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私は暗い路地で蹲っている。
(もう大丈夫だよ)
子供の声がして顔を上げると、そこには幼い頃の私がいた。
『大丈夫?』
(そう。もう平気なの)
『本当に?』
(本当だよ)
『私は……』
(私だよ)
『私は、あなた?』
(そうだよ。お帰り、ベル)
『ただいま…フレイア』
(ただいま、フレイア)
『お帰り、ベル』
『(これからは、二人、一緒だね)』
目を開けると、そこは見慣れた私の部屋のベッドの上でした。もういい加減ワンパターン過ぎて、いっそ清々しいくらいですね。
そんな事を考えていた私の耳に、一番に聞きたかった方の声が届きました。
「何故目覚めない!!」
…ただし、とてつもなく不機嫌な声でしたけど。
「彼女は力を使い過ぎたんだよ…僕らを救う為に無茶し過ぎたんだ」
「それは分かっている!!だが、何故目覚めない!!」
「だから、彼女は力を」
「分かってると言っただろう!!何故目覚めないのか聞いている!!!」
「ちょ…ちょっと落ち着きなよ…彼女の前でしょ?」
リューク様が弱り切った顔で私の方を見、そしてあんぐりと口を開けたまま固まられました。ちょっと面白い顔ですね……って、何でそんなに見てるんですか??私何か付いてます!?
焦って顔に手をやろうとして身体が動かない事に気が付きました。あれ?何でこんなに怠いんですかね?
「起きた!!!」
「何だと!?」
シュバッと音がしそうな程素早く隊長様が私の枕元へ走って来られました。
「大丈夫か!?何処か痛い所…苦しい所はないか!?水…水を飲むか!?」
矢継ぎ早に質問され目を白黒させる私を見て、見かねたリューク様が割って入られます。
「そんなにいっぺんに言われたらビックリしちゃうよ」
「あ……あぁ、すまない…」
隊長様は少し身を引いてからもう一度私に問われます。
「俺が分かるか?ベル……いや、フレイアか?」
「どちらでも構いません。私はベルでありフレイアでもあります…隊長様」
「やっぱり話せるようになったんだね!?」
驚いた顔で固まる隊長様の上に被さってリューク様が嬉しそうに仰いました。
「はい。記憶は全て思い出しました。と同時にどうして私が話す事を禁じられていたのかも……」
「癒しの力だね?」
「そうです。私はとても力が強いので、無駄な争いの元とならないように大きくなるまでこの力の事は伏せられる筈だったようです」
「それが…何処かから漏れてしまった」
「はい。そして私は誘拐されかけ、乳母のアーニャが助けてくれたのですが……リューク様…彼女はやはり…」
「残念だけど…」
「そう…ですか…」
目を伏せた私の頭を優しく撫で、リューク様は殊更明るく仰いました。
「ねぇ、君の事レイって呼んで良いよね?あのさ、レイのお陰で凄く元気になったんだよ!!ありがとう!!だけど君が倒れてしまって……無茶をさせてごめんね」
「リューク様がお元気になられて良かったです!!」
私がニッコリ笑って言うと、リューク様も嬉しそうに微笑まれました。
お互いに和やかな空気が流れていた時、地を這う様な声が聞こえてきました。
「おい……いい加減どけよ…」
あっ!!忘れていました!!
リューク様も慌てて身体を引きます。
「ごめんごめん。君が置物みたいになってたから、ついね?」
「誰が置物だよ!!」
「固まってたじゃないか。こんな顔でさ〜」
リューク様が隊長様の真似をされます。ププッ、似てますねぇ。
「何だと!?…てかお前も!笑うなっ!!」
「ひゃっ!?す、すいませんっ…つい……ふふふっ」
「だから笑うなと」
「まぁまぁ、許してあげなよ〜」
「元はと言えばお前がだなぁ」
「あっ、僕仕事に戻らなきゃ!!馬鹿の後始末が忙しいからさ〜」
リューク様はそう言いながらあっという間に帰って行かれました。
そして残されたのは私と隊長様。
「……」
「……」
あぁ…既視感。
どうしていつもこうなるのでしょうね?
…まぁこの沈黙は嫌いではないですが。
しかし隊長様から話す気が無さそうなので、今回は私が頑張りますよ〜。
「隊長様はお身体の具合はどうですか?」
「………」
「………」
ま…まさかの無視!!…聞こえてなかったとか?いえいえ、こんな至近距離でそれはあり得ませんよね。
「…隊長様?」
「……んで」
「え?何ですか?隊長様」
「何で俺だけ“隊長様”なんだ」
「…え?」
突然言われた言葉に私は首を傾げます。
何でって……それは…
「隊長様は隊長様ですよね?」
「違う!!そうじゃなくて……リュークは名前で呼んでいるだろう…」
「あぁ、それはリューク様がそう呼べと」
「なら俺も名前で呼べ」
「そ、それは……」
今更それは何となく恥ずかしいです。だってずっと“隊長様”だったんですから。
「あの時、何度も呼んでいただろう?」
「え?」
「俺を治癒してくれた時だ。何度も名前を呼んでいた」
「っ!!…聞こえていたのですか!?」
それはとにかく恥ずかしいです。なんせ私はあの時必死過ぎて何が何やら……
「意識の外で俺を呼ぶ声が聞こえた。お前の声など聞いた事が無いくせに、あの声はお前だと確信していた」
そう言って私の頬に優しく手を当てられます。
「ありがとう。お前のお陰で俺はこうして生きて、お前に触れていられる」
「た……アレクセイ様…」
「ん?…何だ」
とても優しく微笑まれ、私の顔へ一気に熱が集まります。
「いえっ!!別にっ!!呼んだだけです!!」
「そうか?…おかしな奴だ」
アレクセイ様はクククッと低く笑って私の頭を軽く撫でると、子供に言い聞かせるように囁かれました。
「少し寝ろ。疲れただろう?眠るまで側に居てやる。…一人じゃない」
アレクセイ様は私が目を閉じて、開いたらまたあの路地に居たらどうしようと思っていた事をご存知なのでしょうか。
「側に居る」
その言葉はとても柔らかく私の身体に染み込んでいき、私を穏やかな眠りの世界へ誘ってくれたのでした。