前へ
8/8

閉幕。あるいは……

 月光がある限り夜空は青空の名残を残す。星々の光がある限り、夜は一抹の青を帯びる。

 そんな語り出しからはじまった物語が、いま、静かに幕を下ろした。

 聴衆は誰も気づけずにいる。余りにも唐突で、余りにも無慈悲なその結末に、誰一人として終幕を諒解出来ずにいる。

 それが当初のふれこみ通り、『悲劇』であったにも関わらず。


「この物語は、これにてお仕舞いでございます。皆様のご静聴に感謝の念を申し上げます」


 酒場の奥まった一席に陣取っていた吟遊詩人は、そう言って立ち上がると数歩前に出た。

 光の加減によって男にも女にも見える中性的な顔立ちが、すべての聴衆に向けて笑顔をつくる。篤信家のシスターのように柔和であり、同時に企みを明かした詐欺師のように意地悪くも見える。顔立ち同様の二面性をもった笑顔だった。


「……つまり、こういうことか」


 しばしあってからおそるおそるといった風に、最も近くの座席についていた戦士が口を開いた。


「この土地には、俺たちが知ってる以外に、もうひとつあった……迷宮が、というか、ドワーフの遺跡……地下都市が。そりゃ大昔にとんでもねぇ魔物を封印した連中のもので、それなのに俺たちの同業者がその魔物を起こしちまって、そんで……」


 彼はそこで言い淀むと、視線を足下へと逃がし、それから、問うた。


「……石室の主は、まだいるんだな? 迷宮内に」


 詩人は一言も発さぬまま、ゆっくりと、しかし確かに首肯した。


「……そうか」


 それっきり戦士は、消沈したかのように黙った。三流冒険者の寄せ集めとその末路に関する噂は、彼も耳にしていたのだった。

 再び沈黙が酒場を支配した。誰もが暗く俯くなかで、詩人だけが涼しげな顔をしている。

 物語がはじまった時より、もうかなりの時間が経過しているはずだった。なのに実時間を確認しようという発想を得たものは、これもまた皆無だった。


「な、なぁ!」


 殊更ことさらに大きな声をあげたのはチビの盗賊だった。言ってから自分の声の大きさに驚いたように、ひゅっ、と喉を鳴らす。


「あ、あの、あれだ。そ、そう、オーリンはその後どうなったんだよ? まさかまだ洞窟で暮らしてるなんて言うんじゃあるめぇな?」


 詩人が、にやりと笑った。まるで「その質問を待っておりました」とでも言うかのように。

 答える。


「……ジズを楽にしてやったあと、オーリンは自らも命を絶とうと考えます。ですが、彼女にはどうしても成さねばならぬことが、滅ぼさねばならぬ相手がございました」


 詩人はうたうように続けた。


「彼女の中の魔性の部分は、石室の主の強烈な邪気を、大空洞に残されたそれをしっかりと感じ取っておりました。襲撃者が人でも魔物でもなく、尋常から大きく逸脱した脅威の魔神であることを、理解していたのです。

 では それに対するにはどうすべきが最善か? オーリンは再び思索し……そして、ある人物の言葉に思い至ります。つまり……」


 ここで言葉を切った。そして一同を見渡し、ひときわ通る声で言い切った。


「魔物退治を生業とする人種――ああ、そうです。オーリンはこの街で冒険者になったのですよ」

「はっ! なんだそりゃ!」


 嘲るというよりは罵るような声をあげたのは、これも先ほどの盗賊だった。

 鬼の首でもとったかのような態度をつくり、尊大に腕を組み鼻で笑った。

 自分がなぜ安堵を覚えているのか、そのことは忘れたかのように。


「詩人さんあんたよ、確かこの話ぁ実話だとかなんとか吹いてたよな? だけどな、そらおっかしいぜ。このローレルキャニオンにゃ二十軒近い酒場がある。だが冒険者が集まるのはこの『楽勝者』だけだ。別の店を尋ねた新参者もだいたいがここに誘導されるって、そういうしきたりがすっかり出来上がってんだよ。んでもな! ここをたまり場にしてる俺たち全員、そんなガキは見たこともなけりゃ聞いたこともねぇんだぜ!」


