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87 白い羽の幼女

 洞窟の奥にたどり着くと、アルフレッド父さんとジュリア母さんがドラゴンと戦っていた。

 洞窟の奥は、ちょっとしたドーム型の空間になっていて、俺たちと父さんたちとはそれぞれ別の入口からこの広間へとたどり着いたようだ。

 高さ3メートルほどの洞窟から高さ6、7メートルはありそうな広間に出ると、そこにはアイスブルーの巨大なドラゴンがいた。母さんの生み出した魔法の灯りに照らし出されたドラゴンは、体高4メートルといったところで、何やらキラキラと輝く息を吐いたり、長い尾を振り回したりして父さん・母さんを翻弄している。


「先に()ってるよぉ~」


 ジュリア母さんが、広間に現れた俺たちにちらりと目をやりながら言ってくる。

 ……余裕だな。


「気をつけろ、エド! こいつ、氷霜が効かない!」

「《ガトリング・フレイム》もあんまり効いてないみたいぃ!」


 訂正。結構切羽詰まっていたらしい。

 母さんはリラックスしてる時と緊張がラインを超えた時に語尾の間延びがひどくなるからな。


「なんだ、このドラゴン!」

「わたしに聞かれてもぉ! エドガーくんが調べてよぉ!」


 それもそうだ。

 俺が【鑑定】して確かめればいい。

 【鑑定】は【解析】などのスキルと合成して、今は【真理の魔眼】といういかつい名前の神話級スキルへと進化している。

 その【真理の魔眼】でアイスブルーのドラゴンを見てみると、


 ヴァンデリンゲン(《双子氷竜》)

 19歳

 ニヴルドラゴン


 レベル 31

 HP 6429/6632

 MP 966/1051


 アビリティ

 フリージングブレス ★★★☆☆

 ポイズンクロー ★★★☆☆

 テイルブロウ ★★★☆☆

 飛行 ★★★☆☆

 〔パッシブ〕氷結装甲 ★★★☆☆(自身への攻撃を氷結竜鱗の魔力によって自動的に凍結させ、衝撃を和らげる。)

 〔パッシブ〕解毒 ★★☆☆☆

 〔パッシブ〕強免疫 ★★☆☆☆


 スキル

 ・汎用

 【水魔法】7

 【竜脚格闘】6

 【竜爪技】6

 【風魔法】5

 【竜鱗防御】4


 以前カラスの塒のそばで見た仔火竜よりは強いが、親火竜と比べたら足元にも及ばない感じだな。

 とりあえず、


「氷結装甲というアビリティのせいで、攻撃が通じにくいみたいだ! それから爪には毒があるから気をつけて!」

「了解! となると、エドかステフさんの火力が頼みか!?」


 アルフレッド父さんの言葉に、ステフが大剣を手に前に出る。

 が、


「――待って! あの竜、様子が変じゃない!?」


 エレミアの声に、ステフが動きを止める。


「そうなんだよぉ! あの竜、こっちを襲おうとしてるっていうより、むしろ――」

「何かを守ろうとしてる感じ、だね」


 ジュリア母さんの言葉を、エレミアが引き継いだ。

 何かを守ろうとしている?

 俺はニヴルドラゴンの背後に目を向ける。

 そこには、俺たちが入ってきたのと同じような大きさの穴があり、洞窟はさらに奥に続いているようだった。


「……あの奥に何かが?」

「たぶん!」


 俺の言葉に、ジュリア母さんが頷いた。


「よし、それなら――」


 俺は次元収納からハズレ魔晶の複合杖(コンポジットロッド)を取り出し、【幻影魔法】の魔力を豪快に注ぎこむ。そして、


 ――グォギャアア!?


