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77 アルフレッド父さん魔法系二つ名獲得大作戦

 王都についてから2ヶ月ほどが経った。

 仕事の引き継ぎが一段落したアルフレッド父さんに、俺はある提案を行っていた。


「――父さんも、魔法系二つ名があった方がいいと思うんだ」


「よっ」「やっ」と声を掛け合って槍の型を教えてもらいながら、俺は父さんにそう言った。


「ジュリア母さんみたいに、最大MPが上げられるからね。毎日就寝前に1上げられるだけだけど、1年もやれば365も上がる。やるなら、早ければ早いほどいいと思うんだ」


 ちなみに、マルクェクトの1年も365日である。


「うん、魔法系二つ名の獲得が大事だってことは前も聞いたけど……具体的にどうするんだい?

 僕は、司令官や槍使いとしては多少は知られてるけど、魔法使いではないよ。

 そりゃあ、ハーフエルフだから魔力は人間の魔法使い並にあるし、その気になれば魔法も使えるけど」


 話しながらも父さんの型はまったくブレない。

 何千何万と繰り返してきただろう修練の跡がそこにはある。


「父さんには、俺の考えたオリジナル魔法を極めてもらいたいんだ」


 俺の方は父さんほど慣れてはおらず、喋りながらだと手順を忘れそうになる。

 父さんがそれを厳しく見咎め、俺の槍を払って、素早く自分の槍を反転させて石突で俺のすねを叩く。


「っ(いた)!」


 このように、俺が型から外れるたびに、父さんは最速で「咎め」を入れてくる。

 痛くなければ覚えない、が父さんの流派の教えらしい。 


「エドのオリジナル魔法……?

 それはまた、危なそうだね」


 すねを抱えてけんけんする俺を見ながら、父さんが言う。


「その魔法の説明をする前に、これを見てほしいんだ」


 と言って俺が取り出しだのはガゼインの短剣だ。

 散魔の短剣と言って、外側がミスリルで被覆されている。

 ミスリルは金属素材では唯一魔力を流す性質を持っているそうだ。

 だから、


π(アクア)(フレイム)(スプレド)――《アイスパック》」


 俺は短剣の切っ先で魔法文字を描き、オリジナル魔法を発動する。

 ぐんにゃりとやわらかい氷、という謎の物体を生み出し、俺は父さんに咎められたすねにそれを当ててクーリングする。


 そんな俺を父さんは呆れた顔で眺めながら、


「……どこからつっこんでいいやらわからないけど、まず、文字を剣の切っ先で書いたことかな?

 軽々と三文字発動をしたことだとか、加減の難しい氷生成の魔法を使いこなしてることだとか、ただの氷じゃなくて得体のしれない軟らかい氷を生んだことだとかは、今は関係ないんだろう?」

「うん。要するに、ミスリル製の武器なら刃先や穂先で魔法文字が描けるんだ。

 父さんの槍もミスリル製だったでしょ?」


 さすがに俺との訓練には使ってないが、普段使っている槍はミスリル製だった。


「ああ。古代のものらしいから、柄までミスリル製だよ。

 なんだって柄まで高価なミスリルを使うのかと疑問に思ってたんだけど、今のエドの説明で長年の疑問が氷解した。要するに、杖のように魔法発動の媒体にできるように作られてたんだね」

