43.二つの山
「もうすぐだと思うんだけど……」
「どうだね、ミスティ殿? 足手まといにならなかったろう?」
「ええ、見事です。ルホル殿」
アルム達がドレンを交えて雑談している頃と同時刻。
ミスティとルクスはルホルとその使用人の老人を連れて二つの山の鞍部を目指して山を登り続けていた。
放牧でよく外に出ているモーキスに場所を聞き、そこから出発したおかげで最短距離を登っている。
幸運にも獣道のようなものが出来上がっており、道中はほとんど苦労がない。
ルホルも使用人の老人も予想に反して足取りは軽く、付いていくというだけあると二人はルホルに対する認識を改めていた。
「執事の人は大丈夫ですか?」
「ああ、彼は最近入ってきた者だが、僕と同じで体力はある。少し口数は少ないがね! だから気にしないでくれたまえ」
すでに登り始めて結構な時間が経っている。
途中で休憩をは挟んでいるとはいえ、老人には辛い道のりだ。
ルクスの心配は杞憂だったようで、老人の使用人は変わりない足取りでルホルの後ろに付いている。
登る前に強化魔法をかけた自分達は幾分楽だが、老人は強化魔法をかけていない。
それでも普通についてくる老人の身体能力にルクスは息を巻いた。
「僕は乗馬が趣味でね! 昔からの習い事で唯一自慢できるものなんだ!」
「西の地は平原が多いですものね」
ルクスが先導し、その後ろではミスティとルホルが並ぶ。
ルホルはミスティを相手にずっと話し続けていた。
登っている間、話題は尽きず、今度は趣味の話へと移る。
「そうとも! ずっと続く緑の地平線へと向かうのが好きでね、あの先には何があるんだろうと子供ながらにどきどきしながら走ったものさ!
まぁ、馬が疲れてしまって家の者に迎えに来てもらった苦い思い出でもあるのだが……」
「ふふ、微笑ましいお話ですわ」
自分の事を話すルホルは楽しそうで本当にハイキングを楽しんでいるようだった。
町でのアルムに対する態度には少し苛立ちを覚えた二人だが、貴族には珍しくない考えな為に一概に悪いとも思えない。
「だから私はこの地を守りたいのだよ、馬に乗って風とともに駆けられる土地が気に入っているのだ」
「自分の土地を愛せるというのはよい事かと」
「だが、私は才が無い。自覚していてね」
唐突に発せられた弱気な発言はルホルの態度や雰囲気には似合わなかった。
「ここらは他の貴族の土地を狙うのが当たり前でね。同じ国の貴族相手に土地が狙われているというのはいい気分じゃない……当然自分の家を栄えさせたいという気持ちは私もあるがね?」
「わかりますわ」
「それにここはあの偉大なスクリル・ウートルザの出生地だ。しかし同じ国の貴族同士が争うのをかの方は望んでいないと思うのだよ」
「彼を尊敬されているのですね」
「もちろんさ! 先人の努力があって私達は今魔法使いとして存在できるのだからね!
そのせいか私は他の土地を奪おうとはどうしても思えなくてね、何せ私の欲しい土地はすでに手に入っているのだからね」
ミスティはルホルに歩幅を合わせ、ルホルの話をしっかりと聞きながら相槌を打っている。
貴族同士は話すことこそ大切だ。ミスティはルホルが発言する都度それに応じた反応と相槌を打ち、相手に気持ちよく話させている。
ミスティの言葉の量は決して多くないが、話をしっかりと受け止める姿勢がルホルの話を引き出していた。
「こうしてお話しているだけでルホル殿がこの地を愛していらっしゃるのが伝わりますわ」
「ああ、ウートルザ家の衰退は残念ではあるが……衰退後、ここを領地にした先祖には感謝しているよ。
特にスクリル・ウートルザは子供の頃から私の憧れでね、父の治めている土地がその家の出生地だと知った時はその幸運を神に感謝したもんさ」
ルホルの言葉からはスクリル・ウートルザという魔法使いへの尊敬が伝わってくる。
今回の依頼に関してスクリル・ウートルザの怒りだとして調査を怠っていたのもその信奉ゆえかもしれない。
……貴族としては褒められたものではないが。
「だが、さっきも言ったように私には才が無い。この地を手に入れたのは私の先祖だが……その先祖のような才能が私には無いのだ」
「そうでしょうか? 今もこうして私達とともに動いているではありませんか」
「それは好奇心によるものだからだ。責務から来るものではないのだよ」
「好奇心によるものでも動かないよりはずっといいではありませんか」
先導しているルクスからの声。
話題のスクリル・ウートルザの墓を探しながらも耳を傾けていたようだ。
「そう言ってくれるかい? やはり動いたほうがよかったと」
「ええ、そりゃもちろん」
「そうか……そうか……そうか……」
ルホルは噛みしめるように繰り返す。
自分が間違っていなかったという確信を心に染み渡らせようとしているかのように。
もしかすればスクリル・ウートルザの怒りと言っていたのは怠けた理由ではなく、尊敬する先人の怒りをこれ以上買いたくないという本心からによるものなのかもしれないと少し改める。
しばらく歩いていると何かを見つけたのか先導していたルクスが止まった。
「待った」
同時に片手で後ろを制止する。
そしてルクスは辺りを見回し始めた。
「おや、着いたのかい?」
「どうされました?」
「荒らされてる」
ルクスの前には不自然な場所が姿を現した。
周りが一切人の手を加えられていないからこそわかる不自然さ。
辺りは今まで自然だけの光景だが、明らかに形の整った人工物がこの先にはあった。
ルクスとミスティははその場所に急いで駆け寄る。
「掘り返されてる……」
