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23.見知らぬ獣

 唱えるとともにアルムは白い光を纏う。

 補助魔法の反応ではなく、魔法が現実に生成され、甲冑のようにアルムを包んだ。


「獣化か?」

「こけおどしな」


 その姿は獣だった。

 服の上には刻まれたような白い線。

 その線が象るように、両手足には三本の白い爪。頭の辺りには二本の牙のようなものが模されている。

 胸の辺りには不可解な紋様が施されているが、その紋様の意味はわからない。しかしその紋様を辿ると、手足の爪を形作っている線はどうやらその紋様から伸びている。

 白い線で描かれたそれは獣の皮を被っているような出で立ちだ。


 とはいっても獣を模する"獣化魔法"は珍しくない。

 獣は自然と寄り添う生き物であり、魔力の総量が高いものが多い。過剰に魔力を蓄積して暴走する個体もいるくらいだ。

 まぁ、その暴走した個体を討伐するのも魔法使いの役割なのだが……。

 貪欲な魔法使いは考える。

 魔力の濃い自然を人間ではあり得ない速度で走り回るその姿を自身に取り込むことは出来ないかと。

 そうして完成したのが獣化魔法である。


 獣の姿を借りるという特性上、癖があり、見た目に品が無いと敬遠する魔法使いもいるが、今や魔法使いの間では広まりつくした魔法である。

 補助魔法を更に強力にする為に獣という枠組みを借りて、現実への影響力を上げた補助魔法と攻撃魔法の中間のような魔法だ。


「油断するな」


 様子がおかしいことにトイは気付く。

 前述したが、獣化魔法は一部の魔法使いに敬遠されている。

 その理由が獣の姿に精神が引っ張られることである。威嚇や唸り声、四つ足になるなど参考にした獣の特性に引っ張られて行動が変わるのだ。

 普段、上品でおしとやかな女性が涎を垂らしながら唸るなどもありえない話ではない。

 気付かぬ間に死した獣を憑依させていると論ずる魔法使いもいるほどだ。

 現実への影響力を強めた結果、普通の補助魔法よりも強力な強化を施すが、それと同時に纏った本人に獣という特性の影響が出るという欠点がこの魔法にはあった。


 だが、目の前の男はどうだ。

 その瞳は波紋の無い湖面のように揺るがず、およそ人間らしい理性を浮かべている。

 獣に引っ張られて四つ足になることも、前傾姿勢になることもない。

 その口は閉ざされており、夜の静けさを裂くことも無い。

 ただの人間だ。人間が獣の皮を被っているだけに見える。


「獣化ではないのか……?」


 トイは仮面の下でニコのほうをちらりと見る。

 これは確認だ。

 先程、サニがアルムにかけた呪詛魔法『黒沼(レイト)』の効果がまだ継続しているかどうか。

 仮面の下からの視線に気付き、トイの意図を汲み取ったのかサコは小さく頷く。


「『闇襲(ダークレイド)』」


 トイは唱えるとともに斬りかかる。

 アルムの魔法を警戒していると見せかけて不意を打つ。

 ニコとサニも短刀を抜いた。


「く……っ!」


 先程と同じように黒い玉が現れてそのまま針のような形に変わる。

 しかし、今度は距離が近い。

 後ろの壁に追い立てるように黒い針はアルムを襲う。

 アルムは守りを固めるようにその爪で魔法を弾くが、そこでアルムの魔法に変化が起きた。


「ぐっ……!」

「防ぎきれていない……やはり無属性魔法か」


 トイが放ったのは闇属性の下位魔法。

 夜では高い奇襲性を発揮する魔法だが、その威力は大したことがない。

 それにも関わらず、アルムの手を纏う爪は徐々に削れるように破壊されていった。


 「じゃあ!」

 「っ!」


 ニコが黒い短刀を振るう。

 手にある爪が破壊されたからか、アルムは足に生える爪でその一振りを防御する。その反応はやはり獣化といったところか。

 その爪は短刀を防ぐが、少しひびが入る。


「はっ!」

「いっ……!」


 その隙を逃さず、サニは纏っている爪の間をすり抜けるように黒い短刀を投擲する。

 狙い通りに足に刺さり、アルムは苦悶の表情を浮かべる。

 三人相手でどれも致命傷にはなりにくいが、どれかの攻撃が防げない。

 当初の予定だった暗殺とは程遠いなぶり殺しだ。

 いずれその膝が屈するのも時間の問題だろう。


「やはりこけおどしだったか!」


 続いてサニがさらに短刀を投げる。

 出し惜しみはせず、そして念のため距離を取って。


「なに……?」


 異変に気付く。

 削られたはずの手足の爪が修復されたかのように再生している。

 いや、この場合は生え変わったというべきだろうか。


「『魔重圧(ポゼッション)』」


 唯一アルムと肉薄しているニコが呪詛魔法をかける。

 爪が元に戻ったのを再生と見たか、足の傷を回復させて逃げられないように治癒を防止する呪詛魔法をかける。

 それだけではない。『解呪』(ディスペル)で和らいだはずの体の重さがアルムに再び戻る。

 ニコが使ったのは呪詛魔法への抵抗を解除する副次効果も持ち合わせている便利な魔法だ。多人数での戦いでは一際効果を増す。


「これで後は狙い撃つのみ!」


 呪詛魔法をかけた直後に、ニコは後ろに跳んで距離を離す。