「たぶんね。だから、戦いながら穂先で魔法文字を描く、という方法で、戦術のバリエーションが増えると思う」

「なるほど……槍で両手が塞がっていても魔法が使えるというわけか。

 でも、どんな魔法を使えばいいんだい? 僕は【火魔法】は使えないよ?」

「うん。父さんには、氷や霜を生み出す魔法を使ってもらいたいんだ」

「氷や霜……さっきも言ったけど、僕は【火魔法】には適性がないんだよ?」


 この世界で魔法を使って氷を生み出す場合、一般的には、π(アクア)で水を生み出し、(フレイム)(スプレド)を使ってその水から熱を奪う、という方法を取る。

 そのものズバリの【氷魔法】はこの世界には存在していないため、このような回り道が必要となるのだ。


 だが、これ以外にも氷を生み出す方法はある。


 俺が最初に思いついたのは、水の分子振動を【念動魔法】系列の魔法で停止させる、という方法だ。

 しかしこの方法は、できるにはできるが、MPの消費が激しすぎて実用に耐えないことが判明している。具体的には、ジュリア母さんの《火炎嵐(ファイヤーストーム)》並みのMPを消費してようやく、π(アクア)一発分の水を凍らせることができるという途方もない燃費の悪さだ。


 次に思いついたのは、π(アクア)で生み出した水に【風魔法】をかけて、「風で熱を奪い去る」イメージをする、という方法だ。「風で熱を奪う」というのは、汗が乾いた時の気化熱から着想を得たが、気化熱だけで氷を作り出すのはやはり燃費が悪い。

 そのため、水に含まれる熱が、風に流されて消えていくという「イメージ」に頼ることで、水の冷却という結果を得るような術の構成を考えた。

 【闇魔法】の「闇」が光のない状態でなく、ちゃんとした実態のある「何か」であるのと同様、精霊によってもたらされる火や水や風もまた、前世における自然現象とは似て非なるものである。だから、「イメージ」さえしっかりしていれば、このような融通を利かせることも可能なのだ。


 ……ということを、俺は父さんに説明した。

 その間に、俺と父さんは休憩のためにベンチへと座る。俺は疲れていないが、汗を掻くので喉は乾く。ステフがベンチの脇のテーブルに置いてくれた水さしからコップに注ぎ、俺は一息に飲み干した。


「だから、父さんは【水魔法】と【風魔法】を組み合わせることで、氷や霜を生み出すのがいいと思う。

 ――見て」


 そう言って俺は、π(アクア)λ(ウィンド)を宙に描いて、魔法を使う。

 俺の手のひらの上に、直径5センチほどの氷の塊が現れた。気化熱のイメージをするため、π(アクア)で生み出した水の大部分が蒸発し、かさはかなり少なくなってしまっている。やはり【火魔法】と比べると攻撃として使いにくいことはたしかだが、使い方次第でこの魔法は化ける。

