52.侵攻二日目
「なんだってこんな時間に……?」
ベラルタ魔法学院の教師であるヴァン・アルベールは夜明けとともに目を覚ました。
普段は気怠そうに時間いっぱいまで惰眠を貪るのが常なのだが、今日はしっかりと目を覚ました。
外を見れば空が白み始めたばかりであり、生徒がいない為普段は慌ただしい職人の動きも緩やかだ。
まだ二度寝してもいい時間だが、目が冴えてしまってそんな気にもならなかった。
何を思ったか、彼はいつもより早く起きた後、学院に出向いていた。
職員棟には当然のように誰もいない。五つの部屋は空のままだ。
その一つを埋めるわけでもなく、ヴァンは静かな学院内を歩き始めた。
普段より何時間も早い見回りだ。
今ベラルタ魔法学院は全ての学年が実技を多くこなす時期である。
少数となった三年はすでに戦力として数えられて卒業までの時間の半分は依頼をこなす。
そして大変なのは二年で、生徒達が振るい落とされる時期だ。一年での体験を実力に出来ていないものが脱落していく。
三年ほどではないが、実技の評価も多く、定期的に依頼に向かうことでその実力を少しずつ上げていく。
自分に実力があると油断し始める時期でもあるので、依頼の難易度を上げてそういった甘い人間は鼻を折るタイミングだ。
一年は軽い依頼を選んで実技に向かわせるので、早いものならすでに馬車の中だろう。
「おちつかねぇ……」
早く起きたにも関わらず、整えていない髪の毛をぼりぼりとかく。
自分でもわからないが、妙にそわそわしている事がわかる。
本来ならこんな時間に学院に来る必要はない。学院とヴァンの家は徒歩十分といった所か。
あのまま二度寝しても三時間は眠っていられる。生徒がいない今日ならば普段通りの時間に学院にいなくてもいいくらいだ。
それでもヴァンの足は学院へと向いた。
しかも自分が今から行こうとしている所がわかってるから尚更自分がよくわからなかった。
「こんな朝にいねえだろうに」
そう言いつつもヴァンは階段を上る。
ヴァンが向かってるのは学院長の部屋だ。
いないと思いつつもやや早足で学院長の部屋までの廊下を歩き、扉の前に立つ。
相変わらず廊下に並べられた美術品とは似合わない扉だ。
ヴァンはいつものようにその扉をノックする。
「どうぞ」
中からは普通に声が返ってくる。
まさかの不意打ちにノックしたヴァンは少し止まっていた。
「どうぞ?」
中から促され、ヴァンはドアノブを掴む。
扉を開くと、ベラルタ魔法学院の院長であるオウグス・ラヴァーギュが当たり前のように正面に位置する机に座っていた。
「ヴァン……?」
「学院長、こんな朝早くどうしたんです?」
自分の事を棚に上げてヴァンは学院長に問いかける。
「昨日の報告のせいかな……妙に落ち着かなくてね」
落ち着かない。
ヴァンが朝から学院に出向いたのと同じ理由だ。
「俺もです」
「ヴァンもか……ダブラマが動いたのかな?」
「いえ、そういった報告はまだ……昨日の今日ですから」
「そりゃそうか……」
学院の生徒が実技の為にベラルタから出た後、学院に一つの簡潔な報告があった。
"パルセトマから王都へ。ダブラマに動きあり"
短いが、それはマナリルの貴族を緊張させるには十分な内容だ。
互いに刺客を送り合って牽制しているはずの隣国が急に目立った動きを見せたのだ。
パルセトマはダブラマと領地が隣接している貴族だ。
隣国に真っ先に侵攻される可能性の高い地域なので、通信用の魔石が用意されている。
しかし、ベラルタには通信用の魔石は無い。
ベラルタは重要な場所ではあるが、その重要性は魔法使いの卵が集まるがゆえのものなので国の機密などはここにはほとんどない。
加えて、マナリルのほぼ中心に位置するこの場所が大規模な攻撃を受けるのは他の地域が侵攻されてからだ。ダブラマが侵攻する場合ならむしろ王都のほうが近いくらいである。
通信用の魔石は緊急性の高い危険が起こりうる場所に優先的に置かれる。普段はある意味王都より安全な場所であるベラルタには配置されないのだ。
「こういう時は通信用の魔石が欲しいねぇ……」
そして王都からベラルタまでは急いでも二日はかかる。
つまり、この報告は少なくとも三日前には起きた出来事だ。
早ければすでにダブラマの侵攻が始まっていてもおかしくはない。
「普段、朝の弱い僕達が一緒になって起きてるのは気味が悪いねぇ……何かを無意識に感じ取ってるんだろう」
「ただ気を張っていたから、とかだといいんですがね」
「ダブラマが動くタイミングがよくわからないもんねぇ」
何かマナリル内部でトラブルが起きたという話は聞かない。
そして単純な戦力はマナリルのほうが上だ。
一体ダブラマが何を思ってマナリルに攻め込むのかが二人にはわからなかった。
