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74.怯え

 使われてない本棟の一室。

 普段は補助魔法の実技を行う際に使われていて、測定用の魔石くらいしか置かれていない殺風景な部屋だ。

 その部屋の中心に今回アルム達が護衛するシラツユは立っていた。

 白い髪と青い瞳におっとりとした雰囲気で、頭には白い布がカチューシャのように巻かれている。

 制服を着ているせいか、アルム達より年上という雰囲気は感じさせない。


「あの……と、遠いと思うのですが……?」

「いえ、人間が話す適切な距離だと思います」


 霊脈についてアルムがシラツユから簡単な説明を受ける為、授業が無ければ人が来ることの無いこの部屋をわざわざ選んで来たというのに、中央にいるシラツユに対してアルムは壁際まで離れていた。

 シラツユの護衛はもう確定事項。一緒にいれば近寄る機会もこれから多くあるのは明白だ。

 それでも今離れようとしているアルムの往生際の悪さにエルミラとベネッタが動く。


「いい加減諦めなさいよ!」

「時間をくれ……時間を……!」

「ほーら恐くないー、恐くないー」


 エルミラとベネッタはアルムの腕を引っ張るが、アルムはびくともしない。

 そんな様子を見てミスティはもう、と小さく声を漏らす。


「申し訳ありません。アルムは朝あなたに会った時の事がちょっと、その、衝撃だったらしく……誤解を解いてあげてくれませんか」

「わ、わかりました。あと、皆さん普段通りの話し方で接してください。一応生徒に偽装してるので同年代っぽく話してもらったほうが私も助かります。

言ってる私がこんな感じですけど、ずっとこういう喋り方なのでそこは許してください」


 確かに変か、と呟いてルクスは納得する。

 普段からそういった言葉遣いでない限りは一人にだけ敬語を使うのは不自然だ。

 この場で自然なのはシラツユと同じく普段から丁寧な言葉遣いのミスティくらいだろう。


「ではお言葉に甘えて。お願いしていいかなシラツユ」

「は、はい」


 ルクスに言われ、霊脈についてよりも朝の出来事からシラツユは弁解する。


「朝のあれはこれから説明する霊脈を調べていたんです。ここベラルタも霊脈の上に立つ街ですから、調査をしていたらあんな風になってしまって……」

「調査の為に地べたを這っていたという事ですか?」


 ミスティが聞くと、シラツユは恥ずかしそうに頭をかきながら頷く。


「霊脈かどうかわかりにくい場所でたまにやるんです。魔法使いが集まってる上に地下が妙な感じになってたのもありまして、朝から熱中してしまったんです」

「はは、すぐはぐれたってさっきベネッタくんが言ってたのはそういう事かな」


 先程実技棟に入る前にベネッタが話していた事をルクスは思い返す。

 連れ出された上にはぐれたとベネッタは言っていたが、どうやらシラツユの熱中が招いた出来事らしい。


「はい……ベネッタさん、朝はごめんなさい。案内してくれていたのに私ったら……」

「気にしないでくださいー。大丈夫ですよー……お?」


 答えながらベネッタは掴んでる腕の力が弱まったのを感じる。

 シラツユの話を聞いたアルムの抵抗がようやく緩んだのだ。


「ああ、なんだ……すまない。それならとんだ誤解をしていたようだ。ならあの時は研究が捗って喜んでたのか」

「はい。つい、テンション上がってお礼なんぞ言ってしまったんです……あの状況であんなお礼なんて言ったらそりゃ誤解させちゃいますよね」

「じゃあ別に俺に踏まれて喜んでたわけじゃないんだな」


 安堵したアルムが確認するようにシラツユに問う。

 誤解は完全に解け、シラツユの護衛に不安な要素などもう一つもない。


「え、ええ……まぁ、あの時は(・・・・)喜んでません」


 この時、シラツユが目をそらさなければ。





「大人しく受け入れなさい! あんたの知らない世界なんてこの世にはいっぱいあんのよ!」

「時間を……時間をくれ……!」

「恐くないからー!」

「少しだけ、少しだけ心を落ち着かせる時間を……! そういう世界を受け入れる時間をくれ……!」


 再び同じ構図に逆戻る。

 アルムは壁際まで再び後退。

 エルミラとベネッタは再び腕を引く作業に戻っていった。

 アルムが故郷に住んでいる間、そのような知識を仕入れる機会は皆無だった。

 田舎から出てきた純朴少年が他人の性癖を受け入れる器を作るには少し時間がかかるのだった。


「申し訳ありません。後で私達が言って聞かせますので、説明だけでもしてあげてくださいな」

「りょ、了解」


 とりあえずはこの距離でとミスティがお願いすると、霊脈を知らないアルムの為にシラツユによる簡単な説明が始まった。


「霊脈とは、簡単に言えば自然の魔力が濃い場所を指します。当然ご存知だとは思いますが、魔力を持つ生き物は例外なく自然の魔力を無意識に取り込んでいます。人間もそうですね。

