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82.ミレル

 ニヴァレ村を出発してから三日後。

 アルム達は目的地へと到着する。


「ありゃなんだ?」

「葡萄ですね」


 聞きながらアルムは馬車を下りた。

 丘に建つ町と日当たりの良い丘陵斜面に作られた葡萄畑の姿。

 この二つが合わせる事でこの場所を観光地たらしめる。

 赤色に塗られた屋根とレンガ造りの家屋、そんな人間の営みを湖畔にして背の低い葡萄の木が湖のように広がっていた。

 一番高い丘にあるのは領主の家だろうか。

 景観を守る為か、それともその気が無いのか、貴族の邸宅であろうその建物は過度に大きいわけでも無く、他の家屋の外観との調和を守るようなデザインとなっていた。

 起伏の激しい丘陵と葡萄畑の中にある町並みこそが求めた姿なのだと、町全体が主張するかのように雄大に広がっている。

 近年、急成長を遂げたトラペル領の町。名を"ミレル"。

 その風景を持ってアルム達を歓迎していた。


「ミレルは昔から葡萄が主要な作物でして、近年土地を広げて安全に、そしてより安定した収穫が可能になったのをきっかけにワイン作りが盛んになったんです。

元々この町の方々が自分達の飲み物としてワインを作っていたのを、町の事業にしたんですね」


 町の入り口にはワインと葡萄を主張する建物がいくつか並んでいた。

 店先に葡萄の形をした看板や、ワインを入れるような空樽が飾られている。

 恐らくはワインを売っている店や料亭だろう。

 もう一つ出迎えてくれたのは噴水だった。

 話に聞いた通り、その噴水から出る水は淡く光っている。

 日があり、水源から遠いせいか、その光量は今は少し物足りなく感じるが、夜になればその儚い光はさぞ美しく映る事だろう。

 この町と葡萄畑の風景、そしてワインだけでも人を呼び込めるだろうに、さらに霊脈まであるというのだから土地のポテンシャルは一級品である。


「今は安価に飲めるワインとして平民にも貴族にも親しまれています。舌の肥えた方にはまだ提供できる質ではないと色々言われているようですが、いずれ高級なものも出回るようになるでしょうね」

