61 休日
――〈
俺は、フォノ市のキュレベル子爵邸にいた。
今、キュレベル子爵邸には、アルフレッド父さん、ジュリア母さん、俺、ステフ、その他使用人の他に、エレミア、ドンナ、ベック、ガナシュ爺、それから少年部屋の幼少組数人が滞在している。
ミゲルがいないのは、べつに仲間はずれにしているわけではなく、母親であるモリアさんと一緒の宿に泊まっているからだ。
少年部屋の幼少組は、身元が判明次第、親元に順次送り届ける予定だが、今のところは屋敷で預かっている。
最年長者のドンナや、セセル・セセラを初めとするメルヴィ麾下の妖精たちが世話を焼いていた。
ネビルたち「オロチ派」だった元御使いたちには、塒に残ってその他の御使いたちの監視をしてもらっている。
塒には父さん配下の第三方面軍の騎士たちも滞留しており、〈
彼らの多くは騙されていただけだが、それによってどこまでの減刑が可能かはまだなんとも言えない。
前世の日本ですら、カルト教団によるテロ事件が起きる前までは、マインドコントロールなんてオカルト扱いをされていたと聞く。
このマルクェクトで彼らをどう弁護したらいいのか、父さんと何度となく相談を重ねている。
父さんによれば、今回の一件は、間違いなく国王陛下による直接の裁定を乞うことになるという。
そのために父さんはじめ関係者は王都モノカンヌスへと赴く必要があるが、今はまだ塒内にいる御使いを事情聴取し、〈
「国王陛下からの呼び出しはないの?」
「エドはすっかり滑舌がよくなったなぁ」
俺の質問に父さんはそう感嘆してから、
「国王陛下からは、自分に代わって現地で事件と〈
今回の件に関しては、立役者たる僕に全権を委任するってさ」
「……ふつう、中央から人を送ってくるものなんじゃないの?」
「他の国ならそうだろうね。
ただ、我らが国王陛下はやる気のある部下には権限をどしどし移譲されるお方でね。
おかげで、現場としては仕事がやりやすくて助かるよ」
サンタマナ王国現国王ヴィストガルド1世。
名前くらいしか知らないが、父さんがそこまで言うからにはいい王様なんだろうな。
「……と、そういえば、エドは今日、妖精郷へ行くんだろう?
準備はいいのか?」
「あ、そうだった」
「うん、まあ、なんだ……あまり遅くはなるなよ?」
「……? うん、そりゃもちろん」
歯にものが挟まったような口ぶりの父さんに首を傾げながら、父さんの書斎を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「今日はお客さんが来るから、エドガーくんは妖精郷での~んびりしてきてね?」
俺が出かけようとしたところで、ジュリア母さんはそう言って俺に多めのお小遣いをくれた。
俺としては、首を傾げるしかない。
カラスの塒から帰ってこの方、ジュリア母さんは四六時中俺と一緒にいたがり、スキル上げの時間を取ることすら難しいありさまだったのだ。
それが、今日になって突然の手のひら返しだ。
「……なんかよそよそしくなかった?」
メルヴィにそう聞いてみる。
「そ、そんなことはないんじゃないかしら?」
メルヴィが目を逸らしながら言う。
……やっぱり変だ。
父さんも母さんも、ひょっとしたらメルヴィまでなんかよそよそしい感じがする。
メルヴィは嘘がつけないから、ごまかそうとしただけかもしれないが……。
「あんまり勝手なことばかりやったから、怒ってるのかな?」
ランズラック砦にせよ、〈
それに、転生者である俺には、小さい子どもには欠かせない可愛げのようなものがあまりないだろう。
パパやママよりスキル上げの方に目が行くような変な赤ん坊だからな。
愛想を尽かされた可能性もないわけではない。
「まあ、お客さんが来るって言ってたし、忙しかったのかな」
前世の俺ならもう少し疑っていたかもしれないが、この世界に生まれてからこの方、ジュリア母さんとアルフレッド父さんの愛情と信頼にはずいぶんと助けられている。
今更、本気で疑ったりはしていない。