 せっかくなので、俺は父さんの手にしているコップに生み出した氷を入れてあげた。


「他にも……」


 俺は、テーブルの上に置かれていたオレンジを手に取り、今度はλ(ウィンド)だけで冷却する。

 そうして出来上がった冷凍オレンジを机の角にぶつけるとゴツゴツと音がした。


「ここではやらないけど、π(アクア)で水を撒いて、それをλ(ウィンド)で凍らせる、ということもできるよ。

 それを罠にして、スリップした相手を槍で一突き……とか、どうかな?」

「……面白そうだね」

「他にも、π(アクア)で水を霧状に生み出すのは、イメージさえできれば比較的簡単だったよ。これは、騎士の人たちに教えて、集団で使うと強力かもしれない。

 それから、この霧をλ(ウィンド)で冷却すれば、相手を氷漬け……にまではできないだろうけど、体温を奪うことで戦闘力を削ぐことができると思う。

 相手を近づけず徐々に力を削いでいく父さんの戦闘スタイルとも合ってると思うんだ」

「たしかにその通りかもしれないね。

 でも、冷却の魔法を覚えるのはいいとしても、それだけじゃ二つ名は付かないだろう?」

「そこは、ほら、今度御前試合があるって言ってたじゃない」

「うん。新任の王室騎士団(ロイヤルガード)団長のお披露目として、近衛軍竜騎士団の団長であるイルフリード殿下と試合をするけど……」

「そこで見たこともない魔法を披露したら、二つ名が付きそうじゃない? 今は、父さんは注目の的だと思うし」


 武勲を上げて子爵から一気に侯爵になってしまった父さんは、王都社交界の話題の的だ。

 とくに、公爵に叙されそうになったのを「伯爵で勘弁して下さい」と言って断ったいう話が広まっていて、陰では《勘弁侯》などとも呼ばれているらしい。


「僕はこれ以上目立つ真似はしたくないんだけど……MPの最大値はたしかに上げたい……うーん」


 結論が出ないまま、槍の型稽古を再開する。

 父さんは悩みながらも的確に槍を振るい、俺が型を外れると最速で咎めてくる。


「そういえば、相手のイルフリード殿下って、第一王子の?」

「そうだよ。殿下もまた、槍の名手として有名でね。もっとも、僕とは逆で、力に任せた『剛』の槍の使い手だ。なんでも、筋力を強化するスキルの持ち主らしい」

「スキルで筋力を強化!? ……あいたっ」


 動揺して型から逸れた俺を父さんが咎めた。


「でも、相手が王子となると、接待試合かな?」

「エド、子どもがそういう発想をするんじゃない。イルフリード殿下は気性の真っ直ぐな方だし、陛下からも全力でやるようにと言われてるよ」

「へえ……勝ち目はあるの?」

「うーん、長期戦に持ち込めれば僕の粘り勝ち、短期決戦に持ち込まれたら押し切られるだろうね」

「向こうがスキルで身体強化をしてくるんなら、こっちも魔法は使えるんでしょ?」

「そうだね。とはいえ、殿下の猛攻を凌ぎながら魔法なんて使えたもんじゃないけど」

「それなら、なおのことやってみようよ」

「……乗りかかった船だ、とことんまでやってみるか」


 というわけで、アルフレッド父さんは【槍術】に氷や霜を絡める新たな戦術を模索することになった。



  ◇


 そして、御前試合の日がやってきた。


 俺とジュリア母さんとエレミアは、父さんの身内ということで、王の側の特等席での観戦を許された。


『剛』のイルフリード王子と『柔』のアルフレッド・キュレベル護国卿。

 槍使いなら必見の好カードとの前評判が立ち、御前試合にはたくさんの観覧者が集まった。

 もちろん、槍のみならず、大きな戦功を立て続けに上げたばかりの護国卿をひと目みたい、あわよくばお近づきになりたいという貴族も多いようだ。

 また、イルフリード王子は獅子を思わせる堂々たる美丈夫だし、アルフレッド父さんも既婚者とはいえ若々しい容姿の爽やかなイケメンだ。暇を持て余した貴族のご婦人たちがこんな機会を見逃すわけがなかった。


「それで、おぬしらはどちらが勝つと思う?」


 そう気さくに問いかけてきたのは国王ヴィストガルド1世陛下だ。


「もちろん、アルくん……失礼、主人が勝つに決まってます!」


 ジュリア母さんが遠慮もなしに断言した。

 王は苦笑しながら、


「……聞くまでもなかったな。では、俺は息子の方を応援するとしよう」


 イルフリード王子は、言うまでもなく、王の血を分けた息子だ。

 王には2人の息子とひとりの娘がおり、イルフリード殿下はその最年長者にあたる。

 イルフリード王子は、話によれば21歳。がっしりした体格と男臭い彫りの深い顔が現国王陛下によく似ている。背は現王陛下より頭半分くらい高く、前世の単位でいえば190センチを超えているだろう。髪は燃えるように赤い。

 父さんと同じ槍使いではあるが、父さんが短槍(スピア)を使うのに対し、王子は騎兵用の突撃槍(ランス)を使う。

 会場となる練兵場には、既に父さんと王子が向かい合わせに立っている。

 王子と比べると、父さんはいかにも細く、華奢に見える。もちろん、父さんも前衛職なのでよく見れば相応に鍛えられているのがわかるのだが。


「実際、体格を見ていると、対照的な2人ですね」


 俺の言葉に王が答える。


「たしかにな。体格のみならず、戦い方も好対照だ。だからこそ、互いにとって学ぶところの多い対戦となろうし、見ている方でも見がいがあるというものだ」


 会場となる練兵場に目を移すと、殿下の側には竜騎士団の面々が、父さんの側には王室騎士団(ロイヤルガード)の面々が控えていて、ともに代表選手である殿下と父さんを応援するつもりのようだ。