魔力を取り込みすぎて起きる一番身近な現象といえば過剰魔力による暴走です。生徒の皆さんもこれからそうなった魔獣と戦う事があるでしょう。

何を隠そう魔獣が過剰魔力を暴走させるのは霊脈近くを住処とする魔獣の場合が多いです」


 四人はちらっとアルムを見る。

 アルムの故郷では暴走した魔獣と戦うのはそこまで珍しいことではない、と聞いたことがあったからだ。

 しかしアルムはそんな視線に気付くことなく、壁際でシラツユの説明に耳を傾けている。

 相手が苦手であってもその口から語られる知識には興味があるようだ。


「自然の魔力を無意識に取り込めば取り込んだ生き物の魔力は当然強くなります。過剰に取り込みさえしなければ私達のように魔力を持つ存在にはメリットばっかりなんですね。

何の訓練をしなくても私達の魔力は少しずつ、少しずつ増えていくんです。霊脈はその魔力が濃いので他の場所よりも効率がいいんです。

ですから強い魔法使いを生むために霊脈の上に魔法使いを育成する施設を建てるのが今や常識となっているんですが……」


「最近、霊脈の魔力が減ったり増えたりしているのが確認されたんです。

法則はわかりませんが、同じ場所でも魔力が濃い時があったり薄かったりしているんです。

そこで……あー、ここから先は研究内容になってしまうので詳しくは無しになっちゃうんですけど……。

とにかく霊脈というのは私達魔法使いや魔獣のパワースポットみたいな感じに思って頂ければ間違いないかと」

「なるほど……」


 詳しい事を濁しながらも簡単に霊脈とは何たるかを説明し終わるシラツユ。

 納得の声を一番に上げたのはアルムだった。

 声のほうをミスティとルクスが見れば、説明する前よりもアルムは少しだけこちらに近づいてきていた。

 いつの間にか、アルムの腕を引っ張っていた二人もアルムの隣で普通に話を聞いている。


「あ、ちょっと近付いたね……」

「あと二押しといったところでしょうか」

「じゃあここに来た目的はマナリルの霊脈の魔力を観測する為って事ね?」


 シラツユが頷くと、ミスティは先程シラツユが実技棟でヴァンと話していた会話を思い出す。


「ですから先程ヴァン先生とお話されていたんですね」

「はい、霊脈調査の基本はフィールドワークなので!」

「私達はその間の護衛かー……はへー……」


 何故かベネッタは少し顔を曇らせながら体を揺らす。


「何か不安なのか?」

「えー、だって護衛となるとボク役立たずですだよー?」


 ベネッタは自信の無い笑いを浮かべながら自分を卑下すると、アルムは何を言ってるんだと言いたげな表情を浮かべる。


「その語尾はよくわからんが……誰が治癒を使えるベネッタを役立たずだと思うんだ?」


 その言葉に世辞は含まれていない。

 当然その表情には嘘も世辞もない。あるとすればベネッタの自己評価に対する困惑だけだ。

 そんなアルムにエルミラも続く。


「むしろ一番替えがきかないポジションじゃない。何言ってるのよ?」

「そ、そうかなあ……」

「私もベネッタさんが役立たずになるとは思えませんが……どちらにせよ護衛対象の方がいらっしゃる前で自信無さそうにするのはやめたほうがいいですわ」


 フォローしながらも注意を忘れないミスティ。

 自分の能力に疑問を抱くのは悪い事では無いが、それで護衛対象に不安を覚えさせるのは護衛として失格だ。

 ここにいる五人はこれからをシラツユを守るのだからシラツユの前でだけは安心してくれと言える存在でなければいけない。


「あ、そっか……ごめんなさい……」

