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50.侵攻6

「『流動の水面(レスティブサーファス)』」


 自身にかけていた強化をミスティは切り替える。

 防御を重視したものから別の強化へ。

 シンシアが回し蹴りで攻撃した際、ミスティの腕の鎧は砕ける直前にその効果を持ってシンシアの足を凍らせた。

 だが、その効果が出ているとは思えない。

 見ると、シンシアの足は凍っているがそれをシンシアが気にしている様子は無い。

 生き物なら足が凍れば痛みや痺れを感じるものだが、その表情には一切の変わりが無かった。

 普段なら生き物に対して絶大な効果を発揮する鎧なのだが、痛覚の無い人造人形(ゴーレム)には通じないようだ。


『今度は水の鎧ですか』


 ミスティが唱えると同時に纏っていた水晶の鎧は溶け落ち、今度は水が纏わりつくようにミスティを包む。


『魔法というのは相変わらず不思議なものです』


 あなたが言うのか、とミスティは口に出したくなった。

 ミスティ以外がこの場にいたとしてもツッコミを入れたくなる衝動に駆られるだろう。

 今最も不思議な魔法は紛れも無くこのシンシアという人造人形(ゴーレム)である。


「『泥の腕(クレイハンド)』」


 今度は茶の輝き。

 地属性の強化が唱えたルホルではなくシンシアのほうに魔力の光が灯った。

 魔力の光が示した部位は腕だ。


「また……!」


 ミスティが驚いたのは決してシンシアが今以上に強化された事に対してのものではない。

 ルホルが唱えたはずの強化魔法がシンシアという別の……しかも人造人形(ゴーレム)にかかっていることだ。

 地属性の補助魔法は他者にかけることはできない、地属性に限らず多くの属性の魔法もそうだ。

 魔法使いは一人一人その属性を習得した際に自身の属性に魔力が染まる。

 そこに他の属性の魔力を受け入れさせるのが難しいのだ。

 加えて、古来より魔法使いは個人での戦いが常であり、一人で戦いの場を切り抜けられるような発展を遂げてきた。

 この二つの理由から他者に補助魔法をかけられる属性は非常に稀だ。

 これが他者に治癒を施せる信仰属性が重宝される理由でもある。 


 そのはずが――再びルホルの強化はシンシアへとかかった。

 先程は無属性の強化。

 無属性の魔法は不安定であり、何よりアルムと出会ってからまだ知らない特性があるかもしれないと考えるようになったミスティだが、地属性は違う。

 少なくとも現在、他者への強化が出来ないとされている魔法だ。


「……間違いないようですね」


 プラホン家の血統魔法。

 その効果は使い手の補助魔法をその身に受けられる人造人形(ゴーレム)の召喚といった所か。

 補助魔法の効果を吸収する、とも考えたが、今唱えた水属性の強化はシンシアに吸収されてはいない。

 もしかすれば誰でも使用できる無属性、そして使い手の属性である地属性の補助魔法を吸収する効果かもしれないが、この場では関係ないので除外する。

 血統魔法として見れば慎ましい効果だが、現実への影響力の高い人造人形(ゴーレム)が強化を纏って襲い掛かってくると考えればその対人性能は悪くないものになる。

 あれだけ人間に近い姿で顕現しているなら不意打ちや暗殺にも使えるだろう。


「やれシンシア!」

『かしこまりました』


 ルホルの命令でシンシアはその腕を振るう。

 右手を掲げた瞬間、その手には周囲から土が集まり、巨大な鎧の籠手のようにシンシアの腕を包んだ。

 シンシアがミスティに向かってその手を勢いよく向けると、その土は伸縮自在のゴムのようにミスティへと伸びていった。


『む』


 強化によって身体能力の上がったミスティは横にかわす。

 しかし、シンシアから伸びた土もそれを追うようにミスティの背中を追いかけた。

 肩越しにその鞭のような土を確認してもミスティは対処しようとしない。

 何故なら狙いは別にある。


『プラホン様!』


 ミスティの狙いは使い手そのもの。

 一直線にルホルへとその足を走らせる。

 狙いに気付き、追い付く様子も無い土の腕を戻してシンシアも動く。


「『氷溶(メルト)』!」


 動いたシンシアにすかさずミスティは魔法を唱える。

 それはシンシアを攻撃するものでもない。

 水属性の魔法使いが手違いで凍らせたものを溶かす際に使う、いわば対処用の魔法。


『なっ――』


 ずるっ、と勢いよく踏み出したシンシアの足が地面にとられる。

 滑ったのは先程回し蹴りをした右足だ。

 痛みも痺れも、ついでに言えば冷たさも人造人形(ゴーレム)にはない。

 だからこそ、その右足が凍ったことはシンシアにとっては大したことのないことだった。

 凍ったこと、そのものは。

 だが、右足に付いていた氷はミスティの声とともに水へ変わり、それだけでシンシアの一歩を妨げた。

 この場は傾斜であることに加えて土だ。

 どれだけ膂力があっても、その姿は人型。

 急に足場の状況が変われば人間と同じように体勢を保つのは難しい。


『っ……!』


 だが、そこは人造人形(ゴーレム)