 イルフリード殿下はともかく、父さんは団長になって間もないということもあって、団の面々との間には一定の緊張感があるように見える。といっても、べつに嫌われているわけではなく、まだ馴染んでいないだけに、試合を肴に騒いでしまっていいものかどうか躊躇しているような感じだ。


「……ひょっとして、そのための御前試合なのか」


 俺のつぶやきを、王が耳ざとく拾って言ってくる。


「そういうことだ。上長が急に変わったのだ。いくら王室騎士が国王一家に忠誠を誓っているといっても、すぐに馴染めるわけではない。

 ボウヤが見抜いたように、そのための催しでもある」

「でもある、ということは、別のご意図も?」

「それは……アルフレッド次第といったところだな。

 ――さて、そろそろ始めさせるか」


 と言って王は席を立ち、胴間声で会場目がけて呼びかける。


「もういいだろう! 両名位置につけ!」


 なんと、観客席から試合を取り仕切ってしまうつもりらしい。


「両名とも、力の限りを尽くして戦うこと。

 この場では敵同士であるが、おまえらはそれぞれが国の一翼を担い合う仲間でもある!

 勝負はこの場限りのものとし、遺恨は残さぬこと!

 むろん、両名の率いる竜騎士団及び王室騎士団(ロイヤルガード)もこの試合の勝ち負けを誇ったり恨んだりせぬことだ!

 それでは、両名位置につけ!」


 王の言葉に、父さんとイルフリード王子が位置につく。

 双方得物が槍であることから、距離は長めで7メートルほどの間を開けて対峙する。


「――始め!」


 王の合図とともに、イルフリード王子が飛び出した。


「――シィッ!」


 鋭い呼気とともに繰り出された突きを、父さんはいなしつつ、イルフリード王子の手元を狙ってカウンターの突きを放つ。

 イルフリード王子は手甲を使ってその穂先をそらすと、未だ絡んだままの槍を力任せに横に薙ぐ。

 並の槍使いならそのまま槍を持って行かれてしまいそうな力のこもった薙ぎ払いを、父さんは同じ方向へと槍を薙ぐことで受け流す。

 イルフリード王子の体勢がつかの間崩れたが、父さんはその隙をあえて突かず、距離を取りつつ穂先をわずかにブレさせた。

 ――その行動の意味がわかったのは、この場では俺だけだろう。


「手加減のつもりか!」


 イルフリード王子が不服そうに吼える。

 父さんはそれに答えず、再度穂先をブレさせる。

 その動作を挑発と取ったか、イルフリード王子は顔を赤く染めて、父さんへと遮二無二に突っ込んでいく。

 再び、父さんの手元がブレる。

 よく観察すれば、父さんの口がわずかに動いていることも見て取れるだろう。


 ――この辺りで、ようやく、目に見える変化が現れていた。


「……霧、か?」


 興奮した様子で前のめりに試合を見ていた王がつぶやく。

 そう。会場には淡く霧が生まれていた。

 それも、イルフリード王子のいる側にだけ。


「……アルくん、魔法を使ってるの?」


 さすがにジュリア母さんは気づくか。

 父さんは、槍の穂先でπ(アクア)を描き、霧を生み出しているのだ。

 魔法文字は何も意識せずに描くと発光するが、光らないようにと意識すれば光ることはない。

 もちろん、【魔力感知】系のスキルを持っていれば父さんが魔法を使っていることには気づくだろうが、イルフリード王子にはその手のスキルがないのだろう。さすがに王族相手に【鑑定】を使って万一宮廷魔術師か何かに見破られたら大変なことになりそうなので、【鑑定】するのは控えていた。


 ――いや、今なら大丈夫か?

