91.昨夜の追及
夜が明け、ミレルに朝が訪れる。
準備を終えたアルムはミスティ達が集まる部屋の木製の扉をノックした。
「入るぞ」
「どうぞ」
扉の向こうからミスティの声が入室の許可を出してくる。
扉の向こうは女性の花園。
男のアルムは入るだけでも少し躊躇ってしまう。
少し間をおいて、アルムは扉を開けた。
「おはよう」
「おはよう、アルムくんー」
「お、おはようございます」
部屋に入るとベッドに座って手を振るベネッタにその横で立つ小さく頭を下げるシラツユ。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
そして椅子に座るミスティがいた。
昨日の事もあってか、アルムの視線はついミスティのほうに向いてしまう。
ミスティの様子はいつもと変わらない。
ベラルタ魔法学院の制服が似合う穏やかで上品な物腰のお嬢様だ。
「ああ、おかげさまで」
「それは何よりです」
アルムはそのまま窓際に立った。
滞在している宿は丘の上に立っているからか景色はいい。
窓から見えるレンガ作りの家屋と坂に生える葡萄畑は朝日を浴びて輝いている。
今日はミレル祭の当日だが、町は別段賑わっているわけではない。
むしろ昨日と比べて静かな方だ。
それもそのはず。ミレル祭の会場はミレル湖周辺であり、町ではない。
夜には町中の住人がミレル湖に集まり、貴族に似た格好といつもの格好を交互にしながら盛り上がるのだという。
普段は町で商売している人達も祭りの最中はミレル湖に簡易の屋台を建てて商売をするのだ。
服もミレル湖周辺で売られており、服飾店の稼ぎ時の一つでもある。
しかし、その祭りの特性上貴族からは敬遠される。平民と貴族を一緒くたにするような祭りに参加しようという物好きは少ない。
この祭りがある時期はミレルの霊脈やワインを好む貴族も滅多に訪れようとはしない。
逆に近隣の村の平民や裕福な商人などがこの祭りに参加すべくミレルに集まるのだ。
「俺が最後とは、遅れてすまない」
「ううん、ボクもさっき準備し終わったとこだからー」
ベネッタはそう言ってミスティのほうに向きなおる。
「……その、昨日はありがとうね、ミスティ」
「いいえ、落ち着いたようで何よりですわ」
ベネッタが恥ずかしそうに頭を下げた。
昨日の自分と同じようにベネッタもまたミスティに慰められたのだろうと想像するのはアルムでも難しくない。
ベネッタは昨日ラーディスから山崩れの話を聞いた際に一番動揺していて、顔色も終始悪かった。
エルミラと特に仲がいいのは普段からアルムも見ている。
そんなエルミラが事故にあったかもしれないと考えると気が気では無かったはずだ。
アルムの目から見ても今日は血色もよく、しっかりと眠れたようで隈も出来ていない。
ミスティがどんなフォローを入れたかはアルムに知る由も無いが、とりあえずいつものように振舞える精神状態にまで回復したという事だろう。
「ベネッタ、大丈夫なのか?」
「うん。ごめんね、心配かけてー」
ベネッタに謝られたことに少し罪悪感を覚える。
昨日は自分の事で手一杯で、アルムにベネッタを気に掛ける余裕など無かった。
自分の中の悩みが解決したのはミスティの言葉を聞いてから。
昨日の夜を経たからこそ、今大丈夫かと聞くことができるとアルムは自覚している。
「いや、俺こそすまない」
「何でー?」
「何でもだ。あんまり気にしないでくれ」
「そうー?」
ベネッタはアルムに何故謝られたはわからない。
ただ、それについては追及する気もなかった。
「本当に大丈夫ですか? 無理しているようでしたら宿に残って休んでいても……」
ミスティからの提案にベネッタはぶんぶんと首を横に振る。
「大丈夫! ここでしっかりしないと二人……いや、ルクスくんは怒らなそうだけど、エルミラに会った時怒られそうだし……」
「そうだな」
アルムは同意しながら笑ってしまう。
昨日の自分と同じような事をベネッタも考えていたのが少しおかしかった。
「それに……珍しいもの見れたし、もう元気ー! その話をエルミラにしてあげないといけないしねー!」
「珍しい物……? 何か見つけられたのですか?」
いつもの調子に戻っているベネッタに安心しながらミスティは尋ねる。
昨日は一日中行動を共にしていたはずだが、ミスティにはベネッタの言う珍しいものの心当たりが無かった。
ラーディスに案内されたミレル湖のことだろうか。
確かに水底が輝く湖は珍しい。一部が、というよりも湖の底全てが霊脈であるかのようで、昼間でもその輝きがわかるくらいだった。
来れなかったエルミラにその様子を伝えるのだとすれば、それは確かに貴重な土産話だろう。
「ねー、シラツユー?」
「シラツユさん?」
ベネッタは笑顔でシラツユのほうを見る。
釣られて、ミスティもシラツユのほうを振り向いた。
「あ、は、はい……そうですね……」
話を振られたシラツユにはわかるようで、シラツユは少し顔を赤らめる。
どういう事かミスティにはまだよくわからない。
「アルムはご存知なのですか?」
「いや……?」
聞かれたアルムも首を傾げる。
アルムにもベネッタの言う心当たりは無かった。