 三方向から囲んでおり、サニの『黒沼』で体は重く、足も怪我した状態ではもう逃げれない。

 あとは魔法と投擲で充分に仕留められると。


「待たせたな」


 足の傷はそのままだが、手足を纏った爪は再生を終える。

 胸に描かれた紋様は輝き、何かが流れ込むように顔や手足に伸びる線までその輝きを伸ばした。


「俺の魔法はあったまるのが遅くてね」


 これからが本番なんだと、その獣はようやく動きを見せる。


「なにを――」


 トイの言葉が言い終わる前……いや、言い始めたその時。

 アルムは横に跳んだ。


「……!」


 それは閃光と見間違うかの如く。

 三本の白い軌跡が目の端に映る。

 黒い外套は引き裂かれ、その中にあった腕は鮮血を散らす。

 痛覚が伝わる前に、自分の腕が飛んだのだと斬られたトイは理解した。


「馬鹿な……! この速度――」


 三人が信じられないと驚愕するその感情すらアルムは遮るように咆哮する。

 ようやくあらわとなった獣化らしい行動。

 天に輝く月の下、狼のようにアルムは吠えた。


「ぬ……!」

「っ……!」

「これは……!」


 その音は一瞬、トイ達を縛る鎖となる。

 突如襲い掛かる不可視の力。

 無意味と思われたその咆哮はトイ達が使うような呪詛魔法に似たような効果をもたらした。


 本来の呪詛魔法に比べれば大したことの無い一瞬の硬直。

 しかし、今この獣を前にその一瞬は致命的。

 屋根を蹴るその爪は次の標的へと跳ぶ。


「がぽ……!」


 選ばれたのはサニ。

 今度は腕が飛ぶ程度ではすまされない。

 一瞬の硬直が生んだ隙はその爪を回避する権利を奪う。

 月明りに照らされるはアルムの爪を正面から受けたサニの姿。

 トイとニコは一目でそれが致命傷だと理解する。


「あと二人」


 白い牙の間から漏れる冷たい声。

 夜風とは別の寒気が二人の背筋を凍らせる。

 今ここに狩人は決定した。


「撤退する!」


 抵抗もなく、胸から血を噴き出し倒れるサニを見ながらトイは決断する。

 先程まで優勢だった戦局は一瞬で劣勢へと変わった。

 いや、すでにこの状況では決着すらついていると見ていい。


「しかし――!」

「我らの力ではこれに対抗できん!」


 目の前のこれは自分達の見たことが無い生き物だ。

 物語に出てくるような理不尽な怪物そのもの。

 そしてサニが意識を失った事でアルムにかかっていた呪詛魔法も消える。

 それはつまり、まだこの男は早くなるという事――!


「分かれて情報だけでも持ち帰――」


 その疾走は言葉とともに。

 トイは自身の指示よりも早く駆ける獣の姿を見た。


「かひゅ……」


 撤退しようとしたその胴体を獣の足が容赦無く襲う。

 刃のような白い軌跡。

 爪で引き裂かれてこそいないが、馬に轢かれたような衝撃がニコの全身を襲う。

 骨が砕けるような鈍い音とともに、ニコは第二寮の壁へと叩きつけられた。


「あと一人」


 本来、獣化魔法がここまでの強化を施すのは難しい。

 これもまたルクスの【雷光の巨人(アルビオン)】を打倒した魔法のようにアルムのオリジナル。

 無属性魔法の範疇ではあるが、魔力馬鹿とされるアルムだからこそ機能する魔法だった。


「ちぃ……!」


 ニコが倒される一瞬の隙をついてトイがこの場から離脱する。

 最初に自分の腕を飛ばしたことから恐らくあの状態では細かいコントロールが効かないとトイは予測する。

 咆哮で止まったサニと一瞬撤退を躊躇ったニコの僅かな隙が致命的な結末となったのだと。

 そうでなくても距離をとり、屋根から降りて闇夜に紛れれば逃げ切れる。あの魔法に暗視の効果はあるまい。

 打倒することは出来なくても逃げに徹すればあれには追い付かれない自信がトイにはあった。


「『海の抱擁(マリンエンブレイス)』」


 しかし、横から来る予想外の魔法によってその撤退も敵わない。

 どこからか現れた水は纏わりつくように路地裏に降りようとしたトイの体を捕まえる。

 トイは拘束をとろうともがくが、それは水。いくら手でとろうとも掴めるものではない。


「どうやら私達の助けはいらなかったようですわね」

「うわぁ……様子見て憲兵に報告するとか言っておいて真っ先に手出したよこの子……」


 下の通りにはミスティとエルミラの姿。

 屋根を跳ぶ人影を見た二人は到着した直後に逃げるトイを見てすぐさま拘束する魔法を唱えたのだ。


「う、動けん……」


 直後、その水はトイの口を塞ぐ。

 片腕を失ったトイでは抜けられるはずも無い。そのまま抵抗もできずに、トイは気を失った。


「ミスティ……エルミラ……」


 予想だにしていなかった友人の登場にアルムは屋根の上で立ち尽くす。

 普段とは明らかに違うアルムの姿にミスティとエルミラの二人も一瞬びっくりするような表情を浮かべた。


「あらあら、そのお姿……まぁ、何はともあれ。こんばんは、アルム。ご無事でなによりです」

「いや、これ襲われてたの……? それとも襲ってたの……? どっち?」

読んでくださる方が増えているようで嬉しいです。

これからも是非お付き合いください。

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