第七夜
皆様、物語も終わりに近づいて参りました。
さて、ここでいまひとたび、地上へと視点を転じさせましょう。
都市歴二百二十二年。
この春、二十人からなる大パーティーが都市東方のドワーフ遺跡へと挑みました。
少数精鋭を迷宮探索の鉄則とする熟練冒険者たちからすれば、掟破りとすらいえる軍隊じみた大人数。ではその内実はといえば、やはりこれが半端な冒険者の寄せ集め。まったくの烏合の衆でございました。
ですが、あるいは質より量とでも申しましょうか。彼らの数に物を言わせた強引な探索は意外なほど順調な捗りを見せました。とはいえ、他の冒険者たちを一顧だにせぬ迷惑千万の数々がそれを押したという事実もあり、やはり唾棄すべき集団であったことに変わりはないのですが。
さて、歩哨を立てることにより寝食までもを迷宮内で補いつつ、街には戻らぬまま三日目。定石を知らぬ無謀な探索の果てに、彼らは厳かなしつらえの石室を発見いたします。
これなるは宝物殿に間違いなし。ろくでなしの衆はそんな都合の良い予感に打ち震え、もうすっかり一角の冒険者になったつもりで、厳重に封印の施された扉を、力任せに開け放ってしまいました。
ドワーフ文字で記された警告文を読めた者は、もちろん一人としておりませんでした。
そして、封印されていた悪夢の化身が、遙かな歳月の向こうから解き放たれます。
そして、瞬き一回の間に惨劇は開始されます。
闇の中から何者かが飛び出し、瞬時にして三人の胴体が引き裂かれます。冒険者たちが事態を受け入れるより先に、彼らの耳朶はおぞましい呪文の韻律を耳にします。
次の瞬間、さらに二人が内側から破裂して息絶えました。
悲鳴をあげてへたり込んだ二名は、頭蓋を潰されて真っ赤な噴水のオブジェと化します。些か勇猛な一名は立ち向かおうと腰の剣に手を伸ばしましたが、彼はその姿勢のまま首を刎ねられて膝をつきました。その場にへたり込んで、お助け、お助けと慈悲を乞うた愚か者も、もちろんお慈悲にはありつけませんでした。
悲鳴もあげず、立ち向かおうともせず、真っ先に脱兎の如くその場から駆け出した、これがもっとも聡明な三名でございました。
彼らは逃げながら、屠られ続ける仲間たちの悲鳴に混じったそれを、確かに耳にしました。
石室の主の哄笑を。
どこをどう走ったものか、とにかく地上へと無事生還した三名は、すぐさま騎士団の詰め所に押しかけ事の顛末を明かしました。
かくして、今度こそ真物の少数精鋭が組織されます。
領主の命を受けた六名の古豪は証言に沿って地下通路を進み、やがて問題の石室に……酸鼻極まる殺戮の現場に至ります。
残された十数体分の遺骸はどれも原型を留めておらず、屈強なパーティーが揃って鼻面を覆うほどの有り様でございました。
一行は情報の正しさをその目で確認し、瞬時にして裂帛の気合いを練り上げ戦闘態勢となります。
しかし、それから彼らがどれほど捜し回っても、さらには索敵や探魂の魔術までをも駆使しても、滅ぼすべき石室の主は、結局どこにも見つからず仕舞い。
石室の主の消息は、文字通り迷宮入りと相成ったのでございます。
これが都市歴二百二十二年のこと。
つまり、今年の出来事です。
いま、物語は現実の時間に追いついたのでございます。
さて皆様。
実のところを申しますれば、わたくしは冒険者という人種があまり好きではないのです。
いいえ、ご無礼を承知で内心をすっかり吐露してしまえばですね、ええ皆様、わたくしはあなたがた冒険者を、憎悪すらしているのですよ。
この悲しい物語の発端となったのは、少女だったジズを弄び発狂させた外道どもは、これも冒険者崩れのならず者でございました。
では、物語に終末をもたらすものは?
ジズとオーリンと魔物どもの平穏に終止符を打つものは?
そのきっかけをつくってしまったのは、はたしていったい何者なのでしょう?
