96 ちぐはぐな怪物(承前)
「噂だけならいくらでもあるよ。悪魔が人をそそのかしてやらせているだとか、湖の地下空洞から死霊が湧き出してきただとか、図書館迷宮に棲むというベアトリーチェ姫の亡霊の仕業だとか、困っている人のもとに現れて悪人を成敗して去っていくという噂の仮面騎士が、実は裏では切り裂き魔をやっているだとか……」
今度はコルゼーさんに代わってイーレンス王子が説明を始めた。
「そして例によって『襤褸を着た少女』ですか」
デヴィッド兄さんが冷たくつっこむ。
「目撃証言としては、それがいちばん多いね。その中には比較的信用できそうな証言も混じっている。ただ、襤褸を着た少女が駆け去るのを見たからといって、その少女が切り裂き魔だとは限らないだろう?」
「そうですね。いちばんありそうなのは、浮浪者の少女がスリやかっぱらいをやって逃げていくところを見た……というところでしょうか?」
そう言って兄さんはコルゼーさんを見る。
「ええ。実際、巡査騎士による捜査で、何人かの不良少女が目撃者による実見を受けて、事件当夜に目撃された『襤褸を着た少女』だったと判明しています。しかし、彼女らが切り裂き魔だとは考えられんでしょう」
「その根拠をお聞きしても?」
「襤褸を着ているくらいだから、彼女らは衣服を替えるという習慣もありませんし、そもそもそのための金がないのです。彼女らが切り裂き魔なら、衣服に血痕のひとつもついていなければおかしいでしょう?」
「ふむ……しかしそれだけでは……」
「わかってますよ。可能性としては薄いが、襤褸から襤褸に着替えたのかもしれないし、殺しの時には服をすべて脱いでいたのかもしれません。当然、巡査騎士たちに命じて彼女らが切り裂き魔が犯行に及んだ時間にどこにいたかを追求させました」
「その結果、シロだったわけですか」
「ええ。彼女たち浮浪者の少女は徒党を組んで暮らしてます。仲間内の証言だから当てにならないと言えなくもないが、さすがに切り裂き魔が身内にいたとしたら、かばいきれるものではないでしょう。仮に身内がかばおうとしても、別のグループが金目当てに密告するかもしれませんしね。それから、こちらの方が決定的なんですが、彼女らが旧市街の現場――第三の事件の起きたヴィステシア邸に近づくことができたとは思えんのですよ」
「金門橋ですか」
「ええ。金門橋の橋塔で見とがめられずに彼女らが旧市街に渡ることはできません。もちろん、念には念を入れて橋塔の当直騎士に確認しましたが、一見して浮浪者とわかる少女を通すことはありえないと言っていました」
「……あくまでも確認のためなのですが……」
デヴィッド兄さんの言葉に、今度はイーレンス王子が反応した。
「ああ、デヴィッドの言いたいことはわかる。当直の騎士が金品を受け取って通した可能性がないのかということだろう? 浮浪者が国から俸給をもらっている騎士を買収できるだけの金品を用意できるかどうかは怪しいが、おまえにそう聞かれるだろうと思って、当直の騎士の上官に確認を取った。当直の騎士は誠実な青年貴族であり、賄賂を受け取るような性格ではないとのことだった」
たしかにこういうことはコルゼーさんでは調べにくいことだろう。イーレンス王子は既に立場を活かして捜査に貢献しようとしているようだ。
デヴィッド兄さんがさらに問う。
「新市街側の騎士だけでなく、旧市街側の騎士も調べましたか?」
金門橋には新市街側、旧市街側の両方に橋頭があり、当直の騎士が詰めている。
買収するなら両方の騎士を買収しなければならない。片方でも買収に失敗すれば橋を渡れないことになる。また、新市街側の買収に成功したにもかかわらず旧市街側で買収しそこなった場合、旧市街側の当直騎士に新市街側の当直騎士が賄賂を受け取ったと通報されるおそれがある。もちろん、買収を試みた切り裂き魔がその場で逮捕されることは言うまでもない。
だから片方の騎士が買収されないことを確かめればほぼ大丈夫なはずだが、兄さんは両方を調べて盤石にしておきたいようだ。
