89 文学青年の初恋
王立図書館迷宮の入口のアーチには、古代魔法文字の装飾がある。
だが、ここを出入りするほとんどの司書は、その古代魔法文字が読めないらしい。
しかし、かつて妖精の残した古代魔法文字を解読した俺には、何と書かれているか読むことができる。
”知識なき者は去れ”
司書の多くがこの文を読むことができないまま図書館迷宮に潜っているというのは、考えてみればちょっとした皮肉のような気がしないでもない。
なお、図書館迷宮の資料は、少なくとも発見されている限りでは古代魔法文字ではなく現代のマルクェクト共通語で記述されている。このことも不思議ではあるが、誰も書いていないはずの史書がいつのまにか追加されていたりする摩訶不思議な図書館のことなので、そのことを気にかける者はほとんどいなかった。
「――止まれ!」
俺がアーチをくぐり、図書館の入口――高さ3メートル以上ある巨大な鋼鉄の扉へと近づくと、そこに立っていた騎士が俺を制止した。
「ここは子どもの遊び場じゃない。どこの貴族のボンボンか知らないが、帰った帰った」
横柄に告げてくる騎士は、きっとそれなりの家柄の貴族の出なのだろう。
しかし、
「騎士さんは新人さん?」
「……それがどうした?」
面倒そうに言ってくる騎士に、俺はポケットから――と見せかけて次元収納から――鍵のようなものを取り出しながら言う。
「じゃあしょうがないね。これを見て?」
「これは――よ、四本歯! 第5層単独到達者か!? こんな子どもが!?」
騎士が、驚愕の声を上げる。
ビブリオキーと呼ばれる古代遺物がある。見た目は、俺の8、9歳児の手のひらに余るくらいの大きさの金色の鍵だ。
正確には、このキーを生み出す錠の方が古代遺物で、キーはその生成物らしいのだが、このビブリオキーもごくおおまかに古代遺物扱いされている。
このビブリオキーは、所持者の到達階層に合わせて、前世の風力を現す記号みたいに鍵の歯が増えていく。第1層では歯はなく、第2層で一本歯となるので、第5層では四本歯だ。
今のところ、四本歯の持ち主は、俺とデヴィッド兄さんしかいないはずだ。
「し、しかし、児童司書にもこんな幼い子どもはいなかったはずだが……」
「俺は児童司書じゃないよ。王様に特別な許可をもらって潜ってるんだ。前任者から申し送りはなかったの?」
「む……そういえば、司書ではない奇妙な子どもが出入りしているが、許可は得ているので通すようにと……」
「じゃあ、問題ないよね?」
「う、うむ……」
狐に摘まれたような顔で騎士が俺に通行の許可を出す。
……ちょっと不安だな。後で王に相談して、この騎士への口止めを頼んでおいた方がいいかもしれない。
俺は無事図書館迷宮の中に入ると、エントランスホールでビブリオキーの錠を探した。
エントランスホールは、舞踏会でも開けそうなちょっとした広間になっている。広間の奥側には何枚もの扉が並んでいて、それぞれにビブリオキーの錠がついていた。
俺は、古代魔法文字で「5」と書かれた扉の錠にビブリオキーを刺した。鍵を回す必要はない。この古代遺物は魔法的な認証装置になっているらしく、ビブリオキーが本物であり、その持ち主が本人であることを自動で判別してくれる。認証は問題なく済んで、目の前の扉が開いた。扉の奥には2メートル四方ほどの窓のない箱型の房があった。俺がその中へと乗り込むと、房は滑らかに地下方向へと加速を始める。そう、こいつは階層ごとに設置されている古代遺物のエレベーターだ。
まもなく俺は図書館迷宮第5層へと到着していた。
ここへは、昨日初めて来たばかりだった。求める知識へと誘導されるという図書館迷宮の機能を信じて俺は第5層の書架で埋め尽くされた回廊を進んでいく。
すると、
「さっそく番人か」
図書館迷宮には、要所要所に番人と呼ばれるゴーレムが存在する。
ゴーレムと言っても、岩の巨人というよりは、昔のSF映画に出てきた丸っこい円筒形のロボットに似ていると思う。というか、俺にはロボットのようにしか見えないのだが、司書たちはこの世界の常識から近い概念を引っ張ってきて便宜上ゴーレムと見なしているらしい。
その番人の背後には、グレーに偏光した光のバリアが張られていて、番人が訪問者を資格ありと認めなければ通行できないようになっている。
