NO FATIGUE外伝 キーシーカーを探して
???視点
――あの事件の後、わたしはいろんな人に無理を言って、
加木さんは、わたしの命の恩人だ。
大袈裟でもなんでもない。あの日、通り魔を前に腰を抜かして動けなかったわたしを、文字通り命がけで助けてくれたのが加木さんだったのだ。
見ず知らずのわたしを助けてくれた加木さんは、しかし、警察官に通り魔と間違われて射殺されてしまった。
加木さんが死んだことを知ったのは、担ぎ込まれた病院のベッドの上でのことだった。
当時は情報が錯綜していて、加木さんを通り魔として報道している局もあった。
わたしはあわてて警察の人を捕まえて、事の真相を説明した。
初め、警察は動きたがらなかったが、わたしが真相を記者にも説明すると伝えると、大慌てで訂正の発表を行っていた。
もしわたしが真相を明さなかったら、どうなっていたのだろう?
警察は加木さんを通り魔にするつもりだったのではないかと、その時に知り合ったジャーナリストさんが言っていた。加木さんが通り魔であれば、警察は警官が加木さんを射殺したのはやむをえない措置だったと発表することができる。加木さんは天涯孤独の身で、ゲームを趣味にしている内向的な青年だから、通り魔だったと発表しても、マスコミも世間も納得していただろう、と。
とんでもないことだと思う。
そんなことは許せないと、新聞やテレビの取材を受けていたら、いつの間にか加木さんの誤射殺事件は世論を巻き込んだ大問題へと発展してしまった。
その影響で、加木さんのプロフィールについても各局各新聞で報道されていたが、その報じ方は「ゲームが趣味の人付き合いが悪い内向的な青年」というステレオタイプを一歩も出ないものにとどまっていた。
こんな報じられ方では、加木さんがかわいそうだ。
そう思ったのがきっかけだった。
わたしは加木さんの情報をできるかぎり集めようと思った。
でも、一介の女子高生でしかないわたしに集められる情報なんて、マスコミの報道か、ネットの不確かで断片的な情報くらいで、わたしを助けてくれた加木智紀さんの素顔に迫れるものではなかった。
何事も徹底的にやらないと気が済まない性分のわたしは、加木さんについて自分で調べてみることにした。
といっても刑事でも探偵でもない素人のやることだ。いろんな人に頼んだり、たしなめられたり、怒られたりしながら、生前の加木さんと付き合いのあった人たちを探して行った。
この事件についての警察の対応について教えてくれたジャーナリストさんのアドバイスもあって、事件から何ヶ月も経ってようやく、加木さんの職場の同僚から話を聞くことができた。
しかし、
「加木さんは、どんな人だったんですか?」
そんなわたしの質問に、加木さんの元同僚たちは、難しい顔をして黙り込んでしまった。
「あ、あの……?」
「ううん……加木君かぁ。正直なところ、彼のことはあまり知らないんだよね」
「でも、職場のご同僚で、いちばん親しくされていたと聞いたんですが……」
「たしかに職場の中ではいちばん親しかったかもしれないけど、すごく親しかったとは言えないね。彼、職場の飲み会にはあんまり来なかったからさ」
加木さんのご同僚には何人か会ったけれど、加木さんがゲームを趣味としていることも報道で初めて知ったくらいだと言っていた。ちなみに、加木さんのお仕事はゲームとは全く関係のない業界だった。
その他、加木さんの学生時代の友達や元恋人がいないものかと探してみたけれど、高校時代の同級生が見つかっただけだった。
高校卒業後はあまりつながりがなかったらしく、加木さんの高校時代のエピソードが聞けたに留まった。クラスでは格闘ゲームが好きなクラスメイト数人でつるんでいたらしい。が、進学先は別々だったそうで、もう友達付き合いはしていないだろうとのこと。高校時代には恋人はいなかったと思う、との証言も得た。
調べれば調べるほど、加木さんの素顔がわからなくなっていくことに、わたしは困惑した。
このままでは、ろくに友達もいなければ恋人もいない寂しい人だったということになってしまう。
わたしのことを物語のヒーローのように助けてくれた人だというのに、それでは悲しすぎると思った。
そこで、ふと、わたしは思い出した。
加木さんは、犯行現場のすぐそばにあるゲームセンターの常連だったという報道があったことを。
どうしてこのことを今まで忘れていたのだろう?