「調べたとも。旧市街側の当直の騎士は、素行にやや問題が見られるものの、実家が裕福なためちょっとやそっとの額では買収されないだろうとのことだった」
「それでは……」
「ああ、やや不安が残るよな。だが、それはその騎士の上官も同じらしくてな。その騎士が当直の時には必ずベテランの信用できる騎士を一緒につけることにしているらしい。そのお目付け役の騎士にも事情聴取を行ったが、その晩当直騎士は酒に酔ったまま職場に現れたため、ぶん殴って宿舎に帰し、代わりに自分が当直に立ったと証言している。このお目付け役は超がつくほどの頑固者で、忠義一徹の古参騎士らしい。とても賄賂など受け取る人物ではないのだそうだ」
「つまり、『襤褸を着た少女』は事件当夜旧市街側には渡っていなかった……いえ、正確には、金門橋を渡らなかった、ということですね」
「そういうことになる。しかし、含みのある表現だな? 金門橋を渡る以外で、どうやって新市街から旧市街へと渡ると言うんだ?」
王子は、やや挑むような調子でデヴィッド兄さんに言った。
「さて、それはわかりません。モノカンヌス湖は干満の差が激しく、潮流が強いことで有名ですからね。他の河や湖では渡し舟という商売がありますが、ことモノカンヌス湖に関してはそうした商売は成り立ちません」
「となると、切り裂き魔はどうやって旧市街へと渡ったのか……デヴィッド、おまえには何か妙案があるのか?」
「可能性だけを論じるならば、いくらでも思いつくことはできます。しかし、実現可能性の高いものは限られてくるでしょう」
デヴィッド兄さんの意味ありげな言葉に、イーレンス王子が食いついた。
「限られるということは、いくつかはあるということか?」
「……この段階で明言することのできるものはありませんね」
「僕に対しても明かせないのか?」
デヴィッド兄さんはその質問に答える代わりに、王子に質問を返した。
「イーレンス殿下も、何か思いついたことがあるのでしょう?」
「僕か? 湖を渡るということなら、大きく分けて2つの方法があると思う」
「2つですか。よろしければお聞かせ願えますか?」
「自分のは明かさないのに、僕のは聞くというのかい? ……いや、素直に明かしてもいいのだが、それもちょっと癪だ。デヴィッドがここで明言を避けている理由は、わからなくもないがな。
そうだ、エドガー、助手の君はどう思う? 僕が2つと言った意味はわかるかな?」
兄さんにはぐらかされた王子が、俺へと矛先を向けてくる。
2つか。ハズレかもしれないが、なんとなく思いつくことはある。
「……えっと、金門橋を通れず、湖を舟で渡れないのなら、方法は2つだと思います。つまり、空を飛んで渡るか、地下を掘って湖をくぐるかではないでしょうか。どちらもあまり現実的ではないと思いますが……」
俺なら、カラスの塒でやっていたように《トンネル》の魔法を使って地下を湖をくぐるように掘り抜くことはできなくもない。が、それには膨大なMPが必要となる。その線から容疑者を絞り込むと、切り裂き魔は俺かエレミアのどちらかということになってしまうだろう。
空を飛ぶ方も、〈サイキック〉と〈エレメンタルマスター〉の力で、念動力と風の魔法を組み合わせれば、湖を跳び越えるくらいはかろうじてできるかもしれない。しかしやはり、この方法を使えるのは俺くらいだ。
要するに、どちらの方法も不可能ではないが、およそ現実的とは思えないのだ。
しかし王子は、俺の言葉に首を振った。
「いや、案外、不可能ではないぞ? まず、地下をくぐる方だが、湖の地下には巨大な空洞が存在すると言われている。そこは死霊の巣になっている上に枝道が多く、ところどころ水没しているというが、ひょっとしたら新旧両市街を結ぶ経路が存在するのかもしれない」
「しかし、冒険者ギルドですら探索を諦めたほどに内部は複雑になっていて、奥に行くほど強力な死霊が棲み着いているという話でしたね」
「うん。それこそ、伝説に聞く死霊術師ででもなければ、あそこを無事に通り抜けるのは難しいだろう」
それはつまり、やはり現実的ではないということなのでは?