 転ぶまではいかず、すぐに体勢を整える。

 しかしその隙にミスティはルホルの目前まで迫っていた。


「ええい!」

「ぶっ……!」


 ミスティの纏った水はミスティの動きに応じてその長さを変えた。

 まだ距離があると油断したルホルの顔面に少女のものとは思えないビンタが炸裂する。

 実際に顔を殴ったのはミスティの纏う水だ。

 ビンタのモーションに合わせてミスティの纏う水がルホルの顔に届く長さまで伸びていた。


「はあっ!」

「ごふっ!」


 次に水を纏った右の拳がルホルの腹へ。

 ルホルは強化魔法を二つ唱えてはいるが、その全てはシンシアに注がれている。

 つまり今、ルホルは生身のまま。

 相手が小柄な少女とはいえ、魔法によって強化された身体能力に対応するのは難しい。

 しかも実際にルホルの体を殴っているのは水だ。

 ミスティの四肢では届かない距離からもその水は届き、ルホルは目測を見誤ってしまう。


『プラホン様!』


 体勢を立て直したシンシアが二人の間に入る。

 強化のかかったシンシアの腕は三発目をルホルに入れようとしていた水の塊をゆうゆうと止めた。


「邪魔ですわ」


 しかし、それは水だ。

 シンシアが掴んだ瞬間、ルホルに打撃を与えようとしていた水の塊は流動してその手をすり抜ける。

 ミスティは横に跳んでルホルのほうに手を向けた。


『逃がしません』


 シンシアも横へ。

 同時に

 狙いは主人だとわかっている。

 間に入り続けなければと追いすがる。


「『十三の氷柱(トレイスカクルスタロ)』」


 現れる人間大の十三の氷柱。

 ルホルに放たれるそれをシンシアは全て視界の中に捉えた。


『はぁぁあ!』


 その手足を使ってシンシアは氷柱を全て砕いていく。

 主人までの距離はニメートルほどしかなく、背中の後ろに通してしまえば主人はなすすべなく食らうだろう。

 何せ主人の魔力は少ない。

 自分を召喚した時にほとんどの魔力を使ってしまっている事をこの人造人形(ゴーレム)は理解していた。


「『水流の渦(アクアストリーム)』!」


 全ての氷柱を叩き落とされたミスティはさらに魔法を唱える。

 一度防御されているが、ルホルが対抗する魔法を唱えてこないのを見てスピードのある魔法を選択した。


「ひっ……!」

『無駄でございます』


 ルホルは一瞬声を上げるが、その魔法もシンシアが体を張って防ぐ。

 スピードのある魔法だが、シンシアは崩せない。

 その魔法を受けながらも、シンシアは強化のかかった腕でミスティに攻撃を仕掛ける。

 腕に纏った土を操り、腕が延長されるような効果をもたらす強化の補助魔法。

 シンシアの膂力を遠い場所からでも発揮できる相性のいい魔法といえる。


「防御を」


 だが、ミスティを纏う水が声とともに動き始める。

 ミスティの全身を包んでいた水は一点に集まり、塊となってその伸びた土を防いだ。


『む……!』


 防いだどころか、ミスティの纏っていた水が土を拘束し、シンシアは一瞬動きが止まる。

 その隙に乗じてミスティはルホルのほうに再び目をやった。

 瞬間、ミスティとルホルと目があう。

 ルホルはミスティの自分だけを見る視線に恐怖した。


「な、何故……!」


 ミスティにはその理由がわからない。

 だが、どんな理由であれ攻撃を止める理由にはならなかった。

 次の魔法をルホルに向けようと手を伸ばす。


