65 銃と短剣
――夕暮れ。
俺はフォノ市のはずれにある鐘楼の上にいた。
夕暮れに沈む街並みの奥、夕陽の見える方向は、カラスの
「……メルヴィ、あれを出してくれる?」
「あんた、毎度『あれ』って言うのね。
それでわかっちゃうわたしもわたしだけど……」
メルヴィはぶつぶつ文句を言いながら、次元収納から『あれ』を取り出してくれる。
それは、銃だった。
俺は、カラスの塒の遺跡の奥――ハイドリヒ氏の居室で発見した銃の部品を組み上げて、銃を復元することに成功していた。
前世でも軍事に詳しかったわけではないのだが、そんな俺でも知っているフォルムの拳銃だ。
名前はたしか――ワルサーP38。
アニメに出てくる怪盗の三世が愛用していることで有名な、ドイツ製の拳銃だ。
「火薬の爆発力を利用して鉛を高速で飛ばす……か。
ぞっとする機械ね」
メルヴィが身を震わせながらそう言った。
「人を殺す道具ってことなら、剣だって一緒だろ?」
「そうだけど……これだけ複雑な機構を作ってまで、人は人を殺したいと思うのかってことよ。
これを作り上げるまでに、どれだけ多くの人が、頭を絞り、創意工夫を凝らしてきたか想像すると、嫌になるわね」
「効率よく人を殺すってことなら、ハイドリヒ氏に並ぶ者は、そうそういないだろうな。
ハイドリヒ氏の所属していた国は、ある民族を邪魔に思って、絶滅させようとしたんだ」
「前も聞いたけど、恐ろしい話ね」
「他人事じゃないよ、メルヴィ。
ハイドリヒ氏はソノラートに内紛を起こした張本人だったみたいだからね」
俺は話しながら、手にした銃を観察する。
ソロー司祭の【託宣】で、銃に適性があることはわかっている。
使わない手はない。
この銃は第二次大戦中のもののコピーで、現代人である俺からすると古くさいが、逆に言えば実戦で広く使われていた銃だとも言える。
ハイドリヒ氏の居室から回収した銃弾の一部には、ハイドリヒ氏によって【状態固定】のスキルがかけられていた。
塒内に作った地下空間で、暴発に備えて【サイコキネシス】で引き金を引いて実射してみたところ、銃は問題なく機能した。
俺はこのワルサーをガゼインとの対決の最後の切り札として用意していたが、できれば使いたくないと思っていた。
その最大の理由は、大勢の御使いたちの前で銃という兵器を見せたくなかったからだが、理由は他にもあった。
――単純に、使いたくなかったのだ。
ハイドリヒ氏という巨悪を演じた「弱い悪」に、俺までが引きずり込まれてしまいそうで、この銃を握ること自体に強い抵抗があった。
しかし、だ。
人を殺したということなら、俺だって同じだ。
マルクェクトに来てからも、俺はあまり良心の呵責を覚えずに「敵」を殺してきた。
殺さなければ殺されていたかもしれないんだから、そのことに悔いなんてない。
ないが――
奴はなぜ、天才外科医と呼ばれる身でありながら、快楽殺人者になったのか。
異常者の気持ちなんてわからないと言ってしまえばそれまでだが、少しだけ想像できることはある。
ほしいものすべてが手に入る人生というのは、どういうものなのだろうか?
それはそれで、感動のない平板な人生になってしまいそうな気もする。
俺の前世は、率直に言って冴えないものだ。
大した給料をもらっていたわけでもなく、綺麗な彼女がいたわけでもない。
仕事に差し障りはないが、会社の同僚とはいまいちしっくりいってなかった。
趣味はゲームセンターで格闘ゲームをプレイすること。
いきつけのゲーセンは、地域でも猛者が集まることで有名な店だったが、その中でも何とか勝ち越せる程度の実力はあった。
しかし、海外の大会で優勝し、スポンサーがついているようなプロのプレイヤーには全くと言っていいほど勝てなかった。
もちろん、勝てないなら勝てないなりに改善点が見つかり楽しかったが、威張れるほど強かったわけではない。
とはいえ、そういう生活に大きな不満はなかった。
その代わり、小さな不安はたくさんあった。
恋人もなく、仕事以外の交友関係もあまりないまま30歳を迎えてしまったこと。
両親を早くに亡くしたせいで、家族と呼べる者がいなかったこと。
不況のせいで給料はなかなか上がらないし出世の見込みもなかったこと。
いや、そもそも、会社自体のビジネスモデルが時代遅れになりつつあり、このままでは人員整理に遭う可能性もあった。
趣味の格ゲーだって、この先35歳、40歳と歳を重ねるに従って、ゲームセンターには通いづらくなっていくかもしれなかった。
そういう諸々の――誰でも一つや二つは抱えているはずの不安があって、それらはいつまで経っても解消できる見込みがなかった。
――生殺し。
そんな言葉がふさわしい状態だったと思う。
いっそのこと、生きるか死ぬかはっきりしてくれと思うこともあった。
会社は不況の中でじりじりと後退しながらも持ちこたえていたし、俺自身も恋人はいないし友人も少ないなりに毎日をそれなりに暮らせていた。
このような低空飛行がいつまでも続くかと思うと、死にはしない安堵とともにどうしようもない息苦しさも感じた。
そんな灰色の毎日の中で、一瞬の攻防によって明確な勝ち負けのつく格闘ゲームは輝いていた。
ゲームをプレイしている間だけは、意識がいつもよりクリアになった。
相手キャラクターの一挙手一投足に明確な「意味」が感じられたし、それに対して明確な「答え」を返すことができた。
1
勝ち/負けという極端な結果がつきつけられる無慈悲な戦場で、数えきれないほどの死闘を繰り広げた。
そして、俺はこう思った。
――ああ、俺は生きている。
と。
なにもかもが手に入っただろう杵崎亨は、そういう感覚を知っていただろうか?