俺の顔に浮かんだ疑問に気づいたのだろう、王子が頷いて言う。
「エドガーの疑問はよくわかる。しかし、こうも考えられないか? 切り裂き魔は死霊術師なのではないか――と」
「えっ……」
「切り裂き魔事件がこれだけ話題になり、王都市民を恐怖の坩堝に叩き込んでいるのはなぜだと思う? 王都では、毎日とまでは言わないまでも、月に何度かは殺人事件が起こる。怨恨、痴情のもつれ、あるいは単に酔った上でのケンカなどでだ。冷静な見方をすれば、切り裂き魔事件もこのような殺人事件のひとつにすぎないとも言える。にもかかわらず、なぜ市民は切り裂き魔に怯えるのか?」
「それは……自分が狙われるかもしれないから?」
「その答えは正しいが、もう一歩、本質を突くような答えがほしいね。――デヴィッド、君ならわかるかい?」
王子がデヴィッド兄さんに挑むような視線を向ける。
デヴィッド兄さんは落ち着き払って答えた。
「切り裂き魔の動機が不明だからです。動機が不明だから、自分も狙われるかもしれないと心配になる。しかし、それだけではないでしょう。人は、理解できないものに本能的に恐怖を感じます。切り裂き魔はこのような猟奇的な事件を起こすことで、いったいどんな利益を得ているのか? 事件の中に切り裂き魔自身の利害が見えないことこそ、切り裂き魔から滲み出す怪物性の源泉なのです」
「120点の回答だね。さすがは王室探偵だ。
そう、何が不気味かって、切り裂き魔の動機がわからないことこそ不気味なのだ。それが、切り裂き魔事件を凡百の殺人事件とは異なるものにしている本質だ。
一般に、切り裂き魔は狂人だと思われている。しかし、ただの狂人ならば、犯行現場から毎度毎度煙のように消え去っていることが説明できない。切り裂き魔はあきらかに常識的な判断能力を有している。少なくとも、自分のしていることがバレれば身の破滅だということはわかっているし、犯行現場から逃げる段階で他人に目撃されないように注意するだけの理性も残しているわけだ。つまり、切り裂き魔は『理性のある狂人』だということになってしまう。そのような存在がいないとは言わないが、きわめて珍しいことも事実だろう。
しかし、切り裂き魔が死霊術師だとすれば、その問題を解決することができる」
そう言って王子が俺を見る。
発言を求められていると解釈して、俺は答えた。
「……死霊術師が、何らかの邪悪な儀式のために切り裂き魔を装っているということですか」
「そういうことだね」
王子の言葉に、俺は感心していた。
なるほど、王の言っていた通り、かなり頭の切れる人物のようだ。
しかし、デヴィッド兄さんは俺とは違う感想を抱いたらしい。
「切り裂き魔という不可思議な化け物を、死霊術師という伝説上の存在で置き換える――たしかに一理はありますが、その仮説を支持する根拠は薄いと言わざるをえませんね」
「あいかわらず辛辣だな、デヴィッド。だけど、その通りだ。僕もその点については弁えているよ。まぁ、そういう考え方もできるというだけの話だ。今のところそれを否定できる要素もない。君の言葉を借りるなら、単なる『可能性の問題』さ」
王子がそう言って肩をすくめた。
「その理論を取るなら、何も対象は死霊術師である必要はないですね。それこそ、悪魔でも、亡霊でも、悪神の使徒でも、なんでもありだということになってしまいます。切り裂き魔という『代数』に、任意の数字を代入することが許されることになる……このままでは、切り裂き魔の正体という『解』を得ることができません」
「そういうことだね」
兄さんは最近、『代数学の原理』という本を出版している。
イーレンス王子もその本を読んでいたのだろう。この世界の水準からするとかなり難しい本だと思うが、きちんと内容を消化できているようだ。この王子は兄さんと同じく理数系にも強いということか。
王子が、咳払いをして仕切りなおしをする。
「で、もう1つの可能性――切り裂き魔が空を飛んで湖を渡ったという可能性についてだ。こちらについては、死霊術師よりも現実的な存在を想定することができる。……エドガーは思いつかなかったようだけど、この王城にいる人間なら誰でも思いつくと思うよ」
この王城にいる人間なら誰でも思いつく?
