<< 前へ次へ >>  更新
83/186

NO FATIGUE外伝 解き放たれた獣――闇に魅入られた男の転生譚・0

通り魔杵崎亨視点のプロローグです。快楽殺人者の内面ということでかなり身勝手でエグいです。苦手な方は飛ばしても進行上問題ありません(48話「遺跡の奥」におけるハイドリヒ氏の話が苦手だった方は特に飛ばしを推奨致します)。

 小さい頃から殺人に興味があり、ついにそれをこらえきれなくなって人を殺してしまった。

 私が中学生だった夏のことだ。


 殺した瞬間、私は生まれて初めてのエクスタシーを感じていた。

 そして、これこそが私がそれまで求めて焦がれて得られていなかったものだったのだと、魂の奥底から実感した。


 ついにやってしまったとは思ったが、心は晴れ晴れしていて、不思議と悔いはなかった。

 もし仮に、私がその時警察に逮捕されていて、そんなことを取り調べで述べていたとしたら、まちがいなく「情状酌量の余地なし」と言われたことだろう。


 人を殺したくてしかたがないという私の魂のあえぎを肯定してくれる存在などどこにもいない。

 幼少時から聡かった私は、そのことを当然のように理解できた。

 そして、思考を巡らせた。一体どうすれば、世間の目を欺きながら、私の魂の(かつ)えを癒やすことができるだろうかと。


 良心の呵責など一切なかった。

 私は世の中から冷たく拒絶され、私の欲望は永遠に満たされることのないまま疎外される運命にある。世の中は、さながら私の自己実現を阻むために存在しているかのようだ。

 そのような世間に対して、何を気兼ねする必要があるだろうか?

 先に私を拒んだのは世間であり、社会であり、国家のあり方そのものである。

 私ばかりが拒まれて、私の側にそれを拒む権利がないというのは筋が通らない。

 世間が、社会が、国家が、私のことを公共の敵と見なすのならば、私もまた彼らを敵とみなそう。

 そして、私の敵であるところの世間、社会、国家に対しては、私の及ぶ限りの奸智と暴力とをもって対抗しよう。

 そうしなければ、私の魂はたちまちのうちに逼塞し、死を迎えるその時まで、私は生ける屍であることを強いられるのだから。


 そのために私は、中学生のその日から、自分に手に入れられる一切のものを手に入れるべく努めてきた。その結果が、東都大学医学部主席卒業であり、天才外科医の名声であり、そして、生贄を捧げて悪魔を召喚するための技術である。

 異界の悪神モヌゴェヌェスが私に目をつけたのは、むしろ当然のことだったといえるだろう。



 ◆


 異世界に赴く前に、あのクソむかつく女だけは殺しておかねば気が済まない。


 私はあの女のマンションへと車を走らせる。

 ――あの女のマンション?

 とんでもない、あのマンションを買ったのは私だ。


 認めたくないことだが、あの女はかつて私の法律上の妻だった。

 あの女と結婚したことは、私の人生における唯一にして最大の汚点だ。

 上司である外科部長に紹介された時は淑やかぶっていたが、一皮剥けばやはりブタかサルの類だった。

 寝室で私に首を絞められたことに腹を立て、離婚する、慰謝料をよこせと喚き散らしたのだ。

 おかげで、大学病院における出世の目は完全に潰え、私は表の権力への足がかりをひとつ失う羽目になった。


 あの女は、分不相応な高級マンションだけでは飽きたらず、私から毎月多額の「生活費」を搾り取ってもいる。

 私の「趣味」を口外しない約束で払い込んでいる金だったが、あの女が付き合っているクズどもに私の話をしているのは、興信所の調査でわかっている。


 弁護士を介してその証拠を突きつけたが、あの女は居直った。


 それがどうしたというの? あなたがわたしに許されないことをしたことは事実じゃない。あの話を、わたしが友達との茶飲み話にするくらいが何よ? わたしはあの話をマスコミに売り込むことだってできるのよ? それが嫌だったら、これまでどおりの額を払ってちょうだいね。……ううん、気が変わったわ。こんなことを言ってくるなんて、あなた、ちっとも反省してないんでしょう。わたしの過去のトラウマがうずいてきたわ。今回の件について、正式な詫び状と慰謝料がほしいわね。小切手の金額欄は空欄のまま渡してよ?