 ニヴルドラゴンが悲鳴を上げて後退る。

 今、ニブルドラゴンには、俺が【幻影魔法】で生み出した火竜アグニアの姿が見えているはずだ。


「今のうちに! 早く!」


 俺の言葉を受けて、一同が奥の穴に向けてダッシュをかける。

 エレミア、ステフ、父さん、母さんの順で穴に到着した。俺はハズレ魔晶の複合杖(コンポジットロッド)を構えたまま殿(しんがり)となって最後に到着だ。 

 そこへ、【幻影魔法】の解けたニヴルドラゴンが迫ってくる。

 が、奥の穴は高さが2メートル半くらいしかない。体高4メートルのドラゴンはむりやり身体を穴に押し込もうとするが、壁の一部が崩れただけでどうにもならなかった。

 それにしても、このドラゴンは必死だ。今だって身体が傷つくのもいとわず穴へ首を突っ込んできている。

 この奥にいったい何がいるのか――?


 いや、今は考えてる場合じゃないな。

 ドラゴンが冷静になってフリージングブレスとやらを吐いてくると面倒だ。


「エレミア、頼む!」


 俺が声をかけると、エレミアは待ってましたとばかりに前に出た。


「――闇の精霊よ、人の心に夜の息吹を与え給え」


 エレミアがニヴルドラゴンに【精霊魔法】を使う。濃密な「夜」の気配を生み出すことで強い眠気を催させる術だ。〈黒魔術師〉のクラスを持つエレミアでなければ使えない高度な状態異常魔法だった。


 実用レベルで状態異常魔法を使える者はほとんどいない。理由は単純で、MPの効率が悪すぎるからだ。相手も魔力を持っている以上、状態異常にかけるには、通常それ以上の魔力が必要となる。それだけのMPを使うのなら素直に攻撃魔法を使った方が効率がいい。

 もちろん、メルヴィが覚えた【催眠術】のような例外はあるが、逆に言えばそのような特殊なスキルがなければ実用的なレベルで状態異常魔法を使うことはできないということだ。

 ましてや今回の相手はドラゴン。人間とは保有するMPの桁が違う。

 が、エレミアは1日2回の最大MP拡張によって4000近いMPを獲得している。ジュリア母さんやアルフレッド父さんは、MPを使い切って気絶すると眠りが浅くなる気がするというので、MP拡張は1日1回までに抑えている。しかし【疲労転移】のあるエレミアは、俺ほどではないまでも眠りが少なくて済むので、1日2回MPを使い切るようにしていた。だから、キュレベルファミリーで俺に次いでMPが高いのは、現在はエレミアとなっている。


 エレミアが魔法に魔力を注ぎ込んでいくと、最初は抵抗するように身じろぎしていたドラゴンの首ががくりと崩れ、ドラゴンは地響きを立てて地面へと倒れこんだ。


「……怪我はない?」


 ドラゴンが無事眠り込んでいるのを確認してから、俺は父さんと母さんに聞く。

 今の俺は【治癒魔法】が使えるのでちょっとした怪我ならこの場で治せる。


「うん、大丈夫だよぉ」

「僕も怪我はしてないよ。エドに教えてもらった【見切り】があるからね」


 二人は揃ってそう答えた。


「じゃあ、奥に進んでみようかぁ。ドラゴンさんもいつ起き出してくるかわからないし」


 パーティのリーダーである母さんがそう言ったす。


「……ボクは残ってドラゴンを見張っていようか?」


 エレミアがそう提案する。


「うーん。エレミアちゃんならドラゴンが起き出してきても眠らせられるもんねぇ。

 でも、ついてきてもらったほうがいいかなぁ」

「僕も同意見だ。この先に何がいるかわからない以上、斥候としての能力が高いエレミアをここに置いていくのは惜しいと思う」


 そんなわけで、俺、アルフレッド父さん、ジュリア母さん、エレミア、ステフの5人となったパーティで洞窟の奥を目指す。

 といっても、洞窟自体はほんの数百メートルくらいしか続いていなかった。

 洞窟の奥には、ドラゴンのいたさっきの広間ほどではないが、ちょっとした大きさの空間があり、その真ん中には藁のような枯れ草が山のように積まれていた。

 枯れ草の山の高さは、2メートルくらい。人がすっぽり隠れられそうなくらいの大きさだ。

 ……って、ん?