過去には番人を破壊しようとした司書がいたらしいが、司書は番人に拘束された上で迷宮の外へと転移させられ、その後二度と図書館迷宮に入れなくなったという。
俺が番人を観察していると、番人が身体のどこからか声を発した。
「――知識を求める者に問う。雷と磁石の間の関係について脳内に想起せよ」
と、このように番人は訪問者の知識を問うてくる。
問いには口頭で答える必要はなくイメージするだけで十分だ。いちいち答えなくていいのは楽でいいが、逆に言えば誤魔化しが利かないともいえる。答えを誰かから聞いておき、その通りに答えるということができないってことだからな。
それにしても、今回の問題は易問だった。《電磁バリア》の開発のために、電気と磁力の関係については相当に研究を重ねている。その上、【電磁魔法】でいろいろな実験をし、《電磁バリア》の訓練もしているから、理屈以上に体感としてよくわかるようになっていた。むしろ逆に、この世界の成り立ちや神話について掘り下げて聞かれる方が俺としては大変だ。
「――賢き者に知識は与えられん」
番人が音を立てずに床を滑り、俺に道を開けるのと同時に、正面にあった光のバリアが消滅した。
どうやら、合格判定をもらえたらしい。
しかし、
「賢き者ねぇ……でも、知識って賢くない者にこそ与えなきゃいけないんじゃないか?」
前々からの疑問が口から零れる。
この図書館迷宮のシステムでは、「賢い」者がますます賢くなり、「賢くない」者は置いてけぼりにされてしまう。第4層に到達した司書と、第5層にまで到達した司書とでは、持っている知識の次元が大きく異なる。第4層到達者を何人集めても、ただ一人の第5層到達者には知識の面でまったく敵わないということになってしまう。
「それだけ深層には危険な知識が眠ってるってことなのかもしれないが……」
俺はつぶやきながら、図書館迷宮を進んでいく。
今歩いている通路は、天井こそ高いものの、幅が2メートルほどしかないのでかなり圧迫感がある。左右の壁はすべて書架で、そこにはぎっしりと本が詰まっているからなおさらだ。
本の背を睨みながらゆっくりと進み、たまに目的に適いそうな本を見つけると〈サイキック〉の念動力で取り出して(書架が高くて届かないのだ)パラパラとめくる。
いい加減そうに見えるかもしれないが、実はこの図書館、「目当ての資料が見つかりやすい」という性質があるらしく、適当に探しているつもりでもそれなりの確率で目当ての本を引き当てることができる。もっとも、目当ての資料についてある程度具体的なイメージが固まっていなければこの性質は働いてくれないらしいので、結局は普段の地道な研究がものを言ってくる。便利だけど楽はできない、「学問に王道なし」を地で行くような施設だ。地道作業が好きな俺としては、この図書館迷宮を設計した人?に敬意を表さずにはいられない。
そうして15分ほど進んだだろうか。通路の先に、灯りが見えた。あれは司書の間で「閲覧室」と呼ばれている空間だ。各階層の要所要所に存在し、自習用のスペースと簡単な居住空間とが用意されている。
図書館迷宮の司書たちは、それぞれ自分のレベルに合わせた地点にある「閲覧室」にこもって、日々図書館資料の研究に邁進している。それぞれの司書ごとに暗黙のナワバリのようなものがあって、年次の浅い司書はベテラン司書の使う閲覧室を避けることになっているらしい。一見不合理なようだが、図書館に蔵された知識は膨大で多岐にわたるから、司書の専門分野はあまりかぶらない方がいいという合理的な理由もある。
とはいえ、ここは最前線――第5層だ。閲覧室のかぶりは心配しないでいい。
そう思って、俺は挨拶もせずに閲覧室へと足を踏み入れた。
すると、
「――あら?」
閲覧室には、いるはずのない先客がいた。
亜麻色の長い髪を三つ編みにした、落ち着いた雰囲気の少女だ。年齢は、16、7歳くらいだろうか。服装はゆったりとした麻の上衣に丈の長いスカート、肩には大きめのショールをかけている。
彼女を見て、俺の頭には複数の疑問が浮かんでいた。
たとえば、
「……どうして眼鏡をしてるんだ?」