 こんな女に、生きている価値などあるだろうか?


 私は女のマンションに車を乗り付けると、小切手を用意したと言って女の部屋に上がり込んだ。

 要望通りの小切手を見せてやると、女は欲深そうに笑った。

 その首に、私は指を巻きつけた。

 細く機敏に動く私の指が、女の生白い喉を小気味良く締め上げていく。

 こんなクソ女であっても、人を殺すのは最高だ。

 死の間際に命乞いをする姿が、私の芸術に興を添えてくれる。


 私はもともと、女の苦しむ顔にしか性的に興奮しないたちだったが、殺しの快楽を覚えてからというもの、ちょっとやそっとの苦しい顔では満足できなくなってしまった。

 もはや私は、死に逝く女を見ながらでなければ、オーガズムに達することができない。

 食事、睡眠、殺人。

 さながら私の三大欲求はこの3つに書き換えられてしまったかのようだ。

 もちろんそのことに後悔や絶望など感じるはずもない。

 汚らわしい、サルどものまぐわいじみた性行為になど、興味が持てないほうがかえって正常というものだ。

 清らかで美しい、殺人という芸術こそが、私の高貴な魂の(かつ)えを癒してくれるし、またそうであるべきなのだ。 


 殺しに夢中になるあまりに、せっかくのスーツをダメにしてしまった。

 私はクソ女の部屋をあさり、なんとか着られそうな男物のジャージを見つけた。

 が、女の部屋だ、カミソリはない。

 無精髭については諦めるしかない。


 女の身体をバラすうちにエクスタシーを迎えて、そのまま風呂場で眠り込んでしまったのは失敗だった。

 几帳面に定時出勤する私の不在に、今頃勤め先の病院は慌てていることだろう。

 私は、風呂などで寝たために悪寒のする身体を引きずりながら、女の部屋を出た。


 クソ女のマンションから出たところで、私の前から見るからにカタギでない男が歩いてきた。

 刑事だ。

 私の主催する超心理学サークル〈ベルゼブブ〉を怪しみ、私をマークしているらしい。


 〈ベルゼブブ〉は、私が天才外科医としての名声と立場とを利用して組織したオカルトサークルだが、最近そのサークルの会員が失踪するという事件が相次いでいる。

 もちろん、私がやったのだが、当然のことながら証拠は隠滅しているし、そもそも〈ベルゼブブ〉の会員であることは周囲に漏らさないよう徹底的に指導している。


 にもかかわらず、神聖なる〈ベルゼブブ〉にも、時としてサルやブタの類が混じってしまうことが、遺憾ながらある。

 忠実な会員に命じて殺させたり、私自らが手を下したりして、そのような夾雑物は排除するよう心掛けてはいるのだが、この刑事は〈ベルゼブブ〉のことをどこからか嗅ぎつけてきたものらしい。


 しかし、その刑事がなぜ、今ここに?

 まさか、こいつは私があの女を殺すかもしれないと踏んで……?


 刑事と私は無言のまますれ違った。

 刑事が、私の背後で振り返るのがわかった。

 刑事は、何を言うでもなく、私の背中をじっと観察している……。


 私は刑事を無視しようとして、思い直した。

 私はなるべく明るい笑みを浮かべながら振り返り、刑事へと近づいていく。


「刑事さん」

「……刑事? 人違いでは……」

「いやだなぁ、とぼけないでくださいよ。

 あなたのことは調べさせてもらいました。

 桜丘署刑事課の諸木武郎(たけお)さん?」


 刑事の顔がひきつった。


「私は、あなたにプレゼントをあげられるかもしれません」

「プレゼント、ですか……?」


 私の笑顔に、刑事は気圧されたように後じさる。

 こうして見ると、まだ若い刑事だ。

 興信所の調査によれば、31歳。私よりも歳下だ。

 正義感が強く、独断で捜査を行い、処罰の対象となったこともあるという。

 要するに、周りの見えない馬鹿な刑事だということだ。


「あの女の部屋に行ってごらんなさい。

 素敵なデコレーションを用意してあるから。

 君も刑事になどなるくらいだ、興味があるんでしょう?