 父さんの魔力に紛れるようにして、【鑑定】を使ってみる。


 イルフリード・クゼノス・サンタマナ(サンタマナ王国第一王子・サンタマナ王国近衛軍竜騎士団団長・《戦竜王子》)

 21歳


 レベル 35

 HP 99/99

 MP 41/41


 スキル

 ・達人級

 【騎竜術】4

 【槍術】3

 【大力】3(一定時間、スキル使用者の筋力を強化する。強化時間、強化量はスキルレベルに応じて増加する。)

 【投槍術】2


 ・汎用

 【騎竜技】9(MAX)

 【槍技】9(MAX)

 【投槍技】9(MAX)

 【火魔法】5

 【遠目】5

 【乗馬技】4

 【大剣技】4

 【水魔法】2


 【槍術】は3と、父さんと比べてスキルレベルが2低いが、【大力】のスキルがそれを補って余りある感じだな。

 脳筋かと思いきや、微妙に魔法のスキルも持っているのは、竜の上から攻撃する手段が槍だけでは困るからだろうか。


 俺がイルフリード王子のステータスを確認している間に、会場の霧はみるみる濃くなっていく。

 観戦者たちの間にもざわめきが広がっていく。


「護国卿……これはいったい何の真似だ! 目くらましか!? 神聖な御前試合をなんと心得る!」


 イルフリード王子が攻め手を止めて父さんを非難する。


「直にわかりますよ、王子」


 今度は父さんが攻め手に転じた。

 虚を突かれたイルフリード王子は霧の中へと押しやられるが、父さんは深追いせずにその場に留まる。その場――霧の外側だ。


「意味がわからん!」


 イルフリード王子は苛立ちを募らせながら父さんに突っかかっていくが、そのたびに父さんは攻撃をいなし、時にはカウンターを放ってイルフリード王子をあしらっていく。

 そうするうちに――


「くっ……何だ? 寒い……?」


 イルフリード王子が、ようやく異変に気がついた。

 父さんは途中からπ(アクア)λ(ウィンド)へと切り替え、霧を少しずつ冷却していた。いつしか霧は凍りつくほどに温度を下げ、イルフリード王子の鎧には霜が降り始めている。


「こ、これが狙いか……!」


 うめくイルフリード王子だが、霧は既にきらきらと輝くダイヤモンドダストと化している。練兵場の空気は、汗に湿った王子の髪が白く凍りつくほどに冷却されていた。


 また、イルフリード王子は、さっきから何度となく槍の持ち手を握り替えている。

 金属製の槍は霧の中で冷却され、ただ持っているだけでも辛いのだろう。


 霧がダイヤモンドダストに変わったことで、観覧者たちの視界も開けていた。

 霧で視界が閉ざされたと思ったら、その霧が光り輝く未知の現象へと変化した。さらにその中から現れたのは、全身を霜で覆われ、凍えで歯の根を鳴らす王子の、変わり果てた姿だった。