「ワインか……」


 アルムはワインの実物は見たことが無い。

 だが、昔はワインに限らず酒を供物として使う魔法があったので、その知識として存在だけは知っていた。

 とはいえ、この町に来たからといってアルムにはまだ無縁の飲み物である。


「ですが……私達が飲むことは適いません」

「流石にわかるぞ。この国は酒は十八からだ」

「はい、その通りです。保護者の観察下でなら貴族は十五から飲めますが、当然私達は観察下ではないので禁止ですね」


 そう、マナリルの飲酒は十八になってから。

 ベラルタ魔法学院は十六歳になった者から入学できる学院だ。

 今年入学したアルム達は十六歳。当然ワインを飲んでいい年齢ではない。


「そもそもボク達酔っぱらっていいわけないしね……」


 それ以前に今はシラツユを守る護衛だ。

 気を張りすぎるのは無駄な疲労を生むが、だからといって気を抜いて酔っぱらっていいはずがない。

 アルム達が護衛しているのは他国の魔法使い。

 何かあれば問題がどこまで大きくなるのかわかったものではないのだから。


「それなら私は大丈夫なんですね、そんなに有名なら飲んでみたいです」


 主張する店に目移りしているシラツユ。

 シラツユは十九歳。

 マナリルでは酒類を飲んで問題ない年齢だ。

 人の賑わいに当てられているのか、少しそわそわしているようにも見える。


「いえ、いけませんわ」


 そんなシラツユにミスティから無慈悲な宣告が下される。

 え、と小さく声を漏らし、真顔でミスティのほうに振り向く。


「どうして、ですか……?」

「魔法使いの育成機関に生徒として所属する者は在学期間中どんな年齢であっても酒類は禁止という決まりがありますの。

発展途上の魔法使いの精神を酒類で一時的にでも不明瞭にして成長を妨げない為、また魔法の暴発を防ぐ為の決まりですね。

なのでシラツユさんも駄目ですわ」

「え? いや、でも私は――」

「まさか、シラツユさん……その制服を着て生徒ではないなどと人前で仰るわけではありませんよね?」

「あ……」


 言われて、シラツユは自分の服装を改めて見直す。

 そう、シラツユはカモフラージュの為にここに着てから制服を着ている。

 この制服のまま飲もうものならベラルタ魔法学院の名に少なからず傷がつくだろう。

 護衛のアルム達が酔っぱらうのが大きな問題なら、この服でこの町を訪れたシラツユがワインを飲むのもまた大きな問題である。


「まさか、カモフラージュの為の制服をワインを飲みたいが為に脱ぐなんて事はありませんよね?」

「あぁ……残念です……」

「わかって頂けたようで何よりです」

「あ、でも、ワイン自体は買わせてください! 使うんです!」

「ええ、買うのは特に禁止されていませんから問題ありませんよ」

「使う?」


 不思議に思ったのか、葡萄畑を眺めていたアルムが振り返る。


「はい、観測に使うわけではありませんがお土産にもしたいですし」


 お土産か、とぽんと手を叩いて納得するアルム。

 ここまで連れてきてもらった馬車の御者に礼を言い、シラツユの要望通りアルム達はそのまま一番近いワインの販売店に入る。

 ワインの品質を守る為か、店内はまだ日が落ちる前だというのに暗かった。

 店内に対して窓は小さく、壁にある蝋燭も最小限の明かりしか確保していないようだった。

 店内に並んでいる数種類あるワインを一本ずつ買った。

 硝子の加工はまだ甘いようで、ビンには不格好なものも混ざっている。


「はい、気を付けてくださいね」

「ありがとうございます」


 熊のようにがたいのいい店主からシラツユは優しくワインを受け取る。

 背負っている自分のバックにシラツユはワインを詰め込んだ。


「その制服、あのベラルタの魔法学院の生徒ですよね?」

「はい、そうですわ」


 ミスティが答えると、店主は顔をミスティの視線に合わせて小声で尋ねてくる。


「……何かあったんですかい?」

「いえ、近くで依頼をこなした後、せっかくなので是非観光にと立ち寄ったんですの。私達、ミレルは初めてでしたから」

「そうか……ならよかった」


 本当の事を言う訳にもいかないので、ミスティは不安にさせないようにプライベートを強調する。

 にこっと答えるミスティに店主はほっとしたように胸を撫で下ろした。

 近年まで魔獣が多く出現する土地だっただけに、学院の生徒が四人も来たというのは心配だったのかもしれない。

 領主と平民が力を合わせて魔獣を倒していた土地だけあって魔法使いの事情も少し把握しているようだ。


「あの……"ダルキア"様の御子息も戻ってきたりしてますか?」


 "ダルキア・トラペル"はトラペル家の今の当主だ。

 この店主が聞きたいのは恐らく学院でシラツユの魔法儀式(リチュア)の相手もしていたダルキアの子息ラーディス・トラペルの動向だろう。


「ごめんなさい、あくまで依頼で近くに来ただけでラーディスさんとご一緒してるわけではございませんの」

「そうなのか……そりゃそうだよな……」


 期待したような店主の目に見えて落ち込んだ。

 領民からの支持が厚いという話は聞いているが、それでも領民にここまで落ち込ませるかとミスティは少し尊敬の念を抱く。


「何かあるんですかー?」

「いや、もうすぐお祭りですんで。魔法学院ってのは大変だろうが、こういう時くらい帰ってきてもらいたいなって思ったんですわ」

「おー、いいタイミングに来たねボク達」

「そうだな」

「楽しみだー……」


 お祭りがあると聞いて少しテンションが上がったかと思えば、少し寂しそうに俯くベネッタ。

 普段一緒にいるエルミラがいないのが寂しいのかもしれない。

 様子が変わった事にアルムは気付くも、その感情の機微は捉えられなかった。


「収穫祭とは別にここ十数年でやるようになったから伝統とかがあるわけじゃないんですけどね。

一応年に一度の催しなんで是非楽しんでいってくださいよ」

「ふふ、ありがとうございます。それと……」

「はい?」

「貴族が関わるべき行事には申請を出せば休暇が許されるはずです。一年に一度のお祭りとあればきっとお帰りになるはずですわ。ごめんなさい、確証はありませんので気休めにもならないと思いますが……」


 気遣うように喋るミスティ。

 それを聞いた店主はにかっといい笑顔を見せてくれた。


「はは、ありがとうございます。帰ってくださるのを待ってますわ」

「では私達はこれで。ありがとうございました」

「また来てくださいね!」


 シラツユの目的も果たし、アルム達は店主に礼を言って店を出る。


「そうだ……ちなみに、どんなお祭りなんですか?」


 振りかえってアルムが聞くと、店主は手を振りながら答えてくれた。


「俺達は勝手に土地の名前使って"ミレル祭"って呼んでます。基本飲んで食うだけなんですけど……まぁ、ちょっとした自慢みたいなもんなんで、貴族の方にはちょっと不可解かもしれません。

今日明日はまだ準備で慌ただしいと思いますが、ゆっくりしていってください!」

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