60.侵攻二日目9
十五分前――。
ベネッタが見つけた東の区画にある妙な行き止まり。
そこでエルミラが気付いたことをベネッタに説明しようとしていた。
「『シャーフの怪奇通路』?」
「ええ、そうよ。あの巨人が躊躇なく街を攻撃したのを見て思い出したの」
聞いたことの無いベネッタは首を傾げる。
そして立ち入り禁止と書かれている立て札がかかっていた路地の行き止まりを指差した。
「何それ?」
「ベラルタの地下の事をそういうのよ。私も詳しくは知らないけど、シャーフっていう魔法使いが死ぬ時に血統魔法を地下に遺したんだって……結果、地下はその血統魔法が自立しちゃって入ったら出てこれない魔法の迷宮に変わったらしいわ」
「え、こわ……ベラルタの地下にそんな魔法あったんだ……」
「私も入り口がこんな事になってるって初めて知ったけどね。
でも間違いないと思うわ。上から見たけど、あんな小さなスペースが壁に囲まれてるなんて変でしょ? 扉があるわけでもなかったし」
【
それが以前学院長に話してもらった、『シャーフの怪奇通路』の入り口の一つだとエルミラは確信した。
それ以外にこの妙なスペースが何なのかという説明がつかない。
入り口と家を遮断するように作られた周囲の壁。
入る場所すら見当たらない異様な作り。
そして、入る場所が無いにもかかわらず置いてある立ち入り禁止の立て札。
これがどういう意味を持つのかを考えればすぐに答えが出る。
「この立ち入り禁止の立て札は魔法使いへの警告よ。壁を容易く壊せるような魔法使いに対してのもの。
こうやって入れないようにしてもシャーフの怪奇通路に挑もうとする人がいるんでしょうね……だからそういう魔法使いに向けて置かれてるんだわ」
「まぁ、平民の人達がわざわざこの壁壊そうとする必要ないもんねー」
「ええ、魔法使いの中には魔法の探究には手段を選ばない人間もいる……そういう人達へのせめてもの慈悲なんでしょう」
エルミラはそう言いながら手を壁に当てる。
「『
エルミラが魔法を唱えると壁はエルミラが手を当てたところが爆発し、その周囲が砕けていった。
壁は思ったより厚くはない。
壊れた壁の部分からエルミラは中を覗く。
「見て」
「扉……?」
ベネッタも同じように中を覗くと、壁に囲まれたそのスペースには扉だけがあった。
床に作られた木製の扉で、地下への道を示している。
扉には鍵がついているようだが、エルミラが今壁を壊したのと同じようにすぐに壊せそうな状態だ。
「やっぱり……ここは入り口よ。入り口は複数あるって言ってたからその一つでしょうね」
「へー……怖いねぇ……」
「……」
「ん? な、なに? その呆れた目は……」
他人事のような感想を口にするベネッタ。
そんな察しの悪いベネッタをエルミラは半目でじっと見る。
「……あ、そういうこと?」
少し間を置いてベネッタも気付く。
エルミラは魔法の核は地上ではなく、そのシャーフの怪奇通路にあるのだと。
「えぇ!? じゃあそのシャーフさんの地下に魔法の核があるってこと!?」
「そう」
ベネッタの驚きにエルミラはそっけない返事を返す。
驚きからか、ベネッタはジェスチャーのように手をわたわたと忙しなく動かしている。
「え、だって、魔法の核が勝手に入ってくなんてありえないよね?」
「当然でしょ」
「じゃあ中に魔法の核を運んだ人は? 出られないんでしょ?」
「そういう魔法が無ければ出られないでしょうね」
「そんなの運んだ人死んじゃうじゃない!」
「そうね」
エルミラのそっけなさは変わらず。
そこでようやく、ベネッタの忙しなく動いた手は止まり、わかりやすく肩を落とした。
「じゃあ……そういう……そういう事なの?」
「そうよ」
「運んだ人は……捨て石にされたって事……?」
「まぁ、迷宮から出る魔法を持ってた可能性も無くはないけど……万が一に備えて魔法の核を守るためにずっと近くにいさせるでしょうし、ほぼ間違いなく捨て石でしょうね」
「そっか……」