要するに、ここではありふれたものだってことか。
俺は今日王城に来てから目にしたものを順番に思い出し――
「……あ」
「わかったみたいだね。そう、騎竜がいるだろう? 騎竜に乗れば、湖の潮流がいかに早かろうとまったく関係がない。空を飛べるのだからね」
「じゃあ、切り裂き魔は竜騎士団の中に……?」
思わず言いかけて、口をつぐんだ。
いくらこの研究室が旧市街の外れにあるからと言って軽々しく口にしていいことじゃない。竜騎士団の団長は、この国の第一王子なのだ。その「身内」である部下から切り裂き魔が出たなんてことになったら、王位継承競争にも響いてくるだろう。
って、そうか。デヴィッド兄さんがさっき思いついたという可能性について口外しなかったのはそのせいか。
「気をつけてくれたまえよ? 君たちは切り裂き魔捜査に当たる王室探偵とその助手だ。うっかりでも竜騎士が怪しいなんて話を漏らしてみろ。王城内は上を下への大騒ぎになりかねない」
「わ、わかりました……」
釘を差してくる王子に頭を下げる。
見た目が8、9歳だから、という言い訳がきくような話じゃないからな。逆に、見た目が子どもだからこそ言っていることに信憑性が出るなんて可能性まである。
「……とはいえ、現段階では、それもそこまで現実的な方法とは言えないんだ。デヴィッドになら当然わかるだろう?」
「ええ。騎竜は目立ちます。夜間だったとしても、目撃されれば一巻の終わりでしょう。
また、そもそもどうやって竜騎士団の厩舎から騎竜を出すかという問題がありますね。たとえ自分の騎竜であったとしても、厩舎には鍵がかかっている以上、好きに外に出すことはできません。厩舎の鍵は団長であるイルフリード王子が直々に管理されているとのことですから、盗み出すのは至難の業でしょう。
さらに、厩舎は夜間も無人になるわけではなく、騎竜が体調を崩した場合などに備えて、竜騎士団から当直の人員を置いておくそうです。通常、竜騎士団に入りたての新人がその任に当たると言っていました。今なら、ちょうどベルハルト兄さんが当直となることが多いそうです」
デヴィッド兄さんがすらすらと解説してくれる。
って、
「ち、ちょっと待って、兄さん。どうして竜騎士団の内部事情なんて知ってるの?」
兄さんは図書館の司書で、竜騎士団とのつながりはなかったはずだ。
現に団長であるイルフリード王子とも今日初めて顔を合わせた様子だった。
「君がイルフリード殿下の騎竜に嫌われている間に、聞き出しておいたんだよ」
つまりデヴィッド兄さんはその時点で、竜騎士の中に切り裂き魔がいる可能性を考えてたってことか。
「……騎竜に腕を甘噛みされてただけじゃなかったんだ」
「そ、その前に聞き出したんだよ」
兄さんの様子に、イーレンス王子が苦笑してから言う。
「ただし、この場合は旧市街から新市街へと騎竜を飛ばしたことになる。つまり、1件目、2件目では騎竜を使い、3件目では使わなかったということになるだろう? でも、騎竜が使えるのなら、3件目も新市街でやっておけば疑われずに済みそうなものだ。すべての事件が金門橋の跳ね上がる夜間に新市街で行われていれば、夜、旧市街にいられる人物に疑いの目が向くことはないのだから。というより、騎竜を使ったのだとしたら、それをこそ狙っていたはずだろう。なのに、なぜわざわざ旧市街でも事件を起こしたのか?」
王子の言葉に、デヴィッド兄さんは軽く肩をすくめて答えなかった。
代わりに俺が答えてみる。
「切り裂き魔が血に飢えた殺人狂なら、次第に抑えが利かなくなっているという可能性もありますね」