おそらくは、知らなかったに違いない。
物質的にも精神的にも満たされてしかるべき環境にありながら、杵崎は悪魔研究に魅入られ、ついには悪神と渡りをつけるまでに至ったのだから。
俺は、生ぬるい現実に物足りなさを感じて、格闘ゲームという仮想の「戦い」を求めていた。
現実で満たされないものを仮想で満たすことが、悪いとは言えないと思う。
多かれ少なかれ、人とはそういうものだ。
実際にケンカするよりゲームで戦った方が楽しいし相手とも仲良くなれる。
悪いことなんてどこにもない。
俺は、仕事とゲームだけの生活に、それなりに満足できていたと思う。
だが、あの通り魔事件の時にとっさに身体が動いたのは、どこかでああいう異常事態を求めていたからなんじゃないのか?
そう思う部分もある。
何をどうやっても命までは取られることのない日本に息苦しさを感じて、命をかけて戦うことにおかしな憧れを抱いていたんじゃないか?
〈
だとすれば、永遠に続く「灰色」に息切れして通り魔に及んだ側と、その通り魔を待ってましたとばかりに取り押さえにかかった側に、どれだけの違いがあっただろう。
ランズラック砦で倒すべき「敵」を見つけた時、容赦なく戦うことができたのも、それと同じ心理が働いてなかったとは言い切れない。
ガゼインは、俺と自分は似ていると言った。
その言葉に偽りはなかったと思う。
そして、俺自身が、そのとおりだと思ったし、ガゼインにそう言われたことが――自分を理解されたことが、嬉しかったのだ。
前世、ゲームセンターで真剣勝負をしている時にしか感じられなかった、心の底から自分が理解されているという感覚が、その時には確かにあった。
そして、ガゼインに認められ、仲間になれと誘われた時は、ともすれば頷いてしまいそうなほどに喜んでしまった。
しかし、ガゼインは人殺しだ。
それも、金のため、野心のために恨んでもいない者を殺す暗殺者だ。
自分で殺すだけでは飽きたらず、罪のない子どもをさらってきて洗脳し、暗殺者に仕立て上げる邪教の教主でもあった。
人を殺し、恨みを買い続けることでしか生きている心地がしないと放言する稀代の悪党でもあった。
俺は、腰に吊るした鞘からナイフを抜き出し、【鑑定】する。
《散魔の短剣:斬りつけることで魔力を霧散させる力を持つ短剣。古代遺物。霧散させられる魔力は、MP50相当分まで。光竜の牙を削り出し、ミスリルで被覆することで作成されている。》
ガゼインの持っていた短剣だ。
相当な業物だったらしい。
MP50相当というと、大抵の対個人用魔法は霧散させられることになる。
俺は、この短剣を、躊躇なく
不思議だ。
ハイドリヒ氏の遺産である銃には抵抗があるというのに、ガゼインの遺した短剣にはあまり抵抗がない。
その、抵抗がないことに、抵抗がある。
前の持ち主が誰であれ、使えるものは使うと考えるのであれば、両方使うべきだ。
逆に、前の持ち主にこだわるのであれば、両方使うべきではない。
銃と短剣。
なぜこの2つに差が生まれているのか。
「……どうも俺は、ガゼインのことを悪だと断じ切れてないような気がするんだ。
ハイドリヒ氏は、悪だ。
弱かろうとなんだろうと、悪は悪だと言える。
でもガゼインは強い。
悪党だが、カリスマがある。
正直、〈
そういう男の技を受け継ぎ、短剣を受け継いだことに、妙な誇りすら感じてしまう。
すごく気持ちが悪い」
俺は短剣の虹色に輝く刃紋を眺めながらそう零す。
メルヴィは、俺の言葉に首を傾げた。
「うーん……よくわからないけど、それってそんなに悩むことなの?