ベネッタは床に取り付けられた扉をじっと見る。
いくら察しが悪くても自分がどういう意味で死んでくれるかとエルミラに言われたのか、ベネッタは理解できた。
そんなベネッタの背中にエルミラは声をかける。
躊躇っている時間はない。
「ひどいでしょ? 私も今そこにあなたが行くようにお願いするんだもの」
エルミラがそう言うとベネッタは振り返る。
その表情はエルミラの予想に反して悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「うん、エルミラはひどいやつだ」
「ごめんなさい。本当は私が行ければいいんだけど……多分、私じゃ魔法の核を見つけられない」
エルミラはシャーフの怪奇通路は迷宮になっているという話を学院長から聞いている。
ならば闇雲に探して見つけられるはずがない。
だが、ベネッタなら確実に見つけられる。
それはベネッタ自身にもわかっていた。
「だからボク、だね」
「ええ、ベラルタに入ってきたダブラマの刺客は四人。その内、アルムを襲った三人は全員魔法使いだったそうよ。それなら、間違いなく最後の一人も魔法使いに違いないわ。
ベネッタなら……魔法の核の近くにいるはずの最後の一人を見つけられるかもしれない。魔法の核をシャーフの怪奇通路に運んだやつの所まで迷わず行ける可能性がある」
ニードロス家の血統魔法【
その瞳は魔力ある生物を捉える。
アルムとミスティと一緒に山に登った際に魔獣がいない事を断言し、ミスティとルクスと一緒に山に登ったルホルの使用人を魔法使いを見抜いてみせた魔の瞳。
ならば、自立した魔法の中であろうとその瞳が魔力ある者を取りこぼすはずがない。
この血統魔法があるからこそ、話に聞いた魔法の迷宮を自由に動けるのは今ベラルタにいる中ではベネッタだけだとエルミラは考ていた。
「でも、でもね……かもしれないなのよ」
だが、それはあくまで可能性。
シャーフの怪奇通路という魔法についてエルミラには情報が全くないのだ。
歩いていた道を右に曲がると左に着くような方向があべこべな場所かもしれない。
魔力に近づこうと走ったら逆に遠ざかる道を走らされるような場所かもしれない。
入れば実際の大きさを無視するような街よりも巨大な迷宮かもしれない。
いくら明かりを灯しても光が届かない場所かもしれない。
不安を可能性として挙げればきりがない。
地下で魔法の核とともに潜む魔法使いの魔力を捉えても、無事にそこまで行けるかがエルミラにはわからない。
「ベネッタの魔法なら魔法の核まで行ける、かもしれないってだけなの……だから、そのまま……迷っちゃうかもしれないの」
「そうだねー」
「でも、もしベネッタの魔法でその魔法使いのとこまでいけるなら……いけるなら、地上にいる私のとこまで来れるって事だと思うの。だから、私が出口の目印になれば迷わずに出られるんじゃないかって!」
もし、迷宮の中で魔法の核を運んだ魔法使いの場所を捉えられるならば当然、地上の魔法使いの場所も捉えられる。
魔力のあるエルミラ自身が出口の目印となれば、入ったら出られないとされる迷宮も攻略できるのではないか。
だが、それもあくまで可能性に過ぎない。
今エルミラに断言できる事は何も無かった。
「賭けだねー」
「そう、そうなのよ……」
エルミラは俯く。
今回ばかりはいつものようにとはいかない。
何せ目の前の友人に死んでほしいと言ったのは冗談でもなんでもなく、本当にそうさせてしまうかもしれないのだから。
「ま、でもそれしか手はないもんねー。行くよ」
「迷う気持ちはわかるわ……さっき死んでほしいって言ったのもそうだけど、私ひどい事言ってる」
「エルミラ、早く鍵壊してー」
「だからぎりぎりまで他の手を……え?」
そんなエルミラを他所にベネッタは扉の上から瓦礫をどかし始める。
エルミラは少しの間、呆けて見てしまっていた。
「ベネッタ……?」
「どうしたのー?」
「行くの……? ベネッタ……?」
「うん、だってそれしか手ないでしょー?」