「……あれ? 何かいる……かも」


 エレミアがそう言って一同を制止する。

 エレミアは2本の短剣を手に、枯れ草の山へと慎重に近づいていく。

 エレミアが枯れ草をかき分けた先に、何か黒いものが見えた気がした。


「これは……」


 エレミアが藁をかき分けたままの姿勢で硬直した。

 俺も〈仙術師〉の気配察知能力で既にそこに「何か」がいることに気づいている。

 エレミアが戸惑った顔のまま、俺たちに手招きをした。

 俺たちはエレミアに近づき、枯れ草の中にあった――いや、いた(・・)ものを覗きこんだ。



「――女の、子?」



 そこにいたのは、幼い女の子だった。

 年齢は5、6歳くらいだろうか。真っ黒な長い髪に埋もれるようにして、透けるように白い身体を小さく丸めて眠っている。

 少女は一切の衣服を身につけていなかった。

 そのことも、本来ならばいちばんに不思議がるべきところだったと思うが、俺たちの視界にはもっと驚くべきものが収まっていた。


「は、羽ですかぁ……?」


 ステフがつぶやく。

 ステフの言った通り――目の前の全裸の少女には、一対の小さな羽があった。

 肩甲骨の辺りから生えた、蝙蝠を連想させる滅紫(けしむらさき)の小さな羽が、少女の呼吸に合わせてゆっくりと脈打っている。


「……魔物……じゃないよねぇ?」


 ジュリア母さんが眉根にしわを寄せてつぶやいた。

 俺も首を傾げながら思わずつぶやく。


「たしかにこの世界には獣人がいるけど、鳥型の獣人はいなかったはずだよね?」


 サンタマナ王国は人間を中心とした国であるため、獣人を見かけることはあまりない。

 といっても、王国が獣人を排斥しているというわけではなく、単に人口比の問題だ。とはいえ、少数派はやはり気兼ねをする面があるようで、王都の獣人たちはフードをかぶるなどして獣人としての特徴を隠している場合が多いという。ただし、差別は王法で禁じられている上、《陽気な王様(メリーモナーク)》ヴィストガルド1世は博愛主義者として有名だ。そのお膝元での差別にはそれなりに厳しい罰が科されている。

 いや、話が逸れたが、空を飛べる獣人の存在は確認されていなかったと思う。図書館迷宮の資料でもそういう話を見たことはない。


「ドンナなら詳しかったかもしれないけど……」


 エレミアが言う。

 たしかに、月犬族という犬型の獣人であるドンナならば、何かを知っていたかもしれない。

 が、ドンナとは5年前に別れたきりとなってしまっている。今頃はガナシュ爺と世界を巡っているのだろうか。……なつかしいな。


「獣人の中には世に存在を知られていない稀少な種族もいるというから、鳥型の獣人がいたとしても不思議ではないね。

 ……それより、何かうなされてるようだけど」


 父さんの言葉で、獣人?の少女に視線を戻す。


「う、うう……っ! いや……っ! あばれないで……くるしいよぅ……」


 少女は幼い顔を歪ませ、額にびっしりと汗をかきながらうなされている。

 見かねた母さんが少女の前にしゃがみこみ、ハンカチでその額を拭ってやりながら、


「怖くない、怖くないよ」


 そう言って少女をあやす。

 寝ているなりにわかるのか、少女の様子が少し穏やかになった。

 そして――


「……ふ、ふぁ……?」


 少女がうっすらと目を開く。


「……大丈夫?」


 心配そうに言う母さんと、少女の目が合った。

 少女はびくりと硬直し――


「ギャアアアアアアアアアアッ!」


 少女が人ならざる悲鳴を上げて暴れ始める。

 少女の指先が高速で母さんの頬をかすめた。

 ピッ――と音を立てて母さんの頬に一条の赤い線が走る。


「ジュリアっ!?」

「大丈夫! 手は出しちゃダメ!」


 思わず槍を構えた父さんを制止しつつ、母さんが少女の腕をかわして背後へと回りこみ、後ろからしがみつくようにして少女を押さえようとする。

 母さんは護身用に【格闘技】のスキルレベルを4まで上げているし、メルヴィに【催眠術】で俺の記憶の底から引っ張りだしてもらった合気道の技も身につけている。実戦で使うには心もとないが、小さな女の子を取り押さえるには十分すぎるはずだった。