それはたぶん、女子高生であるわたしにとってゲームセンターとはプリクラを取ったりクレーンゲームをしたりする場所で、そこで誰かとつながりを持つという発想自体がなかったからだ。
でも、加木さんはゲームセンターの「常連」だ。
わたしには想像できなかったが、たった一人でゲームセンターに行ってゲームをするだけのことで、「常連」という言い方をするだろうか?
そこには当然、ゲームセンターの店員さんやお客さんとのつながりがあるはずだ。
そう思いつくと居ても立ってもいられず、わたしは加木さんの通っていたというゲームセンターに行ってみることにした。
事件の現場のすぐ前にあるゲームセンターに行くのは怖かったが、加木さんが人付き合いを避けてまで熱中していた趣味だけに、避けて通るわけにはいかないと思った。
しかし、犯行の現場に近いことを除いても、普通の女子高生であるわたしにとって、加木さんの通っていたゲームセンターは、近寄りがたい店だった。
プリクラなんて置いてない昔ながらの薄暗いゲームセンターだったから、入るのにはかなり勇気がいった。
加木さんのやっていたというゲームの名前は聞いていた。
スラムファイターというらしい。
二十年以上前からある有名なシリーズだということだったが、男兄弟のいないわたしは聞いたことがなかった。
スラムファイターの筐体(と呼ぶのだということは後で知った)の周りに立って、腕を組んで観戦しながら、「今のハンカク?」などと囁き合っている人たちに恐る恐る声をかける。
本当は女性を探したかったが、この場には見事に男性しかいなかったので、会社員風の大人しそうな雰囲気の男性を選んで話しかけた。
話しかけられた方も驚いたようで、オドオドしながら、ちょうどプレイが一区切りになったらしい男性を紹介してくれた。
「んー、キーシーカーは、読み合いがうまかったよね。
社会人だからコンボ練習とかはあんまりできてないって言ってたけど、そのわりにコンボ精度も高かったと思う。コツコツ練習するのは得意だって言ってたね。
ここじゃ強い方ではあったけど、キーさんより強いプレイヤーは何人かいる。
でも、あの人は、格上と戦う時ほど真価を発揮するらしくて、大会でも何度も番狂わせを演じてるよ」
キーシーカーというのは、加木さんのプレイヤーネーム?らしかった。
かっこつけた名前のようでもあり、落とした鍵をあわてて探してるような愛嬌もある。
そこにわたしは、加木さんの素顔の片鱗を見たような気がした。
加木さんは、無敵のヒーローなんかじゃなかった。
あの恐ろしい通り魔に、何度もナイフで切りつけられて、もみあいでも負けそうになってて、それでもあきらめないで私を助けようとしてくれた。
かっこいいようでいて、泥くさく、その癖どこか飄々とした雰囲気があるのが加木さんなのだ。
でも、ゲームの話はわたしにはよくわからない。
「あ、あの……ゲームの話じゃなくて、彼の人となりとかをですね……」
「ううん……あいつは、そこまで付き合いのいい奴じゃなかったからな……。
俺たちが知ってるキーさんは、両替した百円玉を筐体の上に重ねて、ゲーム画面をニヤニヤしながら睨みつけて、レバーを回してボタンを叩いてる、そういう人なんだよな」
「……そう、ですか」
加木さんに親戚縁者がいないことは、報道でも知られている。
総理大臣から加木さんに国民栄誉賞が贈られるという話があるけれど、縁者がいないため、記念品を誰に渡すかでもめているらしい。
その上、加木さんを誤射した警察官が脱法ドラッグの常習者だったことが判明してそれどころではなくなり、国民栄誉賞の話は宙に浮いてしまっているという。
――かわいそうな加木さん。
命をかけて通り魔と戦い、わたしを助けてくれたというのに、不良警官に射殺され、死んだ後は政権の人気浮揚のために利用されて。
しかも、生きていた頃の加木さんがどういう人だったのか、誰も覚えていないなんて……。
