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94 王位継承権者たち (3)イーレンス第二王子

 イーレンス第二王子の研究室は、王族の住処から離れたモノカンヌス湖のほとりにあった。モノカンヌスは南東側に海を臨んだ立地にあり、海とつながるC字状の湖が王城や貴族街のある旧市街と庶民の住む新市街とを隔てている。イーレンス王子の研究室は、このC字の末端内側付近にあり、正面やや左寄りに海と湖を隔てる砂州が見えた。

 その砂州には、よく見るといくつもの陥没があるようだった。〈仙術師〉で視力を強化して見てみると、クレーターになった穴の真ん中に黒い破片と赤い砂のようなものが散らばっているのが見えたが、さすがに遠すぎてその破片の正体まではわからなかった。

 砂州は向かって左側に行くに従って細くなり、奥の方で消えている。その地点で、海と湖が繋がっているということになる。逆に、砂州を反対側へと辿って行くと、新市街の隅が視界に入った。ただ、ここからでは湖の水蒸気が邪魔をして新市街をはっきりと見ることはできなかった。


「――どうぞ。ここが僕の研究室さ」


 イーレンス王子が少し誇らしげにそう言って、レンガ造りの倉庫のような建物の扉を押し開く。

 デヴィッド兄さんと俺は軽く会釈しながら中へと入った。さすがに竜騎士団の厩舎に比べると手狭だが、かなり広い空間だ。前世の体育館の天井をやや低くした感じだろうか、壁の一面が大きく開かれていて、夕日に煌めくモノカンヌス湖の湖面を見渡すことができる。その先には、中に入る前に見た、破片の散らばる砂州があった。


 しかしそれ以上に目を引くものが、研究室にはあった。

 持ち主の性格を表すように几帳面に整理された研究室の中に、ひとつだけ無骨で似つかわしくないオブジェが鎮座している。

 それは――


「……大砲?」


 そう。そこにあったのは、車輪のついた大砲だった。口径は30から40センチ、砲身長は2メートルくらいだろうか。現代日本の感覚からするとややレトロな感じのするデザインだ。


「へえ、興味があるのかい、エドガー君」

「え、ええ……」


 目をキラリと輝かせて言ってくるイーレンス王子へと頷く。


「兄さん、姉さんの仕事を見たのに、僕のだけ見てもらえないのも癪だ。せっかくだから僕の研究についても語らせてもらおうか」


 イーレンス王子は、俺たちの返事を待たずに説明へと入った。


「これは、魔法砲さ。《ファイヤーボール》の火力を使って砲弾を撃ち出す大砲だよ。従来の火薬では得られる爆発力に限界があったんだけど、魔法を使えばその問題を解決できる。やってみよう」


 王子はそう言って、研究室の壁際に積まれていた壺のようなものを持ってきて、テーブルの上に置いた。


「押さえてて」


 デヴィッド兄さんが言われた通りに壺を押さえていると、王子は別の壺を持ってきて、その中身を兄さんの抱える壺へと注ぎ込む。その中身は、赤く着色された砂のようだった。


「――よし。これを、大砲に放り込む」


 王子は壺にしっかりと蓋をはめると、壺を大砲の砲口から中へと転がした。

 大砲の砲口は壁のない側――湖と砂州の側へと向けられ、砲身には30度くらいの傾斜がつけられている。砲身はいくつもの支柱でしっかりと固定されていた。


「大砲の砲身は、奥に行くに従って少しだけ細くなるように作られている。だから、今入れた壺は砲身の途中で止まるんだ。すると、砲身の奥と壺との間に空間ができるだろう? そこに《ファイヤーボール》を撃ち込めばいい。2人とも、耳を塞いで。……(フレイム)(スプレド)――《ファイヤーボール》」


 王子はそう説明しながら、なかなかの手際で《ファイヤーボール》を発動した。砲身に手をかざして、直接砲身の中に火球を生んだようだ。

 ドン! と大きな破裂音がすると同時に、大砲から壺が飛び出していった。壺は研究室の壁のない側から湖の方へと勢いよく飛び出し、綺麗な放物線を描いて、砂州へと着弾した。ボスッというくぐもった音とともに、着弾点に赤い砂煙が立った。壺が割れて中に入っていた赤い砂が飛び散ったのだろう。