ただ、俺が彼らに何をしてあげられるのかってことは、これから先、ずっと考えていかないといけないことなんだろうな。
「とりあえず、
妖精郷でセセル・セセラたちにごちそうになってもいいのだが、基本的に食べなくても死なない妖精たちと人間とでは食う量が全然違う。
それに、小さい身体で俺向けの料理を作ってもらうのも気が引ける。
昼食になるものを市場で買って持って行こう。
母さんからお小遣いももらったし。
俺は、手のひらの上で母さんからもらった銅貨を転がしてみる。
今更ではあるが、この世界の貨幣について、思い出す。
マルクェクトの――いや、正確にはこのサンタマナ王国の貨幣は、ファンタジーにはありがちな、金貨、銀貨、銅貨の3種類で、それぞれ百枚で上位の貨幣と同じ価値となる。
とはいえ、いちいち百枚も貨幣を積まなければならないのは面倒なので、それぞれ十枚の価値を持つ大銅貨、大銀貨、大金貨が存在する。
銅貨1枚がおおよそ前世の十円くらいだから、大銅貨が百円、銀貨が千円、大銀貨が一万円、金貨が十万円、大金貨は百万円ということになる。
ただし、貨幣には王国造幣局の玉印が刻まれていることが条件で、そうでない貨幣は専門の両替商に頼まなければ交換できない。
また、両替は正規の貨幣に比べて何割か割り引いた交換比率になるらしい。
これは、貨幣の鋳潰しを防ぐためだという。
大型貨幣が小型貨幣と同じ重さを持ってたら、わざわざ大型貨幣で持つ意味がなくなるから、大型貨幣は、普通の貨幣の1.5倍程度の大きさしかない。
もし鋳潰すことを認めてしまうと、大型貨幣を10枚の小型貨幣に交換してから鋳潰してしまえば、貨幣の材料である金属の
このかさと金属の値段次第では、大型貨幣を小型貨幣に交換して鋳潰し、鋳潰した金属を売ることで
だから、玉印のない貨幣は使えないし、両替するにも不利になると、王法によって定められているのだ。
興味深いことに、大型貨幣の大きさは、当初は小型貨幣の十倍近くあったそうなのだが、年とともに小さくなり、現在では前世日本の百円玉と五百円玉程度の大きさの差となっている。
要するに、貨幣の価値と材料の価値の比率の差を埋めるために、国が貨幣にハンコを押して、「この大銅貨には銅貨10枚分の価値があります」と証明してやっているわけだ。
だから、大型貨幣とは、小型貨幣十枚と引き換えることを国が保証する兌換貨幣だと言えそうだ。
「ふぅん……それなら、全部銅貨に――いや、いっそ紙に印刷して玉印を押したらいいんじゃない?
たとえば、この紙幣一枚で金貨一枚と引き換えます、というような約束をしてさ」
そんなことを、父さんに聞いてみたことがある。
「うーん、たしかに、理屈の上ではそれでもいいのかな。
でも、紙じゃ汚れたり破れたりするし、偽造もしやすいんじゃないか?」
たしかに、この世界の技術水準ではそうなるか。
それに、そもそもサンタマナでは紙は輸入品で高価なため、金貨・銀貨ならともかく、銅貨1枚分よりは紙の方が高くなってしまうそうだ。
「前世では、国家が金との兌換を保証した紙幣を発行していたんだ。
この方法の利点は、国家に信用があれば、金の量以上に紙幣を発行できることでさ。
そうして発行した紙幣を金融業者に低利で貸し出し、金融業者が商人たちにそのお金をさらに貸し出す、という形でお金の流れを作っていたんだ。
景気が悪くなったらその金利を下げて刺激できるし、物価のコントロールも行える」
「……ずいぶん危なっかしいやり方のように思うけどね。
紙幣を持ってる人が、一斉に金に替えてくれって言い出したら大変じゃないか」
「国が健全に運営されてる限りは大丈夫だよ。
前世では、最終的に金との兌換もやめてしまったくらいだし。
まあ、それは難しいとしても、預金を集めて銀行を作るってことはできると思うんだけど。
この世界で、お金を預かって、そのお金を有望な事業に投資するってことをやってる人はいる?」
「しいていえば、金細工師の一部がそんなことをやってるかな。
もともと、材料となる金銀が高いから、顧客が所有する金銀を預かって加工するという形を取っているんだ。