ガゼインは魅力的な悪党だったし、その戦闘技術には並外れたものがあった。
覚えたものは有り難く利用する……で、片付くことじゃないかしら」
「それはそうかもしれないけど、それ以上に、俺は怖いんだ。
俺がやってることは、本当に正しいんだろうか?
自分を貫くといえば聞こえはいいけど、ガゼインのような例もある。
戦いを――殺し合いをどこかで楽しんでしまっている自分が怖い……」
さっきのモリアさんとの模擬戦でどこか精彩を欠く動きをしてしまったのも、その躊躇があったからだと思う。
「エドガーは、うまくやってるわよ?
守るべきを守り、倒すべきを倒してる。
そりゃ、悪い奴らにだって事情はあるだろうし、あんただって完璧な正義の味方じゃないのかもしれないけど……それは、誰だってそうでしょ?
戦いに勝てば嬉しいっていうのも、誰だってそうよね」
「それは……そうか」
「ハイドリヒ氏の気持ちがわかる。ガゼインの気持ちがわかる。通り魔とやらの気持ちがわかる。
たしかに気持ち悪いかもしれないけど、それだけならべつに悪いことではないわ。
あんたがそいつらと同じことをしでかしたらダメだけど、あんたはそいつらと敵対して倒そうって言うんだから、わからないよりはわかった方が便利ですらあるわね。
わかった上で、そうならないようにする、それだけの話なんじゃないの?」
「……でも、わかってしまうということは、自分の中にもそういう部分があるってことで……」
「かもしれないわね。
でも逆に、悪人の気持ちなんて知ったことかって言っちゃうような『正義の味方』なんて危なっかしくてしょうがないわ。
そういう人たちはいつかきっと間違える。
ううん、もう間違えてるんでしょうね。
人間の、目を背けたくなるような暗い部分から目をそらしてしまっているんだから」
自分の正義にこだわる奴がいちばん危ないということは、それこそハイドリヒ氏の前半生を見ればよくわかる。
「それに、そういう連中の気持ちを理解できるっていうのは、エドガー、あんたのこれまでの人生経験のおかげだわ。
その理解力のおかげで、あんたは〈
自分の中の後ろ暗い部分? そりゃ、あるわよ。
でも、それをちゃんと見つめて、かつ囚われないってことが、あんたにはちゃんとできてるじゃない。
自信を持ちなさいよ、エドガー」
「……そっか。そうだね」
メルヴィの言葉で、だいぶ気が楽になった。
「――で、どうするのよ、それ?」
そう言ってメルヴィが示したのは、俺が両手で持っている銃と短剣だ。
「銃は分解して自分で一から作る参考にすることにするよ。
そのままだとやっぱり気分が悪いし、剥落結界の自動装置のために機械製作系のスキルがほしいから、その練習台にもなる。
短剣はそのまま使う。考えてみれば、もともとガゼインだってどこかから入手したものなんだろうから、そうこだわることでもなかったね」
「なんだ、悩んだわりには合理的な結論ね?」
「変にこだわるより、そっちの方がいいみたいだ」
「そっか」
俺は鐘楼から下りると家へと向かう。
妖精郷から帰ってきた時にはメルヴィにストップをかけられたが、今回は何も言われない。
鐘楼から20分ほどでキュレベル子爵邸に到着する。
前世の感覚では、こんな立派な屋敷が自分の家だというのはどうも馴染まない感じがするが、この2週間で最初ほどは違和感を覚えなくなっている。
俺は玄関を開けつつ、「ただいまー」と声をかける。
が、中から返事が聞こえない。
「……あれ?」
眉をひそめる俺に、
「もう夕食の時間だもの。
食堂じゃないかしら?」
そう言ってメルヴィが食堂の方へとふわふわ飛んで行く。
そして、食堂の扉の前で止まって、俺の方に振り返る。
「さっ、早く入りましょう?」
ドアを開けて、というしぐさをするメルヴィに、
「――待って、メルヴィ」
俺は声を潜めて言った。
と同時に、俺は食堂に向かって【気配察知】を使う。
おかしい。人の気配はするのに、室内は静まり返っている。
『メルヴィ。俺は扉から飛び込む。
万一の場合のフォローをよろしく』
【念話】に切り替えてメルヴィに言う。
『え、ええっ!? わ、わかったわ……』
微妙に歯切れの悪いメルヴィに不審を覚えながら、俺は室内での戦闘用に開発した魔法をいくつか脳内でイメージしつつ、ガゼインの短剣を抜き放つ。
こうしてみると、この短剣は便利だ。
物理攻撃にも魔法攻撃にもこれ一本で対処できるんだからな。
『行くよ、メルヴィ』
『う、うん……』
俺が扉を開いた途端――室内から複数の炸裂音が鳴り響いた!
気づいている人もいるはず?
次話、月曜(3/30 6:00)掲載予定です。