 ……なるほど、さっきみた破片と赤い砂は、イーレンス王子の実験の結果だったわけか。


 研究室の壁が、まだびりびりと震えている。さっきイルバラ姫の起こした爆発音よりずっと大きかった。近所迷惑な研究室のようだ。やってるのが王子じゃなかったら苦情が出てるだろうな。


「……とまあ、これが僕の研究さ。どうだい、デヴィッド」

「有用な研究だと思います。火薬による爆発では、ここまで大きな砲弾を飛ばすことはできませんから」


 前世の大砲は何キロという飛距離を出せていたと思うが、火薬の種類や大砲に使う金属材料の耐久性など、超えなければならないハードルは多そうだ。

 が、この世界でなら、素直に魔法を使ってしまえばそれで済む。


「そうは言っても、やっと砂州の辺りまで飛ばせるようになったところだよ。飛距離だけなら、従来型の大砲の方が成績がいい。最低でも対岸の新市街に届く程度の飛距離がなければ実用には耐えないと、騎士団長に言われてしまったよ」


 はぁ、と王子が大きくため息をついた。

 対岸か。ここから見ると、海側の砂州よりさらに遠い。砂州までがおよそ200メートルくらいだとすると、対岸はもう20メートルくらいは遠いように見える。対岸を射程圏内に収めるには、何らかの技術的なブレイクスルーが必要だろう。

 ただ、俺が以前試しに作ってみた大砲でも、射程距離300メートルを超えることはできたんだよな。だから、イーレンス王子も今後の研究次第で軍の要望に応えられるレベルの魔法砲を開発することは十分に可能だと思う。


 デヴィッド兄さんが言う。


「火薬は保管が難しいですから、魔法使いさえいれば使える殿下の魔法砲には需要があるかと思います。騎士団長はお歳ですから、既成観念から逃れられないのでしょう」

「……あまり持ち上げないでくれ。原理的には、何も難しいことはやっていない。大砲と《ファイヤーボール》という既に知られた技術を組み合わせただけさ。イルバラ姉さんみたいに、全く新しい知見を発見したわけじゃない」


 イーレンス王子が、唇を尖らせてそう言った。

 王子は、自身の研究に不満があるようだ。たしかにイルバラ姫の呪文字のほうが独創性では上かもしれない。もっとも、採用される可能性ということでは、イーレンス王子に分があるような気もする。


「次期国王を狙っておいでなのですか?」


 デヴィッド兄さんが聞きにくいことを聞いた。


「まさか。僕は完全に出遅れてしまったから、継承権争いとは関係ない。単に将来の王室としてふさわしい成果を上げておきたいだけさ。意地の問題だよ」


 王子はそう言うが、その口ぶりは悔しそうではあった。

 去年まで病気で王族としての義務を果たせなかったらしいから、内心忸怩たる思いがあるのだろう。


「私の提唱する行動博物学では、途中経過ではなく結果を見て判断します。原理が革新的であるかどうかは関係がありません。重視すべきは、それによって何ができるかです。殿下の魔法砲は、サンタマナ王国軍にとって有益な発明だと思いますが」

「だと、いいのだけどね……」

「ところで、どうして王子は、金属の弾体ではなく、壺を選ばれたのですか? 威力の面では金属の弾体の方がよいように思われますが……」


 デヴィッド兄さんが聞くと、暗い顔だった王子が目をキラリと輝かせた。


「ああ、実のところ、それこそが魔法砲の第二の用途なのさ。魔法砲は、火薬砲に比べて威力の加減がつきやすい。これを利用して、たとえば壺に油や毒物を詰めて敵軍へと撃ち込めば、砲弾を一発撃つ以上の効果が得られるだろう?」

「なるほど……素晴らしい着眼点ですね」

「だろう? 逆転の発想というやつさ。ただ、問題は壺の割れ方が安定しないことだね。壺が脆すぎると、空中で割れてしまったり、砲身の中で割れてしまったりする。かといって壺を丈夫にすると、着弾しても思うように割れてくれないということも起こりうる。最初の爆発に耐えられるギリギリの強度で、かつ着弾したら確実に割れる強度。これが難しくて、この一ヶ月というもの進展なしさ……」


