37.ドラーナの異変
「おー、これあの黒いのにも使ってたやつじゃない?」
「ええ、この魔法便利なんですよ?」
「はええ……流石ベラルタ魔法学院の生徒さん……こんなでけえの捕まえちまうんですね……」
ルクスとミスティはドレンの馬車とそれに乗るアルム達三人と合流した。
ルクスとベネッタが追いかけられていた二人に付き、他は魔獣達を調べている。
といっても魔獣にある程度詳しいのはアルムしかいない。
ミスティにエルミラ、ドレンは別々の場所で倒れている魔獣が目を覚ますのを見張っているだけだ。
「あ、あの……」
「これは一体……」
ベネッタはそこらの岩に座らせた二人の体を無言でぺたぺたと触っている。
モーキスとマレーネの頬や、手、胸、腹部、足を何かを探すように順に触れていく。その手は魔力が通っているのか淡く光っていた。
「うんうん、怪我はないねー」
どうやら触診だったようで、最後にマレーネの頭を優しく撫でる。普段の間延びした喋り方が二人の緊張をも緩和していく。
モーキスは年上の女性に触られて少し照れているのか、頬を少し赤くした。
ベネッタはほんわかとした雰囲気の癒し系な容貌だが、スタイルもいい。健全な青少年には当然の反応と言える。
二人に怪我がないことを改めて確認し、ルクスが順に気になる事を聞いていく。
「羊は大丈夫かい?」
「う、うん……途中ではぐれたやつもいるから数はわかんないけど、襲われたのはいないと……思う……」
「トンクスがすぐに気付いてくれたので早く逃げられたんです」
そう言ってマレーネは羊達の周りをうろうろするトンクスのほうを見る。
ルクスもあの牧羊犬が魔獣に向かって吠えていたことは到着する直前に確認している。
今も離れそうになった羊を誘導するだけでなく、ちらちらとこちらと魔獣を警戒するように交互に見ている。
「いい犬だね、生まれが生まれなら狩猟犬としても才覚を現してると思うよ」
「はい、自慢の家族です……」
「モーキスだったかな? 君も妹を守ろうとしていたのが見えたよ、いい兄だ。よく僕達の助けが来るまで持たせてくれた」
ルクスの言葉がモーキスの胸に刺さる。
自分は妹のように小さな体で逃げ続けたわけでもない、トンクスのように魔獣に気付き、牽制したわけでもない。
自分は何もできなかった。
間に合ったのは全くの偶然だ。
目の前のルクスという人は自分を本心から褒めてくれているのかもしれない。だが、今のモーキスには皮肉しか聞こえなかった。
「いや……俺は何もしてない……」
「それは違う」
俯き、絞り出すような声をルクスは即座に否定する。
顔を上げれば自分と向き合う声の主。その眼は力強く、自分を持っていた。
「隣に誰かいる、というのは大きな力になる。君が一緒に逃げることでマレーネちゃんは走れたんだ、恐怖を和らげる人が隣にいたから走れたんだ。自分の為に戦ってくれる人がいると無意識に理解していたから走れたんだ。君がいざという時、あの魔獣達と戦う覚悟をしていたから」
綺麗事だ。過大評価だ。
自分はただの羊飼いの家の子。そんな戦士のような覚悟はしていない。
モーキスは唇を噛む。
目の前のルクスという男は貴族だ。これは力があるからこそできる発想に過ぎない。
自分達を助けてくれた人だが、違いを明確に突きつけられたようである種の怒りすら沸いてくる。
助けられただけの自分をそんな綺麗事でほだそうなどと――
「その杖を最後まで離さなかったのが証拠だ」
モーキスは目を見開く。
そしてつい、視線を自分の握るクルークに移した。
何故かずっと握っている杖を。
もう離してもいいはずのものを自分はずっと握っていた。
「走るのには邪魔だったろうに、君は守るために持っていくことを選んだんだ。その選択は何もしてないで片付けるには勇気あるものだ、どうか何もしてないなどと言わないでほしい。
君の覚悟が逃げ切ったことに何の影響も無かったなんて事は決してない。胸を張ってくれ、君は強い人間だ」
……違う。
目の前の男は決して自分をほだそうなどと考えていない。
彼の中での決まりに従って、自分を正しく評価してくれているのだと。
モーキスの瞳が潤む。
親ですらこんなにも素直に自分を褒めてくれたことがあっただろうか?