近付けばそれが荒らされた跡だというのはすぐにわかった。
辺りには無造作に盛られた土と、掘り返された木の根っこ。
掘っていて目的の石碑にぶつかったのか、本来土に埋まっていたであろう石碑は剥き出しの状態でそこにあった。
その石碑には棺桶が収まるようなスペースがあったが、肝心の棺桶はそのスペースから引っ張り出されて野ざらしになっていた。
今にも崩れそうな古い棺桶だが、しっかりと形は保っている。この石碑に収まっていたおかげだろうか。
「この中に……?」
ミスティとルクスは顔を見合わせる。
この場所で何が起きたのはすでに予想がついている。
後は確認だ。
ルクスは石碑のような場所にはめ込まれた棺桶の蓋を開けた。
「やっぱりか……」
「これは……」
二人の顔に驚愕が浮かぶことはない。
この棺桶は予想通り、中身が無かった。かび臭い匂いと何とも言えない異臭が鼻につく。
「予想はしてたけど空だね」
「一体――」
瞬間、ルクスとミスティは背中の殺気に気付く。
二人とも横に跳んで視界に映るは黒い短剣。
ミスティはその武器に見覚えがあった。
「……どういうおつもりで?」
ルホルのほうに敵意を持って振り返る。
向こうもすでに隠す気がないのか、今まで無言でルホルの後ろにくっついてきていた老人は黒い短剣を構え、ルホルもその老人の姿に驚きもしていない。
「ダブラマに国を売りましたね、ルホル殿……いいえ、国賊ルホル!」
「人聞きが悪いですな、ミスティ殿……私はメリットを優先したにすぎませんよ」
ルホルはミスティに睨みつけられて笑みを浮かべる。
ミスティはルホルへの認識を一瞬でも改めたのを後悔した。
ルホルの傍に立つ老人の持つ武器は、前にアルムを襲った三人の黒服が持っていたもの。
あの老人は使用人などではない。ダブラマの刺客だ。ここまで強化魔法なしで付いてきたのも納得だ。
アルムと襲われた相手の話をした時、身体能力が凄かったと話していた。
事前に強化魔法をかけていた可能性があるとアルムは言っていたが、彼らの身体能力は訓練による元々のものだったようだ。
そしてそのダブラマの刺客の隣に立つルホルはその刺客と協力関係ということだ。
今対立しているこの構図がプラホン家が国を売ったことの何よりの証明だった。
「それに、ずっと疑ってらしたでしょう? 今更私がこんな行動をしたところでさして驚くことでもないでしょうに」
ルホルの言う通り。
ミスティとルクスはルホルを信用しきっていたわけではなかった。
貴族であるにも関わらず自分の領地の問題を放置したのは何らかの目論見があると踏んでいた。
本人が急に調査に同行すると言ってきたのもおかしな話だ。何かあると思わないほうがおかしいというもの。
流石に国を裏切ったとは想像が及ばなかったが、ここに来るまでの間ずっと警戒だけはしていた。
不意打ちをかわせたのもその警戒あっての事だった。
「ここに来るまでに語っていた愛は嘘でしたか」
「嘘などではありません。私はこの地を、そしてスクリル・ウートルザという偉大なる先人を愛している。だからこそこうして動いたのです」
「ならば何故……!」
「愛しているからこそ、国を売ったのだ……私が愛しているのはこの土地のみ。それを狙う貴族がいるこの国は敵に等しい。この地が何も知らない他の貴族に奪われるなど耐えられない……言ったでしょう? 私には才が無い。だから才が無いなりにこの地を他の貴族どもに奪われない方法を取ったにすぎない」
「それが国を裏切ることだと?」
ミスティの問いにルホルはもう隠す必要は無いと言わんばかりに大袈裟に手を広げた。
「その通り! ダブラマは協力すればこの地は私のものにしてもいいと言った。
彼らの目的と私の目的は驚くほど一致していた……いや、私のほうが得をしているくらいだ! 何せ彼らはこの地自体には本当に興味がない。私との交渉も単にこの地に彼らの求めていたものがあるというだけだったからね!」
「そんな不確かな約束を信じたというのですか?」
「いいや、間違いなく興味が無いんだ彼らは……言っただろう? この土地にあるものを求めていたから私と交渉したに過ぎない」
「……もう結構ですわ」
ルホルの言っているものが何を指しているかはわからないが、この空の棺桶が関係しているに違いない。
間違いなく言えるのはこのルホルは間違いなく敵だということ。
棺桶の中身が空だったのを見るとダブラマが求めていたのは棺桶に入っていた何かだろう。
領主であるルホルを引き込んだのはマナリルに露見するのを防ぐ為。
今回の依頼との関連性はまだ見えないが、何か関係していると見ていいだろう。
ここで悠長に会話しているよりも、倒してアルム達と合流し、学院に報告するほうが遥かに有益だと判断してミスティは話を切り上げた。
「では、あなた方を倒して国に突き出すとしましょう」
「二対二だが……僕達を連れてきたのは間違いだったな、それとも自分達が魔法使いだからと甘く見ているのか?」
ミスティとルクスが臨戦態勢に入ってもルホルは不敵に笑い続ける。
それは余裕か、それとも別の何かか。
「間違いなどではないさ……君達を足止めする為に一緒に来たんだからね」
「どういう……!」
問い質す前に足元が揺れ始める。
ルホル達もそれを予期していたわけではないようで、近くの木々によっかかり体を支えていた。
「来た……! 来た……! 来たぁああ!!」
ルホルは木にしがみつきながらも歓喜の声を上げる。
ルクスとミスティにこの揺れの正体はまだわからないが、ルホルがこれを待ち望んでいたことは理解した。
「念には念を入れてね……!