 王子がため息をついて肩をすくめる。

 そんな王子の様子を見て、


「……ヒビを入れておけばいいんじゃ?」


 思わず、ポロリと言ってしまった。


「ヒビを? でも、そうしたら発射の衝撃に耐えられないんじゃないか?」


 イーレンス王子が食いついてしまったので、しかたなく答える。


「そこは工夫次第かと思います」

「工夫? たとえば?」

「重さや形を偏らせて落ちる側を決めておき、そこに着地の衝撃で割れるような仕掛けを仕込む……とか」


 簡単な雷管のようなものがあればよさそうだ。

 一度見た機械の仕組みがわかる〈機工術師〉のおかげで、博物館で見た第二次大戦時の焼夷弾の雷管なら作れると思うが、さすがにそこまで教える気はない。壺の中に火薬を詰めて、着弾時に爆発するようにするというアイデアも黙っておく。

 もうひとりの転生者・杵崎亨への対抗上、サンタマナ王国軍には強くなってもらった方がいいのかもしれないが、必要以上の力を持てば、よからぬことを考える輩が出てこないとも限らない。

 本当は、今のヒントもまずかったと思う。実際、その辺の事情を呑み込んでいるデヴィッド兄さんが白い目を向けてきているし……。

 いや、技術の話をしてたもんだから、ついどうしたらできるかと考えてしまったんだよ!

 イーレンス王子は、ふむ、ふむ、と頷きながら考えをまとめ、


「な、なるほど! 砲弾は均質な球形でないといけないとばかり思い込んでいたよ。これが、デヴィッドがいつも言っている固定観念というやつか……」


 小鼻を膨らませてイーレンス王子が興奮しているところに、控えめなノックの音が聞こえてきた。

 王子のメイドに伴われて研究室に入ってきたのは、俺もよく知っている人物だった。


「ポポルスさん」


 現れたのは、俺付きメイド・ステフの父にして、ポポルス商会会長のポポルスさんだ。偉くなったはずなのに、相変わらず腰を曲げて揉み手をしている。


「おや、エド坊ちゃま。意外なところでお会い致しましたな。ステフはお役に立てておりますかな?」

「それはもう」


〈魔法戦士〉として大活躍である。

 娘さんを魔改造してごめんよ、ということは、ずっと以前に話したことがあったのだが、娘の才能を引き出してくれたと逆に感謝されてしまった。

 現在は、父さんと相談して、転生者対策として銃などの現代兵器の開発をポポルス商会で秘密裏に行ってもらっている。

 しかし、そのポポルスさんがどうしてここに?


「おお、ちょうどいいところに来た。ポポルスさん、早速だが、新しいアイデアを試したい。相談に乗ってくれ」


 イーレンス王子がポポルスさんに食いついた。

 イーレンス王子は興奮したまま、壺の形や重さの配分をいじり、ヒビを入れて割れやすくすることなどをポポルスさんに説明する。

 どうやらポポルスさんは、イーレンス王子から弾体の壺の製作を請け負っているようだ。


「殿下、それは結構ですが、デヴィッド殿のご用件はよろしかったので?」


 ポポルスさんが、所在なげにしている俺とデヴィッド兄さんの方を見ながら言った。


「あっ……そうだったな。先に切り裂き魔(リッパー)の件か」


 ポポルスさんに指摘され、イーレンス王子がバツの悪そうな顔をした。


「その集中力は、本来であれば宮廷魔術師向きなのでありましょうなぁ。魔法の才能を考えると、殿下のお身体がすぐれないのは残念でなりません」

「言うな、ポポルスさん。僕だってできることならそうしたかったさ。宮廷魔術師長には、魔法使いとしては一流だとお墨付きをもらえたんだがなぁ」

「お身体が大切ですからね。それに、こうして研究者としても一流なのですから、これ以上は望みすぎというものです」

「それもそうか……」


 製作を依頼している関係か、ポポルスさんはイーレンス王子と信頼関係を築けているようだ。ちょっときわどい話をしているように思うが、王子の顔は穏やかだ。

 それにしても、宮廷魔術師か。どのくらいの腕があればなれるものなんだろうか。

 俺が好奇心に負けて【真理の魔眼】を使おうか迷っていると、


「……王子は、【火精魔法】と【風精魔法】を2つながらに使うことができる術者なんだよ。魔法のコントロールにも秀でていて、同時に複数の魔法が使えるとか」


 デヴィッド兄さんが、俺だけに聞こえる声でそう言った。


「見たそうにしてるのがわかったよ。見るなとは言わないが、もう少し気をつけた方がいい」

「……ごめんなさい」


 デヴィッド兄さんに小言を食らってしまい、俺は小声で謝った。


 それにしても、【火精魔法】と【風精魔法】か。つまり、【火魔法】と【風魔法】をカンストさせている可能性が高いってことだな。

 あれ? でも、俺が転生して目覚めた直後のジュリア母さんは、【火精魔法】だけだったよな。イーレンス王子の方がスキルに関しては上だってことか?