そう。少女は大きな丸眼鏡をかけていた。レンズに薄い青色がついているから、大きさの割に野暮ったい感じはない。流線型のフレームも相まって、むしろ近未来的な印象すら受ける。地味な容姿の中で、この眼鏡だけが浮いている感じだ。
眼鏡の奥の灰青色の瞳が、首を傾げる俺へと上目遣いに向けられた。
眼鏡に隠されていた目は大きめで、好奇心の強さを表すかのようにキラキラと輝いている。
こうして見ると、結構な美少女だ。地味な髪型や服装をしているが、有名なモデルか女優が正体を隠しているような、そんな作られた地味さのように思えなくもない。
「えっと、それは、目があまりよくないからです」
少女が小首を傾げてそう答えた。
「そういうことを言ってるんじゃない。眼鏡はつい最近俺が開発したばかりで、王都で使ってるのはデヴィッド兄さんだけのはずだ」
「えっ……あら、そうなんですかぁ……
「……代々近視の家系なのか?」
「えっ? ……そ、そうです。遺伝的にあまり目のよくない家系なんです」
少女の受け答えはどこかぎこちない。
メルヴィでなくても、少女が嘘をついているのはバレバレだ。
「……あんたは司書なのか? その割には、これまで見たことのない顔だが……」
「そ、それは、わたしはほら、優秀な司書ですので、主に深層を探索してるんです」
「深層って……現在の探索の最前線は第5層の3-3-6――つまりここなんだぞ?」
「そ、そうなんですかぁ! わ、若いのに優秀な司書さんなんですねっ」
「いや、俺は司書じゃなくて、単に王様から許可をもらって潜ってるだけなんだけど」
ますます怪しい。自分で言うのも何だが、王から特別に許可をもらって最前線を探索している6歳児の俺は、図書館の中でもかなり目立つ存在なのだ。王から緘口令が敷かれているため、俺のことを口外する司書はいないが、だからといって俺のことを知らないわけではない。
俺はもう一度、まじまじと少女を見る。
大きな眼鏡と前世のステレオタイプな図書委員みたいな三つ編みのせいで損をしているが、顔立ちは相当に整っている。ちゃんとした格好をしたら、エレミアにも負けない美少女で通るだろう。いや、「このちょっと野暮ったい感じが逆にいい」という男子もいるだろうから、今の状態のままでも美少女と呼ぶにやぶさかではない。
と、そこまで観察して、俺はふいにその顔に見覚えがあるような気がしてきた。
「……なあ、ひょっとしてどこかで会ったことがないか?」
へたなナンパのセリフみたいになってしまったが、
「え、ええっ!? そ、そんなことはないと思いますよ……?」
少女はおどおどとそう言った。
……どうも、少女のおどおどは生来のもののようだ。嘘をついているのかそうでないのかがかえってわからなくなってきた。
「うーん……」
俺は正式な司書ではないので、司書全員の顔を知っているわけではない。
だから、彼女のような司書がいたとしてもおかしくはないのだ。
もちろん、なぜ最前線であるはずのこの閲覧室に先回りできたのかという疑問は残るが、最前線の報告は司書が行うのだから、勝手に最前線を超えて探索を進め、そのことを黙っている司書がいる可能性もないわけではない。ビブリオキーも、俺みたいに警備の騎士に呼び止められでもしなければ、他人に見せる機会はあまりない。
でも、彼女が隠したがっているのなら、これ以上詮索してもしかたがないだろう。うるさいことを言えるような立場でもないし、目の前の少女に危険があるようにも見えない。それにそもそも、図書館の入口でチェックを受けているはずだ。
「ま、いいか。それより、この閲覧室は、もうあんたのナワバリなのか? 俺はこの辺で電磁気や機械製作について調べようと思って来たんだけど……」
ここが彼女のナワバリなのだとしたら面倒なことになる。
「い、いえ、わたしのナワバリ?というわけではないです……よ?」
「でも、ここを使ってるんだろう? どうして司書部に黙ってるのかは知らないけど、ナワバリなんじゃ?」
「な、ナワバリ……」
少女は眉根を寄せて黙りこんでしまう。
そして、
「よ、よくわかりませんけど、ここは公共の場所なんですから、ナワバリとかそういうのはよくないと思いますっ! みんなで仲良く使わないと」
「ま、まあ、それは正論っちゃ正論だけど」
まさか、「ナワバリ」の話が通じてないのか?