「うん。1件目、2件目は騎竜を使った工作をする余裕があったが、3件目ではそれだけの余裕がなくなったため、旧市街で凶行に及んだ、ということだね」
「あるいは、なんらかの事情で3件目の時だけ騎竜が使えなかったとか」
「まぁ、それを言い出すなら、騎竜を竜騎士団に悟られずに勝手に使うこと自体が不可能に近いからね。今のところは、あくまでも可能性のひとつでしかない」
たしかに、それはイーレンス王子の言う通りだ。
と、そこで俺はひらめいた。
「しかしそもそも、湖を渡る必要がなかったのではないでしょうか。たんに、1件目、2件目の時には新市街にいて、3件目の時には旧市街にいた人物が切り裂き魔だと考えた方が、自然ではないですか?」
「なかなか冴えてるね、エドガー君。僕も真っ先にその可能性を考えた。その場合、旧市街の貴族相手に商売をしている富裕な商人やその使用人が怪しいということになる。僕はコルゼーに命じて、そのような商人をリストアップし、切り裂き魔事件の起きた夜にどこにいたか、誰といたかを詳しく調べ上げさせた。
その結果――ひとりだけ、怪しい商人が見つかった」
「えっ……容疑者がいるってことですか」
それなら、これまでの推理は何だったのか。
俺の顔には不満そうな色が浮かんだのかもしれない。イーレンス王子はニヤリと笑って言った。
「それが、僕もよく知る人物でね。要するに、ポポルスさんだったのさ。ポポルスさんは最初の2件の時には新市街の商会の隣にある自宅にいた。3件目の時には、ちょうど僕との打ち合わせが長引いて、旧市街に宿を取っていたんだ。自宅にいた時は妻が一緒だったし、旧市街に宿をとった時は宿の主人が証人だ。この宿は僕もたまに使ってる高級宿だから、金を握らせて偽証させることは難しいだろう。そもそもポポルスさんがその宿に泊まることになったのは僕が引き止めてしまったせいだ。宿も僕が用意させたから、ポポルスさんに選択の余地はなかった。……いや、もちろん、いい宿を用意したとも。とにかくポポルスさんにアリバイ工作が出来る余地はなかった。
それに何より、僕はポポルスさんの実直な人柄についてはよく知っているからね。彼が切り裂き魔だなんて想像もつかないよ」
俺も、ステフの家族想いの父親が陰惨な事件の犯人だなんて到底思えないな。
アリバイもしっかりしているようだし、ひとまず容疑者からは外していいだろう。
「……あれ? でも、ということは、最初の2件が起きた時に新市街にいて、3件目の時には旧市街にいた人物はいないということですか?」
「それはどうかな? 巡査騎士団が調べたのは、富裕な商人とその使用人だけだ。それ以外の人物で条件を満たす者がいないとも限らない。金門橋の記録から、3件目の時に旧市街にいた人物を洗っていく作業はさせているけど、該当する人数が多すぎる。仮に条件を満たす人物がいたとしても、たまたまだと言われればそれ以上の追求はできないしね。
それから、既に王都を出てしまっている者も多数いる。そちらへの聞き込みは絶望的だ」
イーレンス王子がそう言って肩をすくめた。
「……雲をつかむような話だろう? 今のところ切り裂き魔は尻尾を見せるような真似はしていない。結局、推理だけで切り裂き魔を絞り込むには限界があるということだね。巡査騎士による巡回を強化し、市民に警戒を促すことでお茶を濁しているのが、巡査騎士団の現状というわけさ」
イーレンス王子の辛辣な言葉に、黙って話を聞いていたコルゼーさんが苦い顔をした。