「ベネッタ、一体何ですの?」
「ん?」
「アルム? 何か心当たりがありますの?」
「あ、いや……なんでもない」
「そうですか?」
ある事にアルムは気付くが、話に水を差すので言葉を押しとどめた。
自分のいない所で色々あったのだろうと結論付ける。
「それで一体何ですの? 気になりますわ」
「そうだな、俺もわからん」
アルムもミスティもベネッタの言う珍しいものが何かはわからない。
だが、それも当然。
この二人に心当たりなどあるはずがない。
「それはねー、珍しくロマンチックなお二人さんー」
二人はその当事者なのだから。
「ロマンチック?」
「……っ!」
聞いてもピンと来ていないアルムは置いておくとして、椅子に座っていたミスティは顔を紅潮させて立ち上がる。
そしてそのままベッドに座るベネッタにずかずかと詰め寄った。
こんな時ですら下に配慮して足音は立てていないのは流石というべきだろう。
「……見てましたのね?」
「えっとー……」
「見てましたのね?」
「と、途中からだよー? いないなーどこかなーって探したら偶然……ねえ?」
鼻と鼻がくっつくのではないかと思うほどミスティに詰め寄られ、ベネッタは助けを求めるようにシラツユのほうを向く。
シラツユは申し訳なさそうに小さくなりながらこくこくと頷いていた。
「声が、その上から微かに聞こえて……」
「窓も開いてたから何かなーって、だから偶然なの偶然ー」
「……」
昨日の夜の出来事がエルミラの耳に入ればしばらくの間からかわれるのは明白だ。
一月はそれでいじられてもおかしくない。
「み、ミスティ……?」
二人の言い分を聞いてミスティは詰め寄るのをやめて静かに椅子に戻った。
一つ深呼吸をすると、顔の紅潮も引き、いつものような微笑みを見せる。
「エルミラに言ったらロードピス家とのお付き合いを考えさせて頂きますわ」
その微笑みから出た言葉はミスティらしからぬ発言ではあったが。
「き、汚い! 汚いよー! それはずるだよミスティー! 家の力は無しでしょー! こういう時は無しだって話も昨日してくれたのにー!」
「人の会話を盗み聞きしてそれを面白おかしく話そうという方の反論など聞く余地はありません」
「うっ……聞いちゃったのは確かにごめんなさいだけどー……本当に偶然だったんだよー……上から聞こえてきたから確認というか……」
「確認……という事は私達の姿を見た後、すぐにやめたのですね?」
「……」
「ベネッタ? 質問にはしっかりと答えないといけませんよね?」
目を逸らすベネッタにミスティは再び詰め寄った。
シラツユは巻き添えを食らわないようにアルムがいる窓際まで避難する。
「と、止めなくていいんですか?」
「ああ、仲良いだけだからいいんだ」
避難してきた先のアルムはミスティとベネッタの小競り合い、というにはミスティ優位の一方的な追及を静観している。
当事者であるはずなのに特に気にする様子の無いアルム。
そんなアルムが気になり、シラツユは尋ねた。
「アルムさんはその、特に気にしてないんですね?」
「何が?」
「その……昨日ミスティさんと屋根の上で一緒だったのを、こう他の方にからかわれるかもしれませんよ……?」
「ああ、俺にはわからんがそういう話らしいな……でも、いたいって言ったのは俺だからな。それくらいはされても仕方ない」
そんなアルムの声をベネッタの耳はしっかりとキャッチする。
ベッドから跳ぶようにして立ち上がり、詰め寄るミスティをかいくぐって今度はベネッタがアルムに詰め寄った。
「アルムくんから言ったのー? アルムくんから言ったのー!?」
「ど、どど、どういう経緯で言ったんですか!? 実はあの時ほとんど聞こえてなくて!」
「うわ、なんだシラツユまで……」
「お二人とも……」
呆れるミスティを他所に、ベネッタとさらにシラツユまでもがアルムに詰め寄る。
二人の圧にアルムは少したじろぐが、何で詰め寄られているのかがそもそもアルムにはよくわかっていない。
詰め寄る二人は甘酸っぱい少年少女の香りを感じ取っているが、この男にはそもそもそんな香りを理解できる鼻がまだ備わっていないのである。
「あれは何と言ったらいいのか……言葉では言い表せないんだが、そのまま戻るのが何か嫌だったというか……情けない話だが、寂しかったのかもしれない。まだ一緒にいたいと思ったから昨日はここにいたいと言ったんだ。だから経緯と言えるかどうか……」
「……」
「……」
「どうした?」
だからこそ、アルムにはその時の心境を誤魔化そうという気すらない。
直球に話すアルムに詰め寄っていた二人は恥ずかしくなったのか、言葉の出処であるアルムから離れて最初にいた位置まで戻る。
ベネッタはベッドに、シラツユはその傍らに。
何より、一番恥ずかしそうだったのはさっきまでベネッタに詰め寄っていたミスティだった。
ベッドに座るベネッタがかろうじて言える言葉を一つ口にする。
「いや、なんか……ごちそうさまですー」
「……どういう意味だ?」
感想書いてくださる方ありがとうございます。
読んでくださる上に声まで聞ける贅沢な体験をできるのでいつも感謝しています。
明日は本編と幕間の二本更新となります。