『使わせて頂きます』


 シンシアの伸ばした土はミスティの水に拘束されてる。

 シンシアはもう片方の手で近くに落ちていた鉄の剣をとった。

 ルホルが召喚し、騎士人形が使っていた剣だ。

 それを力任せにミスティのほうへと投げつける。


「っ!」 


 回転しながら伸ばした手に向けてその刃が迫る。

 ミスティは即座に手を引っ込めた。

 伸ばした土を水に拘束されていたシンシアは強化によって纏っていたその強化を手放した。

 すると同時にミスティも強化を解除したのか、水と土の魔法そのまま強化としての効力を失う。

 水が落ちる音と、土くれが崩れる音が同時に森に響いた。


「し、シンシア! 守ってくれ!」

『はっ!』

「……?」


 互いの強化は剥がれ、膂力で勝るシンシアが有利な状況となる。

 にもかかわらず、ルホルはシンシアに自分を守るよう命令した。

 シンシアはルホルの前で手を広げ、ルホルに来る魔法を受け止める態勢をとる。

 そこでまた、山の巨人が動いた。


「っと……」

『何の音……?』


 ミスティは少し体勢が崩れ、シンシアは初めて聞く音に辺りを見渡す。

 シンシアが上に目をやると、そこには初めて見る山の巨人。


『あれは……?』


 先程よりも揺れは小さい。山から離れ始めた証拠だろう。

 揺れはまだ二回目だ。

 しかし目覚めてから最初の一歩を踏み出す時よりも間隔は短くなっている。

 巨人が徐々に魔力を取り戻している証拠だろうか。

 揺れが収まると、ルホルはミスティを指差した。


「何故だ……何故僕を狙う! 僕は巨人を見なければいけない……見なければいけないのに!」

「何故……と言われましても……」


 喋ってもシンシアが動く様子は無い。

 どうやらルホルは本気で疑問に思っているようだ。


「何故シンシアと戦わない!? シンシアの力を知ってなお無視するのは何故だ!?」


 確かに血統魔法を出してもミスティはルホルを執拗に狙っている。

 シンシア自身の力を知ってもだ。

 ルホルはそれが納得いかないようでミスティに問いかける。

 一方、ミスティはその問いに少し首を傾げた。


「最初に言ったはずでしょう? 私はあなたが嫌いだと……もしや聞いておられませんでしたか?」

「ほ、本当に、そんな理由か……?」


 魔法使いが魔法と対峙すれば攻略しようとするのが道理だ。

 何故ならその力を発揮されれば間違いなく不利になる。魔法の放置は愚策も愚策。

 だからこそ魔法使いは知っている魔法には相応の魔法をぶつけ、見知らぬ魔法に対しては攻撃し、防ぎ、かわし、考え、そして理解してから破壊する。

 それが未知の魔法と遭遇した時の魔法使いの対応だ。

 それなのに目の前の女は何だ?

 ただ嫌いというだけで、魔法――しかも血統魔法を放置して使い手を狙っている。


「ぼ、僕が気絶してもシンシアは残る! 人造人形(ゴーレム)なのだから!」

「ああ、やはりそうなのですね。わざわざありがとうございます」


 ミスティはそんな事は予想していたようで、大して驚く様子も無い。

 それどころかルホルに礼まで言う始末だ。


「シンシアを退去させる為に……狙ってたんじゃないのか?」

「いえ、血統魔法になるほどの人造人形(ゴーレム)でしたらそんな欠陥が無いであろう事くらいわかっています。あの剣と同じようにどこからかこのシンシアさんが召喚される形なのでしょう?」