「普通の殺しなら、怨恨、痴情、金、この辺りを追っていけば、容疑者のひとりやふたりはすぐに浮かんでくるんですがね。切り裂き魔は今のところ、標的を無差別に選んでいるとしか思えんのです。一応、若い女が狙われているようではあるが、それ以上の共通点は見いだせません。巡査騎士団としても、夜間の巡回を増やすくらいしかできることがないというのが本音ですよ」
コルゼーさんだって、何も手をこまねいているわけではない。むしろ、精力的に捜査を行っているといえるだろう。しかし、現時点では切り裂き魔についての手がかりが少なすぎる。
これじゃ、いくらデヴィッド兄さんが天才でも、できることはなさそうだな。
……と、思ったのだが、
「――どうにも、ちぐはぐな事件ですね」
デヴィッド兄さんがぽつりとつぶやいた。
王子が眉をひそめて聞き返す。
「ちぐはぐ? これ以上ないほど、ある意味ではわかりやすい事件ではないかい? 殺人狂が人を殺して回っている、というのは」
「狂人のはずなのに誰にも見つからずに犯行を成し遂げている。狂気と理性。まずちぐはぐなのはそれです。
次に、若い女性をターゲットとしているのに性的行為が目的だったようには見えないこと。しかし、なぜか子宮を抉り出す。まるで、女性ではなく子宮に用があるかのようだ。だが、発見された子宮はナイフで真ん中を切り開かれただけで放棄されていました。まるで、中を覗いたことで満足して興味を失ったかのように。そのくせ、一月も経つと、再び女性を殺してその子宮を切り開く……。
そして、旧市街でも事件を起こしていること。切り裂き魔は子宮に本人にしかわからない用があると思われるが、誰の子宮でもいいというわけではないらしい。新市街でならもっと簡単に犠牲者を見つけることができるだろう。にもかかわらず、切り裂き魔は犯行の難しい旧市街にも現れた」
「狂人の動機について考えても仕方がないのではないか?」
イーレンス王子が投げやりに言った。
デヴィッド兄さんは、それには取り合わずに話を続ける。
「ひとつだけ言えるのは……この事件はしばらくの間続くだろうということですね。切り裂き魔が事件を起こす動機は不明だが、切り裂き魔はまだ満足していないように思われる。そして、『満足』を求めて、今後は旧市街でも犯行を行っていくつもりのようだ」
「……君の予想が外れることを祈るよ」
イーレンス王子がげんなりした顔で言う。
「……切り裂き魔は、組織かもしれませんね」
デヴィッド兄さんが、いきなりそんなことを口にした。
「組織だって? 殺人狂の互助組合でもあるというつもりか?」
「さあ、どんなものかはわかりませんが、切り裂き魔は手際が良すぎます。人を誘い出し、騒がれないように殺し、短い時間で腹をさばいて子宮を抉り出す。そして煙のように姿を消す。
ひょっとすると切り裂き魔には援助者がいるのではないか? あるいは、複数の切り裂き魔が結託して見張りや逃走経路の確保などの協力を行っているのかもしれない。また、正確に腹部を切り開き、子宮を取り出すにはある程度の知識が必要なはずだ。魔物を解体することのできる冒険者、家畜を解体する屠殺人、あるいは一部の外科手術を行える医師……そのような人物が切り裂き魔を指導しているのかもしれません。もちろん、当該人物が切り裂き魔本人であってもいいわけですし、複数の切り裂き魔が協力しあって事にあたっていると考えることもできます。極端な話、3件の切り裂き魔事件は3人の切り裂き魔が示し合わせて個別に起こした事件だという可能性すらありますね」
ミステリー小説でそんなオチがついたら読者はブチギレることだろうが、可能性だけならないこともない……のか?