ほんの少しだけ、考えてみてください。
この街を中心に東と西。これほど狭い範囲内にドワーフ都市が二つも集中していた理由を。
山羊頭ほどの魔族がそこに住まっていた、その理由を。
そして、振り返ってみてください。
物語の冒頭、ジズがそこへと踏みいる際にその存在を附言した、西の迷宮の古代文字。
それに、博識の分隊長が発見した、東の迷宮の古代文字。
それらは一体、何を伝えんとしていたのか。
ああ、皆様は覚えておいででしょうか? わたくしがこの語りの中途におき、次のような解説を挿んだことを。
『すべての遺跡は地下道でつながっているのだと、そんな仮説を立てる学者もいる』と。
察しのいい方は、もうお気づきでございましょうや。
石室の主の行方を。
■
冒険者を名乗る青年と出会った朝から、オーリンは仲間たちの住処である地下神殿にほとんど居着かなくなっておりました。
青年との出会いを――『自分は魔物を退治する冒険者だ!』と、誇るようにそう名乗った青年との出会いを――誰にも打ち明けることが出来ず、しかし何も知らない魔物どもと一緒に居れば常に裏切りの実感に嘖まれることとなります。裏切りという罪。ああ、そして、罪には罰があるはずだと彼女の良心はそう叫んで、だからみんなと一緒にいる間は、漠然とした「罰」の気配にも怯えなければならないのです。
そういう理由から、彼女は一日のほとんどを森の中で過ごすようになっておりました。日毎に肥大化する自己嫌悪と背徳の念を抱えこんで。
こういった状態の姉を心配した妹も彼女と共に森におり、ああ、そして、その結果として……。
その結果として、彼女たち姉妹は惨劇から免れたのでございます。
山羊頭ほどの高位の魔族がなぜ辺境のドワーフ遺跡に住み着いていたのか、いまこそそれを解説する時です。
現在は衰退の一途を辿りほとんど滅亡を待つだけの種族となりはてたドワーフ族ですが、かつて、彼らは頑健な肉体と卓越した鍛冶の技術を武器に地下世界に一大帝国を築いておりました。
隆盛を誇った古代ドワーフ族は、しかし地上への進出は望みませんでした。他の人類四種族とも一応は交流を持ち、当時から地上世界で暮らす者もいるにはいたようですが、しかし種族の都市を地上に建設しようなどとは微塵も考えなかったのです。
彼らの住む場所はあくまでも地面の下。ドワーフはどこまでも彼らの世界を拡張します。
そうしていますとですね皆様、時折、壁をぶち抜いてしまうことがあるのですよ。
なんの?
魔界と現世を隔てる壁がでございますよ。そうしてドワーフ族の勤勉さが最後の壁をぶち破り、結果として、概念の上ではなく物理的に、我々の世界と魔族の世界とが接続されてしまうことがあるのですよ。
一千年前、この地にもまた魔界との接点は生まれました。そして、開門された異界から現世へと乗り出してきたのが、このたび封印を解かれた石室の主、魔王と称すに相応しい力を具えた死神でございました。
人類五種族の英雄はこれに立ち向かい、死闘に次ぐ死闘の果てにどうにかこれを打ち倒し封印することに成功しました。
その際、魔族でありながら人類の側に与して大きな役割を果たしたのが、なにを隠そう我らが山羊頭です。
彼は戦いのあとも地上に留まり続けて人間たちの中で暮らしていたのですが、封印の見張り役を務めていたドワーフ族がすっかり滅びた後は、このお話の舞台である地下迷宮へと身を移して、墓守ならぬ封印守として余生を送っていたのです(魔界との接点となったのはローレルキャニオンの東の地下都市。山羊頭が住み着いていた西の迷宮は魔王出現の後にドワーフ族の遷都した第二の地下都市でございました)。
さて、一千年ぶりに自由の身となった石室の主は、一千年後の世界でいとも懐かしい気配を察知します。
――遙かな昔、愚かにも人間どもに肩入れしてこの自分に歯向かった、あの忌々しい一匹。
石室の主は、ただちに気配のする方向へと向かいました。
地下世界に出現した強烈な邪気を山羊頭が察したときには、もはや全てが手遅れでございました。数世紀ぶりに解放された石室の主は、しかし道中での殺戮そのものを糧として隆盛を取り戻し、山羊頭にすら手に負えぬ魔力を備えて神殿を襲撃したのです。
山羊頭は、せめてジズと仲間の魔物どもだけは逃がそうと手を尽くしたのですが、それもまた無駄でした。
そのようにして殺戮ははじまります。
死神の哄笑が谺し、まずは白虎が命を落としました。石室の主の脅威を一目にして見抜いていながら、母は娘を守るために決死を覚悟して飛びかかり、その結果としてぼたぼたと内蔵を撒き散らして絶命したのです。
そしてまた再びの哄笑のあとで、さらに三つの命が刈り取られます。なけなしの勇気を振り絞り立ち向かったオークの三匹衆が、亜人の勇者としての生涯に揃って幕を落としました。
山羊頭は数々の魔術を駆使して、綿密に張り巡らせた戦域結界を活用して、能う限りに善戦しました。ですが、その悉くが石室の主には通用しません。山羊頭も指折りに高貴な魔界の貴人ではありましたが、魔王ともなれば格が違います。
ああ、そして! 防戦一方のその末に、山羊頭は不可視の刃に切り刻まれます。ばらばらに寸断されて、九十と九の肉片に分割されて、ついにその肉体を完全に滅ぼされたのです。
これより後は、これはもはや語るまでもないでしょう。
派閥の主柱にして最強のまとめ役、万能の魔貴族にも屠れなかったこの魔王に抗えるものなどもはや残されているわけもなく。
恐慌をきたし逃げ出そうとした妖精たちも、一匹として見逃されることはありませんでした。仲間の死に激昂した亜人たちも、ジズを庇って立ち塞がった剣歯兎も、みな口にすることすら憚られるような凄惨な末路を辿りました。
これに連なる殺戮が、およそ百と二十もありました。
鏖殺のすべてに僅か一刻を要さず、無事に復讐を成就させた石室の主は、新たな死と絶望を、それらを提供してくれる贄を求めて、地下の大空洞を後にしました。
聞く者に恐怖を催させる笑いを響かせながら、来た道を戻っていったのです。
……この殺戮劇から生き延びた命が、三つだけございました。
そのうちの二つは、ちょうどこのとき神殿に居合わせなかったものたち。
オーリンと、彼女の毛深い妹です。
前述した通り魔物どもと距離を取っていた為に難を逃れたオーリンは、神殿に帰りその酸鼻の有り様を目の当たりにした瞬間、悲鳴すらあげられずにいました。
そこら中に散らばった夥しい数の死体を眼中に捉えながらも、それらが一体何なのか理解は出来ず、ただ時を止めた石像となって佇立しておりました。
ありえないはずの、あってはいけないはずの光景だったのです。
それは、一致団結した魔物どもが、この迷宮内に敵無しであったからでしょうか?
