22.目撃
時間はほんの少しだけ遡る。
「ううっ……! うええええ!!」
「よしよし、大丈夫ですわ」
ミスティとエルミラは二人一緒にソファに座っている。
エルミラはミスティの胸にすがるように顔を押し付けている。
帰り道にひたすらアルムの悪口を言い切ったエルミラはミスティの家に着くなり泣き始めてしまった。
感情が振り切ったのか、その涙は止まらない。
泣きつかれたミスティはそんなエルミラをあやすように背中をぽんぽんと優しく叩いている。
「お嬢様、タオルです」
ぱたぱたと足音を立てて、家の奥からはミスティに頼まれたのか使用人がタオルを持ってきた。
無表情な女性だが、少なからずこの状況に慌てていたようで小走りだ。
「ありがとう、"ラナ"」
「お嬢様のご友人は何故こんな子供のように泣かれて……どうされたのです?」
「ごべんなざいぃ……」
エルミラはタオルを受け取ると、涙でぐしゃぐしゃの自分の顔に押し付ける。
ラナと呼ばれた使用人の質問にミスティは少し困ったような表情を浮かべていた。
「えぇと……先程までは友人と喧嘩した愚痴を言っていたのだけれど……その途中でお相手にも事情があったかもしれないのにって、ひたすら罵詈雑言をぶつけたのを後悔してるの」
「まぁ、随分お優しい……これが青春というやつでしょうか」
ラナはぐすぐすとタオルの下で泣いているエルミラの頭を撫でる。
その表情は変わらないが、妹を慰めるのに慣れた姉のようだ。
「エルミラ様……でよろしかったですか?」
「うっ、ううっ……ばい……」
「気にする必要はありません。お相手にも事情があったのならあなたの気持ちにも事情があったという事です。互いに歩み寄ればすぐに解決いたしますとも」
「ひくっ……ぞうでしょうが……?」
タオルと泣いたせいで声の通りが悪いが、ラナの声がエルミラに届いていたようだ。
涙は収まってきたようだが、まだ顔を上げられるほど落ち着いてはいない。
「そうですとも。相手を思いやる事が出来る限り、友人との関係は続くものです」
「ありがどうございます……」
そんなアドバイスをするラナを見てミスティが感心するように声を上げた。
「まぁ……ラナも友人とこのような経験が?」
聞くとラナは首を振る。
「いえ、私はカエシウス家に仕えてからというもの友人をつくる時間などございません。友人はいないのです」
「え」
「ふえ……?」
ラナの予想外の答えにエルミラもびっくりして顔を上げる。
それよりも深刻そうなのはミスティで、急に血の気が引いたような青白い顔となった。
「カエシウス家の使用人として休みなどあるはずもありません。カエシウス家に仕えた以上、仕方のないことです……ただお嬢様のお世話をすることだけが今の私の生きがいでございますから」
無表情のまま、ラナは改めて忠誠を誓うかのようにミスティに向けて頭を下げる。
少しの沈黙の後、あわあわとミスティが立ち上がった。
初めて聞いた自分の家の使用人事情にミスティは衝撃を受けたのか、目に見えて動揺している。
普段の落ち着いたお嬢様姿振りはどこかへ行ってしまったようだ。
そして、ひとしきり慌てると、決意したようにラナの手を握った。
「わ、私からお父様に打診するわ!」
「お嬢様」
ラナが呼び掛けるが、ミスティはそのまま続ける。
「お父様があなた方をそんなに軽視していたなんて許せません……どうにか環境を改善しませんと」
「お嬢様」
再度の呼び掛けもミスティには届かない。
「ま、まさか家にいる使用人の皆様も……! こうしてはおられません、すぐにでもお話の機会を設けて頂かなくては!」
「お嬢様」
「安心して下さいラナ! あなたは私を何年も世話してくれる大切な人ですもの、せめて少しでもお休みを頂けるようにしてみせますわ!」
「冗談でございます」
「……え?」
頃合いだとラナは悪びれも無くネタばらしをする。
ミスティは言葉の意味が一瞬わからず、間の抜けた声を上げた。
「私、ミスティ様のお父様からしっかりとお休みを頂いております。それも五日ごとに一日貰っている好待遇。他の家の使用人に比べてかなり恵まれたほうかと」
貴族に仕える使用人の休みは十日に一回ある程度。悪いところならば一日休みの日など一切無いところもある。それに比べてカエシウス家はその財力の余裕からか使用人の待遇もいいものだ。
そう、全ては冗談。友人も休みも無いなど大嘘。ミスティをからかう為にラナがてきとうにでっち上げただけだった。
時間が止まったように。
自分がからかわれていた事にようやく気付いたミスティの顔は羞恥で紅潮した。
「……き、嫌いだわ! ラナ嫌いだわ!」
「ああ、またお嬢様に嫌われてしまいました。これで八十六回目でございます。
それよりもお嬢様が私を大切な人と言ってくださるとは……使用人冥利に尽きます」
無表情だったラナは楽しそうにミスティの様子を眺めている。
表情の変化は乏しいが、心底嬉しそうに微笑んでいた。
「ぷっ……あはははは!」
二人のやり取りにエルミラはつい笑い声をあげる。
それを見たラナは満足そうに。
「泣き止まれたようですね」