いや、兄さんだって、そんな可能性が現実的でないことはもちろんわかっている。兄さんが指摘しているのは、切り裂き魔の常人離れした手際のよさについてだ。
「仮に援助者がいたとして、どうしてそんなことをするんだ? 個人の犯行だとしても馬鹿げているのに、他人をそそのかしてそんなことをさせる動機がわからない。殺人狂だというのなら、自分で直接手を下すことにこだわりそうなものだ。ましてやそれが組織だとなると、なおさら目的がわからない」
「あくまでも可能性の問題です。検討だけはしておくべきかと」
「うぅん……正直、そんなことをしそうな組織なんて、壊滅した暗殺教団〈八咫烏〉くらいしか思いつかないけどね」
〈八咫烏〉と聞いて、俺はぎくりとしてしまう。
実は――その可能性は少し考えていたのだ。
〈八咫烏〉の元御使いのすべてが改心したわけじゃない。あの時塒にいなかった者の中にはいまだに悪神のことを信じている者がいる。もちろん、教主グルトメッツァ――に扮していたガゼインは死んだから、彼らに悪神からのお告げが下ることはもはやない。それでも、彼らは悪神の起こす奇跡を心待ちにして潜伏生活を送っている……らしい。実際のところはわからないが、今でもたまに顔を合わせるネビルからそのような噂を聞いている。
「それなら、親父に相談して、国の防諜部にも動いてもらうことにするか」
イーレンス王子は、納得いかなげな様子でそう言った。
「他に何か気になることはあるかい、デヴィッド?」
「いえ……とくには。ただ、巡査騎士による巡回には、さしたる効果は期待できないでしょうね」
「そうだな。それは僕にもわかる。これだけ噂が立ち、皆が神経質なほどに警戒している中で、切り裂き魔は殺しを成功させている。切り裂き魔には、魔法かスキルかわからないが、周囲の目を欺く方法があると思うべきだろう」
王子はやるせなさそうに首を振る。
「……結局、僕らにできることは、雁首揃えて次の事件が起こるのを待つことだけか……」
その言葉には、混じりけなしの怒りがこもっているように思えた。
◆
その夜、屋敷に帰ってから、アルフレッド父さんに王族の面々に会ったという話をした。
父さんは王族の警護を主要な任務とする王室騎士団の団長だ。書斎で蒸留酒をロックで楽しみながら(氷は魔法で作っていた)、王族のそれぞれについて語ってくれた。
「イルフリード殿下は、よく視察と称して新市街にお忍びで出られるんだ。騎竜に乗って、警護の騎士をまいてしまわれるから困るよ」
「……それ、大丈夫なの?」
「竜騎士団の、気のおけない部下を連れて行かれるからね。それこそ、ベルハルトが同行することが多いらしい。本人もお強いし、ベルハルトだっておまえの『魔改造』のせいで相当な腕前だ。国王陛下からは好きにさせておけと言われている」
「ふぅん。新市街では何をしてるの?」
「そ、それは……まぁ、殿下の名誉に関わることだから」
「……名誉に関わることをやっちゃってるのか」
そういう方面の「遊び」をやってるってことだろうか。
それなら、王室騎士団の護衛をまきたいのもわかる。父さんと王は親友だから、父さん経由で王に遊びがバレることを恐れているんだろう。この様子だととっくにバレていそうだけど。
とまあ、王室騎士団団長は、そういう情報も知りうる立場にある。王直々に王室騎士団団長に任じられた父さんは、それだけ王に信用されてるってことだな。
「イーレンス殿下は、研究熱心だね。新市街の鍛冶場やキュレベル商会の作業場に顔を見せることもあるよ。興が乗ると、そのまま新市街に宿をおとりになって何日も王城に戻らないことがある。没頭すると止まらなくなるあたりは、デヴィッドやエドに似てるかもね」
「ああ、俺も研究室を見せてもらったよ。でも、どうしてイーレンス殿下の研究室だけ王城から離れてるの?」
「それは、研究の性質柄、ということになってはいる。ただ、病気がちだったせいか、殿下はあまり王城がお好きではないようだ。病床に伏せっていた時のことを思い出すと言っていた。『僕は籠の中の鳥だった』と、よくおこぼしになっておられるよ」
イーレンス王子は、パッと見、デヴィッド兄さんに似ている。イーレンス王子の方が顔色が青白くて痩せており、少し屈託した雰囲気があるが、どちらもインテリ文系男子というイメージだ。兄さんは理数系も余裕でこなすけどな。
「イルバラ姫は、逆に王城からほとんどお出かけにならないね。【呪術】の研究はだいたいひとりでできるし、協力者が必要な時は宮廷魔術師に頼めばいい。せっかくお綺麗なのに、実験のせいで煤まみれになっていたり、服に血痕が付着していたりで、国王陛下も妃殿下も嘆いておられるよ」
「俺も、【呪術】の研究を少し見せてもらったよ。とても独創的な研究だと思う。王族としてはわからないけど、研究者としてはすごく優秀なんじゃないかな」
「そうか。ただ、姫が【呪術】というのも、外聞はよくなくてね。イルバラ姫は悪神モヌゴェヌェスと契約を行う禁断の魔術に手を染めていて、既に何人もの人間が生贄にされている……なんて噂もある」
「……いや、さすがにそんなことやったらバレるでしょ」
いや、そうでもないか?