「複数の属性を使える魔法使いはたしかに稀少だね。でも、一属性に特化しているからといって、複数属性の使い手に劣るということはないよ。ジュリアさんの【火精魔法】は、確実に殿下の【火精魔法】より上だろう。座学で魔法を覚えられた殿下と違って、ジュリアさんは実戦経験も豊富だ。エド、君の言うところの『魔改造』を受ける前のジュリアさんであっても、殿下より確実に腕のいい魔法使いだったといえるだろう。実際、ジュリアさんには宮廷魔術師にならないかという勧誘が何度となく行われているそうだ」


 またしても兄さんに心を読まれてしまった。怖いよこの人。何で分かるの。


「何で分かるのか、かい? 僕の言葉を聞いて、君は一瞬納得した後、再び疑問を覚えた。そして、何かと比較している様子だった。話の流れからして、君が選ぶ比較対象は、君と身近な存在である可能性が高い。君の身近にいる魔法使いとしていちばんに挙げられるのはジュリアさんだろう。ジュリアさんは【火精魔法】を持っているし」


 ……おみそれしました。


「……でも、それくらいだったら、デヴィッド兄さんも宮廷魔術師になれそうだね」


 実は、この5年の間に、デヴィッド兄さんにも『魔改造』を施している。

 俺の親族というだけでいざという時に危険が降りかからないとも限らないからだ。

 デヴィッド兄さんは小さい頃から《神童》と言われるほど魔法の才能に恵まれていたから、俺の指導によってさらに才能を開花させ、複数の達人級魔法スキルを習得している。

 せっかくだから見せようか?


 デヴィッド・ザフラーン・キュレベル(キュレベル侯爵家三男・サンタマナ王国王立図書館司書・王室探偵・《智慧ある者(ザフラーン)》・《行動博物学者》・《魔導司書》・《神童》)

 21歳


 レベル 23

 HP 39/39

 MP 1514/1514


 スキル

 ・達人級

 【魔法言語】5

 【無文字発動】4

 【闇精魔法】4

 【火精魔法】4

 【物理魔法】4

 【魔力制御】3

 【魔力検知】3

 【異常察知】3

 【雷撃魔法】3

 【風精魔法】2

 【水精魔法】2

 【電磁魔法】2

 【地精魔法】1

 【光精魔法】1


 ・汎用

 【基本6属性魔法】9(MAX)

 【雷魔法】9(MAX)

 【念動魔法】9(MAX)

 【魔力感知】9(MAX)

 【魔力操作】9(MAX)

 【同時発動】9(MAX)

 【剣技】4

 【手当て】4

 【鋼糸技】3

 【槍技】2


 うん。やりすぎたね。これで兄さんも、うかつに他人にステータスを見せられないメンバーの仲間入りだ。


「僕は戦うのはどうもね。魔法を覚えたのも、主に研究と自己研鑽が目的だよ」


 兄さんには宮廷魔術師になるつもりはないらしい。まぁ、俺も兄さんは図書館司書が向いてると思う。

 そうこうしているうちに、ポポルスさんが研究室を辞し、イーレンス王子が切り裂き魔(リッパー)関連の資料をメイドに持ってこさせている。


「――さて、事件の話を始めようか」


 イーレンス王子がそう言って、ようやく第1回切り裂き魔(リッパー)事件捜査会議が始まった。

王族要覧

ヴィストガルド1世 現国王。

イルフリード 第一王子。25歳。竜騎士団長。槍が得意。ベルハルト(エドガーの長兄)が従士をしている。

イルバラ 王女。20歳。【呪術】研究の第一人者。《血痕姫》。

イーレンス 第二王子。19歳。魔法砲の研究。デヴィッドと親しい。

(3人の継承権者の母親である王妃が3人いますが、登場予定はありません。)

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