79.冷気と逃走
穴倉と呼ばれる谷の森。
山と山の間に木々が密集したこの場所でナナは闇を補う。
本来、夜間でしか彼らは戦闘を行わない。
闇夜に紛れた強襲こそ彼らの本領だ。
霊脈前での邂逅は完全なイレギュラー。
マキビが予定外と言ったが、ナナのほうがその予定外での弊害は大きい。
ナナは幾度考えたかもわからないもしもを思う。
自分がガラクタでなければと。
「よく動きますね」
ナナは枝から枝へと飛び移る。
眼下のミスティは水晶のように固めた強化魔法で防御されている。
小柄な体を包む鎧はミスティがただ走ってきた場所に霜を降ろしていた。
驚くべき現実への影響力にナナは羨望にも似た視線を向ける。
あれは特別だとわかっていても羨まずにいられない。
「速い……」
だからといって退くわけにはいかない。
枝から枝へと飛び移り、ミスティの視線に自分を捉えさせないようにナナは動く。
身軽に。
時には音をわざと立てるように荒く。
時には音を立てないよう静かに。
飛び移るタイミングすらも変えて敵の五感の情報を混乱させる。
そしてわざと相手が魔法を撃てる瞬間をこちらで作り出し、魔力を消耗させるのがナナの狙い。
中々捕まらないという状況は自然と苛立ちを生む。
それが自分より弱い相手だとわかっているなら尚更。
先程の攻防でナナは自分の実力が概ね計られている確信があった。
あの少女はこちらを甘く見ている。
だからこそ、この少女はこうしてたった一人で追ってきたのだという確信が。
「………」
ミスティはきょろきょろと辺りを見回す。
敵の姿を捉えられなくてもなおその冷静な表情は崩していない。
その余裕を崩す為、ナナは短刀を三本投げる。
「あら……」
そんなものが通用しないのはナナも重々わかっている。
予想通り、ナナの投げた短刀は二本はミスティの鎧に弾かれ、一本は凍り付いて地に落ちた。
これは挑発。
強い力を持つ者に必ずあるプライドを刺激する。
格下にいいようにされている今の状況に血を昇らせろ。
卑怯?
腰抜け?
ナナは今まで殺した魔法使いにかけられた言葉を思い出すが、すぐに仮面の下で笑い飛ばした。
そんな砂より軽い言葉をかけられたところで自分の役目は変わらない。
今やるべきは任務の最中に出会った敵の魔法使いを排除する。ただそれだけだ。
祖国に貰ったナナの名前の為にもこの少女をここで消す。
「"放出領域固定"」
少女がようやく動く。
ようやく魔法を唱えるかとナナは笑った。
疲弊すれば相手は少女。
身体能力なら間違いなくナナのが上だ。
魔力の尽きた魔法使いなら短刀一本で事足りる。いや、あの体格なら首を捻るでもいい。
限界まで付き合う覚悟でナナは再び枝から跳んだ。
「【
「は――」
――だが、そんな陳腐な作戦は他の魔法使いに効いてもこの少女には通用しない。
森に響く合唱。
それは教会で唄う聖歌のように美しく。
唱えた旋律は世界へと。
風景を作り出していた役者が変わる。
木が、土が、葉が、その全てが役目を氷に譲る。
空気は冷気に変わり、命を閉ざす氷結の音は一瞬にして辺りを氷の世界へと変えた。
それは空中にいたナナも例外ではない。
枝から枝へと跳ぶ最中、ナナは無情にも凍り付いた。
跳んだ勢いが殺された氷漬けのナナはそのまま地面へと落下していく。
「『
落下するナナを見つけ、ミスティは魔法で出した水の塊でキャッチする。
相手は敵国の魔法使い。
何もわからない自分達にとっての貴重な情報源だ。喋らない可能性のほうが高いが、それでもそのまま殺すわけにはいかない。
「ふぅ……どこも割れてませんわね、危なかったですわ」
果たして、甘く見ていたのはどっちだろうか?