もちろん、暗黙裡の約束だから、知らない司書や気にしないという司書がいたとしてもおかしくはないのだが。
「じゃあ、ここを使わせてもらっても?」
「は、はいっ」
「そういや、あんたは何を調べてるんだ? いや、聞かない方がいいなら聞かないけど」
「わたし……ですか。ちょっと常識が欠けてるので、それを補おうと思ってここに来たんですが……」
「じ、常識? でもここは技術書が中心の場所だぜ?」
「あぅ……だからその、ま、迷ってしまって……」
「いや迷ったって」
くりかえすが、図書館迷宮には番人や階層の番人がいる。
たとえ迷ってだろうとこの場所に来るためには、彼らの試問をクリアする必要があるのだ。俺だって前世知識だけではなく、それなりに予習をしてからでなければ、番人の試問をクリアすることは難しい。それを初見でクリアしてしまったのだとすれば、目の前の少女は俺の知りたいことについて詳しい可能性が高い。
「……なあ、それなら、俺と協力しあわないか?」
「へっ? き、協力……ですか?」
「ああ。あんたは、何はともあれ、この辺に埋もれてる知識には見当がつくんだろ? だから、俺が必要とする資料を探す相談に乗ってほしい。逆に、俺はあんたが調べたいっていう『常識』について相談に乗るよ」
というか、常識って図書館で調べられるものなのか?
王立図書館迷宮は知識の宝庫だが、市井の常識についての資料なんてあるかどうか。なんでも歴史書に関しては、誰が書いたわけでもないはずなのにいつの間にか情報が更新されているらしいが、「常識」について同じような書物があるという話は聞いていない。
俺もこの世界については疎かったので、何年か前にその辺りについては調べてみたことがある。しかし結局、常識については、父さん、母さん、ステフ、エレミアなど、身近な人たちとよくコミュニケーションを取ることだという、それこそごく常識的な結論へと至って、図書館での資料探しは諦めることにした。
だから、常識について知りたいということなら、俺はそれなりに役に立てるのではないかと思う。
「ほ、本当ですかっ!」
少女が、ぐっと身を乗り出して聞いてくる。
「あ、ああ……」
「わかりましたっ! それでお願いします!」
少女が言ってぺこりと頭を下げてくる。
「こちらこそ、よろしく。俺はエドガー。エドガー・キュレベルだ」
「わたしは……そうですね、ルーチェと呼んでください」
そう言って微笑む少女――ルーチェさんは、まるで花が開いたようだった。
ぽうっと見とれてしまっていると、
「――エド? いるのかい?」
背後から声をかけられる。
「デヴィッド兄さん」
迷宮の通路から閲覧室に現れたのはデヴィッド兄さんだった。
兄さんも後から来て、さっきの番人の試問を無事にクリアしたのだろう。
……ま、心配はまったくしてなかったけどな。
「一体誰と話して――ってそちらは?」
「あ、あぅ、その……」
兄さんに視線を向けられ、固まってしまうルーチェさん。
「ルーチェさんって言うらしい。俺がここに来たら、先にいたんだ」
「えっ……先に? 参ったな、じゃあここはもう彼女のナワバリなのかい?」
「いや、彼女はナワバリとか気にしないってさ。協力しあえないかって話をしてたんだ。
……って、ごめん、ルーチェさん。こっちは、俺の兄でデヴィッドという」
「あっ、はい、初めまして。エドガーさんとお話してました」
そう答えるルーチェさんに、兄さんは声を潜めて、
「……エド、彼女に眼鏡をあげたのかい?」
「ううん。彼女の家に伝わる家宝なんだって。迷宮のこの辺りには詳しいみたいだから、資料探しを手伝ってもらうことになった。その代わり彼女は常識に疎いから教えてほしいって」
俺が言うと、デヴィッド兄さんは少し考える様子を見せた。