「……あ」
「やはりお嬢様の友人は笑顔でいませんと」
そう言ってラナは自分の口の端に指を当てて口角を上げる。
エルミラは不思議な包容力をラナに感じた。
母のような、しかし、無邪気さを兼ね備えた姉のような。どちらともつかない雰囲気を彼女は持っている。
これが使用人というものなのだろうか。
エルミラの家には使用人を雇えるような余裕はないので感覚がわからない。
「さて、ではエルミラ様に一つ教えておきましょう」
「は、はい?」
不意に向けられたラナの真剣な表情にエルミラはつい背筋を伸ばす。
「お嬢様は聡い方なので、一度騙されるとしばらく警戒なさります。しかし、忘れた頃にはまた騙されてくれる純粋さをお持ちでもあります。タイミングを計りつつ、自然にがコツでございます」
「おお……なるほどなるほど……」
エルミラに伝授するは自分の仕えるミスティという主人のからかい方。
普段落ち着いていて崩れることの無いミスティしか知らないエルミラにはある意味耳よりな情報だ。
「私の友人に余計な事を吹き込まないでくださいまし!」
「ふふふ、ではエルミラ様も泣き止まれたようなので少し窓を開けましょうか。湿っぽい空気を入れ替えましょう」
気分転換をとラナはこの部屋に付いている窓を開ける。
夜の風が入り込むのを気持ちよさそうにしていると、ラナはそろそろ見慣れてくる街の様子に異変を見つけた。
「おや?」
ラナは上半身を窓に乗り出す。
目を細めて見つけたそれを注視した。
「ラナ? どうしたの?」
「人がいます」
「誰かいらしたの?」
「いえ、屋根の上に人がいるのです」
「屋根の上?」
この時間に屋根の上に出ているのはおかしいと、ミスティとエルミラも窓に駆け寄る。
この街に買ったミスティの家はなるべく学院の近くに、そして街をある程度見渡したいという条件に当てはまった少し丘になっている場所だ。
背の高い学院の寮は勿論、まだ明かりのある店や、これからが本番と輝いている夜の街の一角もここからはある程度見渡せる。
そしてその街には普段ない出来事が確かに起きていた。
「本当……というよりも……!」
「追われてる……?」
光源がほとんど無い為に正確な状況は把握できないが、屋根の上で誰かが追われていることが二人にはわかる。
何に追われているのかはわからないが、一人が逃げるように屋根の上を走っていた。
「あ、魔法!」
一瞬、魔法の光に照らされて屋根を走るその誰かを追っている人影のようなものが夜の街に映る。
ベラルタの街中で普通魔法が使われる事態はない。ここから見える魔法の光が事の異常性を際立たせる。
「何かやばいよ、助けにいこう!」
「ええ、住民が巻き込まれては大変です。様子だけでも見に行きませんと……」
魔法使いは本来、力無き民を助ける超越者。
その中には当然正義感に燃えて魔法使いを目指す者も多い。
二人は魔法使いになった理由こそ正義感に燃えてなどというものではないが、有事にはその力で人々を助けようという善性は備えていた。
何か起こっているのは明白だ。ならば魔法使いの卵である自分達が動かなくてどうするのかと。
「エルミラ、魔力は大丈夫ですか?」
「当然!
「わかりました。ですが、なるべく直接の戦闘は避けましょう。私達はまだ未熟です。状況を把握したら憲兵に報告しにいくということで」
「そうだね、騒ぎにすればそれだけやりにくいだろうし」
「ええ、それで追われている側が助かれば事情も聞けるでしょう」
二人はそうして段取りを決めながら玄関へと向かうと、
「お嬢様」
そのミスティの行動を予測していたかのように、ラナはいつの間にか扉のほうへと回り込んでいた。
両開きの立派な扉の前に立ち、ミスティを見据える。
「止めても駄目よ、ラナ。私は魔法使いになるのだから」
「いいえ、そうではありません」
ラナは道を譲るように扉を開けた。
夜の作る冷たい空気が再び温かい家へと入り込む。
ミスティに立ちはだかる様子はなく、むしろ主人を見送るように扉の脇に控えていた。
「夜はまだ冷えます。お早いお帰りを」
それは止めるどころか、後押しに近い言葉。
聞いたミスティは嬉しそうに笑った。
「こういう時は止めるべきではなくて?」
「お嬢様以外でしたら、そのように」
「いってきますわ。留守を任せます」
「お任せを」
「いってきます!」
「エルミラ様もお早いお帰りを」
ミスティとエルミラが外に飛び出すと、ラナはその背中に頭を下げる。
「いい人だね、ラナさん」
「はい、昔からあの調子です……エルミラ、大丈夫ですか?」
「うん……ごめんね、ミスティ」
「いいえ、私の胸でしたらお貸ししますのでお気になさらず」
先程まで泣いていた少女はそこにはもうおらず、今は誰かを助ける魔法使いの姿がそこにある。
泣き腫らした目に映るのはベラルタの街。
ここに住む住人の為にと二人は動く。
「さて、慎重にいこう」
「ええ、屋根の上で追われるなどただ事ではありません」
追われている人間が自分達の友人である事は露知らず。
ただ力ある者としての責任が二人の背中を押していた。
夜のベラルタに魔法使いの卵が出る。