「ベラルタを滅茶苦茶に……!?」
「でもいいさ! 君達を殺してからゆっくりと蹂躙されたベラルタを眺めるとしよう! 対人に特化している魔法学院の教師ではどうすることもできまい!
ベラルタに恨みがあるわけではないが、これがダブラマとの契約だからね! 街一つの犠牲など些細なことだ! 仕方ないと割り切ってくれたまえ!」
徐々に揺れは大きくなり、隣の山から土が降ってきはじめた。
噴火?
そんなはずはない。この二つの山は火山などではないのだから。
「ミスティ殿! 上に!」
「ええ!」
揺れと音の中心は二つの山の片割れ。
ミスティとルクスは鞍部から離れて揺れていないもう一つの山へと避難する。
降ってくるのは土や岩、たまに木。
天変地異のように降ってくるそれを避けながら二人は逃れるように上へと登る。
それを逃がすまいとルホルと老人も追ってきた。
「さあ! さあ! さあ! 一緒に見ようじゃないか! 伝説の存在を!!」
その興奮で息を切らしながら、ルホルは二人の背中に感情を剥き出しにした声をぶつける。
やがて揺れは収まり、土煙が辺りに散る。
追ってくるルホルと老人を警戒しながら髪や制服にかかる土を掃いながら、ルクスは目の前に現れた信じられないものに目を奪われる。
「おい……冗談……だろう……?」
「おお……! おお!! これが! これがスクリル・ウートルザの!」
「これが噂の……」
追ってきたルホルもその方向に視線を向けて目を輝かせている。
傍らの老人も一旦構えを解き、山を登る間無言だったその口を開いた。
この場にいる四人の視線はその存在に集中する。
「巨……人……?」
驚愕から口にしたミスティのそれは、目の前の存在を現す最も相応しい言葉の一つだった。
二つの山はいまやミスティ達がいる一つの山だけとなっていた。
山があった場所には今違う存在が出現している。
城のような太い足、塔のような腕。その表面に森を持ちながらその輪郭は人を模していた。
頭部にあたる部分に目や口があるかはわからない。
それほどにその存在は巨大だった。
ルクスの血統魔法が小人に見えるような巨大な人。
五百メートルは間違いなくあるだろうか。
いくらこの山が大きくないとはいえ、中腹にいてもそれを見上げることしかできない。
隣にあったはずの山は消え、その巨人が立っていた。
「山そのものが……魔法……!」
二人は理解する。
自立した魔法がこの山にあったんじゃない。二つの山の片割れ、その山こそが自立した魔法そのものだったという事に。
巨人が現れたことによって今回自分達が調査していた依頼についての謎も解ける。
何故魔獣がこの山からいなくなったのか。
感じ取っていたのだ。この魔法が近く動き出すということを。
思えば自分達はこの事実をすでに知っていた。
あの山を作ったのはスクリル・ウートルザであるという言い伝えを聞いていたというのに。
「そんな……事が……!」
「こんな巨大な魔法が……!」
ミスティとルクスはドラーナに来る途中、馬車の中で話していたある言葉を思い出す。
『大地とは魔法によって作られた最初の創造物である』
それはスクリル・ウートルザの残した言葉。
地属性魔法の書物に書かれているその格言は地属性魔法に対する過大評価でも、地属性魔法を作ったスクリル・ウートルザ本人の実力を大きく見せる大言壮語でもない。
それは自らの経験に基づいた仮説であり真実。
目の前の巨人は現代の魔法使いに創造主の偉大さを証明する。
その巨人はウートルザ家が生みだした山そのもの。
その名は血統魔法【
偽りの姿を捨て、千五百年前から顕現し続けた魔法は本来の姿へと。
さあ、崇めよ有象無象の魔法使い。
目の前にあるは地属性魔法のスタートライン。
淡く輝く茶の魔力、空に突き立つ山の巨人。
偽りの姿を捨ててなお生い茂る森は、この魔法が大地として顕現している証だった。
――今太古の記憶が現実を侵略する。