 が、


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」

「きゃあっ!」


 少女の腕に鱗のようなものが浮かんだかと思うと、母さんが身体ごと持ち上げられ、背負投げのようにして地面に向かって投げ下ろされる。


「《アクアクッション》!」


 俺はとっさにやわらかい水の塊を母さんの下に生み出した。

 水のクッションは目論見通りに衝撃を吸収し、母さんはぐしょ濡れになりながらも無事地面に尻餅をつく。


「――エレミア!」


 と俺が叫ぶが、エレミアは言われるまでもなく既に動いている。

 エレミアは素早く少女の背後を取ると、腕の関節を決めて身動きを封じた。

 しかし、


「オ゛オ゛オ゛――ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」

「きゃっ……!?」


 咆哮ととともに、少女の腕に鱗が浮かび上がり、さらに、腕自体が太くなっていく。

 いや――


竜人(ドラゴノイド)!?」


 父さんが叫ぶ。

 そう。少女の腕は、竜の腕へと変化していた。鱗の形がさっき見たばかりのニヴルドラゴンのものとそっくりだ。

 と同時に、少女の羽がメキメキと音を立てて大きくなり、色もどす黒く染まっていく。

 少女の身体を包み込むほどに長い漆黒の髪も、何らかの力によって大きく広がった。

 目は爛々と赤く輝き、唇には酷薄そうな笑みが浮かぶ。

 少女の腕を押さえるエレミアが、徐々に引き剥がされそうになり――


「……っ! ごめんね!」

「ァガッ!?」


 エレミアは謝罪の言葉とともに、少女の肩関節を外していた。肩まではまだ竜化が及んでいなかったのだ。

 そして、


「――闇の精霊よ、人の心に夜の息吹を与え給え」


 エレミアが少女に睡眠魔法を使う。


「ウッ……グググ……」


 しかし、エレミアの魔法がなかなか効かない。

 スキルやアビリティで無効化されているわけではなさそうだが、魔法自体への耐性が高いのだろうか? 魔族を筆頭に、種族によっては魔法に強い耐性を持つ者もいると聞いたことがある。

 とはいえ、エレミアは最大MPの拡張を真面目に何年も続けてきたおかげで膨大なMPを持っている。エレミアはMPを湯水のごとく魔法へと注ぎ込み――


「……ア゛……ゥ」


 少女ががくりと頭を垂らした。

 冷やっとしたが、エレミアの睡眠魔法はなんとか効いてくれたようだ。


「ふぅ……びっくりした……」

「おつかれ、エレミア」

「驚いたよ。この子、まるで死霊系の魔物みたいに魔力の通りが悪かった……」


 エレミアが額の汗をぬぐいながら言うのと同時に、ブワッと音を立てて、少女の羽から黒い気配が霧散した。

 その後に残ったのは――真っ白な羽だった。

 最初の蝙蝠羽やついさっきの巨大な羽と比べると、骨格からして別物のように見えるんだが……これは一体?

 宙に広がっていた髪も落ち着きを取り戻し、前髪の中から、ぴょこんと一房の白い髪が飛び出してきた。長くてピンとした、アンテナみたいな髪だ。前世の用語で言えば、アホ毛ってやつか。

 竜のようになっていた腕も元の人間のものに戻っている。

 表情も安らかになり、こうしてみると幼い天使が膝を抱えて眠っているようにも見えた。


「こ、これは……?」


 少女の変貌を目の当たりにして、呆然とつぶやく父さんに、母さんが言う。


「……ハーピーの羽によく似てるねぇ。それも、ハーピークイーンの羽に近いかも。ほら、この風切羽のところが、少しピンク色になってるでしょ? これがクイーンの討伐証明に使う『ハーピークイーンの風切羽』なんだよぉ」

「さっきは竜化しかけたように見えたけど……」

「本物の竜人(ドラゴノイド)の竜化は、あんな感じじゃないよ? もっと時間をかけて変化するし、最終的にはもっと大きくなる。そうしないと、体温が急激に低下して動けなくなるって言ってた」