いいえ、違います。そうではないのです。そういうことでは、ないのです。
オーリンは魔物たちを愛していて、魔物たちは彼女の仲間であって友達であって家族であって……ああ、だから! だからこれは、絶対にあってはならない光景だったのです。
絶望すら出来ぬまま意識の狭間に陥った彼女を、悲しげな鳴き声が現実へと連れ戻します。
みぁう、みぁうと、母親の亡骸に鼻面を擦り寄せる、それは妹の泣き声でございました。
よろりと、ぐらつくようにオーリンは一歩を踏み出しました。それと同時にようやく涙が頬を伝いましたが、彼女はそれに気付きません。
屍鬼のようにふらふらと死体の山を彷徨いながら、オーリンは徐々に絶望を我が物とします。悪夢を現実として飲み下します。
そしてひどく錯乱したままで、暗い色の血だまりに転がった、山羊の頭を見つけます。
オーリンはついに絶叫し、狂ったように血だまりに飛び込むと、いまや言葉通りとなった山羊頭を小さな胸に抱え込みます。
平穏な日常からまさに急転直下。血みどろのこの惨事を、少女はなにひとつの根拠も持たぬまま自らの裏切りと結びつけて考えます。そして壊れたように、ごめんなさい、ごめんなさいと、届かぬ懺悔を繰り返し叫びました。
あー、うー、と。
喃語のような呻きが彼女の耳に届いたのは、やや時を挟んだ次の瞬間でした。
オーリンは弾かれたように立ち上がると、声の主を求めて視線を走らせました。
そして奥まった暗がりにその姿を見つけたとき、ほとんど窒息しそうなほどに息を詰まらせます。
もたれるように祭壇に背を預け、力無く虚脱した姿。第三の生き残りとはすなわち、派閥の第一の紐帯にしてオーリンの母、ジズでございました。
しかし、はたして彼女を『生き残り』の一つとして数えてよいものかどうか。
確かに、このときジズはまだ事切れてはおりませんでした。ですが、彼女の纏った衣の下腹部は鋭く引き裂かれており、そしてその下には、一目で致命のものと見て取れる傷口が覗けていたのです。
魔物どもはみな徹底された破壊を施されていたのに、なぜ彼女だけは生き残ったのか?
ああ……まさにこれこそ死神の残忍さの極み、怖気を催す嗜虐性の発露でありました。
死を賞味し、殺戮に酔った石室の主は、その締めくくりに彼女という獲物を発見し、たまゆら、この残虐な趣向を思いついたのです。
人類、特に人間族は総じて痛がり屋で、しばしば命の継続よりも苦しみからの解放を選ぶと知り、ならばそれこそ長く苦しませてやるべきだろうと、そう発想して。
そして、大喜びでそれを実行したのです。
深すぎる悔恨と自己否定の念に意識は朦朧とし、正体不明の殺戮者に対する瞋恚は銀炎さながらにオーリンを焼きました。ですが彼女は必死にそれらの感覚に抗い、自らがこれからすべきこと、懸命にそれだけを思考しました。
そしてついにそこへと考えが至ったとき、その発想の恐ろしさに、なのにどうしても否定しかねる正しさに、オーリンは心に氷塊を抱きます。
雑種の少女はもう一筋だけ涙を流し、愛する母に頬ずりしました。
そして、ただちに成すべき事を成したのです。
オーリンはジズの頬を両掌でそっと包み込み、精一杯の愛情を込めて撫でさすると、そのままゆっくり下方へとずらします。
頬から顎を伝い、細い首筋へと流れます。
最後にオーリンがその顔を見つめると、狂人の姫君は、まるで応じるかのように娘に笑顔を向けました。
首の中央で親指同士を重ねると、オーリンは一気に力を込めます。
ジズは一切の抵抗を見せませんでした。最期の瞬間、ほんの僅かの間だけ痙攣して、それで本当に終わりでした。
最終回はこのあと二十時あたりに更新します。