 ――殺人、というものに」

「おまえ……まさか!」


 諸木刑事はあわてて、マンションへと飛び込んでいく。

 私は管理人にかじりつく刑事の背中をながめながら、ひとりごちた。


「……こういう場合、先に容疑者を確保するべきなんじゃないですかね?」


 しかし、それで彼は命拾いしたことになる。

 私はジャージのポケットにつっこんでいた手を取り出した。

 その手には、苦労して手に入れた自動拳銃が握られている。

 さすがの私でも、現職の刑事と取っ組み合いをして勝てる自信はない。


「……でも、これじゃあダメなんですってね」


 異界の悪神モヌゴェヌェスから提示された条件は、「自分の手で」人を111人殺すこと、というものだ。

 ナイフや鈍器までならいいらしいが、飛び道具はダメなのだという。


「あと何人でしたかね?」


 答えを知りつつ、私はつぶやく。

 この答え合わせがまた、快楽なのだ。

 私は心のなかで、【鑑定】、と念じる。


 杵崎亨(きざきとおる)(《天才外科医》・《悪魔崇拝者(サタニスト)》・〔超心理学サークル〈ベルゼブブ〉の〕《主宰者》)

 34歳


 レベル 1

 HP 12/12

 MP 931/931(31+900)

 状態 悪神との契約(異界の悪神モヌゴェヌェスとの契約。契約内容:杵崎亨(以下「甲」)が期限までに自分の手で111人の同世界人を殺し、悪神への生贄とする対価として、悪神モヌゴェヌェス(以下「乙」)は甲を異世界マルクェクトへと完全召喚するものとする。これに先んじて、乙は甲に対して、契約の手付けとしてアッドを付与するものとする。甲側の達成度:106/111。)/風邪


 スキル

 ・伝説級

 +【鑑定】9(MAX)

 +【悪魔召喚】9(MAX)



 見るべきは、ヘルプ情報の最後の行だ。

 106/111。


「あと5人、ですか」


 一息で殺しきれる数だ。

 刑事がここを嗅ぎつけたのは予想外だったが、いずれにせよ、もう長くはもたないと思っていた。

 警察が証拠を掴んで私を逮捕する前に、悪神との契約を果たすことができるかどうかは賭けだったが、私はどうやらその賭けに勝ちつつあるらしい。


 もはやこれ以上こそこそする必要はなくなった。

 むしろ、ここからはスピードの勝負になる。

 警察が私の身柄を確保するのが先か、私が残り5人を殺しきるのが先か。

 私は、ひさしぶりに殺し以外の要素で興奮していた。

 私は手にした拳銃をマンションの玄関で口論になっている刑事と管理人へと向けた。

 高級マンションだけに、管理人も簡単には警察を中に入れないのだ。


「先ほどは命拾いしたと思いましたが、やはり死んでおいてもらいましょう」


 私は拳銃の引き金を連続で引いた。

 派手な音を立てて、玄関のガラスが割れていく。

 その奥で、刑事と管理人が血を吹いて倒れる。


「あはは……っ! なかなか愉快ですね。

 でも――」


 私は弾の切れたおもちゃをその場に投げ捨てた。


「私の新しい門出を祝う礼砲としては、いささか華に欠けますね」


 おっと、騒ぎになる前にここを離れなくては。

 私は駐車場の愛車に素早く乗り込むと、猛烈にアクセルを踏み込んだ。



 私――杵崎亨が通り魔事件を起こすのは、この1時間後のことである。

次話、明日(6/15 6:00)掲載予定です。


AKNY様のご指摘により、「捜査一課」→「刑事課」と修正しました。

(警視庁以外に捜査一課はないため)

<< 前へ次へ >>目次  更新