「見たことあるの、母さん?」

「うん。一度だけ。武者修行で炎熱大陸に渡った時に、竜人(ドラゴノイド)の冒険者さんと組んだことがあるよ」


 炎熱大陸というと、サンタマナ王国のある竜蛇舌大陸(ミドガルズタン)から南にある灼熱の大陸で、リザードマンが多くのコロニーを作っているせいで人間は沿岸部にぽつぽつと住み着いているだけだと聞く。……そんなところにも行ってたのか、母さん。


「じゃあ、さっきのあれは一体?」

「わからないけど、竜人(ドラゴノイド)の竜化とは違うと思う。竜っぽい鱗が浮いて力が強くなったけど、竜になろうとしたわけじゃなかったよねぇ。なんていうか、部分的に竜になった……みたいな?」

「部分的に……?」

「でも、竜人(ドラゴノイド)さんたちは、竜と人の中間なんじゃなくて、竜か人かなんだよ。神話時代の偉大な竜が、身体が大きすぎて不便だからって、人の姿を取れるように自分自身を進化させたのが最初だって聞いたよ。だから、竜か人かのどちらかであって、人のまま竜の力を使うことはできないんだって。無理に変身しようとすると身体がバラバラになるって言ってたよ。そりゃ、普通の人間より力が強かったり身体が頑丈だったりはするらしいけど」


 なんとなく半竜半人のリザードマンみたいな容姿を想像していたのだが、意外と常識的な格好をしてるんだな。


「じゃあ、竜人(ドラゴノイド)といっても、羽が生えてたりはしないのか?」

「うん。それに、さっきも言ったけど、この羽は竜の羽とは違うよぉ?」


 母さんが少女の白い羽を指さして言った。


「だけど、暴れてた時は、羽が大きくなって鱗が浮いてたよな。腕が竜みたいに変化してたんだから、あの羽も竜のものになりかけてたと考えるのが自然な気がするんだけど……」


 俺が首をひねりながら言うと、エレミアが小さく手を上げて言った。


「でも、エドガー君。竜の羽にしては、翼膜は薄かったよね? ボクも火竜とさっきのドラゴンくらいしか見たことないけど、ドラゴンの翼膜はもっと分厚くて丈夫そうだったよ。

 むしろ、あの羽は吸血蝙蝠系の魔物のものに似てた気がする。昏き森には蝙蝠系の魔物が結構いたから間違いないよ。

 だけど、そうだとしても、鱗が羽にも浮かんでたのがおかしいよね……。吸血蝙蝠に鱗なんてないし」


 エレミアは自分で言い出して、自分だけで完結してしまった。


「うーん……どの説も一長一短か」


 メルヴィがいたら何かわかっただろうか?

 いや、待て、まだ【真理の魔眼】を使ってないじゃないか。

 【鑑定】にせよ【真理の魔眼】にせよ、集中するために一瞬の隙ができてしまうから、本当に危ない時ほど使いづらいのが欠点だな。えてしてそんな時ほど相手の情報がほしかったりするのだが。

 少女が暴れている時に俺が準備をしていたのは、何が起きてもみんなを守れるはずの、《電磁バリア》とは別の防御魔法だった。さすがに、高度な魔法の準備をしながら【真理の魔眼】も使うというわけにはいかなかったのだ。

 俺は【真理の魔眼】を少女へと向け――



「――づぁっ!?」



「ど、どうしたの、エドガーくん!?」

「エドガー君!?」


 ジュリア母さんとエレミアが、俺に駆け寄って尋ねてくる。


「め、目がチカチカする……」


 【真理の魔眼】自体は発動し、少女からステータス情報が返ってきたのだが、その情報がいつものようにステータスとして表示されない。


「な、なんだこれ……」


 俺は目を細め、【真理の魔眼】を絞ってもう一度慎重に少女を見つめてみる。

 相変わらず目がチカチカするが、改めて観察してみると、それは情報が目まぐるしく移り変わるからのようだ。クラス〈仙術師〉による視力の補正が働いて、時々ちらちらと数値やスキル名が視界に引っかかるが、その内容はでたらめだった。

 そのままじっと目を凝らしていると、情報が徐々に整理され、おなじみのステータス画面となって浮かび上がった。

 しかしその内容は――


 アシュラ(エンブリオ接種者(タイプC)・《万魔殿(パンデモニウム)》)

 <!情報が不正です!>歳

 <!未定義の種族です!>

 状態:??ンブ??・????トフ????オ


 レベル <!情報が不正です!>

 HP <!情報が不正です!>

 MP <!情報が不正です!>


 <!カテゴリが不正です!>

 <!存在しないスキルを参照しています!>


 な、何だこりゃ!?