わたしの視界が滲んだ。
「わ、ちょっと、どうしたの、君。
な、なんか悪いこと言っちゃったかな……」
「い、いえ……すみません。
誰も、加木さんのことを知らなかったんだって思ったら、悲しくて……」
ゲームセンターって、不良の行くところというイメージがあったけど、加木さんはもちろんのこと、わたしが泣き出したのを見てあわてたこの人も優しい人なんだと思う。
――この人が、日本でも三指に入る止水(スラムファイターに出てくるタオの使い手だ)使い・花鳥風刺さんだと知るのは、もうすこし後のことになる。
花鳥風刺さんは、ちょっとオドオドしたところがオタクっぽいけど、それこそ道教の仙人のような穏やかな雰囲気の青年だ。
だから、わたしの言葉に同意してくれると思った。
誰からも理解されないままに死んでしまった加木さんのことを、悲しいと思ってくれると思った。
しかし、花鳥風刺さんは、わたしの言葉に、強く反発した。
「――それは違うよ。
キーさんはたしかにあまりしゃべる方じゃないし、ゲーム外での付き合いもなかったけど、僕たちは、彼と何百時間も語り合った――
そう言って花鳥風刺さんは、アーケード筐体を親指で示しながらそう言った。
「ここには、そういう人もいるんだよ。
ゲームを介してしか――とまでは言わないけど、言葉にするよりも、ゲームをプレイしたほうが、相手に自分を伝えられるっていう、不器用な人たちがね。
僕は、そういう人たちと『話す』のが面白くて面白くて、寸暇を惜しんでこのゲームをプレイしてしまう。
キーさんもたぶん同じだろう。
キーさんの投げと打撃の二択が、おもむろに放たれる中段が、こっちの動きを読みきってぶっ放してくる必殺技が。
どんな言葉より雄弁にキーさんのことを語っていたし、そうして語られたことは、僕たちプレイヤーの心の中に残っているんだ。
だから、僕は、キーさんが寂しい人だったとは思わない。
むしろ、あれほどに押し付けがましくて、雄弁で、それでいて相手の気配に敏感なプレイヤーはなかなかいないよ」
「押し付けがましくて、雄弁……?」
わたしは、加木さんを知る人に、既に何人か会っている。
彼らは、判で押したように、あまりしゃべらなくて、まわりになじまなくて、正直よくわからない奴だった、と言っていた。
もちろん、わたしを配慮して、遠回しに言っていたけれど、彼らの中に、加木さんを本当の意味で「知っている」人はいなかった。
この時、花鳥風刺さんが語った加木さん――ううん、スラムファイタープレイヤーのキーシーカーさんの印象は、これまで聞きかじった印象とはまったく食い違うものだった。
「わたしには……わかりません。
わたしは、ゲームを触ったこともないから。
――でも、わかりたいんです」
兄か弟でもいれば、そういう機会もあったのかもしれないが、あいにくわたしには男の兄弟がいなかった。
「そうだね。
もし興味があるのなら、やってみるといい。
ただ、最初に言っておくけど、格闘ゲームの敷居は高いよ。
とくに女性は、面白さがわかるまで続けられない人が多い。
こんなところに出入りしてるゲームオタクたちにも、今どきは彼女がいたりして、たまにここに連れてきたりするんだけど、彼氏が熱心に布教してもつれないことが多くてね。
で、彼女の反応がそんなだと、彼氏の方もここから足が遠のいてしまったりして、残された方はちょっとさびしい思いをすることになる。
いや、それは余談だけど、僕なら、キーさんのプレイスタイルを君に伝えることはできると思う。
でも、キーさんもなんだかんだで古参のゲーマーだから、彼の境地に達するまでは結構時間がかかると思うよ。
それでもいいなら教えよう。
――興味はあるかい?」
「わたしは――」
興味はあるか、と聞かれれば、答えは決まっていた。
「興味、あります。
わたしに格闘ゲームを教えて下さい」
――それから2年後、わたし――〈キーコレクター〉こと