マナリルの北を支配する名門カエシウス家。
彼女は次女でありながらその血統魔法を継いだ才女。
そしてその血統魔法は必殺。
彼女でさえ手加減しなければ制御できない爆弾。
ナナの敗因はそう、ミスティを他の魔法使いと同じように扱った事だった。
「皆さんは大丈夫でしょうか……」
そして何事も無かったかのように、氷は再びその風景を元の役者に譲る。
木々は風で葉を揺らし、土はその柔らかさを取り戻し、空気は元の温度へと。
水の塊に捕まっているナナの氷も消えていた。
敵の魔法使いを難なく捕え、ミスティは元来た道を戻っていく。
ミスティが森の中での戦闘の結果は、滝前で戦っている全員にも伝わった。
「はあ!?」
マキビの振り下ろした魔法はその魔法に見惚れていたアルムの隣へと叩きつけられた。
えぐられるような地面と綺麗に割れた岩が魔法の威力を物語る。
振り下ろす直前に森から感じた一瞬膨れ上がった魔力とここまで届いた凍てつく冷気。
ただそれだけでも、マキビがナナの敗北を悟るには十分な材料だった。
「負けるの早すぎだろナナの野郎!!」
仕事仲間への文句を心の底からマキビは叫ぶ。
まだここを離れて数分しか経っていない。
一人相手の時間稼ぎも出来ないのかと憤慨する。
「ミスティ殿がやったみたいだね」
「早いな、何使ったんだ……?」
確信はマキビだけでなく、アルムとルクスにも。
早すぎる決着は想像と逆の結果はまずもたらさない。
まだ姿は見えていないが、もう少しで森からひょこっとミスティが出てくるのが容易に想像できる。
「ちっ……もたもたしてる場合じゃねえな。流石にあの女が来たら分が悪い」
目付きの変わるマキビ。
血統魔法かとルクスは身構え、アルムはそんなマキビをじっと見つめる。
「『
マキビは魔法を唱えるとともに跳ぶ。
それは先程までのような巨大な尾でも、全身に纏う亀を象った水でも無い。
細長い水たまりのような、およそ何かわからない魔法。
二人が警戒する中、跳んだマキビの着地先に表れたその水はそのままマキビを乗せて森の中へと入っていった。
「え?」
「おぉ、なるほど。逃げるのか。上手いな」
ルクスは呆けた声を上げ、アルムは感嘆する。
マキビの判断の的確さに気付けば称賛の言葉まで出ていた。
「分が悪いからな!逃げさせてもらうぜ!」
二人が呆気に取られている間、すでにマキビは森の中へ。
「『
シラツユの守りに徹してたエルミラが逃げようとするマキビを見て魔法を唱える。
速度の速い魔法で見えなくなる前に仕留めようとマキビを狙った。
「あっぶねぇ!」
マキビは体を低くし、ギリギリ届いたエルミラの魔法をかわした。
エルミラの魔法はかわした先の木をなぎ倒す。
肝心のマキビは髪を数本焦がしたくらいでダメージは無い。
「お前もやるな! だけど今日はさよならだ! じゃあな!!」
「ちっ――!」
勝ち誇ったマキビの声。
事実、ここからエルミラがマキビを仕留めることはできない。
すでに森の中に入ったマキビは自分の魔法の射程外。
魔法を当てられなかった自分の未熟さと何もできないもどかしさにエルミラは舌打ちする。
「行ってアルム! 今のあんたなら追い付けるでしょ!?」
「いや、どう逃げてるのかまではわからないぞ。完全に虚を突かれたからな」
マキビの姿はすでに木々に阻まれて見えない。
ルクスはもちろん、アルムも周囲の変化を注視していたせいで咄嗟に追いかけるという選択肢を外されていた。
魔法にどう対応するかだけを考えさせられる空気感があの時のマキビにはあったのだ。
「追いつけるの!? 追いつけないの!?」
「追いつける」
確認するかのようなエルミラの問いにアルムは断言する。
虚勢ではなく、自分の魔法を理解しているがゆえの答え。
「なら何の問題もないじゃない。ねえ?」
アルムの答えにエルミラは満足そうに笑みを浮かべ、シラツユに付いていたベネッタのほうを振り向いた。
「……へ?」
読んでくださる方、評価ブックマークしてくださっている方、いつもありがとうございます。
ジャンル別日刊7位となっていました……素直に喜ぶべきなんだと思いますがほんのちょっと信じ切れていない自分がいたりします。
これからも頑張りますのでよろしくお願いします。
明日は本編と幕間一本ずつ更新します。