……うん。言うまでもなく怪しいからね。
とはいえ、ルーチェさん自身はとても悪人には見えないから、何か事情があって素性を隠しているのではないか。
貴族家の中にはさまざまな事情で表に出せない子どもを抱えているところもある。嫌な話だが、容姿が醜いだとか、心身に障害があるだとか、本当に当主の種であるか疑わしいだとか、貴族としての「体面」を気にして子どもを一生閉じ込めてしまう場合があるらしい。そういう子どもは「忌み子」と呼ばれて、歴史の深い貴族家ではそこまで珍しい存在ではないのだという。
ルーチェさんはさっき、フルネームを名乗らなかった。そこに、きっと何らかの事情があるのではないかと思う。
【真理の魔眼】を使えばわかるとは思うが……危急の時とどうしても知りたいことがある時以外はあまり使わないようにしている。こっちが知らないはずのことをポロリと口にしてしまったら、不審がられてしまうだろう。俺は嘘が下手だし、感情がわりと顔に出てしまう方らしいからな。
それにそもそも、個人情報の塊であるステータスをむやみに覗き見するのは気が引ける。
もう5年以上前のことになるが、ソロー司祭からも【鑑定】の濫用は慎むようにと言われていた。ステータスに秘密を持つ者は多いから、万が一スキルのことを知られると、深刻なトラブルに巻き込まれるおそれがあると。
デヴィッド兄さんがちらりと俺を見る。
俺が小さく頷くと、それだけで兄さんは、俺がステータスを見ていないと理解したようだ。頷き返してくれたので、兄さんも俺の判断は妥当だと思ったのだろう。
「そうか。ルーチェさん、その話、僕も仲間に入れてくれないかい? エドとはよく知識のやりとりをしてるし、同じ区画を探索することも多いんだ」
「はい、いいですよっ。うわぁ、これからは寂しくありませんねっ!」
そう言ってルーチェさんは、満開の笑顔を今度はデヴィッド兄さんに向けた。
俺がそっと兄さんを見上げると――そこには驚くべき光景があった。
「あ、あぅ、ああ……わ、わかっ、そ、そうだ、そうです……ね」
いつも冷静沈着なデヴィッド兄さんが、真っ赤になっていた。
俺がプレゼントした眼鏡の下の色白の肌がゆでたこのように赤くなっている。
「ぼ、ぼきゅは……い、いや、僕は、き、今日は用事があるんだった……済まない、エド、共同研究はまたにしよう」
途中から兄さんは露骨に俺しか見なくなっていた。
「ああ、兄さんは正規司書だから忙しいよね。また今度、ここでいい?」
「こ、ここ、そう、ここだな。ここで頼むよ」
「ルーチェさんも、しばらくはこの閲覧室で落ち合うような感じでいいかな?」
「はい、いいですよ。私はたいていこの辺りにいますからっ」
「だってさ、兄さん」
「な、何が『だって』なんだい、エド……とにかく、僕はもう行くから……」
カクカクとロボットのような動きで通路へと戻ろうとするデヴィッド兄さんに、
「そうですか……残念ですね。今度から、よろしくおねがいしますねっ!」
ルーチェさんが再び笑みを飛ばす。
「あ、ああ、よ、よろしく……る、ルーチェ、さん」
「はいっ、デヴィッドさん」
「っ……!」
顔を赤くしたまま、兄さんがよろよろと退出する。
退出間際に、書架の端に足をぶつけるが、気づいた様子もなく逃げるように閲覧室から出て行ってしまった。
「……どうしたんでしょうか? 顔が赤かったようですが、お風邪でしょうか?」
不思議そうに小首をかしげるルーチェさん。
「……風邪ではないけど、別の病気にかかったみたいだね」
ドヤ、という顔で言ってみるも、ルーチェさんの顔には?マークが浮かんでいた。
――兄さん……ひょっとしなくても、運命の相手を見つけたんじゃないの?
次話、明日(7/31 6:00)掲載予定です。