プロローグ ‐大通りにて‐
アルムの足に柔らかい感触が伝わる。
その柔らかい感触の正体は人の背中。
アルムは一人の女性を踏んでいた。
「あの……ごめんなさい」
良く晴れた朝の事。
過ごしやすい外気温に、見上げれば気持ちの良い青空が広がっている。
【
元々ここに住む人々はベラルタ魔法学院の生徒達に不自由なく魔法を研鑽させるべく選ばれた精鋭がほとんどだ。
魔法使いの補助が無くとも復興は迅速に進んでおり、外観だけならばとっくに修復を終えている。
休暇中だった魔法学院も再開し、この街にも日常が戻りつつある……はずだった。
「……あの、大丈夫ですか? 踏んでしまって申し訳ない」
今この状態が日常であるというのなら、この男でなくてもノーと言うだろう。
その男は一月前に起きた【
魔法使いが貴族にしかいないこの世界において、平民でありながら魔法学院に入学し、良くも悪くも注目を浴び続けている新入生。
生まれはこの国マナリルのド田舎カレッラ。名をアルムという。
魔法学院が再開したとはいえ、登校の時間には少し早い。
彼は普段より早い時間に魔法学院の図書館に行こうと大通りを歩いていたところだった。
休暇中に王都の古書店で手に入れたマイナー魔法集二巻を読み終わり、学院の図書館に一巻があるという情報を昨日入手した為である。
だが、そんな彼は予期せぬトラブルに出くわした。
突如路地から自分の足下に滑り込んできた女性を踏んでしまったのである。
正確に言うならば、
「お構いなく」
「いや、この状況は嫌でも構わないといけないと思います……」
女性はアルムが足をどけたにも関わらず立ち上がろうとしない。
アルムの制服と似た白い上着には足跡がくっきりと付いていてアルムの罪悪感を加速させる。
平和な大通りで起きた出来事にアルムは内心動揺を隠せない。
意図せず加害者にもなったに関わらず、アルムは女性の顔すら見えていない。わかるのは自分が着ている制服によく似た服を着ているのと、美しい白い髪を持っているという事だけ。
動揺はしていたものの、このままにしてはいけないとはわかっていたようで、アルムは恐る恐る女性を起き上がらせようと手を伸ばす。
「むしろ」
「はい?」
手を伸ばそうとしたその時、再び女性が口を開く。
「ありがとうございます」
「………」
あまりに予想外の出来事にアルムの動きは硬直した。
差し出そうとしていた手は中途半端な位置で止まり、アルムの頭の中ではぐるぐると言葉の意味を確認しているところだ。
この少しの間に訪れた静寂は間違いなく、朝のせいなどではない。
「……は?」
しばしの硬直はアルムの疑問を晴らすことはなく、疑問として声になる。
「おっと、いが足りてませんよ?」
「あ、すいません、その、足す気が無かったです」
当然のように訂正しようとしてくる事に改めて困惑するアルム。
しかし何故だろうか。
困惑とともに、アルムは自身の中にあった罪悪感がすっと消えていくのを感じた。
「その、聞き間違いだったら申し訳ないんですけど……何て言いました?」
念の為とアルムは改めてさっき何を言ったのかを彼女に問う。
きっと、自分の聞き間違いだったのだと信じて。
「ですから……ありがとうございます、とお礼を言いました」
間違いなく、聞いてしまった。
さっきのは聞き間違いでは無いのだとわかり、アルムはわなわなと震えて後ずさる。
女性の返答でアルムはようやく倒れる女性の正体を確信したのだ。
「……だ……!」
「え?」
「変態だ……! 変態だ!」
「え? ちょ……」
アルムは自分の苦手とする学院長オウグスと同じ人種だと断定した。
アルムから下された自分への評価に流石に聞き捨てならなかったのか、女性はようやく起き上がる。
だが、時すでに遅し。
女性が起き上がった時にはすでに、アルムは一目散に走りだした後だった。
「ま、待ってください! 話を――」
「
制止の声を振り切るようにアルムは自分の足に補助魔法をかける。
後ろを振り返ることもせず、アルムは全速力でその場から離脱した。
すでに遠くなりつつあるアルムの背中に女性は届かぬ手を伸ばす。
「違います! 確かに少しその気はあるけどこれは違うんですうううううう!」
弁明になっているかどうかもわからない女性の声が早朝のベラルタに響き渡る。
しかし、例えその声が届いたとしてもアルムが止まることはないだろう。
なんだなんだと騒ぎを聞きつけた周囲の人々が注目する頃にはアルムの姿はもう見えない。
一体今のは何だったのかなど、アルムにわかるはずもない。
それがわかるのは少し先の事である。
ここから第二部となります。
白の平民魔法使いを改めてよろしくお願いします。