しかも隣接する土地の貴族であるパルセトマが動きを察知した為、マナリルの重要とされる場所は全て警戒態勢に入るだろう。
これでは迎撃してくれと言っているようなものだ。悪戯に戦力を失いたいだけとしか思えない。
「ガザスとか"カンパトーレ"は?」
「そちらからの報告もないです。動けばカエシウスやオルリックが気付くはず。特にオルリックは今領主が戻ってますからね」
「ああ……じゃあ無いか……」
裏で結託して他の国と動きを合わせたわけでもない。
オウグスが考えている所を見るヴァンの頭に浮かぶのはベラルタでの出来事だった。
「やはりこの前のダブラマの刺客が関わってるのかもしれないですね。運んできた縦長の荷物はまだ何なのかわかってないときた」
「そうだねぇ……憲兵の話によると結構大きかったんだろう?」
「ええ、人くらいの大きさだったと。ですが、中身もそうとは限りませんから……」
「ヴァンが探して見つけられないんだもんなぁ」
「……あんた、遠回しに責めてるな?」
「んふふふ! そんなことないよ!」
ヴァンからの抗議の視線をオウグスは軽く流した。
ヴァンは聞こえるように舌打ちするが、オウグスが気にする様子も無い。
「最後の一人も見つかっていないしねぇ……街にしれっと潜り込んだ可能性は無いよねぇ?」
「ええ、憲兵と協力して最近入ってきた平民や頻繁に出入りする商人は調べあげました。すり替わった可能性を考えましたが、不自然な遺体も出てきていません」
「二週間潜んでいて何も動きが無い……か……」
捜索の進展も無く、不自然な遺体も出てもいない。
三人はアルムを襲い、一人は完全に姿を隠した。
一体何が狙いなのか。
オウグスは引き出しを開けて今年入ってきた一年のリストを出した。
「結局スパイが誰かもわからなかったしねぇ」
「一度、教師陣が学院内をうろうろして警戒していることはアピールしましたからね。動きにくいのもあるかと」
「適度に無防備にしたつもりなんだけどなぁ」
「……それか、もう役目を終えているかですかね」
「恐い事言うね、ヴァンは」
オウグスの手に持つリストの名前はほとんどが消されていた。
名前を消されずに残っているのはたったの四人。
残っている四人は全て西に領地を持つ貴族であり、ダブラマと繋がる可能性のある四人だ。
スパイを疑ったのはダブラマの刺客がアルムを襲ったからである。
アルムが襲われたのはベラルタに新入生が入ってから二週間ほどの出来事。
貴族と違って情報が無い平民を襲うにはあまりにも短すぎる。
何か情報源となる者がこのベラルタにいるというのが妥当だ。
アルムが何かを見つけたせいで襲われたというのなら、とっくにその何かも見つかっているはず。
だが、実際は何も見つかっていない。
ならば……見つけたのは人ではないか?
それがオウグスとヴァンがアルム達を呼び出した際に出した結論だった。
アルムは本人の知らないうちにスパイの何かを見てるか知っているかではないかと考え、ここ二週間の間、生徒をチェックし続けていた。
「とはいえ、ダブラマが動き出したんなら本当にそうかもねぇ」
しかしダブラマが動き出したという事は恐らくこのスパイの役目はもう終わっている。
もうこのリストにはほとんど意味が無かった。
確信が無いまま貴族に疑いをかけるわけにもいかない。
ダブラマが動いたきっかけがこのスパイにあるのなら、是非ともスパイを突き止めておきたかったが、それも叶わなかったのだ。
「ただ、ここの情報を得たところでダブラマが動き出す理由になるかと言われると……」
「そこだよね」
少しおかしい話だとオウグスは考え込む。
ここには生徒の情報はあれど、国の機密や新しい魔法や兵器の情報などは一切ない。
攻め込むきっかけを作るような情報は置いていないのだ。
各地から貴族が集まる為、次世代の交渉を有利にするような材料は個人個人持っているかもしれないが、即座に攻め込むような重要な情報をまだ魔法使いになっていない生徒が持っているとは思えない。
「駄目だ、やはり僕には考え事は向いてないね」
「まぁ、あなたは色々考えるより自由に動くほうが楽でしょうから」
「ほんとだよー……誰かこれだっていう情報持ってきてくれよー」
そんなオウグスの願いを叶えるかのように。
「急げ!」
「相変わらず趣味悪いわここ!」
「お尻いたいー」
木製の扉の先から騒がしい声と走る音が近づいてくる。
「この声は……」
「帰ってくるのが早すぎる気がするねぇ?」
オウグスとヴァンが顔を見合わせ、扉のほうに目をやると、ノックも無しに扉は開く。
ばたん、と大きな音を立てて。
「学院長! お話が!」
扉を勢いよく開けたのは息を切らした平民の魔法使いアルム。
山の巨人よりも早く、アルム達は無事にベラルタへと到着した。