのでどうぞ」
「あら、よろしいのですか?」
「ええ、もちろん」
すぐさまラーディスは乗ってきた馬車の御者の下に事情を説明しに行った。
本来ならラーディスが帰る日までこの町で休憩しながら待機する予定だが、馬車の御者はアルム達を見ると、ベラルタの生徒ならと快諾してくれた。
「さ、お手を」
「ふふ、ありがとうございます」
馬車に乗り込もうとするミスティにラーディスは手を差し出す。
ミスティはその手をとり、ラーディスの紳士的な振舞いへの礼であるかのように笑顔を振りまいた。
品位に溢れ、美しさと可愛らしさが同居する微笑みにちらりと見た平民達が魅了される。
「シラツユ殿もどうぞ」
「ありがとうございます」
続くシラツユにも同じように。
自然な振舞いがラーディスの育ちの良さを感じさせる。
「お世話になりますー」
「うむ、感謝したまえ」
尊大な態度ながらも、ベネッタの手も引いてくれるラーディス。
区別するとは言っているものの、振舞いはしっかりと紳士である。
「ありがとう」
「いや、君は手をとるんじゃない! 男は一人で乗れ!」
ラーディスは最後に自分の手をとろうとしたアルムの手を振り払い、馬車へと乗り込む。
「……男にはやらないのか。なるほど」
紳士的な振舞いを一つ学んでアルムも馬車へと乗り込む。
アルムが最後に乗った事を確認すると馬車はミレル湖へと出発した。
「ラーディスさんは何故戻ってこられたんですか?」
ミスティは正面に座るラーディスに世間話を投げかける。
何故かは想像がついているからだ。
昨日ワインを買った店の店主が言っていたミレル祭という祭りがあるからだろう。
「明日から祭りがあるのでその為に。父上は今王都なので私がこうして来たというわけです」
「祭事を大切になさるのは御立派ですわね。私も見習わなければ」
「高名なカエシウス家に比べたら暇なだけです。いや、お恥ずかしい」
謙遜と世辞の混じる会話。
自然とミスティにも変わらぬ笑顔が貼りつくが、その笑顔はアルムにとってこの上ない違和感だった。
目を逸らすように馬車の窓から町並みを覗く。
「どんなお祭りですの?」
「伝統も何も無いただ騒ぐだけの大したことないお祭りですよ。きっかけは十数年前に平民がやりだしたらしく……民が貴族の仮装といつも通りの服装どちらもしてミレル湖に集まり、この地を作った際の領主と領民の信頼をミレル湖に映して一生忘れないようにするという趣旨のお祭りです」
「まぁ、素敵ですわ。貴族と平民の信頼がお祭りになったのですね」
「そうでしょうか……まぁ、このようなお祭りなのでこの時期は他の貴族の方はいらっしゃらないのです。他からすれば霊脈を見つけた事を自慢するような祭りですから」
「お気になさらないでください。民との信頼を確かめ合うだなんて私は素敵だと思いますわ」
「それはよかった……シラツユ殿も、少し変なお祭りかもしれませんが楽しんでください。
湖畔で飲むミレルのワインや食事もまたいいものですよ」
「ええ、ぜひ……あ、ワインはこの服装なのでご遠慮します」
「ああ、確かに。私としたことが……」
ラーディスとの会話はミスティと話を振られるシラツユに任せ、ベネッタは混ざろうとしない。
アルムは声のしないベネッタをちらっと見る。
ベネッタはつまらなそうに馬車の隅をじっと見ていた。
ああして不満を紛らわせているのかもしれない。
「ニヴァレから一台マナリルの馬車が帰っていったのですが、こちらへ来たタイミングを察するに、ベラルタの馬車とすれ違いませんでしたか?」
しばらくして話題は祭りから馬車へと変わっていた。
ラーディスがミレルに着いたタイミングを考えれば、ルクスとエルミラの乗った馬車がすれ違っているかもしれないと確認の意味も込めてミスティが尋ねる。
「馬車と……? いえ、すれ違っていませんよ。察するにニヴァレからのルートでしょうが、あれはニヴァレに寄りたい者の為に少し迂回するルートですからね。
僕が来たのは最短ルートです。それでもマナリルからだとミレルまで四日はかかりますがね。旅の楽しみもあったものじゃないからオススメもできない」
マナリルからミレルへのルートはいくつかある。
アルム達はニヴァレ村の近くにある霊脈に寄る為にあのルートを通っていたに過ぎない。
とはいっても、ニヴァレ村の料理を堪能する為にほとんどの者がアルム達と同じルートをとるのだ。
他の道は時間優先。
それどころか、ルートによってはニヴァレから行くルートよりも遠回りなのに険しい場所もある。
そんなルートを選ぶのは、まぁ、やましい理由のある者くらいだろう。
安全と旅の楽しみ、どちらの面を見てもニヴァレに寄るのが一般的なのである。
どうやらラーディスは祭りに参加する為にか、最短のルートを通ってきたようだ。
「そうなのですね、不勉強でした」
表情には出さないが、内心残念がるミスティ。
ニヴァレからマナリルへの道で事故の不安がある場所といえばあの山だけ。
無事にマナリルに着いたか少しでも安心できる材料になるかと振った話だったが、成果は無かった。
「いえ、自分の領地へのルートだからこそですよ。それに今そちらのルートは通れませんよ。僕が出発した日の夜頃に確か山崩れが起きていたって話ですから」
「……え?」
「何?」
一瞬、ミスティは言葉を失う。
外を見ていたアルムもラーディスのほうにばっと顔を向けた。
ラーディスはミレルに着くまで四日かかると言った。
自分達がミレルに着いたのは昨日。ニヴァレ村からミレルまで三日かかっている。
つまり、ラーディスが出発した日というのはアルム達が出発した日と同じ。
それは……マキビとナナをマナリルに突き出す為、ルクスとエルミラが別れた日――
「嘘……」
馬車の話題になってから耳を傾けていたのか、ベネッタが小さく呟く。
目を見開き、信じられないと言いたげな表情。顔からは血の気が引いて、真っ青になっていた。
「む、失礼な。嘘をつく理由が無い。途中立ち寄った村からも山肌が見えるほど崩れていたし、木もなぎ倒されていたから見間違うものか……ん? どう、しました?」
馬車内の冷えた空気にラーディスは慌てて全員の表情を見渡した。
血の気が引いていたのはベネッタだけではない。
シラツユはおろかミスティでさえ、先程までの張り付いた笑顔は消えている。
「ルクス……エルミラ……」
呟きながら、アルムの胸がずきりと痛む。
二人がどうなったか、ここにいる者に知る術はない。
出来るのはただ無事を祈る事のみ。
窓から見えるのは無情にも太陽の光を浴びる葡萄畑だけだった。
『ちょっとした小ネタ』
領主本人にはこんなフランクではないです