「そ、そうだけどさ……あ、あれ?」
ベネッタのあまりにあっさりとした反応に危険が伝わっていないのかとエルミラは不安になる。
しかしベネッタはしっかりと理解しているようで深呼吸をして、
「うーん、死ぬかもって思うとちょっと怖いね」
他人事のようにそう言った。
「何で、そんなあっさり……」
「だって、エルミラの頼みだもん。ベラルタが無くなるの嫌なんでしょー?」
「そう、だけど……」
あんたが死ぬのも嫌よ。
そう言いたいがエルミラの口は動いてくれなかった。
エルミラは唇を噛むようにその口を閉ざす。
そんな様子を見てベネッタが口を開いた。
「エルミラ、友達がいないって話してくれたでしょー?」
「う、うん……」
仮眠をとる前に零してしまった自分の弱音。
ベネッタがその話を持ち出すとエルミラは少し恥ずかしそうに目をそらす。
出来れば蒸し返したくない話らしい。
「私は貴族の責務とかピンとこないしー、出来れば今でも逃げ出したいって思ってる。
だってあんなの来たら普通死んじゃうもん。責務だからって死ぬのは嫌だしー……一人ならとっくに逃げちゃってる」
ベネッタは西のほうを見る。
山の巨人がこちらに近付く地響きの音が徐々に大きくなっていた。
「だけど、だけどね……エルミラはここが無くなるのが嫌って言ったでしょ?
皆と会った場所が無くなるのが嫌って言ったでしょ?」
医務室でぽろっとこぼしたエルミラの本音。
それを今、ベネッタは拾い上げようとしている。
「だからボクはまだここにいるの。友達がベラルタが無くなるのが嫌だって言うから戦おうって思えるの。
ボクはアルムくんもルクスくんも、ミスティもエルミラも……ボクと仲良くしてくれる人に感謝してる。
だからその人たちの力になれるならなりたいの。今エルミラの力になれるなら、力になりたい」
「ベネッタ……」
「エルミラ、私自分の為に戦うけど……貴族失格かな?」
エルミラは医務室で自分が言った言葉を思い出す。
自分の為に戦うなんて貴族失格だと。
少し困ったような顔をして問いかけるベネッタにエルミラはゆっくりと首を振る。
「そんなことない……そんなことないわ!」
「へへ、よかったー」
今にも泣きそうに瞳を濡らすエルミラにベネッタが抱き着く。
エルミラも抱き着いてきたベネッタを強く抱きしめた。
「ふふ、痛いよエルミラー」
「ごめんなさい、慣れてないのよ」
「でも、エルミラからハグされたの初めてだー」
「帰ってきたらいくらでも付き合うわ」
「ほんと?」
「本当よ」
「よしよし……思わぬご褒美ゲット」
エルミラからの予期せぬご褒美にベネッタは顔を綻ばせた。
そして抱き合っていたのをベネッタのほうから体を離す。
たっぷりと別れを惜しむ時間はない。
今も山の巨人がこちらに向かう地響きがベラルタに届いている。
「……じゃ、時間も無いし、いってくるね」
「うん……お願いベネッタ……!」
床の扉に取り付けられた鍵は魔法一つですぐに壊れる。
扉は重いわけでもなく、ベネッタが両手で持ち上げるとすぐに開いた。
開けるとそこには下に続く階段。
だが、下がどうなってるのか全くわからない。
それは暗闇のせいではない。
地上と魔法の境界線が下の光景を遮っているのだ。
そんな得体のしれない空間にベネッタはその足を踏み入れた。
一歩。また一歩階段を下っていく。
「ベネッタ!」
痛みに耐えるような表情でエルミラはベネッタの名前を叫ぶ。
まだ魔法に入り切っていないベネッタはその声で上を見上げた。
「ベネッタ! 私、あんたが帰ってくるまでここにいるわ! あんたが私の魔力を見つけられるように! あの巨人がベラルタに来てもずっといる!
だから絶対帰ってきて! あの巨人に潰されるなんて私もごめんなんだから!」
「ふふ、すぐ帰ってくるからまっかせてー」
「約束よ!」
「うん、約束」
それはまるで近場の店に寄るかのように。
ベネッタはにへらと変わらない笑顔を浮かべ、エルミラに手を振りながら階段の下へと消えていった。