 観覧者たちの間にどよめきが広がっていく。


「くそっ! 小細工を弄しやがって……ッ!」


 イルフリード王子は激昂して、父さんへと突撃をかける。

 その動きは、最初の頃と比べるとあきらかに勢いを失っている。

 もう、槍の腕だけでも父さんの勝ちは揺るがないだろうが――それでも万全を期すのが父さんのやり方だった。


 父さんに肉薄したイルフリード王子が、いきなり体勢を崩した。

 イルフリード王子には、何が起こったかわからなかったに違いない。

 しかし、観覧席から見ると何が起きたかは明白だった。

 イルフリード王子の踏み込んだ地点には、凍結した水たまりがあったのだ。

 頭に血の上ったイルフリード王子にはそれが見えていなかったに違いない。

 いや、霧の中にいたイルフリード王子は、視界の悪さに慣れていたため、足元への注意をいつしか怠るようになっていたのだろう。


 ともあれ、イルフリード王子は父さんの前でスリップして大きく体勢を崩してしまった。

 さすがにそのまま転倒するような無様は晒さなかったが、隙はあまりにも大きかった。


 父さんは慌てず騒がずイルフリード王子の首元に槍を突きつけた。


「――それまで! 勝者、アルフレッド・キュレベル護国卿!」


 王の宣言で、御前試合は終わった。

 観覧席から大きな歓声が沸き起こった。

 イルフリード王子は、がっくりとうなだれていたが、やがて気を取り直して立ち上がり、父さんと握手を交わす。

 それから2人は、観覧者に揃って頭を下げると、特別席へとやってきた。


「ご苦労だったな、2人とも」


 そう言ってねぎらう王に、


「くそ……最初から最後まで護国卿の手のひらの上だったよ」


 イルフリード王子が悔しげに言う。


「ハッハッハ! 猪を演じるだけでは勝てぬ相手もいる。良い教訓になったであろう、イルフリード?」


 王の言葉に、イルフリード王子が頷く。

 ……ひょっとして王は、王子にそのことを教えたくてこの試合を組んだのだろうか。

 士官学校時代からの友人であるアルフレッド父さんの実力は、王もよく知っているはずなのだから。

 そう思って王を見ると、王は顔を半分だけこちらに向けてニヤリと太い笑みを浮かべてみせた。


「いえ、きわどい場面も多かったですよ」


 と、アルフレッド父さんが王子をフォローする。

 イルフリード王子は父さんの言葉に苦笑して、


「よく言う。見事な槍さばきだった。さすがは父上が信を置かれるだけはあると思い知らされたよ。

 それにしても、護国卿は面妖な術を使われるのだな?」

「今回が初披露となる魔法です。あの霜自体には攻撃力はないのですが……」

「ああ、体温を奪われれば動きが鈍くなるし、何より焦る。まんまと術中にはめられたようだ」

「とはいえ、二度目は通じますまい」

「そりゃあな」


 ふん、と笑ってイルフリード王子は胸を張った。

 この人は……あれだ、ミゲルと同じタイプの人種だな。

 豪放磊落で、なるほどこれなら竜騎士団を率いているのも頷ける。

 ついでに、こうして並んでみると、国王陛下とよく似ている。見た目も、気性もだ。背丈だけは、イルフリード王子のほうが頭半分くらい大きく、肩幅も広い。


 王が、息子の様子に苦笑しながら、アルフレッド父さんに声をかける。


「見たことのない魔法の使い方だったな、アルフレッド。

 さしずめ、氷霜(ひょうそう)の魔術、と言ったところか。

 ……誰が発案者なのかは、なんとなくわかるがな」


 と言って王は俺へと視線を向けてくる。

 うん、正解。


「奥さんが《炎獄の魔女》なら、旦那である護国卿は、《氷霜のアルフレッド》と言ったところだな」


 イルフリード王子がそう言って、うまいことを言ったぞとばかりにニヤリと笑う。

 まったく、本当に憎めない感じの王子様だ。

 そして、今の一言はありがたかった。


「《氷霜のアルフレッド》だって、父さん」

「ちょっと、なんだか恥ずかしいな」


 二つ名にしてやろうと食いつく俺に、父さんが嫌そうな顔をする。


「ハッハッハ、面白いじゃないか。おまえは今日から《氷霜のアルフレッド》だ。この様子なら、俺が命じるまでもなく定着しそうだな」

「この人、王になってから人に二つ名をつけるのが楽しくてしょうがないみたいなのよ。

 でもまあ、いいじゃない、《氷霜のアルフレッド》……ぷぷっ、かっこいいと思うわ」


 と、王妃までが乗っかった。

 そういや、王と王妃と父さんと父さんの前妻で4人組だったんだっけ。


 ――《氷霜のアルフレッド》。


 こうして、アルフレッド父さんも魔法系の二つ名を獲得することに成功したのだった。

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