だから彼らは、金細工の他に、顧客から金銀を預かり、預り証を発行するということをやっている。
それに目をつけた貴族やランクの高い冒険者なんかが、身の回りに貴重品を置いておくのは危ないってことで、金細工師の工房に金銀を預けるようになったらしい。
もちろん、工房は元冒険者なんかの屈強な護衛を雇っているし、魔法でもびくともしない頑丈な金庫の奥に金銀をしまって、複数の鍵をかけて厳重に管理してるって話だ。
金細工師側では預かった金銀を商人などに貸し付けて利子を取ることもやっているらしい。もちろん、信頼の置けるごく少数の商人にだけ、らしいけど。
預り証は預り証で、同額の金銀と同じ価値が有るものとして、裏書されて決済の手段に使われたりもすると聞いたことがある。
これなんかは、エドの言う紙幣に近いものなんじゃないかな。
以前、市場税が払えなくなったフォノ市の商人が、預り証を借金のかたにしてくれと頼んできたことがあって、調べたことがあるんだ」
「それ、たぶんすごく有望なビジネスだよ。
儲かるし、領地の殖産興業にもいいと思う」
俺は銀行業や為替取引について知る限りのことを父さんに話した。
「言われてみればそうかもしれないね。
ポポルスさんにでも相談して、やらせてみようかな?」
ポポルスさんというのは、ステフの父親である元商人のトレナデット村村長のことだ。
あの村長、昔はかなりやり手の商人だったらしい。
家族ができたから落ち着きたいと言ったので、彼に恩義のあった父さんがトレナデット村の村長に任じたのだという。
「あれ? でも、ポポルスさんは父さんの直臣になりたいって言ってたよ?」
「おや、そうなのかい?
あの人はやり手だからね。
家族ができて落ち着いたら落ち着いたで、物足りなさを感じてるのかな?」
「うーん……家族の生活を豊かにしたい、みたいな話だったと思うけど」
「たしかにそれもあるだろうけど、あの村は綿花の試験栽培なんかも始めていて、徐々に裕福になりつつあるんだよ。
だから、彼が直臣になりたいっていうのは、もっと大きな仕事がしたくなったということなんだと思うよ。
自覚してそう言ってるのかもしれないし、家族のためと言いつつ無意識に望んでるのかもしれないけど」
なんか、すごく深いことを言ってるな。
「エドも、覚えておくといい。
人は、自分の望みを自分で把握できているとは限らないんだ。
むしろ、他人から見た方がわかりやすい場合もある。
エドが将来、人を使う立場になった時には、言葉の裏で相手が本当に望んでいることを察知するよう心がけた方がいい。
本人の望む地位を与えたはずなのに処遇に不満を持つ、なんてことが、案外あったりするんだ。
とはいえ、本人の望みを無視してもいけないから、難しいね」
「そういうのって、どうやったらわかるようになるの?」
「そうだね……。
いちばん大事なのは、相手に興味を持つこと、かな」
「興味……」
「うん。
相手に興味があれば、相手の性格や相手の置かれた状況が自然に頭に入ってくるだろう?
そうすれば、相手の望んでいることもわかるようになってくる。
僕の尊敬している古の賢者が、こう言っていた。
『領民に興味を持っている領主は、自然に良政を敷くようになる』ってね。
だからエドも、部下を持つ身になったら、部下たちに興味を持つように心がけるといい。
そうすれば、どうすればいいかは自然にわかるし、とくに意識しなくても相手の望むことをやってあげられるようになっていくから」
さすがアルフレッド父さん、含蓄のあることを言う。
正直、俺は人の上に立つような人間ではないと思っているが、長い人生、そんなことがないとも限らない。
父さんの忠告は有り難く心に留めておくことにしよう。
さて、市場に到着すると、美味しそうな匂いが漂ってきた。
俺は、
食べ物の入った袋を抱えながら人気のない路地へと入り込み、メルヴィにゲートを開いてもらって妖精郷へと移動する。
次話、来週月曜(3/16 6:00)掲載予定です。