このルクスという人は無意識であろうと意識的であろうと、自分達が助かったという結果に対して最大級の賛辞を真剣に送ってくれている。
ならば、自分はしっかりとこう返さなければいけない。
「ありがとうございます」
「ん? ああ、いや、間に合ってよかったよ」
目の前のルクスという人は助けにきた事に対する感謝だと受け止めてしまったようだ。
自身の賛辞や評価がお礼を言われるものですらないと思っているのか、それとも天然なのかはわからない。
涙声になっていなかっただろうか。
自分は泣いてはいけない。
勇気ある人間だと、強い人間だと認めてくれたこの人の評価を間違って覆してはならないと、モーキスは流れそうになった涙を押しとどめた。
「マレーネちゃんだったね。君もよく逃げ切ってくれた。君が頑張らなければ誰も怪我しないなんて最良の結果にはなっていない。僕達も苦い思いをして町に行く事になってたからね」
「は、はい……」
モーキスに向けた表情とはまた別の感情を持ってルクスは微笑む。
マレーネは絵本の王子様が目の前にいるかのように目を輝かせて頷いた。
その様子を横で見ていたベネッタがにやにやと見つめる。
「……何だい?」
「いやぁ、ルクスくんはたらしだねー」
「急に人聞きの悪い事を言わないでくれよ……普通の事を言っただけだろう……」
「ほらー、それそれ」
「ルクス!」
ルクスがベネッタにからかわれている中、少し離れた場所からルクスを呼ぶ声がした。
ここに着くなり倒れている魔獣を見て回っていたアルムだ。
「アルム、どうした?」
「ちょっと来てくれ」
アルムはルクスにこちらに来るよう手招きする。
何か思う所があったのだろう。
「ベネッタ、二人を少し頼んでいいかい?」
「うん、とりあえず思いつく事聞いとくねー」
「任せる」
二人をベネッタに任せてルクスはすぐさま駆け寄る。
アルムが最後に調べていたのはルクスが最初に吹き飛ばした魔獣だ。
巨体の魔獣の子供だろうか、姿かたちはほとんど同じだが自分達くらいの大きさしかない。
「何かわかったかい?」
「ああ、小さすぎる」
「小さいって……子供だからじゃないか?」
ルクスはアルムの傍で倒れているその魔獣を見る。
脇腹に思い切り強化魔法をかけた突進をしたのと、雷属性を流し込まれたことで起きる気配は無い。
「違う。あっちだ」
対して、アルムが見ていたのはミスティ達が見張っている巨体の魔獣だった。
あの巨体は自分達より二回り以上の大きさはある。二メートルはゆうに超えているだろう。
それでもアルムはあの巨体を指して小さすぎると言い切った。
「あ、あれが?」
「そうだ、過剰魔力で暴走した気配もない。暴走してるならもっと肥大化してるはずだ。
それにあれは"フォルス"という名の山に住む草食の魔獣だ。餌を求めて平原に出てくることはあるが、人や他の動物を襲ったりしないぞ」
「そ、草食……?」
何かの間違いじゃないかと言いたげにルクスは聞き返す。
「ああ、よく勘違いされる魔獣だからな。現にそこの小型のやつらとは一緒にいただろう? 肉食ならそこのをとっくに襲ってる。
あの転がってる小さい角のやつも草食で、"コルヌパン"っていう兎型の魔獣だ。まぁ、あれは平原にもいるし、たまに普通の野兎と混じっている時もあるからおかしくはないが……」
アルムは痺れて倒れている小型の魔獣達に目をやる。
勘違いしていた。二人が追いかけられているのを見てルクスはてっきり肉食の危険な魔獣なのだと思っていた。
しかしアルムの言う通り、肉食ならば足元にいた小型の魔獣を見過ごすはずはない。
それに辺りはあの二人が放牧地に選んでるだけあって平原だ。
言われてみれば小型の魔獣はともかく、今アルムの傍に倒れている魔獣やミスティ達の見張っている魔獣が生きていくには目立ちすぎる。
「じゃあ……何故追いかけられてたんだ……?」
「それだ……どうなってる? この場所本当におかしいぞ」
魔獣を知っているからこそ断言するアルム。
しかし、何かに気付いたかのようにはっと目を見開いた。
「まさか……西のほうはこんな感じなのか?」
「あ、アルム……」
魔獣の種類まで知っていて生態も把握しているというのに、何故そんなアバウトな閃きが出てしまうのか。
しかし、その真剣な表情に何か言うことができない甘いルクスであった。