「いえいえ、お気になさらず。まだ一年ですから不安なのは仕方ありませんよ」


 謝るベネッタに気にしないようにと手を振るシラツユ。

 空気を変えるようにエルミラはアルムに矛先を定めてからかうような笑みを浮かべる。


「むしろ平民のアルムが護衛にいるほうが不安なんじゃない?」

「ああ、それは確かに」

「いや、自分で納得しないでくれよ……」


 冗談に同調しているようで本気でそう思っている節があるアルムにルクスは苦笑いを浮かべる。

 その時、


「え――?」

「……シラツユさん?」


 驚愕を含んだ一声がシラツユから漏れた事にミスティが気付いた。

 今まで見せていた優し気な雰囲気は突如切迫したものへと変わる。


「平……民……?」


 まるで体中から熱を奪われたかのように青白く、過呼吸でも起こしたかのようにシラツユの呼吸の間隔は短くなっていく。

 本人の意志か、それとも無意識か、アルムから離れるようにシラツユは一歩後ろに下がった。


「はっ……はっ……そんな……馬鹿な事って……」

「だ、大丈夫かい?」


 心配そうに駆け寄るルクスなど目に入ってないかのように、シラツユの怯えた瞳はアルムをじっと見つめている。

 見つめられているアルムは何が何だかわからないようで、ただその視線を受け入れる事しかできなかった。


「出身は……出身はどこですか……?」


 ほんの少し呼吸を整え、シラツユはアルムに尋ねる。

 額には冷や汗が浮かび、その瞳には未だに怯えがあるようだった。


「孤児だったから正確な出身はわからないが、ずっと住んでたのはカレッラという村だ。赤ん坊の頃からそこでシスターに育ててもらった」

「いつから、いつから魔法を……?」

「えっと、使えただけなら師匠が来てから一年経った頃だから……九年前かな。使いこなすのにそっから大分長かったが……」

「ずっと、その村に……?」

「恥ずかしながらベラルタに来るまで他の村にも行ったことない、ずっと村と森を往復する生活だったよ」

「そう、ですか……」


 シラツユはアルムの答えを聞くと安堵するように胸を撫で下ろした。

 呼吸も徐々に落ち着き、額の冷や汗を拭っている。


「随分気分が悪そうでしたが……大丈夫ですの?」

「い、いえ、ごめんなさい。まさか魔法学院に平民の方がいるなんて……平民で魔法を使える方に初めて会ったので……その、取り乱してしまいました。」

「魔法を使えるって言っても無属性魔法しか使えないんだ。護衛される身としては不安を覚えるだろうが、勘弁してほしい」

「無属性だけ……そうですか、そうですか……」


 自分を安心させるように言葉を繰り返すシラツユ。

 少しすると、視線が集まっているのに気付いたのか取り繕うように口を開く。


「い、いえ、その……マナリルが選んだ護衛ですし、ベラルタ魔法学院の生徒さんですからちゃんと信用しますよ? ええ、大丈夫です。気を遣わせてごめんなさい」

「いや、こちらこそ先に言うべきだった」


 シラツユは元の雰囲気に戻りつつあるも、いまだ口調がたどたどしい。

 幸か不幸か今のやり取りでアルムはいつの間にかシラツユと普通に話せるようになっていた。

 しかし、他の数人はさっきまでの通りとはいかない。

 シラツユから感じたのは何らかの存在に対する怯え。

 それが何に対してかはわからない。

 だが、この場の者に何か引っ掛かりを残すには充分な一幕だった。

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