 ステータスがバグってるってことなのか?


「どうだったの、エドガーくん?」


 ジュリア母さんが聞いてくる。


「わ、わからない。ステータスがおかしい」


 【真理の魔眼】は習得してからまだ日が浅い。何か不具合があってもおかしくはないが……。今度女神様と【祈祷】で話せた時に聞いてみるしかないな。


「お、起きそうですよ?」


 ステフの言葉に、視線を少女へと戻す。

 少女はぱちぱちと不思議そうにまばたきをして、俺たちの顔をひとつひとつ見比べている。さっきよりは落ち着いているように見えるが、まだ警戒を解くわけにはいかない。

 メルヴィがいれば【妖精の歌】で宥めてもらうところなのだが、あいにくメルヴィは今妖精郷だ。


「……自信はないけど、任せてみて?」


 俺の考えていることがわかったのか、エレミアがそう言ってポーチから笛を取り出した。

 エレミアは、〈アサシン〉と〈黒魔術師〉のほかに〈楽器奏者〉という音楽を奏でることに特化したクラスを習得している。演奏に魔力を乗せることができるが、今のところメルヴィの【妖精の歌】ほどの効果はない。


 ……はずなのだが、エレミアの演奏を聞いて、少女の様子が変わっていた。

 目が急にとろんとしだし、顔が赤く染まっている。全身から力が抜けているようで、白くなった羽をぺたんと地面につけて、その場にへたり込んでしまった。

 そして、


「~クゥ、キキキ、ルル、ピィピピピ……♪」


 少女が、エレミアの演奏に合わせて歌い出した。

 小鳥がさえずるような声と、少女らしい声がシームレスに交じり合った不思議な歌声だ。

 ただ、魔性の歌声という感じではなく、歌うのが楽しくてしかたがない小さな子どもの歌という感じだった。


「ハーピーは音楽に目がないって話があるけど……」


 母さんは、この子はハーピーと関係があると思ってるみたいだな。

 外にはハーピーがたくさんいたから、妥当な推理ではある。


「竜の中にも音楽を嗜むものがいるというよ?」


 父さんはドラゴンとの関係を疑っているっぽい。

 ニヴルドラゴンが少女を守っていたことに加え、さっきの「竜化」だ。

 父さんの疑いももっともだと思う。


 そして、今笛を演奏しているエレミアは、ついさっき死霊説や吸血蝙蝠説を唱えていた。

 根拠は魔力が通りにくかったことと、少女の羽の形状か。

 これにも一理があるな。


 俺か? 俺は見たまんま、羽の生えた女の子だなと思っただけだ。エルフやドワーフや獣人のいる世界で生きてきて、今さら驚くほどのことだろうか。


 ただ、さっきの【真理の魔眼】の結果はかなり気になっていた。

 ステータスがおかしいことはもちろんだが、唯一まともだった二つ名の欄も気がかりだ。意味深な二つ名それ自体も気になるが、二つ名があるということは、それなりの数の人にその二つ名で呼ばれていたということだ。


 そして、少女の名前。アシュラ――阿修羅?