 なぁみんな! と、盗賊は店の客たちを見回して同意を求めた。客たちは、そのすべてが冒険者であった。

 冒険者たちは口々に同意を示し この瞬間にようやく物語の終わりを見たかのように、ようやく緊張を解いた。


「そういうこった、詩人さん。実話ってふれこむには、ちっとばかし詰めが甘かったな」

「まぁでも、作り話にしちゃなかなか楽しめたぜ」

「そうそう! こいつなんか神妙な顔しちゃってまぁ」

「て、てめぇこそどうだってんだよ!」


 詩人を蚊帳の外にして、冒険者たちは物語の余韻を振り払うかのように盛り上がった。

 当の詩人はしばらくのあいだ黙ってそれを眺めていたが、やがて微笑を浮かべると、いまひとたび、言葉を紡ぎはじめた。


「確かに、皆様。このローレルキャニオンには現在までに、オーリンの特徴と一致する冒険者はひとりとしていないはず。ですが――」


 またも言葉を切った。

 誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。


「ねぇ皆様、詩人が紡ぐ物語が過去の出来事か、あるいは創作であるかの二択に限って考えてしまうのは、これは些か短絡でございますよ。わたくしどもがお話いたしますのは、作り話のことももちろんあれば、過去のこともあります。

 そして、あるいは、これからのことも――」


 過去とこれから。

 聴衆の誰もが聞き覚えのある一節だった。だが、その瞬間にどこでそれを聞いたのか思い出せた者は、一人もいなかった。


 ギィ、と、入り口の扉が軋む音が沈黙の中に際立った。

 全員が一斉に振り返った。

 そして、そこに立つ者の姿に己が目を疑った。


 少女だった。頭髪は乱れに乱れ、全身は雑草や泥にまみれている。ひどく原始的な衣服を身に纏っており、それらは暗い色の液体で染まっていた。

 そんな野性的な特徴の中で、悲哀と動揺に彩られた赤い瞳と、愛らしさの中に紛れる美貌の予兆が不釣り合いに目立っていた。


「――皆様、冒険者たちよ。責任をお取りなさい」


 冒険者たちの背後から詩人の声がした。

 視線が一斉に詩人へと集まる。

 だが、そこにいたはずの詩人は、すでに霧のように消え去っていた。


「あ、あの!」


 錯乱する一同に向けて、おずおずとどもりながら少女が切り出した。


「あ、あたし、冒険者になりたいの! それで、そういう人はここに集まるって聞いて、だから、だから来て――」


 引きつった嗚咽とともに涙が頬を伝ったが、彼女は最後まで言葉にする。


「だから、だからあたしを、冒険者の仲間にしてください!」


 即座に応えられる胆力を持ったものは、豪傑を自称する冒険者たちの中には一人としていなかった。

 全員が凍りついたようにピクリともせず、しかし視線だけは少女に張り付けたまま逸らさない。逸らせない。


「……」


 ややあって立ち上がったのは、この酒場の店主だった。

 店主は口ひげをさすりながら少女の前まで歩いてゆくと、小さく呟いた。

 もしかしたらこれを尋ねた瞬間、俺も物語の登場人物になっちまうのかもしれないな、と。


 いましがた終わった物語の。

 あるいは、これから幕を開けるのであろう、雑種の少女の物語の。


 寒気にも似た予感が店主の胸に去来する。

 その慄えをどうにか押し殺しながら、とにかく、彼はいつも通りの態度を取り繕い、いつも通りの台詞を少女に投げかけたのだった。


「ようこそ、冒険者酒場『楽勝者』へ。

 お嬢ちゃん、まずは名前を教えてもらえるかい?」



前へ目次