先生を殺すのに刃物はいらない

作者: しいたけ

『眼鏡娘とコンタクト』企画参加作品。

 ―――コン コン

「…………先生♪」




 早く振り向いて欲しい時に限って、私を焦らす悪い先生。

 ようやく此方を向き書きかけのメモ帳を閉じた後、私を迎え入れてくれた。


「いつもご苦労さま。今日も居残りですか?」


 夕焼けに映える先生の笑顔はいつになく美しい。


「あ、あの……これを見て頂きたくて……」

 私は恥ずかしげに鞄から眼鏡ケースを取り出した。

 小学生の時から使っているケースには、流行のキャラクターのシールが貼られており、先生に見せるには少し恥ずかしい。


「……どれどれ」

 優しい手つきでケースを開けると、中には『つる』の外れたいつもの眼鏡が入っている。

「ああ、これは……ネジが取れてるだけですね。取れたネジはお持ちですか?」

 私はスカートのポケットから小さな小さなネジを1つ、取り出した。


 先生の手が私の方へ向けられ、私はその優しい手の上にネジをちょこんと乗せた。指先に触れた先生の手は夕陽の様に暖かかった……。


「少し待っていて下さい。すぐに終わりますから」

 先生はそう言って自分のデスクから眼鏡店で貰える小さいネジ回しを取り出した。優しい手つきが私の眼鏡を包み込み、ネジは瞬く間に元通り。


「はい、どうぞ」

 先生は丁寧に両手で私の眼鏡ケースを渡してくれた。そういう優しい所が好きなんです…………。


 私は照れながら両手でそれを受け取ると、再び鞄へとしまい込んだ。まるで大事な宝石をしまう様に。


「かけないんですか? 眼鏡……」

 先生は私の顔を不思議そうに観ている。


「今はコンタクトをしていますので…………」

 私は照れ笑いをするのが精一杯だった。


 生まれて初めて好きな人に素顔を晒す恥ずかしさと、見て欲しい欲求が入り混じり、私の心をかき乱して落ち着かない。



「そうでしたか。あ~……コンタクトも……似合ってますよ?」


 ―――え?


   (「ありがとう)  (ございます……」)


 黄昏時がとても似合う先生の思わぬ褒め言葉に、私の心は激流に飲み込まれ思考が停止してしまった。しかし、私は何とか自分を奮い立たせる。


「先生も眼鏡、お持ちなんですか?」

 私のちっぽけな勇気を振り絞り、前へ進め!


「え、ああ! これですね。ええ、ありますとも」

 と、先生はデスクから黒の眼鏡ケースを取り出した。


 中から出て来たのは細めの黒縁眼鏡。先生が眼鏡をしていたなんて初耳だ。


「店員さんにのせられて買ってたんですが、中々かける勇気が無くて」

 珍しい……先生が照れている。照れた先生も可愛い。


「かっ、かけてみてもらえませんか!?」

 私はガラになく大きめな声が出てしまった。

「ふふ、そこまで仰るなら……」


 黒縁眼鏡の先生は……説明出来ない色っぽさを放っていた。

 これが、大人……なのだろう。私には無い色。


「ど、どうですか? 何か感想を頂けると助かるのですが……」 

 先生は恥ずかしそうに此方を向いた。


「とても…………素敵です」

 私は先生の目を見て素直な感想を伝えた。


「ふふ、そうですか。ありがとうございます」

 屈託の無い先生の笑顔。それと同時に私の心の中で小さく何かが弾ける音がした。


  ―――ッ


 先生の胸の上に乗せた手が暖かく染まり、私のとても静かな勇気は陽だまりの味だった…………。



「……いけない人ですね。私を社会的に抹殺するおつもりですか?」

 先生の顔は変わらない。いつもの優しい顔だ。


「……い……嫌、でしたか?」

 私の顔はきっと耳まで赤いだろう。さっきから熱いのだ。


「……………………」


 

  ―――ッ


 2回目は……やっぱり陽だまりの味。

 でも、より暖かい……。


「し、しゃつれーしますた!」

 私は最早使い物にならない舌で別れの挨拶を告げると、逃げる様に家へ帰った。



 枕に顔を埋め、熱を枕へと移す。

 冷えては熱を帯び、また冷えては熱を帯びる。

 私の頭の中で陽だまりが何度も何度も私を熱くする。

 その日、私の夕陽が沈むことは無かった…………。



 翌日、小さなネジ回しと眼鏡ケースを鞄へしまい込み、いつもの扉をノックした。


「……先生」


「お疲れさまです。今日も居残りです……ね?」

「はい♪」

「そして今日も眼鏡が壊れたとか……じゃ」

「はい♪」

「……いけない人だ」


 先生はいつもの優しい顔で私を迎えてくれた―――