 もちろん、この世界にそのような名前がないとは限らない。竜蛇舌大陸(ミドガルズタン)東方の海域に存在する東方領域と呼ばれる島嶼部に住む人々の中には、前世の日本人のそれに酷似した名前の持ち主がいるらしい。そうでなかったとしても、たった3音の名前だ。偶然の一致だとしてもおかしくはないが……転生者である俺にはやはり引っかかる名前だった。


 少女が陶然としている間に、俺は次元収納から自分用の服を取り出し、ステフに手渡して目配せをした。


「はぁ~い。ちょっと我慢して下さいね~」


 俺の意を汲んだステフが声をかけ、手際よく少女に服を着せていく。

 少女の背には大きな羽があるので上着がそのままでは入らない。ステフは俺に断ってから、上着の後ろ襟から背中にかけてをナイフで切り開き、羽をそこに通してから、2つに切られた後ろ襟同士を、羽の上側で結び合わせて留めた。

 羽の問題を除いても、見た目8、9歳の俺の服だから、5、6歳に見える少女が着るには少し大きい。

 少女はだぶついた袖を不思議そうに引っ張りながら、囁くような声で言った。


「あ……すら」

「スラぁ……?」


 母さんが首を傾げながら聞き返す。

 少女は、夜のような深い藍色の瞳で母さんを見つめ返しながら首を振った。


「ううん、あす、ら……」

「アスラ、かなぁ?」


 音楽の影響がまだ抜けていないのか、少女は舌っ足らずに繰り返すが、母さんには通じていなかった。

 俺が【真理の魔眼】で見た名前を教えようと口を開きかけたところで、少女が不満そうに言う。


「う、ううー……それでいい」

「それでいいってことは、違うってことだろ? 変なところで遠慮するなよ。『アシュラ』っていうんじゃないのか?」


 俺がそう聞くと、少女はこくりを頷いた。


「あしゅ、ら。でも、いやなかんじ」

「嫌な感じ?」

「そうよばれるの、きらい。そうよぶひとが、きらい」


 そうつぶやく少女の声は、この年頃の女の子とは思えないほどに暗かった。

 つまり、こういうことか?

 この子の名前は「アシュラ」が正しいのだが、この子を「アシュラ」と呼んでいた人のことを、この子は嫌っている。それも生半可な嫌い方じゃないのは、この子の表情を見ればわかる。


「で、アスラはどうしてこんなところにいたんだ?」

「…………」

「……言いたくないのぉ?」


 母さんが聞くと、アスラはこくりと頷いた。


「さっきのドラゴンが守ろうとしていたのは、その子だったのかな?」


 父さんが誰にともなくそう言った。

 父さんの言葉に、少女――アスラがびくりと反応した。


「ヴァンのこと……? っ! ヴァンは……ヴァンはどうしたの!?」


 顔色を変えて叫ぶアスラに、エレミアが言う。


「大丈夫。ボクが眠らせたから」

「……ほんとだ……ヴァン、ねむってる」


 目を閉じ、何かを探るような表情でアスラがつぶやく。


「わかるのかい?」


 父さんが目を丸くして少女に聞いた。


「ヴァンは、もうひとりのわたし」

「……? さっきのドラゴンが、もうひとりの君……?」


 とまどう父さんに代わって、今度は俺が聞いてみる。


「ひょっとして、《双子氷竜》……か?」


 アスラがヴァンと呼ぶニヴルドラゴンには、そんな二つ名がついていた。

 だとすれば、アスラとヴァンが双子で、アスラは本来氷竜だということになるのか?

 しかし、思いつきを口にした俺に、アスラは小さく首を振った。


「もう、ふたごじゃない……。でも、いっしょ」


 双子じゃないけど、一緒?

 俺が考え込んでいる間に、母さんがアスラに向かって言う。


「あのドラゴンさんが、アスラちゃんにとって大事だってことはわかったよぉ。でも、このままあの子を放っておくのは難しいよぉ? 表で魔物が暴れてるから、その原因だと思われて、騎士や冒険者がやってくることになると思う……」

「……じゃあ、しまう」

「しまう?」


 アスラはこくりとうなずくと、部屋を裸足でぺたぺたと横切ってドラゴンの方へと向かう。


「――もどって、ヴァン」


 アスラが手のひらをドラゴン――ヴァンの頭にかざしてつぶやくと、ヴァンは頭から青白い光の粒子と化してアスラの手のひらへと吸い込まれてしまった。


「……これで、いい?」


 俺たちは唖然として、返す言葉もなかった。

追記2015/07/22:

ヴァンデリンゲンのアビリティに飛行を追加。

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