「そこまでわかっていて……何でなんだ?」


 ルホルはもう一度問いかける。


「ですから……ああ、何故嫌いかという理由をお聞きしたいのですか?」


 少し違うが、ルホルは小さく頷いた。

 嫌いというだけで魔法使いの道理を無視したその心を聞きたかった。

 まだ学院の生徒といえど、そのくらいはわかっているだろうに。

 ミスティがシンシアに向けて使った魔法は凍った足を溶かしたあの下位魔法だけ。

 言葉にすればまるで助けたようにも聞こえるささやかな魔法だ。

 それ以外の魔法は全て、自身に向けられた魔法をシンシアが防ぐ為に受けたに過ぎない。


「あなたが魔法使いを名乗っているからです」

「――。」


 またしても。

 納得のいかない理由にルホル絶句する。

 それがどうして理由になるのか。

 そんな言葉を吐く前に、ミスティは続きを語る。


「私達はこの国で恵まれた存在として貴族、そして魔法使いとして生を受けました……なればこそ、その責務を果たすのは当然の事です。それをあなたは放棄した、貴族として失格です」

「そうだ! 僕は貴族だ! だが、魔法使いだ! だから魔法使いとして動いた!

確かに君から見れば僕は裏切者だろう! だが、それでも魔法使いの戦いを逸脱するものではないはずだ!

自身の探究の為に【原初の巨神(ベルグリシ)】を目覚めさせた私は確かに貴族ではないかもしれない……だが、この上なく魔法使いではあるはずだ!」


 確かに、目の前の貴族の少女の言う通り、自分は貴族としての責務を果たさなかった。

 【原初の巨神(ベルグリシ)】を目覚めさせ、平民も大勢住んでいるベラルタを脅威に晒している。

 だが、自分は魔法使いだ。

 巨人を目覚めさせたのは飽くなき魔法への探究心。自分勝手のように聞こえるかもしれないが、それで嫌悪される謂れはない。

 魔法使いとは、魔法を研鑽し、利用し、そして探究する者。

 全て同じ穴の貉であるはずなのだから。


「違います。あなたは勘違いしているようです」


 ミスティはそれを否定する。

 その眼光は鋭く、そして力強くルホルを射抜く。


「貴族としては失格でも、魔法使いではある? 冗談ではありません、あなたはすでにどちらの資格もないのです」


 声から感じる確かな怒気。

 少女は、透き通るような美しい声に確かに怒りを帯びさせていた。 


「貴族とは、民を守る為に魔法という力を持って生まれるのです。貴族だから魔法を使えるのではありません、魔法を使えるから貴族なのです。

限界はあるでしょう。目の届かない民もいるでしょう。魔法は全てを救えるほど万能ではありません。

それでも、私達は魔法を使って罪なき民を苦しめることだけはあってはならない。魔法とは、貴族が民を守る為の力でなければいけないのですから」


 ミスティとルホルの認識の違い。

 貴族である事と魔法使いである事は、決して切り離していいものではない。

 魔法の探究を持って民を踏みにじろうとしているルホルをミスティは認めない。

 貴族と魔法使い、どちらも逸脱している国賊を決して認めることはない。


「魔法使いとは! 力無き者を守る為に魔法を使う者の事! 断じて自身の探究の為に民を危険に晒す者のことではありません!!」


 自身の信念を掲げてミスティはその声を荒げる。

 これがカエシウス家の次女。

 マナリルにおいて最も大きな領地を持つ貴族の形。

 魔法使いとしての彼女の在り方だった。


「だからこそ――私はあなたを許しません」


 冷たい声色。

 怒りに変わって魔力がミスティの体を流れる。

 魔力の色は青。

 体中を駆け巡る魔力はやがてミスティの指示によって動き出す。


「"放出領域固定"」


 眼前のルホルとシンシア。

 今そのどちらが動いたとしても、ミスティはその魔法を唱え切るに違いない。

 青く輝くその体が、魔法の到来を予告する。


「【白姫降臨(ニブルヘイム)】」


 合唱が響く。

 重なり合ったその旋律は魔法の顕現を示す唄。

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