たとえば、切り裂き魔のように行きずりの犯行に見せかけて生贄を捧げれば……。
そういえば切り裂き魔は臓器を損壊するんだったな。女神様に見せてもらった日本のワイドショーで、通り魔・杵崎亨の家の地下から、冷凍保存された人間のバラバラ死体が見つかったという話もあった。
それこそ、イルバラ姫が隠れ死霊術師でしかも切り裂き魔だったなんていう可能性も?
って、考えすぎか。変な姫様だとは思ったが、邪悪な感じはしなかった。メルヴィが一緒だったら確実にわかったのだが。
「3人は、それぞれ母親が違うんだよね?」
「ああ。だけど、殿下たち3人の間にわだかまりはないと思うよ。良くも悪くも個性的な3人だから、かえってぶつかり合う余地がないのかもね」
「3人の母親――王妃たちは?」
「それが、けっこう仲がいいんだ。ヴィスはその点、昔から器用な奴でね。国王じゃなかったら何度か女性から刺されていただろう。しかし、あいつは幸か不幸か国王陛下だ。世継ぎは多ければ多いほどいいから、国にとっては悪いことじゃない。すったもんだで今の3人を妃にして、これ以上妃を取ることはないと宣言して終わってる。今でも3人の王妃の機嫌を損ねないようにうまくバランスを取っているみたいだ」
あの王様はとんでもないハーレム野郎だったらしい。もげろ。
この国では、前世のファンタジーのように長男から順に継承権があるわけではないが、仮に王になれなかったとしても王室には入れる。前世日本の官庁における天下りみたいなシステムだな。しかしそのおかげで、サンタマナ王国は他国より王位継承権絡みの権力闘争が少なくて済んでいるらしい。
王が突然死んだという場合でも、王は即位以降1年ごとに遺書を更新しているため、跡継ぎを誰にするかでもめることはないという。
……もっとも、過去に一度、王位継承権者のひとりが王の遺書を改竄して王位に就こうとしたことがあったらしいが。
「陛下は、後継者はもう決められてるの?」
「さあ、さすがにそこまでは、ね……。いくら親しくても聞かない方がいいこともあると思うよ」
たしかに、うっかり父さんが次の王位継承者を知ってしまったら面倒事に巻き込まれそうだ。
「でも、そうは思ってくれない貴族も多くてね。よく探りを入れられて参ってるよ。
まぁ、ヴィスはゆくゆくは僕に遺書を託すつもりみたいだから、僕の任期が10年を超えたら、嫌でも知らざるをえない立場にさせられそうだけどね」
なんでも、王が遺書を託す相手は特別な場合を除き王室騎士団や宰相や宮内長官などの顕職を10年以上務めた経験のある者とされているらしい。
つまり、父さんが勤続10年(もう5年経ったからあと5年)となった日から、父さんは国王ヴィストガルド1世の「遺書預かり」となって、次の王位継承者を知りうる立場となってしまうのだという。
王室騎士団も大変だ。
俺は日頃の苦労をねぎらうために父さんの肩をもんであげ、その日の会話はそこまでとなった。
2話続けて長めとなってしまいましたが、まとめて済ませたかったもので……。
次話、何もなければ一週間以内には上げられると思います。